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パート1



「ミシュアが陥落した」

 受話器を戻し、ホットラインのスウィッチを切ったツヴァイゼンが、傍らで心配そうに立っているアンヌに深い溜め息をついて言った。

「ということは、博士、あれほど期待していた対地中推進ミサイル迎撃砲(SUM)がなんの役にも立たなかったってこと」

「というより、SUMのレーダーでは捉えられなかった。それで、肝心のSUMが活躍する場を失ったというのが真相らしい……」

「どういうこと」

「つまり、こちら側の環境設定が甘すぎたということだ。そいつは消音装置つきの上、あまり大きくはなかったようなのだ。なんでも、二メートルもある、あの要塞の鉄の壁も簡単にぶち抜いて来たというのだからな」

「そんな、莫迦なことって――」

 なかば呆れたように肩をすくめたアンヌが口ごもってしまうと、ツヴァイゼンは小さなモップのように縮み上がった白い顎髭を指で梳かしつけながら続けた。

「もっとも、ミシュア内部に情報スパイかなにかがいて、そいつがホストコンピュータのプログラムを目茶目茶にしてしまったという可能性も否定できん。ある筋からの情報によると、あちらさんには、われわれヘミノージアン(北半球人)の言語すべてを自在に操れるばかりか、姿形までわれわれそっくりになった情報戦のプロがうじゃうじゃいるというからな」

「上層部は、そのことを……」

「うむ」ツヴァイゼンは、アンヌが後を継ごうとするのを遮って言った。「たとえ、事実と分かっても公表はせんだろう。ややこしい人物については、いずれサイキアナライザー(精神分析装置)にかけて脳を掃除すれば済むことだ」

 アンヌは、その設計図段階から毎日のようにビジプレートで眼にしていたミシュアの内部構造が、兵士たちの阿鼻叫喚もろともザンボアの放った無数の地中推進ミサイルに打ち壊されてゆくさまを想った。難攻不落を誇り、このままで行くと半世紀はもつであろうといわれていたミシュアの要塞。それが、二年ももたずに陥落してしまうなんて――。

 この後、数時間以内にながれるであろうミシュア陥落のニュースは、全人類の地下人種化を推し進めるメディクスレニアン(南半球人)、とくにタカ派で鳴るザンボア軍の幹部にしてみれば、大いなるエールに映ることだろう。

「わたしたちのSUMは、すっかり裏をかかれたって訳ね」

「そうだ。こうなっては、ますますことを急がねばならん」ツヴァィゼンは自分のことばに呼応するように、さきほどよりもっと強く顎髭を梳かしつけて言った。「勢いに乗ったザンボア軍は、これまで以上に北東東方面に戦線を拡大して来ている。このままでは、われわれの組織が鉄槌を下す前に、中亜大陸沿岸にまで戦火がおよぶことになろう」

「今度の地底実験は、いつ行われる予定なのですか」

 アンヌは、この二週間前に受けたあるものについてのオリエンテーションとその作戦の内容を想い起こしながら訊ねた。

「まだだ。悪いが、いまはそうとしか言えん」ツヴァィゼンはそう言い放ったあと、やや口ごもるようにしてことばをつないだ。「実をいうと、このわたしにも知らされていない。すべて最上層の決定機関が握っているのだ」

「では、予想より早く南亜の勢力が中亜大陸の北端にまでおよんだら、あれの使用は不可能になるということですか」

 アンヌは、いつにないツヴァィゼンの煮え切らなさに、つい詰問調で言っていた。

「そうだ。あれの使用がいつ行われるかが知らされない以上、そうとしか答えようがない。だが、もしそうなったら、地球は完全に二つに分断され、有史以来の凄絶な破局を迎えることになるだろう。うかうかしていると、M第3惑星へ向かう大移住船団の旅も人類の果せなかった永遠の夢に終わるかも知れん……」



 その日は、たまたま第一火曜日だった所為もあってか、客の入りは思ったほどではなかった。慧人ケイトは、十数年前の自分を想い起こしながら、その古びた建物の重々しいドアを押した。

 三・四十年ほど前、この辺り一帯はバイオスフィア・インティグレート・ゾーン(地球生命圏研究施設地域)の頭文字をとってビズなどと呼ばれ、民間レベルの研究者と私企業の期待をほしいままにしていた、いわゆる初期の宇宙ビジネス文化の残骸であり、その最初の遺跡でもあった。公的機関が、お得意の捻り技で設営したバイオスフィア複合技術の調査機関や研究棟の群れだ。慧人には広大な敷地全体に連なるビルディング群が、うだるような暑さのなか、嫌々しながら過去の郷愁に浸っているように思えた。

地球生命圏インティグレイターたちの、つかの間の、そしてもっとも浅かった夢。それらは無残にも打ち砕かれ、挫折感にひしがれ、哀れな姿をさらすビルのたたずまいに象徴されていた。現在の他の建築物と較べれば、いかにも粗悪な造り。当時、主流を占めていたのであろう暗いイメージのするコンクリート壁。ものものしく輝く金属を縦に貼り合わせて円錐鏡のようになった鉄柱……。それらはすべてが剥げ落ちるか、錆びるか、朽ち落ちるかして、摂氏三十八度という近来にない熱帯夜に死にそうになっていた。

 内部へ入ると、十分もそこにいて眼を慣らさないことには、周囲の状況が把めないほどだった。かつては明かり取りのために空けてあった窓も、そのすべてが熱波の入り込むのを防ぐために埋め込んであるようだった。

 二人、三人または五人と個々別々の席に陣取った客が、なにか異様な生き物にでも遭遇したかのように、暑さに額をを濡らして入って来た慧人の顔をいっせいに見た。

 確かにその視線が意味するように、あと四年もすれば齢四十に手の届こうという慧人のような男が入るべき店ではなかったのかも知れない。店内は外の暑さが嘘のように感じられるほど涼しかった。かれは、ステージの前から二十歩ほど前方にある、誰も腰掛けていない円いテーブル席に眼をつけ、そこへ向かった。

 その後ろのテーブルには、東洋人と思われる黄色の頭をした男と白人の顔に濃い髭面をさげた男がいて、慧人の接近したのに気づかず、なにやら共通語らしきアクセントで話し込んでいた。かれは一瞥をくれてから、軟性セラミックスの防熱コートから腕を引き抜き、脇の、硬質ファイバーで出来た半透明の椅子の上へ置いた。

 眼が慣れて来てよく見ると、そこは、慧人の父がまだ血気盛んなころ、多目的ホールと呼ばれていた代物のようだった。

かれは、周囲から立ちのぼって来たどす黒い視線を避けるでもなく、それらの視線を凝視め返すでもなく、ゆっくりと椅子に腰を降ろした。

「注文はなんにするね、お客さん」

 慧人が一服吸おうとポケットに手を伸ばした途端、どこからやって来たのか、ぶっきらぼうな男の声が背後から訊ねた。

「ああ、コーヒーを頼む」

 単身生活者の消費電力が制限されているこんな夜に、誰もいないユニットゾーンに帰るのはぞっとしなかった。大のコーヒー好きだった父の影響で、自分もそれ以上のコーヒー好きになったかれは、ここでもコーヒーを注文した。喉は冷たいものを欲しているにも拘わらず、「ご注文は」と問われれば無意識にそう答えてしまうのだった。

 しかし、かれにとっては煙草のつぎに好きなコーヒーも、例の南米経済封鎖政策のあおりで北亜同盟国連合の禁輸入品となっていた。そんな有り難いコーヒーが、ここでは公然と売られているのだ。かれは、もはや骨董品扱いされるほどのシガレット・ケース、父の形見であるそれから煙草を一本取り出すと、いとおしそうに火を点けた。

 かれは、ゆっくりと深く煙を喫い込んで、立ちのぼりゆく紫煙の行方を眺めた。やがて、ステージの上が騒がしくなり、いわゆる調律のための音合わせがはじまるようだった。

 十年このかたというもの、音楽といわれるものにはとんと縁がなく、無音同然の生活を送っていたかれにとって、ステージ上で行われていることは皆目見当がつかなかった。もちろん、いくら現代音楽不案内の彼だといって、ステージに置かれているそれが音響を発する機器の類いだぐらいのことは理解できた。

 出演者は男女数人で、それぞれが派手な恰好で踊り始めていたが、かれにはそれがなにを意味するかは分からなかった。よく見ると、若い男女のそれぞれがしなやかで美しい顔をもっていた。それはこの頃の若者に特有の、染みのない半透明のもので、慧人のような世代にとっては羨ましくなるほどの滑らかさと柔らかさに満ちていた。しかし、かれらの顔の系統がどの大陸のものか、どの血を引いているものかは判らなかった。

 もう遠く、手に届かないことと諦めた上での羨望と感嘆。若さゆえ、無知ゆえの、怖いもの知らずにつきものの、ある神々しいまでの傲慢さ。それは、政府配給の人工フードでしか口にできず、栄養価の大部分をサプリメントに頼っている所為で、人生四十数年間しか生きられないといわれる現代人の輝ける瞬間だった。

 つねに死の影に脅かされている若者にとって、もっとも生命が充実している瞬間。もはや慧人の祖父が存命していた時代のように、かれらには七十年や八十年という、気の遠くなるほどに長い人生は約束されていない。そのもっともっと前の、十八世紀に逆戻りだ。若くあって自然の死を迎えるのは、紛れもなくかれらの性がもっとも美しい状態のまま終結することを意味するのだ……。

 慧人は、裸同然の、セクシーな男女の身体のあちこち、腕や脚や腿や腰の皮膚に直接に留められた器械をさまざまの激しい動きで操作し、複雑な立体音を奏でるかれらの音楽に心を傾けた。

奇怪な音でいながら、妙に頭蓋の奥からなにかを揺すぶり出してくれる感じがする。

それは、人間の心拍数やシナプスからシナプスへの刺激伝達に呼応しているかのようで、脳から伝わったなにかしら快い電流のようなものが、慧人の想像したあるイメージに感応するたびさまざまの色と熱に変化して、色彩による官能の森とでもいうべきものを見せてくれるのだった。かれは、この世でもっとも尊敬していた父のイメージと言葉を視覚化し、一種の立体映像として体感していた。

そうすることで、個々人にとり、その想い描くとおりの世界が寸分の狂いもなく網膜上に現れるのだった。かれは、一種まどろみの深い淵に沈んでゆくにも似た、おぼつかない感覚に身を任せた。網膜に父を映しながら、鼓膜にかれらの奏でる不思議な立体音楽の風を振動させながら――リラックスして、手足の力と肩の力をぬいて……。

無意識の深い海のなかで、かれは父の崇高にさえ見える、厳格な顔を仰ぎ見ていた。

 お父さん、どうして海は、あんなに黒くて深い色をしているの。かれは訊ねる。舌ったらずに。無邪気に。父はにっこり笑って、口ではなく心話で答える。それは――人間が愚かだったからさ。かれは訊ねる。お父さん、どうして雪はあんなに茶色い色をしているの。父はまたも言葉でなく、心話で答える。ぼうや、それは人間が愚かだったからさ。かれは訊ねる。舌ったらずに。ちょっぴり悲しげに。お父さん、ぼく淋しいよ。ぼくたちのお家には、どうして母さんが住んでいないの。父は、心を閉ざし、言葉で答える。慧人よ、それはね――お父さんが大莫迦ものだったからさ……。

 一曲めが終わった。かれは耳が他人のものになったような気がしていた。心は相変わらずそこにある。けれど、父はいない――。

 あの南亜戦争が勃発したとき、かれは六歳になるかならずだった。父は、軍部所属の科学技官のひとりとして徴兵され、南亜大陸の熱砂地獄に旅立った。そして、それっきり帰ってはこなかった。母もいない。父もいない。兄も弟も優しくかばってくれるはずの姉もいない。そして、威厳を込めて庇護者の顔をして頭を撫でてやる妹の姿すらも。



 いまからおよそ二十年ほど前、折から起こった毛皮ブームのお陰で本物の動物が払底し、偽の毛皮を着たロボット・アニマルがブームになったことがあった。なかでも愛玩用としてもっとも人気の高かった犬猫の類いが好まれ、ひとびとは競ってそれを買い求めた。寂しいとき、話し相手がほしいとき、ひとりぼっちのユニットゾーンに帰宅したとき、それらはことばこそ喋らないが、飼い主の気持ちをよく察し、よくなついてくれた。

