小川千映里
「中田さん、休憩いいよ」
十二時から三十分の休憩に出ていた千映里がレジに戻ると、パートタイマーの中田由紀が代わりに休憩に出る。一時に彼女が戻ると、次は藍が。毎日繰り返されている風景だ。
店頭前面に張られたガラスを通して、午後の陽光が降り注ぐ。暖房も消して、開け放した自動ドアからは、かすかに春の成分が混じった空気が入る。
千映里は店内を見回した。今日入ってきた書籍を棚に差し込む藍の他には、客は三人。いつも来る、本を買っているところは見たことがない中年男がスポーツ関係の雑誌の所に居て、真剣に今日発売の雑誌を読み込んでいる。あとはカートを押す腰の曲がった老婦人と、若い男。花見をする見物客のように、コミックコーナーを眺めている。
千映里は立ち読みする客を不快に思うこともなく、(平和だなぁ)と少しにやけた。意識して、深く呼吸をする。
強い光が、彼女の肩に当たっている。茶色い髪が透き通り、電球の中のフィラメントのように眩しく光る。くるくるとパーマがかった毛先は、彼女が動くたびに揺れた。
首元の緩い、ざっくり編みのカーディガンは黄色。シャツは水色。彼女はパステルカラーを好む。それは明るくおおらかな、彼女の性格を表している。パンツは白。マホロバ堂書店では、女性店員のスカート着用を禁じている。同時に、ヒールのある靴もだ。千映里はそれをちゃんと守り、仕事用の、ピンク色のシューズを履いている。
彼女はしばらく、ぼぉっと外を眺めていた。明るい世界の中では、ゆっくり歩く老年の夫婦がいる。ベビーカーを押す母がいる。大したわけもなさそうなのに、なぜか楽しそうに走る男の子が、二人居る。
(幸せだなぁ)。千映里は思った。確かな笑顔がある、なんてことのない日常。これ以上の幸福が、どこにあるというのだろう。彼女はそう思っていた。愛し合う両親に、愛され育った彼女は、齢二十三にして無邪気だった。
「千映里」
「へ?」振り向くと、藍がジトリと千映里を見つめていた。
「仕事。して。伝票整理」
藍はそういうとしゃがんで、今日補充として入ってきた書籍を抱え、また棚へと向かった。
「ご、ごめん……」
急いで謝り、仕事に取り掛かる。
ここまで含めて、いつものマホロバの日常であった。




