十九戒:ラルのお仕事(4)
通信機や移転方陣により、生活が大きく変わり、僕は町をゆっくり見て回っている。改めてみてみると、賑やかで、平和で、笑顔にあふれていて、居心地がよかった。
でも、自分がここにいないと思い出すと、心に穴が開き、隙間風が胸を傷つける。
それでも上辺だけ笑って、記憶の戻るその時まで生きていこうと思う。
だけど、人ごみはやっぱり苦手である。笑い声が聞こえるだけで吐き気がするし、眩暈がする。この空間が嫌だ。
教会に戻ろう、互いに干渉しあわないあの世界に戻れば、僕の居場所はあるんだ。わかっている。どこにも、僕の世界なんてないってことは、わかっている。
教会を見るとホッとする。
バカみたいにでかくて、隣には墓地が並んでいるし、中には人間の末端のような人達がいる。仲間のように思うのは失礼だろうが、自分の中の位置づけだけなら許してくれるだろう、心に穴は開いたままだが、風は吹かず、落ち着いている。
「けって〜い! 」
初っ端から何かを決定されたが、まずは気にせず歩みを進める。
「セムさん。ちゃんと説明お願いします」
「第三権力からの依頼だよ、小遣い稼ぎにいってらっしゃい」
人選は至って簡単。教会に来てしまった奴。
僕と、ラウと、ギンさん。
ロキさんの陣に乗せられ、依頼書を持たされ、笑顔で見送られた。そう、強制的ってやつだ。
「っと、動物の凶暴化、進化か何かでしょうか? 」
「……」
「……」
おっと、一人は人間不信で、一人は寡黙すぎる童顔おっさんだった。
直球過ぎる質問しか反応しない、曖昧な質問なんて、門前払いである。
依頼の村までは三キロの道のり、手前の村には移転方陣があったものの、ロキはこんな辺鄙なところまでは設置していないらしい。
「ギンさんの神の力って、何なんですか? 」
「……空間に留めるんだ。物体だろうが、斬撃だろうがな」
「ラウ君は? 」
応えないだえろうと思っていた。故に、以外だった。
「嗅覚が発達し、様々なものを嗅ぎ分ける」
そう、彼は彼なりに成長しているのだ。克服しているのだ。
少しだけ、じんわりと心に親心が広がりながら、目標の村まであと少しだと看板が伝えてくれた。
村の前では、村長があたふたしながら待っていた。
「第三権力からの依頼で来ました。C3のラルと申します」
「あぁ、よく来てくれました。こちらへ……」
額に脂汗をかいた小太りのおっさん……もとい、村長さんは、自らの家であろう、山の中にしては豪奢ないえに案内する。
木の香りが鼻をつき、なれないうちは臭くてたまらないだろうが、僕はなんだか落ち着く臭いだと思う。
安っぽい紅茶の臭いがした。
スプリングが弱まっているソファに腰を沈め、村長の話を聞く。ギンはソファを気にして壁に背を預けていると、何かに気づいたように呟く。
「ここには温泉があるのか? 」
「あ、はい。少し奥の方になりますが、大浴場が一つ……」
「ラル、任せた」
ここで村長が変貌し、悪魔にでもなったらことだが、今は話を聞くだけなので、ギンの行動は許す。
「ギンの故郷、東極にも温泉があり、ノスタルジアに浸っている」
ラウが呟く。
そうか、ラウは経験上正しいと思ったことを述べるのか、そう解釈する。
村長に急かされたので、仕事の話とする。
内容はこうだ。ある時農夫が農作業をしていると、いつものように山猿が降りてきた。いつものように作物を食べに来たのかと思っていると、いきなり爪で引っ掻かれた。悲鳴が響き、村人が猿をどかすまでに、農夫の顔は見るも無残な姿になっていた。
その後数時間、猿は暴れまわり、いきなり豹変したかのように落ち着き払い、いつもの姿に戻ったという。
「ラウ、どう思う? 」
「暴れている最中の獲物を捕まえなければ意味が無い」
「で、村長さん、最近凶暴化した動物は? 」
「毎日現れるのですが、今日はまだ……」
すると、図らずとも外から叫び声が聞こえた。
外に出てみると、狼の群れが涎を撒き散らし、目は血走っている。あからさまにこれだ。
僕は陣を急速展開し、縛鎖を呼び出し一匹を捕らえる。
「ラウ君、他頼んだ」
人を遠隔操作し、強烈なガスを発生させ、失神させる。
僕は縛鎖を解き、狼と対峙する。採取するものは、唾液と血と毛、くらいだろうと思う。