 だが、人間の欲望は果てしない。あまりにロボット然としたそれに飽き足らず、本物のなんともいえない愛らしさがほしいというマニアックな人間がきっと現れる……。

 案の定、絶滅寸前だったはずの本物をどこからか調達して来て売る者が現れた。北半球条約機構たってのご禁制品とあって、それは売れに売れた。もちろんクローンも売りに出されたが、売れ行きのほうはさっぱりだった。姿形が他人のそれと同じで、成育するにつれて肥満体や奇形が多く出る上にあまり長生きしないからだった。

 いまでもそうだが、ロボット・アニマルはどんな品種であろうと、例の古典的なロボット三原則を使って人間に柔順かつ無害であるように設定されていた。それこそ温和しく飼い主の言うことを聞くばかりか、その舌についた唾液であろうと、糞尿であろうと、決して人間に害を与えるようには設計されていなかった。人間行動の特性をすべて調査し、そのふるまいに合わせた衛生管理プログラムが組み込まれていたのである。

 だが、本物はそうではなかった。当たり前のことだが、ひとびとはそれに気づかないくらいロボット・アニマルの清潔さに慣れっこになってしまっていた。ロボット・アニマル時代の習い性が、相変わらずひとびとに口移しで餌をやったり、その便や尿を衛生的なもののように扱わせてやったりしていたのだった。

 しかし、それには、ある意味で当然なことながら、虫が棲んでいた。博物館行きの細菌学辞典でしかお目にかかれない原虫、いや、伝染病が何世紀かぶりに復活したのだ。

 妊婦がそれに感染すると、その胎児はこの世に出る前に流産するか死産になった。たとえ生きてこの世に出たとしても脳に微細な損傷があって、精神の発達が遅れた。そしてその動物にもっとも多く接触し、可愛がっていた家族の何人かは重篤な脳障害に陥り、その八〇パーセントが数週間の内に死んで行った。

しかも人間に危害を加えないように設定されていない本物は、飼い主の手や腕、足などを噛んだり引っ掻いたりした。その咬み傷や引っ掻き傷から骨や骨髄をやられる者までが現れた。

 事態を重く見た政府は、さらに罰則を強化するとともにいかなる理由があっても非人工動物を飼育したり売買したりすることを禁じた。その徹底ぶりは、いまの徴兵検査どころではなかった。相手がどこの何様であろうと、容赦なく二十年の懲役に服させ、恩赦といった例外による刑の軽減を一切認めなかったのである。

そしてまだその病気に感染していない飼い主には抗体を接種させた。その結果、その種の病気にかかる者はいなくなり、原虫や菌もまた悪さをすることができなくなった。それに伴って自然動物の密売は廃れ、その後も細々と続けられていた繁殖牧場や秘密販売所も徐々に閉じられて行った……。


「見ろよ、ゴキブリの野郎がいやがるぜ」

 その声に振り返ると、白い肌の髭面男と目が合った。

体重一五〇キロ以上もありそうな大男だった。その男が、自分の真向かいにいる相棒にヘミノージアン(北半球語)で言った。

確かに辺りは薄暗い上にごちゃごちゃと不衛生そうだ。ゴキブリの一匹や二匹、テーブルの隅から客の食べ物を求めて顔を出したとしても一向不思議はない。だが、男のそれは明らかに場違いな風体をした慧人への当てこすりで言っているのだ。

 その奇妙なアクセントの太い声が続く。

「このごろじゃ、ゴキブリまでがこんなところに出入りするようになったのかい。まったく世も末だぜ。南亜じゃ、あのくそ暑いなか、うんうん唸ってウジ虫と戦っているってェのによ――」

 慧人は黙って耐えた。こんな場合は無視しているにかぎる。相手は、そのゴキブリにも劣るヘビやトカゲの類いだ。暇で、退屈で、いつも苛ついている。それでいてなにもすることがないから、誰かに八つ当たりしたくて仕方がないのだ。

 かれは気づいていない風を装って、脇にあるビジプレートに眼をやった。

ビジプレートは、ここ数カ月間の放映で、いい加減食傷気味になっているミシュア砂漠での戦闘シーンを映し出していた。

陽炎の昇る砂漠。数百台もあろうかと思える砂上戦車隊。その横を行進して来る歩兵団。それらをレーザーキャノン(熱線放射器)で迎え撃っている北半球連合軍兵士の姿が映し出される。ザンボアの軍は、撃たれても撃たれても行進をやめることはなかった。

 数秒後、その映像がフェイド・アウトし、キャスターとおぼしき派手な化粧をした女の顔が現れた。番組タイトルとともにその顔が大写しになった。

オープニングを、より華やかなものにするためのわざとらしい笑み。おおげさな口の動き。しかし、音声は入っていなかった。その所為か、赤く塗った唇がくねりながら開閉しているさまは、妙にエロティックだった。

が、それもつかの間、横から差し出された原稿を眼にした彼女から独特の笑みが消えた。そして画面いっぱいに「ミシュア陥落!」の文字。

 慧人は思わず身を固くした。北半球市民のネグロイド化阻止を旗印に最近あちらこちらでカラード(有色人種)の店や家を襲い、殺戮を繰り返しているネオ・ワスプ(極右分子)。その一派がここにもいて、腹立ち紛れに暴れださないとも限らない……。

だが、その戦くような期待に反して、周囲からはなんの反応も起こらなかった。

見回してみると、映像だけを流すビジプレートは単に動く飾りに過ぎず、誰も興味を持っていないらしいのがわかった。

「おい。そこのお兄さん。聴いてるのかよ――」

さきほどの声が、こちらに向かって言っているのが聞こえた。声つきからして顔がニヤついているのがわかる。「それともモウロクしちまって、おツムだけじゃなく、おミミのほうまでヤバクなっちまったって訳か」

 訛りは東部イレニアム方面のもの。早口で喋ると、Tの発音がLやDとなり、妙にSの音が歯の間から抜けたようになった。

 慧人はさらに無視して振り向かずにいた。いざとなれば、携帯イレイザーがある。少なくともこれで、五分間は相手の気を失わせることができた。そして五分後、目覚めた男はなにがあったのかの記憶を失っている。

 慧人は、相手に気づかれないように、何気ない仕草でズボンのなかへ手を入れた。室内の冷気で冷たいはずのイレイザーは、ポケットの布地一枚を隔てた腿にぴったりくっついていたお陰で、体温とほぼ同じ温かさになっていた。かれは、センサー部分を強く握り締めると、いつでも取り出せるように男のつぎの動作に備えた。



 フリードマンはさきほどから、爪の先が壊れそうなほど忙しなく机を叩いていた。

この組織の司令長官に昇格してこのかた、これといった成果が上げられないでいたからだ。とくに今回のミシュア陥落のニュースは、かれにはかなりのショックだった。例の対地中推進ミサイル迎撃砲の開発が、それなりな花道を用意してくれると高をくくっていたのだ。だが、これでは花道どころか転属の望みすら断たれてしまったも同然だった。

「ツヴァイゼン博士を――」

 かれは、忙しなく動いていた人差し指を止め、えいっとばかりビジプレートのスウィッチを押して言った。

「博士をお呼びするのですか、長官」

 ビジプレートから、一呼吸を置いた若い女の声が言った。

「ああ、頼む」

 かれは、自分がぶざまな顔をしていると思ったとき、いつもそうするように、相手の映像だけが見えるようにビジプレートをセットして言った。

「生憎ですが、長官。博士はいま外出しておられるようです」

 スクリーンに出た女がいかにも申し訳なさそうに、その顔を曇らせて言った。

「そうか。いつ戻るか判るかね」

「はい。多分、十二時頃には戻られると思いますが……」

「そうか。では、戻ったら、わたしの部屋に来るように言ってくれたまえ」

「わかりました」

 もともとかれはヒートアース・プロジェクト(地球温熱化対策)チームの一リーダーとして、月のハビタブルゾーン(居住可能領域)など宇宙開発事業のほうに携わっていた。

 かれがまだ若き二十代前半だった二十年ほど前、火星の裏側に設置された地球外文明探査機構の電波望遠鏡がイプシロン・インディ宙域の少し先に単独で存在するサンライク・スター(太陽状恒星)があるのを発見した。当初科学者たちが予想していたとおり、その恒星にはアースライク・プラネット(地球によく似た惑星)があることがわかった。

ついに俺たちが活躍するときがやって来た――フリードマンたちは小躍りして研究開発に勤しんだ。それから六年、あらゆる実験を繰り返し、予想される危険性のすべてを厳密に計算して人類初の惑星探査船アーリントン・プフェルト号が完成した。

乗組員は妊婦や未成年を含めて総勢六十名。地球生命圏によるベジタブル・ファームの構築はもちろんのこと、まさかのときのために自らを冷凍できる冬眠装置と生理的な代謝を百分の一に抑えられる薬が大量に積み込まれた。

人類始まって以来の恒星間旅行。それも小集団によるもっとも長期にわたる旅だ。政府が使用していた作戦名を採って名付けられた希望のマーゴットに向かって、アーリントン・プフェルト号は地球を飛び立った。

地球時間にして百二十二年、ほぼ十二光年の片道旅行だった。

 ところが、それから十年もしないうちに戦争が始まった。政府は、当面の間、月を除く宇宙開発事業を凍結した。しかし、戦争はいつまで経っても終わりそうになく、ますます激しさを増して行った。念願のアースライク・プラネットへの移住構想どころか、月のハビタブルゾーン開発計画もいつの間にか立ち消えになっていた。

記者に問われた政府の要人いわく、構想それ自体としては申し分ないのだが、政局(財政?)が許してくれない――というのだった。そんな訳で、かれがこの先、もとの職場に戻れる見込はないのだった。

 深い溜め息のあと、かれはビジプレートのスウィッチを切り、人工的に作られた地上世界の見える立体ウィンドウに向かった。

 そこには、一世紀も前に海中に沈んでしまった都市の光景があった。歴史書にマンハッタンの名で登場する都市の夜景だった。

当時、アメリカという国のなかでもっとも美しいとされたその辺り一帯は、ハドソン川を含め、すべてが黒い海に没してしまっていた。かれはいまとはおよそデザインの異なった超高層ビル群の林立するさまを眺め、その優雅なたたずまいに当時の建築家たちの美が競演するさまを愛でた。

 この立体ウィンドウは、ヒストリカルランドスケープ・アーカイブ(歴史的景観保存図書)のなかに収められ、観たい者がセットしておけば、そのプログラムどおりに、失われた歴史的景観を映し出してくれる。もちろん本人が望みさえすれば、その立体映像のなかに入って行くこともできたし、そこにいる人間と話をすることもできた。

 かれは、曾祖父が使っていたアメリカ西部英語の響きが聴きたくて、よくこの都市のなかに入ってはひとびとと話をした。昔のことばとはいえ、いまの簡略な北半球の共通語とは違い、ものの捉え方において、なるほどと思わされることが多かった。

もっともそのお陰で、若い者に怪訝な顔をされることも度々だったが、それが時代遅れだ――といって非難されるようなことは一度もなかった。むしろ斬新な考え方として受け入れられることのほうが多かった……。

 

問題は、どうやってやつらのダイヤモンド工場を叩くか――だ。

 フリードマンは、マンハッタンの夜景に眼をやりながら、その実、南亜の地下工場の様子を頭に思い描きながら独りごちた。

ダイヤモンドは硬く掘削に向いているが、所詮は炭素でできている。

酸やアルカリに強いぶん、火には弱い。ただし、空気中で燃焼させるのに必要な八五〇度以上もの熱をだれにも気づかれず、どうやって人工的に創り出すことができるか――それが問題だというのだった。

 今回たまたま不発に終わったザンボア軍の地中推進ミサイルを調べたところ、刃先の部分に大量のカーボネイド、つまりブラック・ダイヤモンドが使われているのがわかった。ブラック・ダイヤモンドは工業用で、天然ものではなかった。計算したところ、あれだけ大きなミシュアの要塞を陥落させるには、数万発の地中推進ミサイルが必要だった。

そこから一大人工ダイヤモンド工場があると睨んだのだ。もともと南亜や南米大陸には、合成ダイヤモンドや掘削機械の生産拠点が数多くあった。その伝統とノウハウをもってすれば、地中を音もなく推進する小型ミサイルを作るなど屁でもなかったろう。

 フリードマンは、これまであらゆる軍用機器を作り出して来た南亜人の勤勉さと熱心さに想いを致しながら思った。それもそうだろう。かれらには生物学的難民としての、いや、砂漠へと追いやられた民としての生き残りがかかっているのだ。

