7 ただの友達です
朝、僕は5時に起きた。河澄さんとの約束は放課後なのだが、なんだかそわそわしてしまう。準備も何もないので、髪を整えて、制服の埃を取って、ついでに軽く部屋の掃除までしてしまった。
登校後もそわそわして、授業もうわの空だった。また委員長に怒られるかもと思ったけど、何も言われなかった。後から聞いた話によると蓮理に「今日は見逃してやってくれへんか。ホロロロ……」と言われたそうだ。余計なお世話である。
そして放課後。
僕は約束した校門の前で河澄さんを待った。格好は制服のままである。鞄くらいはおいて来ようかとも思ったが、教科書は学校の机に入れっぱなし(寮に山のように置いてある)で軽いので校門の前まで直行した。もし河澄さんを待たせたりしたら悪いしね。
テンションのメーターが振り切ってオーバーヒートしそうな僕の頭を北風が程よく冷ましてくれたころに河澄さんはやってきた。
友人と二人で並んで歩いてきた河澄さんは僕に気が付くと、僕に手を振って呼びかけた。今日もかわいい。
校門は人が多くて恥ずかしかったので、僕は小さく手を振って応えた。
隣にいた河澄さんの友人はそんな彼女を驚き顔で見て、続けて僕を怪訝な顔で睨んでぽろっとつぶやいた。
「ゆーちゃんと本当に友達になってる……」
それには構わず河澄さんは僕を友人に紹介した。
「しーちゃん、この人が近衛紋羽君です。で、近衛君。この子は私の友達の幅桐時雨さんです。私はしーちゃんだなんて呼んでますけど」
幅桐は僕に会釈した。僕もつられて頭を少し下げてよろしくと言った。
彼女は僕の見た感じでは、河澄さんと一番仲が良い。なので紹介されずとも彼女のことは知っていたのだった。
幅桐は河澄さんの幼馴染だ。家も近所で小中高と同じ学校に通う同級生。まあ知っていると言ってもその程度だ。河澄さん以外興味ないんで。
見ただけでわかる情報をあげてみると、背は河澄さんより少し低く、丸く幼い顔にボブカットで中学生と言ってもまだ通りそうだ。それでも高校生だと感じられるぐらいの落ち着いた雰囲気に育ちの良さを感じる。
僕の軽い挨拶が終わったところで、河澄さんが話始めた。
「それで約束の件なんですけど、さっきしーちゃんも一緒に行かないかと話していたんです」
僕はそれを平静な顔で聞いた。はっはー、どうせこんなパターンじゃないかと思ったんだよ。がっかりとかしてないから。全然してない。こっそり歯を食いしばったりしてない。
そのとき幅桐が申し訳なさそうに口を開いた。
「そのことなんだけど、ゆーちゃん。今日は私、おうちの用事があるから行けないの……」
僕はおもわずガッツポーズをしそうになったが、ぐっとこらえて、
「それは残念だねー」と言った。グッジョブ幅桐。なんだか仲良くなれそうな気がした。
僕らは3人で雑談をしながら白秋駅まで歩いた。会話は二人のことで知っていることを、知らない体裁で訊くという無益な内容だった。
駅について幅桐は東行き、僕と河澄さんは西行き、と別れて電車に乗る。
白秋駅から東へ行くと富裕層の住宅街になり、もっと先に行けば再生センターや市庁、研究所が立ち並ぶエリアになる。
僕たちが向かう西方面は進めば進むほど田舎になっていく。二駅も過ぎれば、きれいな建物は駅だけになり、そのまま電車に揺られていれば窓から田んぼや畑がすがすがしく広がる風景を眺めることができる。
僕たちはそれほど長く電車には乗らず、朱夏駅で降りた。駅の周りには一時代前の雰囲気を持つ商店街がある。この辺の住人は岳ヶ島市の再開発前からここに暮らしていた人たちで、古風と呼ぶには少々俗っぽい。昔は生体情報を登録している人が少なくて医療貧民街と呼ばれていたこともあったが、今では大抵の人が生き返れるようになった。
「着きましたー」
商店街の中に目的の店があった。
僕はその外観をじっくりと見る。看板には「純喫茶 PinoNero」と書いてあった。文字や外装の色がくすんでいて一見老舗のように見える。が、よくよく見てみるとそのように塗装されているだけで実際は周りの店と比べて新しい建物のようだ。
河澄さんは入り口のドアを引いて、こんにちはーと言いながら店の中に入っていった。僕もその後ろについていく。ドアにぶら下げてある鈴がチリンチリンと鳴り、店内に来客を伝える。
