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開かずの部屋から、あるはずのない物が発見された、というニュースを冬馬が聞いたのは、それから三日経ってからだった。もちろん、禅から聞いたわけではない。噂というものは勝手に広まるものであるし、禅が思わせぶりなことを言ってから、冬馬なりにアンテナを広げていたのも確かだ。
出回っている情報は僅かだった。
開かずの部屋で、在るはずのない物が見つかった。それを発見した教師は、何者かに襲われ、現在休暇中である。その部屋の鍵は、はるか昔に紛失しており、入ることは誰にもできなかった。
その三点だけだった。
自分の学校で起こった出来事とはいえ、冬馬に別段感想はない。ただ単に、禅は分不相応なことに首を突っ込もうとしているのだな、と理解しただけだった。
「よう、今度は何を探してるんだ?」
昼休み――冬馬が、一連の噂を聞いた日の昼休みである。理科室の片隅で探し物をしていた冬馬は、禎博に声をかけられた。
「いや、理科の時間に無くしたものがあって」
冬馬は手を止め、身長の高い冬馬を見上げる。
「ふうん。今度は何を無くしたんだ?」
「ボールペンだよ。あれがないと、ノートが撮れない」
「ああ、そうだっけかな。お前って、シャーペン使わないんだっけ。ボールペンなら、貸してやるよ。どうせ俺は使わねえし」
禎博はポケットから、ボールペンを取り出した。しかし、冬馬はゆるゆると首を振る。
「いや、いらない。気に入ってたんだよ、あのボールペン。あれじゃないと、僕の字が上手く見えない」
「ははっ、なんだそれ。まあ良いや、探してやるよ。それで? 最後にボールペンを使ったのは、この理科室なんだな?」
「多分」
「多分、ってのは?」
「よく覚えていないんだ。この教室でボールペンを使った気がするし、その時何かアクシデントがあって、ここいら変に置いた気もする。けれど、確証がないんだ」
冬馬がそう言うと、禎博の笑みがみるみると真顔に変わった。
「お前、それ、大丈夫か? ジャクネンセイのアルツハイマーってやつなんじゃあ?」
「かもしれない」
「じゃあ、なんだ。えっと、昨日のナンカイジャーで一番衝撃的だったことは?」
「ナンカイブルーが死んだこと」
「大化の改新が起きたのは?」
「六百四十六年」
「昨日の朝ごはんは?」
「……なんだっけ」
冬馬が首をかしげると、禎博は眉間に拳を当てて俯いた。
「うーん、わっかんねえな。 まあ、いっか。 そこまで深刻じゃあなさそうだし。 とにかく、そのボールペンがこの教室にあるのは確かなんだな?」
「分からない」
「どういう意味だよ」
「授業があったんだから、僕がこの教室にいたのは確かなんだ。 けれど、ボールペンを使った記憶がない。 いや、でも、ノートに何かを書いた記憶があるんだから、僕はやっぱりボールペンを使ったんだと思うんだ」
「なんだよ、それ」禎博が鼻を鳴らした。「ノートのインクは、同じ種類のものだったってことだよな?」
「多分」
「多分? 見せてみろよ」
「昼休みにまでノートを持ち運んでいる人間って、いると思う?」
冬馬は両眉を上げ、若干小馬鹿にしたような表情を見せた。禎博はそれを受け入れ、肩をすくめる。
「いないな。俺の思いつく限りじゃあ、禅しかいない」
「ああ、『探偵ノート』ね。 けれど、あれは勘定に入れちゃ駄目だろ」
「まあ、勉強じゃなくて趣味だからな。 ――それよりも、聞いたか?」
「何を?」
「だから、禅の話」
「禅の話の、どれ?」
「下らないことに、首を突っ込もうとしているみたいじゃないか」
「ああ――」
冬馬は、禎博が何を話したいのかが、ようやく理解できた。
「珍しいね、ヨシヒロがトーマの話題を持ち出すなんて」
「そりゃあな。 あれだけ嗅ぎまわっていりゃあ、いやでも目に付くさ」
「心配なわけだ」
「何が?」
「禅が」
はん、と禎博は鼻で笑った。しかし、その後に続く言葉はない。
やはり心配――なのだろう。口には出さないけれども、彼はこう見えて、面倒見の良い男なのだ。
「絶交、したんじゃなかったっけ」
意地が悪いと思いつつ、冬馬は聞いた。もしかしたら、口角が少し上がっていたかもしれない。
「絶交? そんなこと言った覚えはないぜ。 口が裂けても、そんな言葉吐くもんか。 けど勘違いするなよ。 俺はアイツのことが嫌いなんだからな。 ただ、まあ、昔のヨシミってやつで、アイツがクラスから浮いたり、変な奴だと思われたりするのを避けたいだけさ」
「ふうん。 それで? つまりヨシヒロは、ゼンに謎解きをやめてほしいわけだ」
「まあ、そういうわけだ。 けど、言って素直に聞く奴じゃあないだろう?」
「そうだね。 手段としては、ゼンに辛抱強く言い聞かせるか、もしくは誰かが先に、謎を解き明かすか」
「それだ」
禎博は中指と親指を擦ったあと、冬馬を指差した。彼としては指を鳴らしたかったのだろうが、残念ながら、音はなっていない。
「それ? どれのこと?」
「だから、俺たちで先に謎を解くんだよ」
「それじゃあ何の意味もないじゃないか。 本末転倒だよ。 好機と侮蔑の眼で見られる対象が、変わっただけだろう」