迫り来る大洋、増え続ける人口、そして沈み行く都市、荒れ果てる人心、ますます疲弊する国家財政……。その結果、ついに最後の砦となってしまったのが、あの不毛の大地アスナジャだ。北側の熾烈な経済封鎖の痛みを超えて、その熱砂の下で植物を栽培する方法、つまり地球生命圏のノウハウを確立した。

そして太陽光のもとで生活するのと同じくらい快適なメガロバイオシェルター(地中生活空間)を創設して以来、かれらは着実に子孫を殖やし、絶対的な創造能力をもつ人間をだけ優生学的な手法で増産し教育して来た――。

それには優秀な頭脳をもったヘミノージアンの手助けがあったとも聞いていた。誰の手助けがあったろうと、いま北半球連合の地中推進技術が劣っているのだけは明白だった。

 いったいにフリードマンは、この戦争には反対だった。だが、自分がヘミノージアンの一員でもある以上、その政府の決めた方針に逆らう訳には行かなかった。

幸いこの機関は第三セクターともいうべき組織体で、官とも民ともつかない存在だった。組織(とくに上層部)は、もともとにこの戦争に反対していた民間の地下組織出身者たちと民間の支援者たちから成り立っていて、南北双方の立場からこの戦争を互いに有利な形で終結させようとする非営利組織のひとつだった。

 議論だけが先行して上滑りする議会とは違って、自分たちの考え及ばない戦術を駆使して多大な戦果を上げるこの組織を、政府は無視する訳には行かなかった。つまり、政府としては、なんらかの形で資金を提供せざるを得なかったのである。

 戦争終結という同じ目的のもとに集結した組織にしてみれば、それは当然のことであった。むしろ最近では、相談相手のひとつとして政府にアドバイスをする立場ともなった組織として、立場はほとんど対等とも言えた。だからこそ、かれは、そのどちらともつかない立場で自由にものが言えたし、公平にものごとを捉えられた。

 それに引き換え、世の中には、なにかにつけて黒白をつけたがる者がいる。

その手の人間にかかれば、この世には愛か憎しみ、あるいはヒーローかアンチヒーローといった極端な存在でしかいなくなるのだ。この南北に別れた今回の戦争もそうだが、南亜の連中にしたところで、なにも好き好んでわれわれに戦争を挑んで来た訳ではない。むしろ打ち続く冷害や南亜諸国の内紛に乗じて、その領土を我がものにしようと目論んだり経済封鎖や武器の供給などで大儲けをしようと企んだりした者たちが悪いのだ。

 もし南亜の地中にあれほどの天然資源が埋まっていると判っていなかったら、北亜の連中は果たしていまのような戦いを挑んだだろうか。そしてELP(地球類似惑星)への移住計画が完全に頓挫すると判っていなかったら、南亜のメガロバイオシェルター構築技術に興味を示さないでいられただろうか。

 ものごとは複雑に絡み合い、各国各人各様の思惑の上に成り立つ。自分に利害のないかぎり、他国の独立紛争や内戦といったものは、所詮、対岸の火事でしかない。ある者は怒り、ある者は悲しむ。しかも、それは同じことに対して覚える感情だ。

 憎い者は殺せ。刃向かうやつは叩け。醜いゴキブリはぶっ潰せ。しかし、なぜ憎いのか、なぜ刃向かうのかは問われない。とにかく刃向かうやつは敵だ。敵は殺さなければならない――。そんな感覚で、ものごとを判断しなければならないとしたら、人間は悪か善かのふたつしか存在しなくなる。

 悪でもあれば同時に善でもある、そんな人間もいる。またそのいずれでもない人間もいるのだ。強引に悪と決め、それをやっつけるのもひとつのやり方だろうが、相手の側からみれば、それもまた悪にすぎない。すべてがこのように相対的であってみれば、そこに絶対的な悪もなく、絶対的な善もないのである。

 若いころ、東洋のオリエンタリズムに憧れ、禅というものに興味をもっていたかれは、いつもものごとを白か黒かの二値論的にではなく、第三・第四の解決法を見いだそうとして来た。歳をとってみてわかったことだが、絶対的に面白いものなどはなく、絶対的に面白くないものもない。

すべては思いよう。どの視座に立って、それを眺めるかによるのだ。自分の中身がまだ薄っぺらなときは、どんな崇高な思想に触れても、琴線に響くことはない。もともとそこに、共感を覚える素地そのものがないのだ。

 だが、素養が深まり、中身が詰まってくるにつれて、真に面白いもの、楽しいもの、あるいは下らないものが判ってくる。理解できるというのではない。判然とわかってくるのだ。それは、フリードマンに言わせれば論理を超えたもの、あるいは思考というプロセスを超えたものだった。

 例の宇宙開発競争が激化していた頃、メタ・サイキアトリカル・トレーニング(超精神理学訓練)、つまり声帯としての音声を用いず、互いにことばを交わすことのできる脳力開発が研究者たちの間で静かなブームになったことがあった。

それを専門家たちは、インターマインドラグ・コミュニケーション(心域言語通信)と呼んで盛んに研究していた。なかでもツヴァイゼン博士はフォアライン博士を助手として『超精神理学実験室』を立ち上げ、《双方向通信》理論の基礎を築いた草分けともいえる人物だった。

 もともと見えざるものへの畏敬、とくに意識への認知科学的な興味から始まったそれはネオ・ワスプの暴動から始まった激しい宗教排斥運動のあおりを食って、世間一般の表舞台からは消えてしまった。

だが、この組織では引き続き研究が進められ、その方向はフォアライン博士の進めるニューロン情報工学的なアプローチとツヴァイゼン博士の進める生物ロボット神経学的なふたつの方向からアプローチされていた。つまり、駆け引きのためにいくらでもウソのつける音声記号としてではなく、純粋に心のありようをありのままに知ることのできる心域言語通信の一環として研究が進められていたのだった。

 ところが、これもまた今回の戦争が勃発して、徴兵年齢に達していたフォアライン博士が徴兵されて戦死。それまで主流であったニューロン情報工学的なアプローチによるその方法は、多大な訓練と脳外科手術を要する上、戦争の早期終結のためには迂遠ということで、ツヴァイゼン博士が併行して進めていたバイオメモリチップ(生物記憶素子)を兵士の脳に埋め込んで操作する方法に代わった。生物ロボット神経学的な手法だ。

 相手の心のありようが判れば、無意味な駆け引きは行われず、無益な争いは起こらない。本心を隠してことを行おうとするから、諍いが起こる。それならいっそ、他者がその本心を見えるようにしてしまえばどうだろう――というのが、ツヴァイゼンのロボット神経学的な考え方だった。

人的被害を極力少なくして、最大の効果を上げる。それがツヴァイゼンたち、いや、フリードマン司令長官に課した組織の至上命令なのだった。



「へん。なんだよ、お兄さん。もう怖じ気づいちまったのかよ」

 男は、向かいの男が袖を引いているのも構わず、酔っ払い特有の執拗さで言い募った。「いいか。俺の親父は、俺が五つのときに南亜の砂漠に引っ張り出されて死んじまった。それもこれも、みんな手前のようなものの分かった顔した男が『ヘミノージアニズム』ってやつを遂行しようとしたせいだ」

「やめなよ。この人にはなんの罪もない。この人も北亜連邦会議の犠牲者なのだよ」

 黄色い頭をした男が、もう一度男の袖を引いて言った。「よくないのは、政治家を利用してひと儲けをたくらんだ軍事物資供給者たちだ。かれらは人の弱みに付け込んで、できるだけこの戦争を長引かせようとしている……」

「へん。それこそ、えせヒューマニズムってもんだ」髭面の男が徐々にロレツが回らなくなって来た舌で言った。「俺は信じねえぞ」

 男がコップをわしづかみにし、半分ほど残っていた黒い酒をぐいとあおった。髭の先についた白い泡のかたまりを一気に吹き飛ばして、かれが口を開いた。

「なんにせよ、こんな議論はもうたくさんだ。どっちに転んだって、俺たちがいいめに会うって訳じゃねえ」

「それもそうだが、しかし、やりようによっては、あるいはってこともあるさ」

「善人面して、お説教たれてるようなやつにかぎって、ロクなやつはいねえ。いったいにインテリぶってるやつは、いざとなったらてんで意気地がねえと来てる。却って、俺さまのように日頃から悪ぶってるほうがいいのよ」

「きみは、ぼくが偽善者だとでも言うのか」

 黄色い頭の男が憤慨した様子で言った。「信じる信じないは、きみの勝手だが――少なくとも、酔いに任せて他人にからむのはよくない」

 どうやら髭面の男には、相手の話を聞く気は端からないようだった。それで、話をそらすついでに見慣れぬフリ客に難癖をつけたのだとわかった。慧人は、ほっとしてきつく握り締めていたイレイザーから掌を離した。

「確かにきみの言うように、この戦争は嘘っぱちだ」

黄色頭は、髭面の男がふて腐れて煙草を喫い始めたのをいいことに勢いづいて言った。「この戦争は、俺たちの知らない二十数年前の為政者たちが利権確保のために勝手におっ始めたことだ。だから、かれらのプロパガンダになっている亜大陸統一のための戦いなんてのは、言ってみれば、南亜の資源を手中にするための体のいい口実に過ぎないのだ。そのこと自体、父君を殺されたきみも認めないわけにはいくまい」

「まあな――」

「だったら、俺の話も聞けよ」

 黄色頭はにやりとした笑みを浮かべ、空になった相手のコップに酒を注いでやりながら、ちょっと得意気になって喋り始めた。

「南亜の連中、とくにいま北半球連合軍が空爆を行っているゴラビア半島の守備隊は、地上戦じゃ、世界最強といわれる特殊部隊だ。そうすると、空中戦でしか戦果を上げられて来なかったわれらが北亜連合軍の空挺部隊だけじゃ、到底たちうちできない戦さだってことは眼に見えている。確かに空爆は、人的被害こそ少ないけれど、地上戦のそれに較べると莫大な軍事費用が要かる。あの砂漠を一日攻めるのに一体いくら要かると思う。

 連合国最大の規模をもつ、わがアルジニア人民がひとり残らず必死に働いて得られる総年収の、なんと八・六ケ月分にもあたる財貨を費消しているのだ。いいか、それもたった一日でだぞ。たとえ二・三ケ月に一度しか大がかりな攻撃が行われないにしても、これほどの無駄遣いはない。血税の大いなる食いつぶし。人民の誠意に対する、国家の重大な犯罪だ。なのに、こうも長きにわたって戦い続けて来られている。その裏の意味がきみにはわからんのか――」

 喋り続ける男の声がはたと止まった。ステージで二曲目の演奏が始まったのだ。

 今度のそれは、女性ばかりが演奏する音楽のようだった。踊りながら互いの身体に取りつけられた機器に触れて音を出す彼女たちの四肢はのびのびとして、その姿態はさきほどのにもましてアクロバティックでセクシーだった。

 髭面の男は、それに魅きつけられて、相手のことばの中身について考えることさえ忘れてしまったかのように嘆息した声で言った。

「ボディ・テレポーザーをやる女の尻つきってのは、いいねえ。いつ見てもそそらせずにはいねえ。なにをどうやれば、ああも見事に身体をくねらせられるようになるのかね」



 慧人がなにごともなく、というより、妙な音楽と外の暑さにふらふらになってテレポージング・ハウス「アフター・ミッドナイト」を出て家についたのは真夜中過ぎだった。

 センサーに触れて、扉を入ろうとすると、首筋に堅いものがあたった。

 振り向こうとすると、その堅いものがさらに強く首筋を押した。彼は抵抗しない印に両手をかざし、先に立って部屋に入った。

「ずいぶん待たせたものだな」

 慧人の肩を押し、テーブルの椅子に導いた声の主が言った。これまでに一度も聞いたことのない声だった。

「おっと振り向くんじゃない。そのままの姿勢でいろ」

「一体なんの用だ。ここには、お宅らのお気に召すようなものは置いてないと思うがね」

かれは言われたとおり、入って来た姿勢のままで言った。「ごらんのとおり、ユニットゾーンの侘び住まいなもんでね」

「そんなことは判っている」

「なら、なにが目的だ。カネ目当てなら、こんな貧乏労働者に用はないだろう」

 かれは、両手を上げているのが辛くなって言った。「悪いが、この手は下げさせてもらっていいかな。このごろ、どうも疲れやすくってね」

「手は下げていい。ただし、余計なことはするな」

 ドスの利いた声で、背後の男は威嚇するように言った。「言っとくが、これはちまたにヤミで出回っている安物のイレイザーなんかじゃない。もっと強力なやつだ。俺が引金を引けば、おまえは一瞬のうちに廃人になる。生きながらにして、ロボトミーになるって訳だ」

