十六戒:朱に染まらずとも……(2)
私が入ってから、給料はいつもの二倍になったというが、それでも、危険を伴う仕事としては少ないほうだと思う。
しかし、ルグルさんはどのような人生を送ってきたら、こんな豪邸に住めるのか、今はその疑問だけで手一杯である。
第四課の仕事だけだと、一生働いても無理目だろうと算出、その前に何かをやっていたのだと考えるが、どうも嫌な想像しか出てこない。私の中での彼は、どうもそういう危ない人に設定されているのだと、なんとなく思う。
「口半開きにして家を見られるのは、いささか嫌なもんだな」
「あぁ、すいません。なんだか見入っちゃって」
「なにせでかいからな」
「エマ、そこはお世辞でも綺麗だとか、品が感じられるとか、そういう言葉を選ぼうね」
エマさんは少し機嫌が悪いのか、不貞腐れている様にそっぽを向く。
少しだけたじろぐルグルさんを見れたので、何も文句はつけない。
「さ、サニアさんの飯だ〜」
心の中の素直な声が漏れていると、少しだけ注意してやりたいが、注意する前に同じ言葉が出てきそうで怖い。
そのため、最善の注意を払い、ルグルさんの後に続く。
見た感じ掃除はちゃんとされており、欠点を探すことなんて出来ないくらいの家である。
奥の扉から、一人の女性が姿を現す。
「あなた、せめて二日前には言ってくださらないと、満足な準備ができませんよ」
「大丈夫、大丈夫、そこまでの客じゃない」
否定せずに笑顔で対応。
まさか、こんな若い女性がルグルさんの奥さんなのでしょうか、そして、これは何かの犯罪に引っかからないかと、頭の中を高速検索をかけるがひっかからない。思わず舌打ち。
エマも先ほどとは打って変わって、笑顔で挨拶を交わす。
「で、サニア、子供たちは? 」
「お兄ちゃんは第三召集命令で動けなくて、お姉ちゃんはお仕事次第ですって」
「クレオは? 」
「部屋で勉強してるわ、あの子また一番よ」
一通り夫婦の会話を交わすと、ルグルさんは着ていたコートをサニアさんに渡す。
そのままルグルさんは二階へと、私たちはリビングへと通される。
「何かお茶にこだわりとかあるかしら? 」
「お構いなく」
落ち着かない。
一人暮らしで、ご飯もまともに食わず、部屋もまともに片付けない私は、このような綺麗で、豪華で、輝く場所は苦手である。エマは、何度か来たことがあるのか、冷静を保っている。
数分すると、紅茶が届けられる。
華美なティーポッドから、カップに注がれる。香りたつ湯気から、ダージリンだと推測。私は、砂糖を少しとレモンを浮かべ、それを少し口に含み、平常心を取り戻す。
「ダージリン……そうですよね? しかも、南東にしかない希少種ですか? 」
「あら、エマちゃん詳しくなったわね」
「いえ、まだ銘柄までは……」
希少種という言葉から、また手が小刻みに震えはじめる。
カップを置いて空気を吸う。少し落ち着く。
階段を下りる音、二階からはルグルさんと、そのお子さんの姿が見える。まだほんの子供だ。
「クレオ、挨拶」
「クレオ・ハイムヒュートです。よろしくお願いします」
それは私に向けられた挨拶だとわかり、急いで立ち上がり、挨拶を返す。
「ラグロス・エルスレシュです。こちらこそ、よろしくお願いします」
隣からは、格式ばった挨拶に、サニアさんが笑いをこらえていた。少しだけ顔が熱くなる。
「ラグロス、敬語はよせ、相手は子供だぞ」
リビングに、優しい笑い声が響くと、顔の熱は温度を増した。
サニアさんは食事の準備とキッチンへ、それを手伝いにエマも席をはずし、つまみ食いをするべくルグルさんは行ってしまった。
自然と遊び相手を見つけたクレオ君は、私の隣へと座ると、手馴れたように、紅茶に砂糖とミルクを注ぐ。
「なぁ、クレオは頭良いのか? また一番なんて言われてたぞ」
「一応ね、記憶力がいいだけだよ」
謙遜だろうか、それとも、実際にそうなのかは、難しい年頃故にわからない。
だけど、嘘ではないとはわかる。どこか、少しだけ、寂しそうな目をしたからである。
「じゃぁ、将来はどうするつもりだ? 」
「将来? まだまだ先のことだよ、なれたとしてもきっと第三権力補佐くらい、今は競争率高いからね」
頭が良い、記憶力が良いというのも、一概に最高の能力だとはいえない。見てもいない上辺だけの現実が、目の前から離れないからだ。
だから、先輩としてアドバイス。
「低いな」
「え? 」
「目標だよ、いっそ王様って言ってくれたほうがよかったな」
「無理だよ、だって……」
私はその言葉を断ち切るように話す。
「その考えが甘いんだよ、いいじゃないか届かなくても、飛べよ、とりあえずさ。それで手が届かなくても、手がどこまで伸ばせたかはわかるじゃないか。
でもな、小さい目標立ててそこに飛ぶなんて誰にでもできるんだ、自分にしか出来ないことやらないと、損だぞ」
大人ぶって、少し大きいことを言ってしまったともう。もとい、恥ずかしいことを言ってしまったと思う。
残りの紅茶を飲み干し、その場を逃げようとした時、私の袖はクレオに引っ張られたのだ。
連れて行かれた先はクレオの部屋。机を開閉し、何かを探しているようだ。
「あった……」
静かに呟き、クレオは小さな紙切れを私の前に差し出す。
「じゃぁこれ、特攻魔法免許。つい最近、最年少の十六でとった女の子がいるんだ、僕まだ十二だから、追いつけるかな? 」
どうやら、私の一言から小さな、それでいて大きな少年の夢を、肥大させ、勇気を与えてしまったようだ。
が、悪いことではない。少年の夢は膨らみ、それを受け止める自分を形成できるし、将来への足がかりとなる。大きくなって四級で止まりましたより、小さくても四級持ってるほうが、痛みが段違いである。
そして、少年は更に事を進める。
一階に戻ると、パエリアの海老をつまもうとするルグルさんの肩を叩き、私に見せたように、父に報告をする。
「お父さん。僕特攻魔法免許取るよ」
「あぁそうか、それはよかったな、家庭教師をつけてやるから、少し静かに……」
少年はさっきのように、また瞳に悲しみを携えながら帰ってきた。
私を無視したように、大事にとっておいた筈の新聞の切抜きを丸め、壁に投げつけると、悪態を吐いたのである。
「駄目だ。駄目なんだよ、こんなんじゃ、糞っ! 」
その変貌のしかたに、人間に対する消化不良を起こす。
彼の瞳の悲しさの含有成分は、彼があそこまで必死になって夢を語ったわけは、そして、それすら通過点でしかないような、彼のあの態度は、誰にもわからないままである。
その後の食事では、さっきの悲しみは、優しさのオブラートに包み、心の隅に隠したクレオが、舌鼓を打っていた。少しだけ、寒気がした。