5 まあ、ちょっと落ち着いて
今日で河澄さんと話した日から13日目だ。その日と同じで、今日も雲が空を覆っている。
15日を目安にという注文を受けているので、誘拐計画を実行するなら今日ぐらいがちょうど良いだろう。明日を予備日として確保したので、今日は慎重にいきたい。
放課後になり、僕は遼の自分の部屋に帰るため席を立つと見知った顔に声をかけられた。委員長だ。
「近衛、ちょっといいか? 冬休み前に期末の打ち上げ?みたいな感じでクラスで晩飯を食べにいくって話になったんだが、おまえ参加するか?」
「やめとくよ。そういうのは行かないキャラだってわかってるだろ」
「近衛は欠席っと。まあ一応な」
そう答えて、委員長はクラス名簿にチェックを入れる。彼は幹事を進んで請け負うという僕には理解できない精神の持ち主である。
「じゃあ僕は用事があるんで、また明日」
鞄を持って今度こそ帰ろうとする。が、肩をつかまれ引き止められる。
「おまえ出かけたりして大丈夫なのか? 俺の死体を見て倒れたって聞いたけど」
委員長の顔には心配そうな表情が浮かんでいる。どうやらこっちが本題らしい。
彼が死んだ次の日、僕はその死体を見に行った。
知人が死んだらできるかぎりその屍を見に行くのが僕のポリシーというか、悪癖だった。
岳ヶ島市では、死んでから新しい体ができるまでは死体は保管されているので手続きさえ踏めば見るのは難しくない。殺人の場合は身元確認になるのでむしろ喜ばれるほどである。
葬式をするわけでもないので死体は醜いままで、ましてやバラバラ死体ではちょっと吐くぐらいしたって当然である。
なので、委員長が無駄な心配をしないようにフォローした。
「全然大丈夫だよ。委員長が死んだくらいじゃへーきへーき」
「そう言われるとなんか癪だな! まあ元気ならいいけど」
でもやっぱり無理すんなよ、と言う委員長を適当にあしらって遼に帰ることにする。時間を使ってしまったので急がなくては。
自分の部屋に予め用意しておいた誘拐用具セットを僕の愛車の荷台に括り付け、目的地に急ぐ。
誘拐を実行場所に必要な条件は人の通りが無くて見通しも悪く、近くに身を潜められる場所があることである。
岳ヶ島市は古い町並みを急に発展させた弊害で、迷路のような道や建てたと思ったら需要の変化でつぶれた廃工場などがたくさんあって、良さそうな場所を見つけるのはすぐにできた。
場所を見つけても今度は逆に人が通らなすぎて獲物がみつからないのが問題だった。場所ごとに夕方から日を跨ぐまで張り込んで、3件目で1人で出歩く人を見つけたのは幸運な方だろうか。
その例の場所に到着する。実行する予定の細い路地の横にある使われていない倉庫に忍び込み2階に上る。そこの窓からはその路地の周りがよく見えるのでターゲットがいつものように1人で歩いてくるのを待った。
しばらくして、髪を金色に染めた男が歩いてきた――ターゲットだ。僕は待ち伏せのために移動する。
ターゲットは森谷という18歳の青年だ。僕は着実に養われつつあるストーカー技術でその青年のことを調べた。