「ステム・デストラクターか」

「そうだ。ステム(脳幹)というより、正確には海馬回をメチャメチャにする道具だがな」

 背後の男は、さらに強くそれを慧人のこめかみへ押しつけて言った。「さすがこの手の銃器についちゃ、少しは勉強しているようだな」

「ところで、話を変える訳じゃないが、ワインでも飲まんかね」

 慧人は、男のことばを無視して言った。「高くはないが、いい年代ものなんだ。いつも帰って来たら、いっぱい飲ることにしているんでね」

 べつだん抗おうという気はなかった。実際、いつもそうしていたし、そうしなくては家に帰って来た気がしなかった。人工食材による栄養摂取のお陰で、確実に人生四〇年時代に突入してしまったいま、だれの人生も大差はない。五年ほど残された人生といっても、この先、大した楽しみが待っているとも思えなかった。

かれには死んで悲しむ連れ合いもいなければ、財産を取り損ねて自分を恨む哀れな息子もいない。残してやれる財産など、フィルターに残ったコーヒー滓ほどもなかった。強いてあるとすれば、セラーいっぱいに買いためておいた年代ものの安ワインが、それにあたるかも知れない……。

「よかろう。だが、その前にこれだけは言っておく――」

 男は言った。「われわれは、おまえが自分自身について知っている以上のことを知っている。つまり、おまえはどこへ逃げても無駄だということを知っておかねばならない」

「われわれというと、そちらさんはなにかね。組織の一員なのかね」

 慧人は落ち払って言った。ワインが飲みたい。あのボディ・コムポーザーとやらの奏でていた音楽に聴き入っていたおかげで、やたら脳の芯が痺れ、喉が渇いているのだ。

「そうだ。われわれは、おまえがどこへ逃げ、どんなに巧みに顔を変え、姿形を変えても、おまえがおまえであることを識別することができる。われわれはあるルートから、おまえの知らない国家秘匿データを入手した。それらはすでにわれわれのホストコンピュータにインプットされ、われわれのレーダー・ネットワークと連動させてある。おまえの行動は、すべてわれわれの特殊チェイサーでモニタリングされているのだ」

「それはまた、ご苦労なこって――。だが、心配は要らない」

 慧人は、注意深く相手を見ないようにして、大好きなスペインワインの赤をふたつのグラスに注いだ。そして、後ろ手でグラスを差し出して続けた。「それと頼むから、それ以上下手なごたくを並べるのはよしてくれないか。この年になって、息の切れるような莫迦な真似はしたくないし、他人の長っ話も聞かないことにしているんでね」

「どうやら、減らず口だけは達者らしいな」

 含み笑いをするように男が応じ、グラスを手にとって言った。「うむ、いい香りだ。テンプラニーリョだな。口当たりもそこそこにいい」

「近ごろじゃ、ちょっとやそっとでは手に入らない。こいつは、よく女房の代わりをしてくれているよ」

「だろうな」

 男は、さも旨そうに舌の上へワインを転がし、香りを嗅いで言った。そのはずだ。二一〇八年から翌々年にかけての三年間は、ワインのできがすこぶるよかった時期だ。

だからこそ、彼は父の残した財産のすべてを金に換え、大枚一万五千クレジットもするワイン・セラーつきのユニットメントを買った。いまでは、紙で出来た書籍や鉄でできた車をさがすよりも難しい。

 なぜなら、溜まりに溜まった土壌汚染が大気に与えた影響で、鉄でできた車や本はすべて酸化して土に戻ってしまっていたし、それに代わってセラミナイトを磁性体にして走行する車や立体情報を手軽に取り出せるビジ・コンパクターが登場したからだ。

「喉が潤ったところで、ひとつ聞かせてもらおうか。なんのためにここへ来た。様子から察するにさほどの悪者とは思えんが……」

「手伝ってほしい」

 男は慧人が解しかねているのを見て取って、先を続けた。「われわれはいま、とあるところから、とあるものの開発依頼を受けている」

「『とあるところからの、とあるものの開発依頼』。そんなぼかした言い回しだけで相手を説得しようってのは無理があるな――」

「それがなにかは、いまは詳しく言えない」

 男は、感情を押し殺した怜悧な声で言った。「きみがおとなしくオーケーしてくれれば、話すことになるだろう」

「さっきまでおまえ呼ばわりで、今度はきみか」

 慧人は、紳士めいてきた男の口ぶりに、肩をすくめて言った。その抑制された、自信ありげな男の態度にはある種の気迫がこもり、背後にある組織の大きさを漂わせていた。

「こいつは、非常に重大なプロジェクトで、絶対の機密性を要請されている。われわれは、この依頼を引き受けるにあたり、クライアントがきみの明晰な頭脳による判断力と技術開発力とを必要としているのを知った……」

「どうもよく解らん。いったい誰が――」

「どこの誰が、どんな理由で、きみを指名したかの詮索は無意味だし、そんな質問はしないほうがいい。いまの立場でいえば、きみはそれを引き受けるかどうかだけの決断を迫られているのだ――」

「とはいっても、返事はひとつしかないのだろう」

「そうだ。われわれはきみに逆らってほしくない」

「分かった。その紳士的な態度に敬意を表して、オーケーさせてもらうことにしよう」

 慧人は投げやりな態度で肩をすくめて言った。どのみち、自分がオーケーするまでこんなふうにじわじわと責められ、揚げ句の果てはロボトミーにされてしまうのがオチだ。

結果の判っている抵抗に無駄な体力や時間を費やすよりも、相手の要求する結論から始めたほうがいい。

「よくオーケーしてくれた、ケイト君。もうこっちを見ていいぞ」

 慧人の背後から、以前――とはいっても、遠い記憶の片すみで辛うじて聞き覚えのあるような、重いけれど、かすれて聴こえるアクセントの声が言った。かれは、ゆっくりと首だけを回転させ、ついで身体ごと椅子を回転させて後ろを見た。

「きっと、きみはオーケーしてくれると思っていたよ」

 慧人の祖父ほども年老いた、恰幅のある男がにこやかな笑みを浮かべて手を差し出していた。「今日から、きみはわたしたちの仲間だ」

 その顔は頬といわず顎といわず白髪交じりのたっぷりとした髭に満ち、奇麗に梳かれた白髪に囲まれていた。最初、誰だか見当がつかなかった。が、好意的な眼差しを浮かべたその眼尻に遠い記憶があった。父の書斎にあったオプトグラフ。そのなかに収まっていた人物の一人だった。

「あなたは――」

「そう。きみのお父さんの親友だったツヴァィゼンだ」

 かれは感激の体で、慧人の掌の平を両手で堅く握り締めて言った。「よく憶いだしてくれた。懐かしい、実に懐かしい。なんと三十数年ぶりの再会だ。あの頃は、まだきみもよちよち歩き。ことばも『なぜ』を頻発し始めたばかりの幼児だった。だが、いまは恰幅もついて、当時のお父さんにそっくりだ――」

「最近は、運動不足がたたって、このような体型に……」

「さっきは、すまなかった」

 ふたりの様子を見ていた男が、慧人に手を差し延べて言った。「組織の連中はみんな、俺のことをクーガーと呼んでる。よろしくな」

「いったいどういうことなのか、話してくれませんか、ツヴァィゼン博士」

 慧人は男の手に触れず、まだ安心と言う訳には行かないという緊張した表情で目の前のツヴァイゼンに訊ねた。

「実をいうと、このわたしもぜひにと頼まれたひとりでね。この組織は、いま行われている対南亜戦争の偽善性をくつがえすための戦略を練っている。それには、互いが互いを傷つけずに戦いを終結させることが必要なのだ」

「わたしを指名したのは、ツヴァィゼン博士、あなたなのですか」

「いや、いまも言ったようにわたしも任命されたひとりなのだ。たまさか、わたしがきみを知っていたに過ぎない」

「それじゃ、クーガーといったな、おまえはなぜわたしが指名されたか知っているか」

「俺たちは、命令されて動く。命令が出れば、それに従うのが俺たちの役目だ。命令の意義や意図するところを詮議するのは役目じゃない」

「つまり、組織とはそういうものだといいたいのだな」

「そうだ。組織とはそういうものだ」

「解った。それはそれでいいとしよう。だが、なにをするかも解らずに協力する訳にはいかない。たとえ、父の恩師であるツヴァィゼン博士の頼みであってもな」

「はっきり言っておこう。おまえには、おまえの良心においてこのツヴァィゼン博士のように協力する以外に道は残されていない。もしおまえが協力しなければ、それだけ多くの人民が長く苦しみ、やがては人類そのものの破滅を迎えることになるのだ」

「そうなんだ、ケイト。いま、われわれが進めているのは、きわめて平和的解決のためになされる方策なのだ。わたしもかれらに強制されて、これを行っているのではない。ヘミノージアンとしての良心に従って決断したのだ」

 ツヴァィゼンは、祈るような眼で慧人を見詰めて続けた。「いま、これを進めているのが南亜連合スパイの耳に入れば、それだけで成功はおぼつかなくなる。このことは、絶対の服従心において秘密裡に進められねばならんのだ」

「わたしは、すでにオーケーと言った。それでも話せないのですか」

 ツヴァィゼン博士が返事に窮するのを見て、クーガーが言った。

「知ってのとおり、いまや南亜には北亜に匹敵する人口もいれば、北亜と等しい優秀な知能を有する人材がいくらもいる。

それらの人間が創り出した科学力と蓄積したノウハウを活用し、あらゆる軍用機器を生産する能力に長けている。かれらは、宙間航法や空気抵抗飛行ばかりを研究して来たわれわれヘミノージアンたちとは違って、地中移動に関しては天才的な発明をもたらした……。

 それがほぼ八十年前。ここからいわば、同じ人間でありながら、互いに敵対する地上人種と地下人種との無益な戦争が始まったのだ。

本来、地球上の同じ生物だった同一種が互いにいがみ合うこの戦争は、ひと昔まえの戦い以外のなにものでもない。例の温暖化熱によって双方ともが狭くなってしまった居住空間を脅かされている現在、これがいかに時代遅れで、幼稚で、不毛で、くだらない戦いであるかということは誰もが知っている……」

「つまり、いまこそ本当に人類はひとつになって宇宙に向かって発進すべきときだ――といいたいのだろう」

 慧人は、いかにも物分かりのよさそうな顔をして言った。「その議論はどこかで聞いたことがある。だが、それこそ地球という名の文明を他の星の住人に押しつけることになるんじゃないのかね。この宇宙、ニンゲンの住めるようなところには、必ず生命体がいる。例のM第3惑星じゃゴキブリがうじゃうじゃ繁殖して、先方さんは大いに迷惑を被っているんじゃないのかな」

「三二年前の政府首脳をかばう気はないが、ひとつだけ言っておこう。アーリントン・プフェルト号は単なる偵察艇で、移住を目的とした侵略船ではなかった。かれらは、余剰人員を乗せず、宙間航行に必要最低限の員数編成で行った。人類に匹敵する知的先住主がそこにいたとき、相手を脅かさないようにするためだ。

 が、われわれがひそかに入手した情報によると、あの惑星にはわれわれ人類のような知能をもった生命体はおろか、チンパンジーに類いする霊長類も存在しないことが確認された。これは、五年前、多宙間探査衛星が送って来たデータで知られている。たとえ先住主がいたとしても、きみの言うような事態にはなっていないだろう」

「なるほど。その星の生命体は、いまごろゴキブリを食物連鎖の一環にして貴重な蛋白源を得ているって訳か」

 慧人は減らず口を叩きながら、なんとか攻守を逆にしようとして言った。「それにしても、たまたまそこには人類に匹敵する知的生命体がいなかったというだけで、その星自身のもつ本来的な秩序を乱したことには変わりはないだろう」

「愚にもつかん議論はいいかげんにしないか。われわれはきみの意見を聞きにやって来たのではない。おまえには、われわれのいうことに従うか、ロボトミーになるか――このふたつにひとつの自由しか残されていないのだ」

「どちらもいやだね――」

 慧人は腕組みをして言った。「ご趣旨はいちいちごもっともだが、その居丈高な言い草が気にいらない。人にものを頼むのには、それ相応の言い方ってものがあるだろう」

「すまん、ケイト。度重なる失礼は、重々承知している」

 ふたりの険悪なやり取りに、今度はツヴァィゼンが中に入って言った。「この男の脳にはきみたち東亜語族の基本的なラグチップ(言語回路)を組み込んだばかりで、深謀遠慮な言い回し方をまだ身につけてはおらんのだよ」

