本屋のお仕事……? ①
「仕事、慣れてきたみたいね」
そういったのは、中田さんだった。
バイト三日目。確かにおれは、この仕事に慣れてきていた。開店前の薄暗い店内も見慣れたし、朝礼の挨拶をいうタイミングだって、もうピッタリあっている。
レジ打ちは一人でできるし、本を聞かれたらパソコンで調べてデータを出して、ジャンルさえわかってしまえば売り場へ案内することができるようになった。一人前の書店員へと、少しずつ成長してきているのを実感している。
「はい。なんとか……」そう答える。「のみこみが早いのねぇ」
「なぁ」
会話は、男性のしわがれ声によって中断された。
見ると、レジカウンターの前に一人、立っている。薄汚れた服、ボサボサの髪。皺だらけの顔は少し赤らんでいて、アルコールの臭いを発散させていた。
「本を注文してるんだけどよ。まだ連絡がねぇんだが」
そういうと、注文を受ける際に渡す『控え』を差し出した。これには、お客さんの名前、注文を受けた者の名前、受けた日付や、本のタイトル、客注伝票(お客さんから受けた個別の注文を書く冊子のこと)のページ数などの情報が書かれていた。
紙はポケットに突っ込んでいたのか、鼻をかんだ後のティッシュのように丸められている。
「少々お待ちくださいませ」
慣れないおれに変わって、中田さんが対応をする。注文品の入った棚を見て、伝票のめくる。かなり、焦っている様子だ。
彼女の伝票をめくる指が、はたと止まった。
「……申し訳ありません。まだこちらの本は入ってきていないようでして……」
「『入ってきてない』だぁ?」
男は声を荒げた。表情が険しくなり、犬歯が顔を覗かせる。
声を聞きつけたのか、延原さんと小川さんがやってきた。店長は近くの小学校に本を届けに車で出て行ってしまっているので、不在だ。
「どうしたの?」小川さんが言う。「それが、本が入ってきてないみたいで……」
「どうしてくれんだよ!」男が吠えた。「お前ぇじゃ話になんねぇ。責任者出せよ!」
「責任者は私です」
延原さんが、一歩前に出た。
「申し訳ございません」
そういうと、頭を下げる。
「遅れるんなら連絡してくれ、って俺は注文の時に言ってあったんだよ。なのにその連絡もよこさねぇで『入ってきてない』だァ? ふざけてんのか……」
男の怒りは、収まりそうになかった。延原さんを睨みながら、まくしたてる。
「半端な仕事してんじゃねぇぞっ! テメェ!」
――おれは、カァッと顔が熱くなるのを感じた。頭を下げた彼女に、そんな言葉をなげかけるなんて――。
「……なに見てんだ。ガキ」
男がふいに、おれを見た。視線に、感情が乗ってしまっていたらしい。
「その目はなにが言いてぇんだよ。アァ?」
今度はおれに、怒りの矛先を向け出した。
どうしてくれようか……。おれは思った。別におれはケンカなんかしたこともないし、ここでコイツとやりあったって、何の得にもならない。……でも、ここまで言われっぱなしで何も言い返さない、ってのもどうなんだ? 中田さんや延原さんがここまで言われてるのを見て……おれは黙ってるのか?
気がつくと、延原さんがおれを見ていた。
「謝って」
彼女がいった。
「君も謝って」
……? おれが? なんで……。
おれはなんにも悪いこと、してないだろう。なのに『謝る』だなんて……『負け』を認めるみたいで、屈辱的だ。
延原さんは、ジッとおれを見つめていた。何かを、伝えようとする目。
「……申し訳ありません」
おれはそういって、頭をさげた。
申し訳ありませんでした。小川さんも、中田さんもいって、頭を下げた。男は何もいわず、しばらく黙っていると、やがてそのまま何もいわないまま、店を出た。
「……」
誰もなにも言い出さない中、延原さんは伝票を見ていた。
「……受けたのは、山内くんね」
「十二月十九日」「先週の金曜かぁ……」。小川さんと中田さんがつづく。
「十九日じゃ、難しいよ。版元注文だもん」「『遅れるようなら電話連絡する』ってメモもないし……」。どうやら、注文を受けた『山内』なる人物のミスであるようだ。
「私、探してくるわ」
延原さんはそういうと、バックヤードに向かう。小川さんがあとについて行ったので、おれもおもわず、レジカウンターを出た。
「三階堂書房に行くの?」小川さんが聞いた。「あるかなぁ……」どうやら、あの男のために本を別の書店で買ってくるらしい。三階堂書房というと、ここから一番近い大型書店だが、電車を乗り換え、三十分くらいかかる所にある。
「そこまでする必要、あるんですか」
思わずおれは、いってしまっていた。「あんな男のために……あそこまで言われて……」延原さんはエプロンを脱ぐ手を止めて、おれを見る。
彼女はしばらく黙っていると、
「チエリ」
小川さんに向かって、言う。「彼に伝票、見せてあげて」
気まずそうな顔をした小川さんは、開かれた客注伝票を、おれに手渡した。
「ここ……」彼女はそういって、指をさす。
そこには、書名、『ビロードのうさぎ』とあった。
『ビロードのうさぎ』。絵本だ。幼い頃、読んだことがある。
「たぶん、クリスマスプレゼントよ」
延原さんがいう。「お孫さんか誰かに、あげるんでしょう。今日か明日」
エプロンを脱ぐと、黒いピーコートをロッカーから出した。「明日までじゃ、その本はうちには届かない。だから、他で買うしかないわ。チエリ。手に入りしだい、店に電話する。そしたらさっきのお客様に、電話でそのように伝えて。あと、ラッピングした方がいいかどうかも」
彼女は赤いマフラーを巻くと、おれの前に立った。
「あと言っておくけど、謝るのも仕事の内よ」
冷静な声色で、淡々という。
「誰だって、ミスはする。人間だから、それは仕方のないことだわ。あなただっていつか、ミスをする。そしてそれがお客様の前で露呈してしまったとき、あなたがその場にいるとは限らない。その時は、その場にいる人間があなたに代わって、謝罪するのよ。あなたに代わって、頭を下げるの。店を代表してね」
その目には、怒りなどは全くこもっていなかった。ただ、凛とした決意のようなものがこもっていた。
「例えばあなたがお客様の前で軽率な行為を働いたとして、そのお客様が『もうこんな店には二度と来ない』と思ったとする。あなた一人の軽はずみな行為一つで、ここで働く店員全員の――この『マホロバ堂書店』の信頼と誇りに傷をつけることになるのよ。あなたはまだ知らないと思うけど、あのお客様はよくいらっしゃってくれているお客様なの。また、ここは知らない人からみたらただの古い一書店に過ぎないのかもしれないけれど、店長や私たちにとっては、大切なお店なの」
この店の看板に泥を塗るような行為は、私がゆるさない。
いいきると、彼女はバックヤードを出て行った。
おれはしばらく、小川さんがいる後ろを振り向けなかった。
彼女が静かに部屋を出ると、おれはようやく振り返って、少しして、部屋を出た。