店に入ると、すぐ目の前にホワイトボードが立てかけられている。そこにはこう書かれていた。
「PinoNeroのルール」
・下のルールを読んでから入店してください
・1人1オーダー制となっております
・当店の不利益になる情報を漏らさないでください
・店内で人を殺さないでください
最後の一行に不穏なものを感じた。店の外でなら殺してもOKということだろうか。
「いらっしゃいませー。あ、ゆーちゃんじゃなーい」
接客に来たのは僕らと同年代と思われる女性だった。陽だまりを連想させるような顔だちにショートカットで、落ち着いたデザインのエプロンドレスの胸元に符崎薪と書かれた名札を付けている。
「こんにちは、薪さん。2名お願いします」
「はいはーい、2名様でーす。ってあれ? もう一人はしーちゃんじゃないの?」
符崎さんは僕をじろじろと無遠慮に観察すると、ふーんと言ってにやっと笑った。変な所でもあったろうか。なんだかすっきりしない。
僕らは2人掛けのテーブル席に案内された。座って落ち着いたので、店内を見渡してみた。
木製の家具を暖色の照明が照らし、観葉植物とカントリーな小物が適度に配置されている。ありふれた感じの喫茶店である。そこそこの広さの割に客は僕らを除けば2人だけで、書き物をしている男とヘッドホンを着けたまま居眠りをしている女がいた。繁盛しているとはいえないが商店街の喫茶店なんてこんなものかもしれない。カウンターの向こうに酒瓶が見えるので夜はバーになるのだろうか。あるいは、そちらが本業なのかもしれない。
河澄さんはいちごパフェを、僕はおすすめメニューらしいティラミスをコーヒーといっしょに頼んだ。
カウンターで眼鏡をかけた優しそうな顔のおじさんがコーヒーを淹れている。
「あの人がこの店のマスター?」
「はい。黒松さんって言うんですけど。料理も全部あの人の自作レシピだそうですよ」
そんなことを話していると、符崎さんが楽しげに近づいてきた。
「ねえ、ねえ。やっぱり君ってゆーちゃんの彼氏なわけ?」
「いや、ええと……」
「その制服って緑雲高校だよね! ということは学校の行事か何かで仲良くなったのかな!? いやーあたしもそんな青春したいなぁ。そりゃあさ、ゆーちゃんと比べたらダメだけどあたしもそこそこ可愛いと思うのよね。あれなのかな。あたしの胸が小さいのがいけないのかな。でもそんなのどうしようもないじゃん? あー貧乳の時代こないかなぁ。いや、あたしが率先して流行を起こさなくちゃ。だから叫ぼう! 貧乳バンザイ! 貧乳バン、痛いっ!」
「うるせぇ」
客の男が符崎さんの頭を殴っていた。書き物の邪魔だったので怒ったのだろう。
「結局付き合ってるかどうかわかんねーじゃねーか!」
全然違った。客の男は近くで見るとまだ若く20歳そこそこだろうか。後ろで適当にまとめた長髪はおしゃれというよりは、切るのがめんどくさいといった感じだ。少し疲れたような顔には似合わないギラギラとした目を持っている。
むすっとした顔で符崎さんは客の男に文句を言った。
「だってぇー暇だったんだもーん。あたしもお喋りしたくてさー」
それを聞いてマスターがため息をついた。いつの間にかパフェを作り終えて、運んできてくれていた。
「薪ちゃん、暇ならお水くらい出してくださいよ……。あ、コーヒーとティラミスです。ゆっくりしていってくださいね。……で、どうなんですか」
マスター、あなたもか。今までニコニコと様子を眺めていた河澄さんはようやく質問に答えた。
「近衛君は彼氏とかじゃなくて、ただの友達です」
「そうです。(今はまだ)ただの友達です」
はっきり言われるとなんだか悔しいので、僕は心の中で一言付け加えて言った。
符崎さんは納得していないようだった。
「えー。一般人なのにこの店につれてくるってことはそういう関係なのかと思っちゃうよー。ねぇ店長?」
「店長じゃなくてマスターと呼んでと前にもいったでしょ……。あと一般人とかもあまり口に出さないでください」
その会話に嫌な想像か頭に浮かんだ。というか店に入った時から薄々そんな気がしてた。
「河澄さん。僕が一般人ということは、他の人はみんな特殊な人だってことだよね……?」
「そうですね。今日はたまたまですけど」
僕は店内の人を見回す。河澄さんは決定的な一言を言った。
「みなさん殺人鬼ですね」