宮澤信
午前八時半。この店のシャッターを一番に開けるのは、この店の店主である宮澤信。齢三十二。娘の愛と、二人で暮らしている。
妻であった知美が亡くなったのは、二年前のことだった。元々このマホロバ堂書店は、知美の父、佐久間敬吾のものであったのだが、それが十二年前、知美のものとなり、その七年後には、信のものになった。――今から五年前のことだ。
それからは、信は純粋に、娘の愛とマホロバを守ることを生き甲斐にして、生きている。今日も娘にキスをして、家を出た。七才になる娘はちょっとだけ嫌がる素振りを見せながら、照れながらも頬にキスをした。彼は堅苦しい服を着るのが苦手である為、今日もラフな、サイズ感に少しゆとりのある服で家を出た。ジーンズに、灰色のシューズ。ワインレッドのシャツの上にカラフルな民族模様のベストを着て、その上にほぼ黒といってもいい程に濃いグリーンのジャケットを羽織っていた。ポケットに両手を突っ込んで、もじゃもじゃと伸びた髪を揺らしながら、少し前屈みな特徴ある歩き方で、店まで歩いてやって来た。彼は重度の花粉症患者である為、この時期外にいる時は、マスクがかかせない。丸メガネの内側が、少し曇っている。
九時までに二台あるレジの電源を点け、それぞれに十万円を入れた。五千円札が十枚に、千円札が三十枚。残りは小銭。先先代店長の時代から受け継がれ、毎日休みなく行われてきた手順で仕事をこなす。九時になると、バイトのメンバーがやってくる。彼女が、半開きのシャッターをくぐって店内に入る。
彼女の名前は、延原藍。