「いいや、違うな。 考えてもみろよ。 自分のことを名探偵だと思い込んでいる人間が、自分を誇示するかのように聞き込み紛いのことをする。 これは最悪だ。 そのつもりがなくても、周囲には反感をかうだろ」
「僕たちだったら、もう少しうまくやれる、と?」
「そうだ。俺が情報を探して、トーマが考える。 カンペキでケッサクじゃないか」
「そうかなあ。 まあ、ヨシヒロがそう言うんだったら、付き合うけど……」
「よし、決まりだな」
禎博は机をぱんと叩き、理科室特有の木製の椅子に腰かけた。
「そうと決まれば、最初にやることは決まってる。 今、何が起きているのか、何が問題なのか、それを整理するんだ」
足を大きく開き、前のめりになる禎博。口には、不敵な笑みがこぼれていた。
まるで、探偵役だ。
その姿を見て、冬馬は思った。
探偵、ではない。探偵役なのだ。
僅かな違いといえども、両者の間には大きな隔たりがある。探偵はあくまでも自称であり、必ずしも物語の主人公であるとは限らない。しかし探偵役は、本人が否定しようとも周囲から認定され、無理やりに物語の主人公に引きずり出される存在なのだ。
今の彼は、探偵役だった。
道化になろうとしている友人は、気付いているのだろうか。
「まずは、根本のところをはっきりさせとこうぜ。 今回の事件で、一番不思議なことは何だ?」
「開かずの部屋で、あるはずのない物が見つかった、ということかな」
「そうだろうな。 それが一番不思議なことだ。 というかむしろ、それだけの出来事しか起こっていない。 その中で一つ、憶測しても仕方のないものがあるだろう?」
「あるはずのない物」
「ああ、それだ。 それが分からなくちゃあ」
「けれど、どうやって調べるの?」
「簡単じゃん。 聞けば良い」
当然のことのように、禎博が言った。いや、考えてみれば、まさに当然のことである。分からなければ、知りようがなければ、聞けば良い。簡単なことだ。けれど不思議なことに、噂を流している人間達は、誰もその結論に達しなかったようだ。
否、もしかしたら、気付いているのかもしれない。それでいて、気付かないふりをしている。真実よりも不思議の方が、何倍も人を魅了するのだ。
「襲われたのは確か、ゼアスだっけ」
禎博は言った。
「ゼアス?」
「そう。イデミツのゼアス」
「ああ、井出満先生のことか」
「そんな名前だっけか。 うーん、確か、イケスカナイ奴だったよな」
「さあ、あんまり喋ったことがないから」
「喋ったことがない? トーマ、一年生の時にアイツが担任じゃあなかったっけ?」
「ああ、そうだったかも」
「かも?」
「うん、あんまり気にしたことなかったから」
「何をだよ」
そう聞かれて、冬馬は少し黙った。難しい質問だ。答えは先生の言動か、あるいは考え方か。もしかしたら、存在そのものかもしれない。いずれにしても、井出満という教師に対して、冬馬は何ら感想を持たなかった。
「――まあいいや」
冬馬の様子を見かねた禎博が、大仰にため息を吐く。両ひざに手を乗せ、頭を下げている態勢だ。
「とにかくさあ、イデミツに聞くしかないんだよ。ヤツが何を見たのか、誰に襲われたのか。もしかしたら、開かずの間に犯人がどうやって入ったのかも分かるかもしれない」
「もう一つ」
「なんだ? 他に何か、はっきりさせておきたいことがあるのか?」
「どうして、井出先生は、開かずの間に入ったのか」
冬馬がそう言うと、禎博は大きな眼をぐるりと回した。
「そらあ、あれだろ。何か異変を感じとって」
「異変って、どんな?」
「うーん……。 それこそ、聞いてみなけりゃ分かんねえな」
禎博は快活に笑った。そんな彼を見て、冬馬も思わず口元を緩ませる。冬馬は、禎博のように笑うことができない。方法を知らないのだ。けれど、知りたいと思ったことはない。ただ、ああいう風に笑えたら気持ちがいいのだろうな、と思うだけだった。
昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴った。同時に、校庭の喧騒が止む。この音は生徒にとって、手綱のような役割を持っているのだ。教師の言うことを聞かなくても、予鈴の音には素直に従う生徒は多い。それは、禎博も例外ではない様子だった。
「おっと時間だ。 悪いな、ボールペン見つけられなくて。 今日の放課後、例の開かずの部屋の前で待ってるぞ」
彼は慌てて立ち上がると、何か合図をするように顔を一瞬しかめ、足早に教室を去っていった。
あれは、何の合図だったのだろうか。
禎博の後姿を見送りながら、冬馬は彼の顔を思い浮かべた。彼なりの挨拶、といったところか。もしくは、意図せずに出た表情なのかもしれない。いずれにしても、深い意味のあるものではないだろう。
禎博の姿が見えなくなってから、冬馬は教室に掛けられている時計へと視線を移した。次の授業が始まるまで、あと三分ほど。ウルトラマンなら地球を救うことができるが、如何せん普通のマンにはクラスへ戻るのがやっとである。仕方なくボールペンを探すことを諦め、トーマは自分のクラスへと戻ることにしたのだった。