 慧人はほっとしたように言った。

「そうか。こいつはフィクサロイドだったのか――どおりで表情が一辺倒で、場違いな大演説をぶつと思ったよ。なら、こんなやつと議論しても始まらんな」

「フィクサロイドでも、生身の人間であることには変わりはない」

 クーガーは怒ったように言った。「血も流れれば、痛みも感じる。それにワインの味をたしなむこともな」

「だが、その脳ミソはある命令にしか反応しないように改造されている。ちょうど、犬が主人さまの命令にしか従わないようにな」

「その時々の感情に圧し流され、本来の目的を遂行できなくなってしまうニンゲンの脳の曖昧さから較べれば、はるかに論理的に構成され、記憶抽出力に優れている」

「それに死ぬという恐怖心や痛みも感じないもないから、怖じ気づきもしない」

からかうように慧人はその後を続けた。「だが、人間の心というものを持たないから危険を事前に察知したり、心理的情況の変化によって生ずる相手の考えを把握することができない――」

「人間の行動は、ある一定の刺激によって生じる。われわれフィクサロイドは、人間のあらゆる行動様式をその生理学的因果関係ならびに外界刺激物との関連において、即座に分析できるようプログラムされている。相手が一定の反応を示せば、その刺激を即座に分析することによって、そのつぎにどんな行動が起こるかを客観的に知ることができる。そのときの相手のアドレナリンの量やその腕の乳酸がどのくらい溜まっているのかもな」

「そうかな」

「ま、その辺でいいだろう」ツヴァィゼンが割って入って言った。「仲間うちで言い争っていても始まるまい」



 戦局は、ますますわが軍に有利になってきている――ネフドスは思った。なにせ、ヘミ(北亜連合)では最大の要塞といわれる、あのミシュアの要塞を完膚なきまでにやっつけたのだからな――これで、わがザンボア軍の発言力も最大のものとなった訳だ。

 そして、この俺さまに対してはあまりいい評価を下さなかったイシュタル将軍も、これに関してだけは覚えも愛でたくなろう。そう思うかれの心の裏には、自分がイニシアティブをとってゴラビア半島を支配するという野望があるからであった。この調子で進めば、あるいは俺さまの世界が訪れるかも知れない。かれは思った。

 だが、内憂外患ともいうべき、若年の女兵士ばかりを戦場に送り出しているヤワルジャという女大佐の口をなんとしても封じる必要がある。でないと、あの女の意見がこのまま通り、われわれメディクスレニアンは、本当に地下に押しやられたままになってしまうだろう。地上は、少なくとも、その南半分は、われわれ南亜人のものであったはずだ。われわれは太陽の光を浴びてこその人間だ。太陽とともに国家の命運を支えてきた。ヘミの連中にだけ、それが許されるということがあってたまるものか――。

いまは敵にも名高いキュワナチ丘陵のメガロバイオシェルターだが、これももとはといえば、男臭い戦士たちの「陽も射さない」地下要塞に過ぎなかった。

だが、それでは、兵士たちの健康ばかりか士気までもそぐとして、彼女はその空間をメガロバイオシェルターに変えてしまった。当初は反対意見も多くあったが、現実に今日明日じゅうに地上での生活が確保できるという保証がない以上、とりあえず実験的にやらせてみよう――ということで、上層部から「半信半疑の」ゴーサインが出た。

ところが、意外とこれが功を奏して、女兵士たちの士気を高まらせたばかりか、かえって体力の増進も果たせることがわかったのだった。その条件のひとつに、彼女の調合した光線を兵士全員が毎朝一定時間、浴びなければならないということがあった。

彼女にいわせれば、この光線を浴びることによって脳内視交叉上核の神経細胞内に正常な身体感覚が蘇り、慢性化した地下生活につきものの意欲・運動量・作業能率の低下、疲労、イライラ、鬱状態、体温と種々のホルモンの分泌リズムの変調といった内的脱同調を防ぐことができるのだった。

だが、そうした光線浴をしないほうが、セロトニンの活性上昇を妨げ、攻撃性や衝動性が増すところから、ネフドスのようなねっからの軍人たちは使おうとしなかった。そしてもっぱらステムエキサイタント(脳幹刺激剤)など経口薬的なもので、兵士の士気を高めていたのであった。



「ケイト君。どうかね、少しはここの暮らしに慣れたかね」

「やあ、ツヴァィゼン博士」

 慧人はビジプレートのキーボードから手を離して言った。この組織に連れて来られてから一週間ほどが経っていた。「別にどうってことはありませんよ、独り暮らしには慣れっこになっていますからね」

「そうか。そいつはよかった。あー、それはそうと、時間はあるかね」

「は、なんでしょう」

「実は、このわたしもたったいま聞いたばかりでね。機密保持上、中身については言えないことになっているんだ。とにかくわたしについて来たまえ」

 ツヴァイゼンは、席を立ってついて来た慧人に、その歳とも思えぬ速さで歩を進めながら訊ねた。

「ところで、同僚のクーガーとはうまく行っているかね」

「ええ。まあ、いまのところは……」

「いいかね。組織に上下関係はつきものだが、このフィクサロイドに限っては、上下関係というものはない。かれらにあっては、すべてにおいて対等だ」

 奇しくも同じことを考えていた慧人は、ぎくりとしてツヴァィゼンを見た。が、当のツヴァィゼンはなにごともなかったように、前を見ながら話を続けていた。

 慧人は、その声に耳を貸しながら、ここ一週間ほどで少しずつわかりかけて来たフィクサロイドのことを想った。彼は、自室のベッドで眠るとき以外は、いつも慧人のそばにいるようにセットされているようだったが、なにを頼んでもいやな顔ひとつ見せることはなかった。それどころか、慧人が困っていると知れば、その適切な解決法をさりげなく示してくれるのだった。

当初は戸惑いを感じたものの、その親切さ、いや、誠実さに慣れるにしたがって、慧人はフィクサロイドというのは相手の心を学習し、そのコンテクストに合わせて造語したり、その態度を改めたりするのだと悟った。

 一度、クーガーと口論になったことがあったが、それは自分の心の反映に過ぎず、反論するから反論されたのだと気づいたとき、彼は愕然とした。つまり、自分の頑強さが鏡のように相手に反映していたのだった。

 あるとき、慧人は疑問に思ったことを東亜語族特有のニュアンスをもつ《わたし》ということばに重点をおいて質問してみた。

「どうも判らないんだが、組織にはこれだけのエキスパートがいるというのに、どうしてわたしのような素人の手助けが要るのかね」

「エキスパートたちは、上層部の命令にしたがっているだけだ。かれらには意志がない。だが、あなたには意志がある。意志があるということは、なにかを生み出せるということだ。上層部はそれをあなたに期待している……」

万事がこんな調子だった。問い手が《わたし》という丁寧なことばを使えば、相手も自分を『わたし』と言い、問い手を《あなた》と呼ぶ。『俺』という荒っぽくぞんざいなことば遣いには《おまえ》を対置させ、《おい》には『なんだ』を対置させる。かつての東亜語族の語法には、そうした卑罵語の類いや謙譲語の類いが数多くあった。

 ところが、クーガーはヘミノージアンの共通語にはない、こうした語法をたったの一週間でマスターしたばかりか、話者の語気のありようから、その心理的背景を正確に読み取り、内心語に応じたことばの使い分けをするまでになっていた……。

「すべてにおいて対等とおっしゃると――」

「つまり、相手と同じ立場で話をするということだ」

「同じ立場で話をするのが対等ということなのですか」

「ああ、そうだ。なぜなら、彼を部下として扱おうと命令口調でいえば、必ずそのとおりの居丈高な返事が返って来るし、上官に対する丁寧なもの言いをさせようと思えば、自分から丁寧なもの言いをしなければならん。つまり、彼は自分自身の鏡という訳だ」

「それが、この戦争の終結につながると――」

「どうやらきみにも、その辺りの事情が掴めてきたようだな」

 ツヴァイゼンは、いかにもといった風に慧人の肩を叩いて言った。

「どうもそのようですね」

「おいおい、やめてくれよ。わたしはフィクサロイドなんかではないんだ」

 ツヴァィゼンは行く先々で出会う人々と挨拶を交わし、ぐんぐんと前へ歩いて行った。そして白い廊下を突き切って右に曲がったかと思うと、地下へ通じるエレベーターの前に立った。エレベーターはその到着を知ったかのように五秒もしないうちに降りて来て、ふたりの前に音もなく停まった。

 と、ドアが開いて、クーガーが出て来た。

「ああ、博士」

「おお、クーガーか。ちょうどいい。きみも来たまえ」

 ツヴァィゼンは言い、地下十二階のボタンを押した。地下十二階は、この建物の最下層域にあたっており、ツヴァィゼンなど限られた人間の静脈斑にしか反応しないようになっていた。したがって、慧人はもとより、クーガーでさえも行ったことがないのだった。

「地底実験区というのは、聞いたことがあるだろうな」

 ツヴァィゼンは、ふたりのどちらにともなく言った。「いまそこへ行く。ただし、ここで見たことは絶対機密に属する。厳しいようだが、あちらを出るとき、念のため、きみたちをサイキアナライザーにかける。少しでも洩らすようなスペックが見つかったら自動的にその部分を抹消されることになっている」

 慧人は思わず、その後はどうなるのかと問おうとしたが、クーガーがそばにいるので敢えて口にしようとはしなかった。

 考えてみれば、質問するまでもなかった。その時点で、あもうもなくロボトミー処理をほどこされるのは眼に見えていた。もし、その後も使えそうな頭脳の持主、組織にとって利用価値があると思われる人間だった場合はどうか。少なくとも、自分自身の記憶をもたないフィクサロイドのような存在にはしてもらえたろう。このクーガーのように……。

 エレベーターは、あっという間に地下十二階に着いた。室内は重力調整がしてあり、大昔のエレベーターのようなことは起こらなかった。胃の内容物は、そのスピードの割になにごともなかったかのように、ちゃんと元の場所に収まっていた。

「約半世紀ほど前、この組織の指導者は、この地底実験区を設営するにあたり、あるひとつの仮説を立てたそうだ――」

 ツヴァィゼンは、前へ前へとせわしないスピードで歩きながら、ふたりのどちらにともなく話しかけた。

「未来社会とはいっても、未来人のすべてがいまより進んだ科学や数学に長けた人間であるとはかぎらない。現にいま現在がそうであるように、数学や科学を知らない人間は掃いて捨てるほどいるし、それを知らずに生活している人間は五万といる。またどんなに卓越した技術をもっていようとも、それを駆使するための道具がなくては、奴隷として働かされる科学者のように、単なる頭でっかちの野蛮人にすぎない、とな。

 つまり、いわんとするのは――個体としてみるとき、人間自身は人類以上には進歩しない。つねに生まれて来るたび、個体発生としての人間はAから学ばなければならないということだ。過去のAを知り、後のBを知るためには人間の生はあまりにも短かすぎ、その脳はあまりにも平凡過ぎる。それゆえ、人間は単独ではなく、共同体としての生を生きてゆかねばならない。いま南亜では、それがもっとも有効となっている。

 かれらは、いまのように陸地がせまくなってしまう以前から、いずれは地下での生活を余儀なくされるだろうことを知っていた。かれらの地上は数万年も前から干上がっており、植物も動物も棲まない砂漠の原野だった。

かれらが生まれ落ちたときから、その地は荒れ地であり、原野だった。オアシスは涸れ、緑地は消え、それに伴って都市はつぎつぎと消えて行く。ひとびとが営々として築き上げて来たものが、まさに砂上の楼閣であるがゆえに空しく潰えて行ってしまうのだ。

 何万年もの間、かれらの地は単なる水平移動のための空間、つまり交易のために越えねばならない輸送路としての価値しかもたなかった。かれらは何千年もの砂漠生活と交易を通じて、ようやくそのことに気がついた。

 何千年、何万年を経ようと、個々人の生活においてはなんら変わるものはない。その環境に甘んじた生活をし続けるかぎり、なにも起こりはしないのだ、とな。

 そこには、人間の営みの結果であり、その誇るべき精華と呼べる後世への贈り物、Bたるべきなんらの進歩も生み出されはしなかったということだ――。

悲しい結論ではあるが、その結論から出たかれらの判断はまことに正しかった。かれらは、まさに耐えることから、個の生に甘んじることから、空を眺め、それへ祈ることから眼をそらしたのだ。そのいい結果の見本が、今日、かれらのある姿だ。

