第4話 母と子
無我夢中だった。辺り一帯から低く鈍い羽音がなっていた。逃げなければ…。ひたすらに走る。呼吸が浅くなるのを感じる。
『B/et,@@@』
気づいた時には遅かった。蜂の毒針が俺の身体を貫き、次いで全身に激しい痛みと痺れが襲う。身体が動かない。その隙を逃さず蜂たちは俺を完全に包囲した。
(逃げ道は塞がれた、抗う力ももう残ってない。…ここまでか。)
自業自得だ。俺は興味本位で自ら危険に足を踏み入れた、母ムカデの心配を無視して。慢心があった、油断があった、自分ならできると思っていた。前世の記憶を持つ俺ならできる信じきっていた。いつもこうだ…。俺は失敗してから気づく。
(せっかく転生できたのに…ごめんなさい。)
俺が諦めた。その瞬間地響きが聞こえた。音は次第に大きくなる。蜂たちもそれに気づいたのかそちらに意識を向ける。あれは…。
『母さん…?』
母ムカデは勢いのまま蜂の軍勢に突っ込むとそれらを弾き飛ばし俺の前に佇んだ。
『大丈夫ですか、我が子よ。』
その声は低く身体が震えるようだったが、同時に安心を感じる様なそんな声だった。
『Bdpwa4:jo"&d"/g"'a"2k13/aa9:4mj.
Gg"g"a_f417:j8.』
母ムカデは蜂たちと同じ意味の分からない言葉を話していた。意味はわからなかったが確かな怒りを感じさせるものだった。蜂たちにもそれが伝わったのだろう。すでに戦闘態勢に入っている。蜂の軍勢と巨大なムカデが相対する。
唸るように風を切りながら蜂たちが攻撃を仕掛ける。だが母ムカデは動かない。焦る俺とは裏腹に母ムカデは俺に何かを語りかける。
(私の背に乗れ…?それはどういう…、)
ドン!!俺が意味を理解するよりも先に音が響いた。母ムカデは身体をさらに巨大化させていた何が起きたのか分からなかったが事実として俺は母ムカデの背からそれを確認した。
(ハハ…コレは…スゴいな…。)
蜂たちは突如さらなる巨大化をした母ムカデを見て面食らったようだったが、直ぐに襲いかかって来た。何百もの蜂が牙を針を突き立てていたが、母ムカデはそれがまるて聞いていないように振り払うとまとわりついていた蜂を叩き潰した。圧巻だった。怯むことなく何度も襲いかかって来る蜂を潰し、裂き、殺し続けた。俺は振り落とされぬように必死にしがみついていることしか出来なかった。
それがしばらく続き蜂の数も最初の三分の一程になっていた。立ち向かう蜂もほとんど居なくなった。母ムカデが身体を元の大きさに戻し、蜂たちにもういいだろうと言わんばかりに一瞥をくれた。それを見た蜂が一匹帰っていく、それを皮切りに一匹一匹とそれに続いていく。気づけばあれだけいた蜂たちが嘘のように消えていた。辺りが静寂と死臭に包まれた。
母ムカデの背から降り恐る恐る声をかける。
『えっと…母さん、その…』
『無事ですか?』
俺が何かを言う前に母ムカデが問う。
『は、はい!無事です。』
『そうですか、良かった。本当に良かった。』
『え…怒らないのですか?』
母は背を向けながら答える。
『当たり前です。私は貴方の母なのですから心配をして指導はしても怒ることはありません。貴方が無事ならそれで良い。私は貴方を我が子を心から愛していますからね。』
その時分かった。あぁこの人は本当に母なのだとこんな俺の母であろうとしてくれているのだと。
(もう嘘をつくのは辞めよう、こんな人を騙していたくない。この人を母としてまっすぐに慕うために。)
俺は語りかける。
『母さん実は話があって…。』
しかし、その返事が帰ってくることはなかった。
『母さん?』
どさり、音を立てて母ムカデが倒れた。咄嗟に近づく。
『母さん!大丈…夫…。』
俺は言葉を失った。母ムカデの身体にはおびただしい数の傷があった。先の戦闘で負ったのだろうう、背中の俺を庇うために。攻撃が効いていないように振舞って。
いつもこうだった。後悔してからでは遅いと言うのに、いつもそうやって失ってきた。その度に何も出来ない自分に吐き気がする。
動悸がする。呼吸が早い。まるで自分のものではないように体が重い。早く何とかしないといけないのに頭が回らない。早く早く…。
『我が子よ…。』
か細い声だった。消え入りそうな涙が出そうなそんな声。やめてくれ分かってしまう、そんな声で話さないでくれ。それじゃまるで…。
『我が子よそこに居ますか…?』
もう俺の姿は見えていないのだろう、ほとんど動かない体で俺を抱き寄せる。
『私はここまでです。全くこれでは母親失格ですね。』
『違う!母さん…俺は…俺のせいで母さんは…。』
『我が子のせいではありません。これは運命だったのです。もうずっと前から決まっていた。』
『だからせめて最期に我が子である貴方に願いを託したい。』
『違うんですっ、…母さん俺はあなたの子じゃ…。』
『知っていました。』
『え…?』
『貴方がただの子供ではないことは知っていまし。、けれどそれでも貴方は私の子です。あの日あの時、貴方が恐れながらも私を母と呼んでくれたあの時から。』
『だから聞いてくれますか?母の最期の言葉を。』
優しい声が胸に刺さる。その言葉を受け取る資格などないというのに。それなのに…。
『…っ、はい。』
零れそうな心をグッと飲み込んだ。
『私の願いはひとつです。どうかこの広い世界を自分の肌で心で感じて欲しい。』
『どうか世界を憎まないで、世界は時に残酷だけどその中にある美しさを忘れないであげてください。』
『こんな母の願いを受け取ってくれますか?』
『はい、確かに。』
『…ありがとう。』
それが最後だった。それ以上声は帰ってこなかった。母は最期まで私を攻めることはなかった。図々しくも利用し続けただけの俺に願いを託してくれた。また何も出来なかった。
俺は叫んだ。声は出なかった。俺は泣いた。涙は流れなかった。音のない空間に北風の音だけが無情に吹き付ける。雨が降り始めた。




