4 あなたは死んだことがありますか?
河澄さんと初めて話してからもう3日が経った。誘拐計画はちっとも完成していなかった。
刑事ドラマだったら、後ろからこっそり忍び寄ってクロロホルムを染みこませたハンカチで口を覆い、気絶した所で車に運び込んで拉致する、ってのがテンプレだろうか。でもこういうのって散歩していたおばあちゃんが目撃者になるまでがお約束だよね。
クロロホルムは理科室に忍び込めば手に入りそうだ。それが無理でも、気絶させる方法は頭をぶっ叩くとかでもいいので後で考えるとして。
動けなくした後の運搬方法が一番の問題だろう。当然、自動車なんて持ってないし、無免許で運転する自信はない。目立たないように人を運ぶにはどうしたらいいだろう。
「おーい、授業終わったぞー」
委員長に声をかけられて、僕は思考を中断させる。いつの間にか放課後になっていた。僕は朝から何も書き込んでいないノート等を鞄にしまう。
「今日もお前ぼーっとしてたな。個人の事情に口を出す気はないが、同じ教室に一日中頭をかかえてる奴がいると気になるからどうにかしてくれ」
「あー、再来週までにはどうにかなってるから。スルーしといて」
どうにもならなくてもその時は頭をかかえてた奴は死んでるのでもうちょっと我慢してもらおう。
「あんまり一つのことに根を詰めてもうまくいかないもんだ。次の特講は真面目に聞いとけよ」
「今日特講あるんだっけ。もう帰る気分だったよ」
緑雲高校では不定期に特別講座が開かれている。真ヶ岳市の研究所から招かれた研究員が最先端技術を高校生にも理解できるように解説してくれている。このようなことを行っているのは真ヶ岳市でもここだけで、特別講座を目当てに緑雲高校に進学を希望する人も多い。一応自由参加ではあるが、ほとんどの生徒は講座を聞きに行っている。
僕はのそのそと立ち上がって、人の流れに任せて特別講座をしている別館まで移動した。
別館の大教室には勤勉な生徒で溢れていて、たらたらとしていた僕はかなり後ろの席にしか座れなかった。
今日話をする研究員はいかにも理系っぽい感じのおっさんだった。おっさんは腕時計を神経質に確認して、開始時間ぴったりにマイクを持って講座を始めた。
「はい、こんにちは。私は真ヶ岳市第6研究所の見原と申します……」
話が始まってすぐに僕は集中力を失い、やらねばならないことに考えがいってしまう。それでも委員長の言葉がちらつき、少しは聴く努力をしてみた。
「私もこの市の研究員なんで医学を専門として学んできたのですが、今研究室でやってるのは通信技術の発展なんですよね。ご存じの通り生体情報登録市民は死亡した時、再生センターで即座に肉体を再構築されるわけですが、もちろんその再生技術がこのシステムの一番の要なわけですけど、死亡したという情報の送受信というのは意外と大事なわけですな。生きてる人間を作ったらそれは蘇生じゃなくてクローンを作ってることになりますから。そこでうちの研究所が死亡を確認して発信するチップを体に埋め込むという今のシステムを作りました。これは再生センターを中心に真ヶ岳市をすっぽり包む範囲で反応します。まあ市内でもオゾン層とかで死なれたらダメなんですけどね。生存確認の発信もしてるんですけど、明確に死んだと確認できなければいけない条例になってますから。つまり、比喩でなくチップは死んでも守れということです。
まだまだ未来の話になると思うんですけど、死亡時の身体情報をきっちり送れるようにしようと我々は日夜研究してるんですよ。死んだと思ったら再生センターにいたってのがこの分野の最終目標だと私は思います。肉体の方はね、みなさんちゃんと定期的に3Dマッピングしていると思いますけど、成長期の君たちでも月に一度くらいですよね。黒子まで再現する技術ですけど死亡直後からは当然ズレが生じます。でもそれは別段問題にならなくて、その辺は誰でもファジーな考え方で納得してもらえます。一昔前なら体が一部欠損したら機械の体をくっつけてましたしね。サイボーグ、漫画なんかで偶に出てくるでしょ?それで十分でしたから、再生センターで保存していた個人の遺伝子から幹細胞を作るなんてのは贅沢ともいえるわけです。
脳の方はそんなに適当にはいきません。人格、感情、記憶を司る脳は生物の本体といえますから精密に再現する必要があります。実は脳味噌を作ること自体はそんなに難しくない、いやここまで来るのに相当の苦労があったわけですがね。結局はタンパク質をもちゃもちゃとしていけば脳細胞は作れます。しかし個人の脳を再現するには全く同じ神経細胞を作って並べなおしてシナプスの強度も同一にするんです。これを記録するためには脳神経記録機器を装着して3時間以上の睡眠をとってもらわなきゃいけない。このプシュヒアーターの面白いのが基になった電気信号を読み取る技術は、VRゲームの開発の過程で作られたものなんですよ。娯楽業界では枯れた技術の水平思考だなんて言ってたものですけどね。意外な所からすごいものが出で来るもんです」
