邂逅
作中時間:2014/12/20,22
「なぁ、お前も行くだろ?」
「へっ?」
顔を上げると、そこには級友の顔があった。おれは机に詰まった教科書を鞄に詰める作業を中断して、聞く。
「なんの話?」
「聞いてなかったん⁉︎ 来週の月曜、秋葉原行こうって話になってたんだよ! 今! オレと、タクヤとカズマでさぁ!」
級友は他二人を手で示しながらまくし立てた。いつもつるんでいる、いつものメンバーだ。
その級友の名前は、土井仁といった。中学生の頃からの友人で、会話をせずとも目線だけで意思疎通のできる、数少ない友人の内の一人だ。ゲームが好きで、一度何かにハマったら極めるまでやり込むタイプ。おそらく『秋葉原』ってのも、ゲーセンに新しいゲームの筐体が入ったからみんなでやりに行こうとか、そういうことなんだろう。
でも、おれはその誘いを断らざるを得なかった。
「ゴメン、その日バイトなんだわ」
「バイトォ⁉︎」
仁の両目が、大きく開かれた。
「せっかく大学決まって冬休み入ったっつうのにバイトかよ! なんで今⁉︎」
「つうか言っただろうがよ! 今日の朝! 来週の月曜からだって!」
仁はいいヤツだが、人の話を聞かないのが(聞く気もなく、またすぐに忘れるのが)タマにキズだ。「そうだっけ」なんていって、とぼける。
「早くカネが欲しいし、仕事にも慣れたいんだよ。だから……」
「だからってなぁ……。高校生活最後の冬休みだぜぇ」
仁は露骨に残念そうな顔をする。他二人も、仁に同調した。
「……大丈夫だよ。年末年始は空けとく。また今年も、みんなで集まろうぜ」
おれは友人達の顔が明るくなったのを見ると、作業に戻った。机に詰め込みっ放しだった、いわゆる『置き勉』を回収する。進学先の決まった高校三年生にとって三学期は、有って無いようなものだ。もう、この教室に来ることも、あと数回だろう。飛ぶ鳥、跡を濁さず……。
持ち上げたカバンは、やけに重かった。
「よっし……行こう!」
友人達と、教室を出る。廊下の冷気が、足元を滑り抜けて行くのを感じた。
――少しの寂しさと、少しの期待が、混ざり合ったような気持ちだった。
*
東京都心から少し離れたベッドタウン、晴種町。その駅前に連なる集合団地の一階部分に、「マホロバ堂書店」は店を構えていた。店舗面積は個人経営の書店にしてはそれなりに広く、雑誌も文庫もマンガも、それなりに種類が揃っている。シャッター通りと化した駅前商店街の中では、一際眩しく、輝いて見えた。……まぁ、周りがあまりに寂しすぎる風景だからこそ、そう見えたのかもしれないけれど。
建物自体が古いため、店の外観は年季を感じさせた。古き良き、周辺住民に愛されてきた本屋さん、といった風だ。……まぁ別の言い方をすれば『小汚い』とも言えるのだが、そこはあえて深くは触れないこととする。
月曜日。おれは七時に目を覚ますと、たっぷり時間をかけて朝食を食べ、準備をした。
家を出たのは、八時四十分。出勤時間である九時までは、あと二十分もある(おれの家から駅までは、自転車で約十五分弱だ)。少し早めに出たのは、やはり少し緊張していたからだろうか。自転車に跨って雲一つない冬の空を見上げると、フゥーッと一つ、息を吐いた。白い靄が消えるまで見届けて、おれは自転車をこぎ出した。
この前の面接の時に教えてもらっていた団地の駐輪場に自転車を置き、店に向かう。白地に赤いゴシック体の文字で、「マホロバ堂書店」とある看板を見て、改めておれは今日からここで働くのだと、実感した。店の正面には、四枚のシャッターが降りている。見ると、右から二番目のシャッターが少し、上がっていた。少し躊躇しつつ、おれはそれをグイと上げて、中に入る。シャッターは、やたらと大きな音を上げて動いた。……なぜだか、悪いことをしているような気がしてくる。
店内はまだ少しの電気しか点いてなくて、薄暗い。雪の日の夜みたいに、シンと静まり返っている。
「おはよう」
「ウワッ!」
急に右手のレジカウンターから声がして、おれは思わず身体を強張らせた。見ると、若店長が暗がりの中に立っている。
「……お、おはようございます」
「あはは。ビックリさせちゃったねぇ」
店長はカウンターから出ながらいった。
「レジにお金を入れてたんだ。……とりあえず、ついて来て」
店長は先日面接会場にもなったバックヤードへと向かった。おれは素直に、その後について行く。
店長に続いてバックヤードの中に入ると、初めて見る人がいた。
背は、おれと同じくらいだろうか。百七十センチくらい。白い細身なスニーカー、真っ黒なスキニージーンズ。――スラリとして、細い足だった。店長のものと同じ紺色のエプロンを、頭からかぶっている途中だった。それを下ろして――顔が露わになる。――女の人……?
エプロンの後ろを結ぶ――。その時、おれは無意識に胸部を盗み見た。――やっぱり、女の人だ。
確信を得るまでに、少し時間が必要だった。髪は黒いベリーショートで、整った凛々しい顔つきは中性的だった。テレビで何度か見た、山下達郎の「クリスマス・イブ」が流れるあの懐かしのCMに出てくる、若い頃の深津絵里にどこか似ている。太い眉がキリリと、背筋がピンと、伸びている。
「アイちゃん。この子、夏目くん」
店長がいった。『アイちゃん』と呼ばれた麗人が、こちらを向く。白いシャツの袖をまくりながら近づいてくる。その目は、しっかりとおれの顔を捉えていた。
胸の名札には、『延原』とあった。……なんと読むのだろう。ノベ……
「おはよう。延原です。よろしく」
「よ、よろしくおねがいします……!」
冷たくて、澄んだ――雪融け水みたいな声だった。