かれらは、友を求め、その手を必要とし、交流を通じて、地表に君臨していた太陽を見放した。何千年も何万年も崇敬してきた太陽を見放し、その代わりに共同体を取り仕切る地下の神としての王を崇めることで、砂漠の民としての生を生きることを決意した。

かくして、かれらはわれわれ北亜の人間より遥か先に、地下生活者としてのノウハウを身につけてしまったのだ。そして――」

 ツヴァィゼンが後を続けようと一息をついたとき、前方のドアが開いた。そこには、組織の制服に身をかためた二人の男の姿があった。

「ここが例の入り口だ。さあ、入りたまえ」

 二人の制服はドアの両側からエレベーターの開閉ボタンに手をやり、眼で合図を送りながら同時に押した。そしてドアが閉まるのを確認すると、黙したままかれらの先頭に立って歩いた。回廊のようになった通路は、異様に大きく響く五人の靴音を跳ね返しながら、あらゆる方向に伸びていた。そして、幾つかの通路を越え、しばらく歩いた制服はひとつのドアの前まで来ると、前後に別れ、ドアの両脇に立った。二人がさきほどと同じように両側から開閉ボタンに手をやって、三人の男たちが入るのを待った。

 三人がなかに入ると、ドアは音もなく閉まった。

「あの入り口からここまでのドアは、かれらの静脈斑にだけ反応するようになっている。このわたしといえども、かれらがいなければあそこから出ることはできないし、ここまでにあった通路のどの部屋へも入り込むことはできないのだ」

 なかは慧人が所属している部署よりはるかに広く高い天井をもつドームのような空間で、低く設えられたパーティションの間をベルト道が縦横に走っていた。大勢の制服を着た男女がおり、それぞれがあらゆる持場で、眼の前にある機器を覗き込むか、そうしているなかをベルト道に乗って素早く歩き回っていた。

 そのなかのひとりで、ひときわ目立つ背の高い女性が、ツヴァィゼンの姿を見つけると、花が咲いたような笑みを浮かべて近寄って来た。

「来てくださったのね、博士。お待ちしておりましたわ」

 彼女は、ブルネットの髪を無造作に後ろへ束ね上げ、身体の線にぴったり合う銀色の制服に身を包んでいた。慧人より五歳以上は若く思われ、笑みのこもった柔らかな瞳をみる者に射し返す女性だった。

彼女の視線は、クーガーを通り越して慧人の前で停まった。

「こちらは……」

 彼女は、慧人に手のひらを差し向けて言った。

「ああ、アンヌ。紹介するよ。この人は、ケイト・フォアライン。あのフォアライン博士の息子さんだ」

「まあ、そうなの。じゃ、博士の昔のご同僚って訳ね。わたし、レアンヌ・クライン。よろしく。みんな、博士のようにアンヌって呼ぶわ」

「よろしく」

「でも、なんだか変な気持ちでしょう」

 彼女は、慧人と握手を交わした後、ツヴァィゼンを振り返って言った。

「そう。フォアライン博士はいい人だった。ケイトは、わたしが大学で、例の原始的なツヴァイザームカイト理論の仕事を手伝ってくれていたときの博士に実によく似ている。ここのところ、まるでその当時の日々が蘇ったようだよ」

「でしょうね。わかるわ」

 彼女は同情と尊敬をこめた声で言った。「このわたしだって、ツヴァィゼン博士とまた一緒に仕事ができるようになって、楽しかった研究生時代が蘇ったようですもの」

 こんなとき、フィクサロイドはなにもことばを発しない。質問されるか命令されるかしなければ、自ら発語しようとはしないのだ。クーガーは、なんの感慨もわかないような顔をして、ただ物理的で無関心な眼を三人の様子に向けているだけだった。

「それで、どうかね。調べはだいぶついてきているようだが……」

 ツヴァィゼンが口ごもった感じで言うより早く、アンヌが遮るようにして言った。

「こちらへどうぞ。ちゃんと説明できるようにセットしてありますわ」

 彼女は先に立って、中央の奥に向かって走り、そこに乗った人々を運んでいるいちばん広いベルト道へ案内した。それは地上回廊のものや他の研究室にあるものより、かなりのスピードがあるようだった。

彼女は、その乗降口に立って、慧人に先に乗るよう無言で促した。

この二週間と少し前まで、どちらかといえば徒歩ばかりで過ごしており、あまり乗り慣れていなかった慧人には、すこしばかり骨がおれそうに思えた。しかし、このベルト道には手擦りがついており、それも同時速で動いているので、それにつかまりさえすれば、足のほうはなんとかなりそうだった。

勇を鼓して、危うくつんのめりそうな恰好で慧人が跳び乗ると、後の三人はなんのためらいも見せず、すぐに乗り込んだ。

 ベルト道は、乗り慣れれば人間の走る速さの三倍から五倍のスピードが出せるということだったが、慧人にはいまだに乗り慣れなかった。後の三人も、そんな芸当には頓着しないらしく、別段急がせようともしなかった。かれらは新来者の慧人の技量と経験に合わせて動いてくれていたのである。

 やがてベルト道は大きくカーブして、さきほどまでいた部屋を小さく見せるほどに、その上に載った荷物を遠くに運んでいた。前方の復路からは、ひっきりなしになにかの器具や機械、そしてアンヌのような服を着た人間が通り過ぎて行った。ベルト道を支える金属柱のすぐ左側には、大きく深いホールが口を空けており、その深さがどこまであるのかは判らなかった。

どこか地底の深いところから、機械のたてる轟音を人工的に小さく抑えたような響きが伝わって来ていた。慧人は、なぜこれだけに手擦りが付いているのか、その訳が判った気がして、思わず下を覗きこんだ。

「もうすぐです。R2‐Eのベルト道に移ってください。こちら側です」

 アンヌは、右手方向を指し示して言った。R2‐Eと書かれたベルト道はそれから、一分もしないうちに現れた。今度は、慧人もうまく跳び移れた。ベルト道は一定区間を経るごとにしだいにスピードを落とし、大きな扉の前で停まった。その扉は、見上げなければならないほどに高く、慧人たちの背の5倍ほどもあるように思えた。

 全員がその前に立って間もなく、扉がその奥の眩い光を弾き出しながら開いた。

 その部屋、いや、部屋といってはイメージが伝わらない。天地の長さが数十メートルもあるホールといったほうがいいかも知れない。これが地下にあるのだと知らなければ、それはたぶん大空の下に輝く渓谷の真上に迷い出たと思ったことだろう。

ただ地上のできごとと違うところは、自分たちの立っているところが、地中の突出部であり、透明な半円形の隔壁に覆われたオペレーションルームになっている――ということだった。

 そこには男女数十人がいて、ある者はビジプレートに向かって忙しなく指を動かしていたし、またある者は真剣な表情で計器の前に向かってなにかをしていた。緊迫した空気の漂うなか、そこかしこでひとびとがきびきびと動いているように見えた。慧人たちが入って来たのも気づかないのか、誰ひとりとして振り向く者はいなかった。

 かれらがモニターで監視しているらしい隔壁の外を見ると、兵士の姿こそ見えないものの、対地中戦車砲や装甲車などが激しく撃ち合っていた。つまり、そこでは実戦さながらの光景が展開されているのだった……。



「ケイト君、ここが地底実験区だ」

 ツヴァイゼンが、呆然とした面持ちで戦闘シーンに見入っている慧人の肩に手を置いて言った。「隔壁の外は、ご覧のとおり、地上にある現実世界そのものだ。風も吹けば雨も降る。ただし、実物の二分の一に設定されているがね」

「それにしても凄いですね」

「うむ。しかもこいつは、きみも知っているバーチャルな立体ウィンドウのそれとは違って、実際の武器や弾薬を使ってさまざまな実験が行えるようになっている」

「あそこにあるのは、対地中戦車砲ですね」

「そうだ。ある意味でミニチュアとはいえ、本物に近い破壊力を持っている」

「こんなものが地下にあるとは知りませんでした」

「いやいや、まだこんなものじゃない。これは、いわば実戦用のシミュレーションルームみたいなものだ」

「これのほかに、まだ似たようなのがあるんですか」

「うむ、そこでだ。これまで敢えて会わせなかったが、ことここに至って、ぜひきみに紹介しておかねばならん人物がいる……」

 そのことばを聞いて後ろへ下がったアンヌに頷きを返し、ツヴァイゼンは慧人に部屋を出るよう首の動作で促した。そしてアンヌの先に立って、廊下の突き当たりにあるドアに向かった。ツヴァイゼンはドアの前に来ると、『ここだ』というように慧人へ目配せをくれてからセンサーに手を翳した。

 すると、自動的にドアが開き、驚いた面持ちでツヴァイゼンの名を言って立ち上がろうとする女秘書の姿が眼に入った。

「ああ、かまわん。座っていたまえ」 

 女秘書を制したツヴァイゼンは三人を従えてその前を通り過ぎ、その奥にある重厚なドアをノックした。なかから元気のいい声が誰何した。

「ツヴァイゼンです。かれを連れて参りました」

「おお、そうか。待っていたぞ」

 なかに入ると、立体ウィンドウの前で、ありし日の自由の女神の像を空から俯瞰する形で眺めていたらしい人物がこちらを向いて立っていた。それは、いかにも長官と呼ばれるに相応しい体躯の持ち主だった。

「ケイト君。紹介しよう。フリードマン長官だ」

「はじめまして」

「フリードマンだ」

 フリードマンは、差し伸べられた慧人の手を強く握り返して言った。その力の込め方に、慧人はこの男の自分への期待が並々ならぬのを知った。

「長官は、その昔、宇宙開発事業のほうを担当されていた。ハビタブルゾーンの開発では、いってみれば、きみの先輩格にあたる人だ」ツヴァイゼンが言った。「しかし、ここでは、南亜との戦争終結のため、あらゆる作戦の陣頭指揮を執っておられる」

「この方面には不案内なので、お手柔らかにお願いします」

「いやいや、こちらのほうこそお手柔らかに」

 フリードマンは威厳こそあれ、決して偉ぶらない態度で言った。「ところで、きみのことはこのツヴァイゼン博士から聞いている。なんでも、あのフォアライン博士の忘れ形見だとか――」

「ええ。しかし、そのことはもう……」

「ああ、済まない。気に障ったのなら許してくれたまえ。きみのお父上には、まことに気の毒なことだった。ヘミノージアンの同胞として慚愧に耐えない。惜しいことをしたものだといまでも思っている……」

 ことばに詰まったのか、フリードマンはその後を続けず、ツヴァイゼンの横に立っているアンヌに向かって言った。

「では、アンヌ。始めてもらおうか――」

「はい」

 フリードマンの依頼を受けたアンヌが一同を見回し、立体ウィンドウの前にある大きな机へ手を差し伸べて言った。

「では、皆さん、あちらの席におつきください」

 四人が左右二人ずつに別れて席についたのを見届け、アンヌが立体ウィンドウの向かい側に立った。そして立体ウィンドウのリモコンを操作して、それまで自由の女神が映っていたシーンを中止し、金属的でいかにも頑丈そうな円筒形の物体を映し出した。

「これは、五日ほど前、偶然発見された不発弾のひとつで、ザンボア軍の放った地中推進ミサイルです」

「うむ。ミシュアを陥落させたという例のやつだな」ツヴァイゼンがぽつりと言った。

「そうです。そしてこれは、その不発弾を分解し再度立体映像化したもので――」

 彼女は、どの角度からでも、その内部構造が見えるように被写体をゆっくりと回転させながら続けた。「さきほどの映像だけをみると、かなり大きいように感じますが、実際はそのイメージの十分の一ほどでしかありません」

「というと――」ツヴァイゼンが呟くように訊ねた。

「実にこのミサイルの大きさは、縦の長さにして八十五センチ、直径が二十五センチほどしかなかったのです」

「そうか。思っていたより小さかったんだな」

 ツヴァイゼンが嘆息するように言った。「どおりで、われわれのレーダーに引っかかってはくれん筈だよ」

「ところが、イメージにしてこれだけの迫力があるということは――」

 フリードマンが横にいるツヴァイゼンの嘆息に応えて言った。「それだけモノが精巧にできているということだよ、ツヴァイゼン博士」

「うむ。確かにそれは言える」

 二人のやり取りを見定め、ちらりと慧人に眼をやったアンヌがさきを続けた。

「ご覧のとおり、このミサイルはドラム型ですが、ドラムのなかは砲身などに見られるより深い溝が刻まれています。つまり、ロッドの付いたドラムが回転することによって、削り取られた岩盤や土砂、その他がその溝に沿って外へ出る仕掛けになっているのです」