話が長い。もし僕が小説を読んでいてこんなやつが出てきたら確実に流し読みにするだろう。
しかし、水平思考というのは今の状況を打開するいい方法かもしれない。
僕は周りの邪魔にならないよう静かに大教室を出た。委員長に横目で睨まれたが、それ以上は何もしてこなかった。
僕は学生寮のある一室に向かっていた。入寮している生徒に比べて緑雲高校の学生寮は大きすぎる上に、この時間は他学年の生徒も部活やらなんやらでいないのでひどく閑散としている。
そしてさらに人気のない空き部屋が連なっているエリアの端にその部屋がある。
鍵のかかっていないドアを開くとその部屋の乱雑さに圧倒される。積み上げられた本の塔、無造作に物が詰められたダンボールの山、人の大きさほどの木彫りの熊やコントラバス等の大物もある。
いつから始まったのだろうか。そこは寮を出ていく者たちの不用品置き場になっていた。そこに置いてあるものは誰でも勝手に持って行ってよい、というのが暗黙のルールだった。
頭の中で手段を考えるより、自分の手札の中から目的に沿うものを見つけるべきだと考えてきてみたが何か収穫は得られるだろうか。
僕はとりあえず一番近くにあるダンボールから物色していく。中身は登山用具が入っていて、このザイルは縛るのに使えそうだなと思った。
そんな感じで1時間ほど探索してみて、誘拐計画のだいたいの見通しをつけることができた。
残りの必要なものは実行する勇気だけだ。
でもそんな心配を今更しても仕方がない。僕は彼女のためならなんでもすると決めたのだから。
ボールギャグを口にくわえながらそんなことを考えていた。猿轡に使えないかと思ったが、思ったより声が出せるので没にしよう。
その時、背後に視線を感じた。数日のストーカー生活で視線には敏感になったのかもしれない。
まさか、僕の誘拐計画に気づいた人がいる?
今まで特に行動は起こさなかったので、そんなことは無いだろうと思いたいのだが。どちらにせよ、人に見られていてできることではない。
僕は不意に振り返り部屋の外に飛び出してみた。
「うへえええっ!」と声の主を驚かせて、ついでにひっくりかえすことに成功させた。
相手を確認して、少しほっとした。尻餅をついていたのは蓮理だった。
「いやああああ! 変態と化した近衛クンにSMプレイを強要されるううう」
「ふぃふぇーほ」ボールギャグを取るのを忘れていた。外してダンボールへ放り投げる。
とりあえず蓮理を助け起こしてやって、文句を言った。
「なんでいつもはおもろいだけで済ますのになんで転ぶかな」
「いやいや、今のは軽い冗談やから……(震え声)」
「本気でひいてんじゃん!」
やれやれといったところだ。これでなんとなしにこの部屋にいた理由をごまかせればいいのだが。
「ちなみになんで近衛クンはこの部屋に……」
「聞きたいの?」
「やっぱりいいです」
ノリでなんとかなった。ついでにこいつがこの部屋に来た理由も探ってみる。
「で、なんでおまえはそこにいたの?」
「ああ、これを戻しに来たんや」
蓮理の手には「アクロイド殺人事件」と題された文庫本が握られていた。
「ここには豊富な古本が眠っててな。まっ、暇つぶしにはええわな」
「そんなの図書館に行けばいくらでもありそうだけど。というか、殺人事件ならその辺で起こってるんだからそっちにでもいけばいいのに」
「ワイはこの紐が付いてるのがええんや。現実の事件は……そうやな、本の中でさえ何を信じたらいいかわからんくなるのに、この世界はさらにしっちゃかめっちゃかで取りとめがないからな。真面目に相手してられへんわ」
そんなものかと思った。とにかく僕の邪魔にならないならそれでいい。
蓮理は次に読む本を探しながら雑談を続ける。
「しかし、委員長も言ってたで。『今日も近衛の様子が変だ、さっきは知らない奴に変なことを聞かれるし、お前みたいな変な奴と会話して、俺の周りは変なことだらけだよ』だってさ。なんや思い出すと失礼なこといわれたなあ」
「おまえが変な奴っていうのは正しいと思うよ。変なことってのは何?」
「んーっと、なんやっけ。『何回、あなたは死んだことがありますか?』とかなんとか」
「それはまた意味不明な話だなあ」
1人でないときに物を持っていくわけにもいかないので、必要なものは数日に分けて運び出すことに決めた。
これで胸のつかえが少し取れたし、明日は委員長にまともに応対してあげようだなんて思っていた。
しかし、次の日委員長と話すことはできなかった。
その夜のうちに委員長こと白鷺大地は、胴体から左腕と右足そして頭が切り離された状態の物言えぬ死体になっていたのだから。