薄皮を剥ぐように、凶暴化した狼の唾液、血、毛を採取する。採取すれば用済みなので、ラウと同じガスを発生させ、気絶させる。
「で、どうしよう……」
少し落胆しながらも、ラウが採取したサンプルを僕から奪取すると、徐に臭いを嗅ぐ。
「血に興奮剤、刺激剤、のような成分が見られるが、自然に取り入れられる量を大いに超えていて、一動物に投与される限度を超えている」
「それは人為的なもの? 」
ラウは、無表情にある一点を指さす。その方向だけは止めて欲しかった。まさか、それは無理だろうと思ってしまう。
そう、温泉。
そして嫌な音がする。爆発するような、破砕されるような、そんな鈍い音だった。
「村長さん、村人全員連れて、急いで逃げてください」
「何なんですか? いったい」
「いいから早く! 」
村長は更にあせりながら、逃げていくのが見える。
僕とラウは、ただ一点を見つめて、どうしようかと考える。ラウは答えを出しているだろう、無理だってことを。
「無理だろうけど、やってみるか」
「そう、いうなればバカ」
「悲しくなるから止めてくれ」
時間を遅らせ、時間を走らせるも、着いていくのがいっぱいで、攻撃の手が加えられない。
刀を近くに置いていなくて正解だ。拳対鉄と銃で、これだけの差があるのだから、刀なんてあった時には一たまりも無い。
拳を受け、ハンドガンをわき腹に叩き込み、後方のラウに魔法での支援を頼む。
その支援に魔法を加え、僕は後退し、ラウと前後を後退する。
荒々しい攻撃を全てかわし、傷口を抉るような攻撃を繰り返す。傷の再生に細胞が追いつこうと、体の中の刺激剤が使われるため、効果的だという。
そこから生まれた余裕か、それにより冷静になってきたギンの強さか、一つの拳がぶつかりそうになる。
すると、僕の体は勝手にラウをかばっていた。そうだ。雑魚で地に這い蹲る役は、僕が一番にあっている。
「あ〜やっぱ無理だわ」
投げられた岩をラウが破砕する。岩石とも呼べるそれを、いとも簡単に破砕できるものの、目の前の鬼は止められない。
「ラウ……あれは幻覚か? なんだかドラゴンが……」
「奇遇ですが、私にもどこぞやの将軍が見えます」
「ははっ、くだらないことしか出てこないな」
獲物を再視認した鬼は、こちらに向かって飛翔してきた。
それは正に奇跡というべきだろう、ギンは空中で静止したのだ。
賢者ゼルかと思ったがそれは違った。隣のラウも、不思議な顔をしている。
次の瞬間、僕の体は重力に逆らい、強制的に立たされた。
「久しぶりだな小僧、憎たらしいほどにまだ若いな」
目の前の初老の女性は、私を見るなりノスタルジックのふけっている。ボケなのだろうかと迷ったが、口にしない。
「彼は記憶障害、貴方を知らない」
「記憶障害……なるほどね、あんたのしそうなことだ」
宙に静止したギンは、その呪縛から逃れようと、もがいている。魔力が固体になったかのように、軋む音がする。
女性は舌打ちをし、陣を展開し、ギンを深い眠りに誘う。
ギンは戦闘民族の血から、あらゆる病気にかからず、毒が効かない。だが、魔法で生成された毒は効くようだ。
ならば彼女はなんなのだ、この世界にないものを具現化するなど、ただものじゃない。
「ラルさん。後は任せました」
ラウは気をつかってか、ギンに恐怖を覚えたのか、ギンを背負い教会へと帰っていった。
当然僕も、彼女に聞くことがある。
「あの、僕は誰なんですか? 」
「誰って、お前はお前、私に何か聞きたかったら、私を思い出してからにしな」
聞こうとしたことが一気に否定されたが、ここで負けては情報が得られない。
「じゃぁ、話せる範囲で」
少し考えるようにして、女性は首をかしげる。
「記憶が戻るたびに、お前は傷つき、自分が嫌になる。しかし、それと比例するように力が身につく。それを肝に命じろ、以上だ。それと」
女性は僕に、一つに指輪を渡した。
中心に座しているはずの宝石はなく、リングだけのそれは、どこか意味深なものを含んでいた。
女性はいつの間にか消えていた。移転方陣だろうと思うのだが、動作の一つも見せないほどだった。彼女は誰なのだろう。
僕の心はまた一つ軋みだした。