「そうなんだ。こいつは、まるで小型のボーリング・ロッドを備えたモグラみたいなもんなんだよ」フリードマンが言った。

「いや、それをいうなら、大型の太ミミズだろう。土を食っては、そいつを尻から出して前に進む。そうすれば、自分の太さだけの穴を掘れば済むって訳だ――」クーガーがゆったりと口を開いて言った。「掘り崩した土砂を脇へ避ける道をつくる必要はないし、必要以上の土砂を掻きわける手間も要らない。実に合理的なやり方だ」

「なるほど」ツヴァイゼンがクーガーの後を受けて言った。「それにしても、こんな小さなミサイルがどこから推進力を得ていたのかが問題だ。普通の蓄電式のなら、そんなに長くは持たんだろうし、かといって、電波で誘導するのなら、われわれの妨害電波がキャッチアップして実行は不可能になる……」

「その答えは、いたって簡単だ」クーガーがこともなげに言った。「それこそ二世紀も前の知識があれば済む」

「なにかね、その答えというのは――」ツヴァイゼンが怪訝な顔をして言った。

「磁場だ。そいつを利用してこれは動く」

「なるほど」ツヴァイゼンが感心したように言った。「フレミングの法則か」

「ああ。そうともいう」

「そうなんです」

 クーガーが頷くのとほぼ同時に、アンヌがそのあとを続けた。

「これを見てください。このミサイルには超伝導コイルが取り付けられています。これによって、ミサイルは推進力を得ていたのです。もちろん磁場に直交させる動力源、つまり電流が供給されなければなりませんが、このプログラムではドラムが回転することによって電流が発生し、内蔵のバッテリーに充電できるようになっていました……」

「まさに文字通りの《自家発電》装置って訳だな」

 ツヴァイゼンがゆったりと顎髭を梳るようにしながら言った。この癖が出れば、心のなかはいつもの平静な状態になったと見ていい――慧人は向かい側に座っているツヴァイゼンのやや安堵したような表情を見て思った。

「しかも、弾頭には初期・中期・終末といったすべての過程を誘導するセンサーが備え付けられていました。つまり、ミサイルそのものが自ら命令を発し、その命令にしたがって行動するようにできていたのです」

「うむ。ミサイルの説明は、もうそのくらいでいいだろう」

 アンヌがさらにミサイルの自動発進プログラムの説明をしようとするのを制して、フリードマンが言った。「ありがとう、アンヌ。きみも掛けたまえ」

 アンヌが腰を降ろしたのを見届け、フリードマンは慧人に向かって言った。

「どうだね、ケイト君。これまでのところで、なにか質問のようなものはあるかね」

「そうですね。質問といっちゃなんですが、これをどうするかが今日の議題なのでしょうか、フリードマン長官」

 慧人はぶしつけなのを承知で、あえてぞんざいな言い方で訊ねた。

「いやいや、そんなことをすれば、それこそモグラ叩きだ。どんなに精巧な迎撃ミサイルがいくつあっても足りないことになる」

「そうでしょうね」

「そうなんだ。消耗戦はできるだけ避けねばならん」

 フリードマンは慧人の相槌に答え、ひとの善さそうな笑みを浮かべて続けた。「そこで、ハビタブルゾーンの地中開発では、超エキスパートであるきみに来てもらったという訳だ。だが、わが組織としては、絶対に犠牲者を出してはならん――というのが至上命令なのだ。この実験区もその作戦を練るための施設になっている」

「長官――」アンヌが割って入って言った。「そのあとはこちらで」

「ああ、頼む」

「したがって、いかなる人的被害も出さずに、このミサイル工場を粉砕する――というのが、今日の秘密会議のテーマなのです」アンヌが続けた。「というのも、このモリブデン入りの鋼鉄、つまり耐熱ステンレス鋼でできたミサイルには、切削用として無数のカーボネイドがビットに取り付けられています。カーボネイドというのは――あー、ちょっとこれをご覧いただきましょう」

 そう言いながら、アンヌは立体ウィンドウの操作盤に手をやって、黒光りする鉱物の塊がクラウン状に埋め込まれたロッド部分を拡大した。

「こいつは、人間がつくったブラック・ダイヤモンドだな」

現れた画像を見るなり、クーガーが間髪入れずに言った。「大昔は、南亜や南米で天然ものがよく採れたものだが、いまでは炭素から人工的につくる。これもそのひとつだろう」

「そう。その人工ダイヤモンドの製造工場を潰せば――」

アンヌはクーガーの飾らない言い方に触発され、つい普段のことば遣いに戻って言った。「必然的に地中ミサイル製造工場もなくすことができるという訳よ」

「うむ。ひと頃、アニマルロボットに代わって出て来た妙な原虫のおかげで、本物動物の密売組織が絶滅してしまったようにな」クーガーが知たり顔に言った。

「しかし、炭素からダイヤモンドをつくるとなると――」

慧人は、クーガーが放った付け足しことばの内容を無視して言った。「相当にでかい施設が必要だ。しかも、たったひとつの人工ダイヤモンドをつくるのに何十万という恐ろしい気圧が必要になる」

「温度にして二千度。気圧にして十三万気圧ほどだ」

 慧人のあとを受けて、クーガーがそれまでと変わらぬ表情で続けた。「だが、ことはそれだけではない。人工ダイヤモンドをつくるには、ゲルマニウムやニッケルといった触媒が必ず必要になる」

「ふむ。というと――」ツヴァイゼンが訊ねた。

「アンチ・グリーンガスを発明したわれわれと違い、かれらはいまだに化石燃料、つまり石炭を使用している……」ツヴァイゼンの素朴な質問に答えてクーガーが続けた。「メガロシェルターを建設するために何十年も地中を研究して来たかれらは、その副産物としてのゲルマニウムやモリブデン、そしてバナジウムなどをいかに活用するかのノウハウを確立しているはずだ」

「現にミサイル本体には――」慧人が何げなくつないだ。「耐熱ステンレス鋼が使われているのだからな。おそらく触媒として高張力を得るためのバナジウムもしっかり使われていることだろう」

「ふーむ。そう言われてみればそうよね」

 アンヌが半ば感心したように、そのことばの意味をすくい取って続けた。「でも、ゲルマニウムというのは造岩鉱物だけじゃなくて、石炭を燃やしたときにも採れるわよね。そのほうが地殻を粉砕して珪酸塩を取り出すより、よほど合理的だと思わない」

「確かにアンヌの言うように、石炭はどの地層にも存在している」

 ツヴァイゼンがぽつりと言った。「だが、ゲルマニウムのほうはそれでいいとしても、ニッケルのほうは、南亜にはあまりないのではないかと思うが……」

「そうよ。それだわ――」

 アンヌは、なにかが急に閃いたように人差し指を宙へ突き出して言った。

「ニッケルを大量に南亜へ輸出している業者がいる筈よ。そいつを見つけだして息の根を止めてやればいいのよ。そうすれば、人工ダイヤモンドはつくれなくなるわ」

「かなり間接的というか、遠回しな手法だが――」ツヴァイゼンが言った。「その方法だと、犠牲者はおそらく出ないか、または最少ですむという点で悪くはない」

「しかし、わたしは思うのだがね、ツヴァイゼン博士――」

 それまで黙って、みんなのやり取りを聴いていたフリードマンが、ふと思いついた振りをして口を挟んだ。「いくら硬くて強いダイヤモンドとはいえ、所詮は炭素だ。熱には弱い。そんな視点からのアイデアは出ないものなんだろうか。でないと、そんな迂遠な方法だと、いつまで経ってもこの戦争は終わらない……」

 この会議をする以前から漠然と考えていたアイデアだったが、みんなのやり取りを聴いていて、フリードマンは少しずつ気持ちが萎えて行くのを感じていた。

「しかし、いくら熱に弱いといっても――」クーガーが言った。「ダイヤモンドを燃やすには、八五〇度もの熱源が必要だ。それをどこから入手するか、あるいはどういう形で敵地に持ち込んで熱を発生させるかが問題だ」

「だから、工場ごと吹っ飛ばしてしまえばいいのさ。タバコの火だって、その気になれば千度くらいにはなる」慧人が知ったかぶりをして言った。

「タバコの火くらいで、ダイヤモンド工場は燃えはしない。なぜなら、それは一瞬間だけの温度だからな」クーガーが反論した。

「もちろん、火薬を使っての話だ」慧人が素早く返して言った。「最近は火薬でも、軽量で効果の高いものはいくらも出ている……」

「C56か」ツヴァイゼンが二人のやり取りに呼応して言った。「かなり荒っぽい仕事になりそうだな。それで、こちらに損害が出なければいいのだが……」

「そうと決まれば――」

 次第に睨み合いの様相を呈して来た慧人とクーガーを気づかったアンヌが、二人の間に割って入って言った。「後は、作戦を練るだけだけれど、それより前に、わたしたちは肝心なことを議論し忘れているわ」

「なんだ」クーガーが言った。

「まずは、そのダイヤモンド製造工場がどこにあるかを確定するのが先決よね」

「それは、それとして間違いはないのだが――」フリードマンが、苦笑いを押し殺しながら続けた。「こうした会議を通じてモグラ叩きの方法を講じねばならんのも事実だ」


一〇


 それから半月ほどが経過したころ、慧人に再びお呼びがかかった。クーガーと地下実験区に行くと、そこにはすでにアンヌ、フリードマン、ツヴァイゼンの姿があった。

 お定まりの挨拶を交わしたあと、四人はアンヌについて長官室に入った。

「とりあえず、これを見てください」

 例のごとく四人が席についたのを見計らったアンヌが、器用そうな指先でキーボードをつぎつぎと叩いた。眼の前に映っていた巨大な渓谷が、見る見るうちにその中身を露わにし、幾種類もの色分けがなされた立体的な空間を映し出した。

 どうやら、どこかのメガロシェルターを分析装置にかけて再構築したものらしい――慧人は、そのカラフルな立体映像を見ながら思った。

 画面上には縦斜方向と水平方向に緑色のラインが等間隔に引かれており、それぞれの線の間には細い青色の線が六本ずつ走っていた。

「このメッシュは、便宜上、左から右への横方向にアルファベットを充て、上から下への縦方向に数字を充てる従来のものと同じ仕様になっています。ただアルファベット部分の縦線が斜めになっているのは、現在の横断面の角度を表していることによるもので、その角度は、もちろんどのようにも変えることができます」

 アンヌは、そこで一旦ことばを切り、効果が浸透するのを待つかのように少しの間をおいた。慧人は、自分に向けられたその瞳から、なにか見てはいけないものを見たかのように思わず眼を逸らした。

「この立体映像は、例のダイヤモンド製造工場を探査する過程で発見したイシュタルのメガロシェルターです。そこには、ご覧のとおり、さまざまの格納庫や武器庫、それに地中戦艦の格納港らしきものまでがあります」

「敵さんのものとはいえ、なかなか大したものだな」

 ツヴァイゼンが半ば感心したように言った。

「ところが、わたしたちの……」と、そこまで言った後、アンヌはややはにかんだような微笑を浮かべて言った。「というより、ツヴァィゼン博士が考案された無人地中探査艇M61が、とあることを発見したのです」

「その、とあることというのは――」

 勿体ぶったアンヌの言い方に苛立ちを覚えたのか、ツヴァイゼンが性急さを隠せない様子で訊ねた。

「わたしたちのM61が分析したところによると、このメガロシェルターはすべて架空のデータに基づいた偽物だということが判ったのです。これまでの偵察衛星や地上偵察隊のコンピュータの眼はごまかせても、わたしたちのM61だけはごまかせなかったということですわ」

「うーむ。データ改ざんによる陽動作戦か――」フリードマンが言った。「敵さんもなかなかやるもんだ……」

「もちろんここには――」

アンヌがまじめな顔をして言った。「発信装置を置くスペースこそあれ、それ以外のなにも存在しません。したがって、もう少し発見が遅れていれば、わずかな情報発信装置をぶっ壊すために多大な武器弾薬が費消されてしまうところでした……」

「うむ。危ないところだった」

フリードマンが、またもやアンヌの意見に同意して独りごちるように頷いた。

「で、今日、見せたいもの――というのは」

ツヴァイゼンが促した。

「ええ、それをいまお見せします。わたしたちのM61は、いまの偽発信基地を発見したばかりか、本物の発信基地をも発見したのです。Df‐45の座標をごらんください」

 アンヌは、立体ウィンドウの右下端にある座標の周囲をオレンジ光で円くマーキングしながら言った。「お判りになったことと思いますが、これはアスナジャ河を挟むようにして拡がるキュワナチ丘陵とその対岸にあるズハンガ丘陵の斜断面図です」

