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それからの二年間、禅は『名探偵』という呼称に、ひどく執着を持ちながら生きてきた。彼は、理解できる範囲の、ありとあらゆる知識を脳内に詰め込んだし、尚且つそれを自分の周囲に照らし合わせることもできるようになった。さらに情報の収集、論理的思考、物理的解釈に対しても手を伸ばそうと心掛けてきた。しかし同時に、それは自尊心へと変わり、自分は他の同級生とは違うのだという、云わば排他的な感情へと変わっていったのだった。
あの、禎博や冬馬でさえ、自分より劣っていると考えるようになってしまったのだ。
「ゼンはさ、どうしてヨシヒロを避けるようになったの?」
冬馬が机に肘を乗せ、掌を顎に当てながら、切れ長の眼を禅に向けた。薄い眉、薄い唇そして、薄い表情。沈みゆく夕日が、彼の高い鼻に影を落としていた。それの姿は、二年前と何ら変わらない。
「別に、避けてるってわけじゃあないよ。ただ、ちょっと、うーん、僕には合わないかなって感じ」
「合わない」
「そう。アイツはさ、少し熱すぎるっていうか……幼すぎるんだよ」
「そう? 本当に、そう思うの?」
冬馬は、悲しそうな眼を禅に向けた。
「――うん。そう、思う。仲間、感情、信頼、そんなものを好きになるのは構わないけれど、それは結局、客観的思考の邪魔にしかならないから。本当の意味での現象を見極めるためには、そんなものは邪魔なんだよ」
キャッカンテキ、ゲンショウ、その言葉は、禅が最近よく口にしている言葉だった。
「そう」
冬馬は目を伏せる。長い睫毛が、少しだけ濡れているようだった。
「まあ、うん。嫌いってわけじゃあないんだ。ただ、そう。少し、苦手なだけ」
禅は弁明をするようにそう言った。その罪悪感がどこから来るのか、彼自身にも分からない。
「それで?」
「それで、って?」
「珍しいじゃない。ゼンが僕のところに来るなんて。何かあったんだろう?」
「何か、うーん、そう、まあ、何かあったんだよ」
「何があったの?」
冬馬の眼が、禅の眼球を見る。真っ直ぐとした、射るような視線。禅は久しぶりに、この視線を真正面から受けたような気がした。
口の中に溜まった唾を飲み込み、乾燥した唇を舐める。
「――開かずの部屋って、知ってるよね」
開かずの部屋。
それは禅が通う小学校の都市伝説でもあり、同時に現存する部屋でもあった。噂はいくらでもある。かつてその場所で人が自殺したとか、あるいは殺されたとか、事故をおこしたとか。状況や設定、筋書きはどうあれ、共通しているのは人間が死んでいるということだった。
「開かずの部屋、ね。知ってる。死んだ部屋、でしょう?」
冬馬がそう言うと、禅はくつくつと笑った。
「死んだ部屋。そう。面白い例え方だね。使われない部屋は、死んだも同然だし」
「いや、それは少し違うけれど――まあ、些細なことか。それで? その開かずの部屋で、何が起きたの?」
「あー、うん。トーマってさ、二年くらい前に、上靴が無くなったことがあったよね?」
禅は慎重に、順序を踏まえるよう心がけながら冬馬に尋ねた。核心に触れるのは、まだ早い。禅の考えが正しいと決まったわけではないのだ。もし違っていた場合、いらぬ負担を冬馬に強いることになるだろう。
二年前の禅だったら、こんなことはしなかったはずだ。冬馬が、こんな些末なことを気にするような人間ではないことを知っていたのだから。
しかし、今は違う。自称『名探偵』の禅にとって、今や冬馬は、対等な親友から、物語の登場人物の一人へと変化しているのだ。そして禅自身は、被害者の心情を推し量る、紳士的な名探偵のつもりでいる。
気配りの裏には、時に、相手に対する過小評価と慢心が存在する。
この時、禅はそんなことを思いもしなかった。
「ああ、あったね」
冬馬は頷く。
「それで、君が見つけてくれた。それから君は――」
冬馬は、何か恨めしそうに口元を歪めながら、言葉を切った。
「うん、僕にも、いろいろあった。褒められたりもしたけれど、僕が犯人じゃないかって噂までたった」
「いや、そういうんじゃないよ。うん、それで? 僕が上靴を無くしたことが、今回の話にどう関わってくるんだい?」
「それが……。あの時の犯人って、見つかっていなかったよね?」
「犯人? 僕が勝手に無くしただけなのに?」
「ああ、そう。そうだった。じゃあ、えーっと、最近、無くした物はない?」
「夢とか、希望とか、友達とか?」
「そんなんじゃないよ」冬馬の下らないジョークに、禅はため息をもらした。「何か、物を無くしていないかってこと」
「いや、何も無くしていないはずだよ。僕の知る限りでは、だけど」
「そう……。そうか、じゃあ、良いや」
「待って」
肩を落として背中を向けた禅を、冬馬が呼び止めた。
「待ってよ。そこまで思わせぶりな態度をとって、それで終わりなわけ?」
「話した方が良い? 僕としては、あまり話したくないんだけれど」
禅は振り返り、眉をしかめて元友人を見た。今回の件と関係がないのであれば、これ以上彼と話す価値はない。
「―――。そうか、分かった。話したくないのなら、それで良い」
元友人はそっと瞬きをして、視線を窓の外に向けた。そこには、グラウンドで遊んでいる子供たちが見えたはずだ。
その時、冬馬は何を考えていたのだろうか。
禅には分かるはずもない。もし、分かっていたなら……。
――否、世の中には、知らない方が良いことの方が多い。ただ禅は、そのことを知っておくべきだったのだ。少なくとも、知らない、ということを、知っておく必要があったのだ。
名探偵としての最低条件が、その時の禅には欠落していた