森谷はほとんど毎日ゲームセンターに通っているようで、帰りはまちまちだが、行きは放課後から少し経った時間に1人でこの道を通る。身長は少し小さめだが、がたいは悪くなく、何人かとつるんでカツアゲをしたりしてその金でゲーセン通いをしているようだ。そのちょっとした強者ゆえの無警戒さがこちらとしては都合がよく、財布から保険証を失敬することにまで成功した。そこから彼が生体情報を登録している確認もとれた。
どんな悪人であろうとも死んでもいい人間などいないと僕は思っている。だが、善人よりは悪人の方が殺すのに抵抗は少ない。その点で、森谷はろくでもなさがにじみ出ていて、実にいい感じである。
「さて、と」
僕は道にしゃがみこむ。曲がり角、森谷からは死角となる位置だ。
そこで気配を殺して奴が通り過ぎるのを待つ。その時にこちらに気づいたら仕切りなおしてまた明日。そのまま通り過ぎたらいよいよ勝負の時である。
ふう、と音をあまりたてないように注意して息をつく。ほどよい緊張。今からする行為の生産性の無い感じが気持ちをを抑えてくれている。
そしてその時が来る。
通り過ぎた。気づいてない。
僕はできるかぎりの俊敏な動きで立ち上がり、森谷との距離を詰める。そして背後から彼の金髪の頭頂部を右手でつかんで思い切り下に引っ張った。
森谷は突然の激痛に声にならない悲鳴を上げる。その開いた口にすかさず左手に持った小瓶の中身をむりやり注ぎ込む。続けて足を払い、仰向けに転ばせた。
僕は森谷に乗りかかり、そのまま彼の口を手で塞ごうとした。だが、相手も少し状況を認識したようで腕でふり払われる。やばい、ちょっと焦る。
森谷は口の中の液体を吐き出し、怒りの表情で怒鳴りだした。
「なんなんだてめー! 何を、ヒック、飲ませやがった! 何がもく、ヒック、目的だ!」
僕は暴れる体を押さえつけながら答える。
「まあまあ、ちょっと落ち着いてください。少しお話がしたいんです」
「話だと? じゃあ今飲んだのは、ヒック、自白剤か?」
「いやいや、さっきのはただのジエチルエーテルです。管理は難しいですがそんな珍しいものではないので、理科室にあるのを少しだけ盗んできました。ちなみに30mlほど飲めば死ねます」
「なっ……」
「ああ、大丈夫ですよ。ちゃんと吐いてくれたので、死にはしません。永久に植物状態にはなるかもしれませんけどね」
「あ……う……」
「あ、効いてきたかな。じゃあ時間稼ぎは終わりだ」
だんだん抵抗が弱まるのを感じられた。ぺちぺちと頬を叩いてみて昏睡していることを確かめる。
僕は周りを気にしながら、森谷を背負って倉庫に戻った。
もう起き上がることはないと思うが、一応手足を結んでみる。そして、ブルーシートの上に乗せてぐるぐると簀巻にする。体を変に圧迫してないか、呼吸はちゃんとできているかを確かめて、それをコントラバスケースに詰め込んだ。少し目立つがこれで持ち運ぶ際のカモフラージュになるだろう。
これでひとまず仕事は完了だ。意外とあっさり成功したが運に左右される所もあって、張りつめていた精神が緩んでどっと疲れてしまった。
とりあえず河澄さんに生贄の用意ができたと連絡しなくては。メールでいいかな。
え? 河澄さんにメール?