「噂に高いキュワナチ丘陵だ」

 クーガーが独り言のように言った。慧人がその方向を見ると、彼は立体ウィンドウの映像を睨みつけて続けた。「ズハンガの現地民たちの間では、その地下のどこかにザンボアの前進基地があると信じられている」

「ご存じのように、キュワナチ丘陵より南――つまり、モニターでいえば右側部分――のアスナジャ河流域に沿ってエイドス湾に至るまでの広大な砂漠地帯は、ザンボアの領空域となっています。つまり……」

言いながら、アンヌは絶妙な素早さでキーを打ってその先をつないだ。「いま、このクーガーも口にしましたが、その噂は単なる撹乱のための噂やデマの類いではなかったことが、『現認』されました。もちろん、さきほどのようなバーチャルなものでなかったという含みですが――」

 彼女は、肩をすくめてみせたあと、ビジプレートに向き直って続けた。「ザンボアの主力地中艦を率いるMFSの大隊は、まさにここDf‐45を駐留基地、いえ、格納港にしていたことが判明しました。それは、北緯三五度地点のアスナジャ河岸Ce‐33を起点として、一二分の一の勾配で地下へ三〇キロほど南進した地中にあります。

 そして、キュワナチ丘陵のなだらかな山頂にあたるDf‐21地点の地下五〇メートルには、対空撃部隊の前進基地がありました。まさに二重構造になっていたのです。これは、撃ち落とされる前の戦略探査衛星が報告して来ました……」

「ふむ。だとすると――」

 ツヴァィゼンが立体ウィンドウの画面を睨みながら、おもむろに言った。「ザンボア軍の連中はDf‐21からDf‐45を発進通路にするだけじゃなく、太陽光や酸素の補給路として用いている可能性があるということだな。そこを塞いでしまえば、あるいは……」

「いえ、ことはそう単純じゃありません、ツヴァィゼン博士」

 アンヌは、ぴしゃりと言った。「太陽光のことはともかく、かれらはその前進基地を中心点にして放射状に出入口を設けています。それにアスナジャ河の左岸からパイプラインを引いていることが判りました。さきほど言った一二分の一の勾配をもつ抗道がそうです。

たぶん、その入り口には水中の酸素だけを透過するオキシフィルトレータ(酸素供給装置)を備え付けているのです。無論、飲料水もそこから取っているはずだわね」

 やや興奮気味にふだんのことば遣いをしてしまったアンヌに慧人は苦笑した。ツヴァィゼンの反応が、彼女の思惑に反しているのが可笑しかった。どちらかといえば、天の邪鬼にできていたかれは、ツヴァィゼン博士に助け舟を出した。

「だったら、なおさらいい。きみの話だと、かれらの基地はアスナジャ河の底より下に位置しているじゃないか。そのオキシフィルトレータとやらをぶっ潰してやればいいのさ」

 アンヌの慧人に対する表情が一瞬険しくなったが、すぐ元に戻った。

彼女は片目を瞑り、一種賛嘆するような調子で答えた。

「それもいい考えのようね」

「それと、そのパイプラインの取水口がどのくらいの太さをもつのか知らないが、ついでにそいつもぶっ潰してやればいい。水は自然にかれらの基地に流れ込む」

「なるほど、そいつはいい考えだ」

 ツヴァィゼンがほっとしたように慧人を振り返って言った。「かれらの基地は、アスナジャ河の水位まで水浸しになるという訳だ。ひょっとすると、アスナジャ河よりずっと狭くなっているかれらの乗降路が毛細管のはたらきをして、何十万年かぶりにキュワナチ丘陵にも恵みの雨が舞い降りることになるかも知れん」

「それこそ見ものだわね」

 アンヌが、さも楽しそうに言った。

「ところで、その役目を誰がやるのかね」

 咳払いをひとつして、フリードマンが慧人に視線を向けたあと、周囲を見回すようにして言った。「このケイト・フォアラインか、それとも――」

「ザンボアの対空撃部隊は手強いわよ。それに地中戦じゃ、天才的な威力を発揮するに違いないわ」

「そんなのは、地上へ吸い出してしまえばいいさ」

 慧人はこともなげに言った。

「相手がどんなに強かろうと、飛車角で攻めて来る王手にはかなわないのさ。いいかね。まずアスナジャ河に設置してある、やつらのオキシフィルトレータにフタをする。

こうすれば水が流れ込まないまでも、プランクトンの異常発生した湖のように酸素不足になる。やつらはあっぷあっぷしながら地上に出て来るさ。それでも出て来なければ、パイプラインを破壊してやるまでだ」

「後は、出て来たやつらを片っ端から狙い撃つか降参させる」

クーガーが銃器を構える格好をして言った。

「それには、まず小型潜水艇を用意せずばなるまいな――」

ツヴァィゼンが顎の髭を引っ張りながら、遠くを見る眼差しで言った。「船でのんびりと向こう岸に渡っていれば、それこそ船がいくつあっても足りないことになる。水中と空中とで互いに連絡をとりあいながら、連携してことにあたらねばならんだろう」

「そう。空からの攻撃を集中的に行なって、やつらが空中戦に気を奪われている隙に水中ミサイルを一発お見舞いする」クーガーは、熱を込めて言った。「コントロールタワー(取水制御装置)を破壊すれば、やつらの基地はあっという間に水浸しになる……」

「でも、そんな簡単にことが運ぶかしら」

 アンヌが眉間に皺を寄せながら、思慮深い面持ちで言った。「いくら小型といっても水中ミサイルを搭載するほどの潜水艇でしょう。それじゃ目立ちすぎて、すぐにレーダー感知されてしまうわ。岸から半マイルも行かないうちに、ソナーブイにやられてしまうか、水中ミサイルにやられてしまうのが落ちよ」

「だから手始めに、やっこさんたちのオキシフィルトレータにフタをしてやるのさ」

 慧人は言った。確かにこんな場合、アンヌのような慎重論をぶつ人物がいてもいい。なにごとにも焦りは禁物。変な勇み足や付和雷同の軟弱さが大怪我のもとになるのだ。いままでの歴史はみなそうだった……。

「どうやって、フタをするか――」アンヌが、あくまでも慎重論を堅持して言った。「それが問題ね。オキシフィルトレータを完全に動作不能にするには、その構造を事前に知っておく必要があってよ」

「そんなものは要らない。プロのダイバーを使うのさ。フタをするくらいじゃ、かれらには判りっこない」

 慧人は、執拗に言い張るアンヌに一種の天の邪鬼な気持ちを覚えて反論した。

「アスナジャ河には、人間以上の馬鹿でかい図体をもった魚がうじゃうじゃ泳いでいる。それにいちいち反応していたんじゃ、弾薬がいくらあっても足りやしない。水中ならぬ地中専門のやっこさんたちにゃ、判りっこないさ」

「フォアラインさんとやら。あなたを、ケイトとお呼びしてもいいかしら」

「ああ、いいとも。ケインでも、アベルでも、なんとでもご随意に」

 慧人は、カチンと来た気分を紛らわすかのように両手を大仰に広げて応えた。

「宗教的なのは、わたしの趣味じゃないわ」

「そうかい。だが、女に命令されるのだけはごめんだ」

「なにも命令するなんて言ってない。ただあなたを呼ぶのに、いちいちフォアラインさんじゃ、迅速を要する任務にそぐわないと思っただけよ」

「ああ、好きにするさ」

「じゃあ、聞くけど、ケイト。そのダイバーの役目を引き受けるのは、誰なの」

「ほう。やっぱり、そうおいでなすったね」

「なんとでも思うがいいわ」

「だが、お望みとあれば――」

 慧人が四人を襲った一瞬の沈黙を破って言った。「ぼくが行こう」

「いや、ケイト。それはいかん」

 ツヴァィゼンがかぶりを振って言った。

「きみには、これからさき、ここでの作戦研究員のひとりとしてやってもらわなきゃならんことが山ほどある。例のものだって、まだ完成してはいないんだ」

「しかし、言い出しっぺのわたしが行かなければ、誰も行かないでしょう」

 慧人は落ち着き払って続けた。「わたしが行きますよ」

「わたしも行こう」

 クーガーが慧人の前に進み出て言った。本来なら、俺も行こうとなるところだが、慧人がわたしということばを使ったすぐ後なので、自動的に反射機能がはたらいてそうなったのだろう。かれは慧人からツヴァィゼンに目を走らせて続けた。

「博士。わたしたちにやらせてください。わたしとケイトが、まずアスナジャ河に潜って、かれらのオキシフィルトレータの構造がどうなっているかを探ってみます」

「ふむ。なんにしても言い出したら、それを遂行するまでプログラムを更新しないおまえのことだ。よかろう。二人で行ってしっかり確かめて来い。いずれにしても、誰かが行かねばならんのだからな」

「しかし、ツヴァイゼン博士。クーガーはともかく、ケイトははっきり言ってスブの素人だ。ここは、やはりこの手のプロに任せた方がよくはないか」

「この手のプロというと――」

「もちろん、水中作業経験のある実戦のプロに――という意味だが」

「それは駄目。専門家を使うとなれば、その情報が外部に漏れる可能性があるわ。これまでだってそうだった。大きな作戦は、大きくなればなるほど、敵に知られる」

「では、どうするんだ」フリードマンが、やや苛立ったように言った。

「この作戦は、わたしたちだけの作戦とすべきよ」

「アンヌの言うとおりだ」ツヴァイゼンが間に入って言った。「イシュタルのメガロシェルターが完全な偽物だったように、やつらの情報入手技術は、この組織の指揮系統を把握できるところまで進んでいる可能性がある」

「そう。その代わり、わたしも行くわ。そのチームに加わらせてもらう」

その場にいる全員が、彼女を振り向いた。

「いいえ、行かせて頂戴、ケイト――」

アンヌが慧人に真剣な顔を向け、懇願するように言った。

彼女の様子は、地底実験室の指揮官としての威厳を損なうほどではなかった。むしろ命令調にしないことで、相手のプライドを傷つけてしまわないように――との女性らしい思いやりであるらしいのがわかった。

「わたしもマリンダイバーとしての経験があるのよ。だから、あなたがたの足手まといにはならない自信があるわ。それに、カルフォリィのアクア・マリンパークで海中ドームを建設する手伝いをやっていたことがあって、水中作業には慣れているのよ」

「いいだろう――」

 慧人はアンヌの眼を見て言った。「たとえ素人であっても、訓練すればある程度にはなれる。はじめからプロを自称できる素人は詐欺以外にはいない」

 クーガーもそうだろうが、このアンヌという女も相当なものだ。慧人は減らず口を叩きながら思った。どだい戦中を生きる連中ってのは、男であれ女であれ、精神が頑丈にできている。夜な夜なテレポージング・ハウスなんかに出入りしてクダを巻いている連中とは大いに訳が違うのだ。

「ただし言っとくが、命令するのは、このわたしだ。この作戦を考え出したわたしに指揮権があると思ってほしい」

 慧人は、『わたしに』を強調して言った。

「もちろんこの作戦については、あなたはわたしたちの上官であり、尊敬すべき指揮官でもあるわ。ねえ、クーガー」

「ああ。ケイトは、わたしたちの指揮官だ」

「ありがとう。よろしく頼む」

「いいえ、どういたしまして。こちらこそよろしく」

 アンヌは手を差し延べ、慧人の掌を握り締めながら言った。その手は温かく柔らかいが、ふつうの職場に勤めている女性には感じられない力強さをもった掌だった。

「では、そういうことで――」

フリードマンが了解を求めるように全員の顔を見回して言った。「この作戦の実行部隊の指揮官は、ケイトということにしていいんだな」

「ああ」「ええ」ツヴァイゼン、アンヌ、クーガーが慧人を見て言った。

「しかし、きみが――」

慧人は、あらためてアンヌを見て言った。「こんなに素直になれるひとだとは思ってもみなかったよ」

「あら、どうして。ひとを食った、生意気な女だと思って」

「いや、そんなことはない。ともかく」

 かれは、アンヌの後について差し延べて来たクーガーの手をとると、彼女の手をその上に重ね、それらを両の手で強く挟んで言った。

「この作戦の成功・不成功は、ぼくたちの一挙手一投足にかかっている。力を合わせてやろう」

それに呼応してツヴァイゼンとフリードマンが加わり、アンヌ、クーガー双方の声が慧人の声に続いた。

「力を合わせてやろう」


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