手が震えだした。よく考えてみればこれが初メールじゃないか。女子に送るメールってどうしたらいいんだ。というかアドレスを交換した日に『試しに送ってみました、テヘ♪』とか送っておくべきだったかも。ああ、ああ。はあ、はあ、落ち着け自分。
とにかく文章を打ち込んでみる。
『お久しぶりです(^o^)/ お元気ですか。僕は君に言われたなら寒中水泳をしちゃうぐらい元気ですヾ(*・ω・)ノ゜+.゜★ィェィ☆゜+.゜ヾ(・ω・*)ノ そんなこんなで1人誘拐をすることができたのでそれを伝えるためにメールしたよ|・ノロ・)ヒソヒソ はやく君に会いたいな(*/∇\*)』
これじゃダメだな、気持ち悪い。
楽しいメールをするわけじゃないんだ。簡潔にしよう。
『近衛です。例の物の準備ができたよ。今いる場所を添付したのでこの近くで明後日までに処理しに来てください』
そっけない感じになってしまったけどこれでいいかな。送信っと。
1分ほどで返信が来た。女子の返信って速いな。
『ありがとうございます(。・ω・。)♡ 近くにいるので今からそちらに行きますね』
さりげなくハートマークが入ってるんですけど、これは脈ありだと判断してもいいのかな!? でも女子って安易にハートつけるからなあ。
それより問題なのは河澄さんが今からここに来ることだ。会うとわかってたならもっといい服を着てきたのに、動きやすさを優先したファッションで来てしまった。
後悔してもしょうがないので、意味のなくなったカモフラージュを取ったりしながら河澄さんを待った。
しばらくして、河澄さんが倉庫まで歩いてきた。制服+防寒具のいつもの下校スタイルだった。
「すみません。少し迷ってしまって、待たせてしまいましたね。寒く無かったですか?」
「いやいや、全然大丈夫だよ」なにしろ、河澄さんのことを考えてるだけで火照ってきちゃうからね。
僕は彼女を生贄の所まで案内する。とは言っても倉庫の入り口のすぐ近くにブルーシートの上に寝かせた生贄がいるので、中に入ればすぐわかるのだが。
昏睡してる森谷を見た河澄さんは、え? と驚いた声を上げた。その反応に僕は動揺する。何かまずかったのだろうか。
「もしかして、意識がないとダメだった?」
「いえ、それは関係ないです。まあ些細なことなんですけど……」
そう言いながら河澄さんはさらに近くによって森谷の顔を確認した。
「この人、殺人鬼ですね。まあ、知らない人なんで問題ないです」
「え? どうしてわかるの?」
「どうしてと聞かれるとちょっと困るのですが、殺人鬼は殺人鬼を目視すれば判別できるんです。なんだかモヤっとした印象を受けるんですよね」
よくわからなかったが、河澄さんの超能力を目撃しているので殺人鬼というのはそんなものなんだろうと無理矢理納得した。
それよりも、もし失敗していたら今頃地べたに寝転んでいるのは僕の方だったと思うと嫌な汗が出てきた。
河澄さんは鞄から前にも見たナイフを取り出して森谷の胸の上に浮かべる。そして僕の目を見て最後の確認をする。
「今からこの人を殺しますが、実質的にはあなたがこの人の命を奪うのだということは理解していますか?」
彼女の真剣な眼差しを受け止めて僕は答える。
「もとよりそのつもりだよ。もし君が殺すのをやめると言うなら僕が殺す。この人のためにもね」
その言葉に河澄さんは何も言わず頷いた。
刃が哀れな心臓に突き刺さる。
エーテル麻酔が多分に効いていた体でも心臓に穴が開けば血が噴水のように吹き出す。血液はブルーシートをその名とはあべこべの色に染め、倉庫の床の上を好き勝手に流れている。それはまるで真紅の薔薇が開花する瞬間のようであった。
僕は死体へと変わった森谷の顔を眺める。表情は胸に穴が開く前と変わらず寝ているようだった。苦しまずに逝けただろうと自分勝手な想像をした。
いつものように合掌する。きっとそんな行動にはなんの意味もないのだが。
「近衛君、いいですか?」
ナイフに付着した血を処理し終えた河澄さんに呼ばれる。
「とりあえず、この場から離れましょう」
互いに何とも言わず、駅の方へ歩いていた。
隣に河澄さんがいるというのにあまり心は弾まなかった。
いや、それで当然なのだ。人を殺した帰りに平気でいる方が異常だ。むしろ、自分が今冷静でいることの方が気持ち悪かった。僕はなんて身勝手なんだろうとは思うが、そんな自分を許してしまう自分もいて、それがまた嫌になる。
重い空気を破ってくれたのは河澄さんの方だった。
「その、またお願いがあるんですが聞いてくれますか」
「うん、次の生贄のことかな?」
「いえそうではなくて、えっと、そのですね……」
河澄さんにしては歯切れが悪い。どうしたのかと僕は表情をうかがう。彼女は少し俯いて、どう言ったものかと困ったような顔をしている。
間をおいて意を決したようにして僕に言う。
「私と友達になってください!」
ん? どういうこと?