閑話 大神官就任の裏側 1 ゲシュマック商会 商人たちの夢
マリカ皇女、大聖都の大神官就任。
その話を王宮以外で一番に聞いたのは、間違いなく我々、ゲシュマック商会であっただろう。
「旦那様。
大神殿のマリカ様から、旦那様に大至急、大聖都に来て欲しいという要請が、王城より届いていますが」
「直ぐに行く。とお伝えしておいてくれ。もう凡そ準備はできているからな」
俺は使者に伝言を頼むと、自室に戻り、旅の支度を確認する。
大聖都までは急いでいけば三日程。
なんとか就任式には間に合うだろう。
軽いノックに了承を返すと、ドアが開かれ、番頭のリードが入ってくる。
「明日の早朝、大聖都に向かう。留守は任せたぞ」
振り向きもせずに言った俺に、お任せ下さい、とリードは頷いた。
こいつが俺の信頼に応えなかったことは一度もない。
故に、何も心配はいらない。
「『神』に奪われたマリカ様の意識が戻ったと聞いてから数日。正しく怒涛のごとき決定でしたね」
「それだけ、大神殿にも余裕が無いということだろう。正直、俺もこの展開は予想できなかった」
毎日、大聖都のアルから連絡が入る度にやきもきしていた。
魔王城の主。
マリカ様が敵として仰ぐ『神』の膝元。
大聖都でご無事でいられるのかと。
だが、まさか、大聖都の支配権そのものを乗っ取り、大神官となるとは。
本当にあの方の行動は予想もつかない。
「マリカ様は、もうアルケディウスにお戻りにはなられないのでしょうか?」
少し、寂しそうな口調でリードが呟く。
「籍を戻して、本当の意味でお帰りになることはないだろう。だが、あの方のことだ。フェイの転移術や大神官の権力を駆使して、こまめに里帰りくらいはやってのけると思うが?」
「そうでございますね。魔王城に孤児院。劇団に印刷業に新しい食。こちらには、あの方が育てられたものがたくさんありますから」
「ああ。あの方は決して、一度懐に入れたものを見捨てたり、放り投げたりはしない。
世を儚み、自ら死を選ぼうとした俺に手を差し伸べ、救って下さった時のように」
目を閉じれば、今も思い出せる。
永遠に変わらない白黒の世界に、鮮やかに煌めいた宵闇の星を。
『貴方の力が必要なのです。ガルフ』
あの一言が、今の俺とゲシュマック商会。
アルケディウスの『新しい食』を作ったのだから。
そう言えば、魔王城であの方と出会ってから、まだ三年と経っていないのだと改めて気付いた。
もう思い出せもしない、ただ生きていただけの五百年と違い、この三年は本当に目まぐるしく、そして輝くような日々だった。
魔王城の島にたどり着き、マリカ様に救われて。
資金援助を得て商売の世界に復帰してから三年弱。
名前もない小さな商会は、今や皇王家御用達になった。
誰もが失敗するとあざ笑った飲食店。
食料品扱いの小さな屋台が。
国の事業である『食』の復活。
その舵取りを預けられる、アルケディウスきっての大店になるなど、誰が予想しただろうか。
今やアルケディウスには数十件の飲食店が軒を連ね、人々に日々の喜びと生きる活力を与えている。
路地裏に寝そべる者達、男の服を引く女たちの数も目に見えて減り、治安も驚くほどに良くなった。
働く意欲のある者達には、あぶれること無く仕事が与えられる。
働けば正当な報酬が得られる。
当たり前のようなこの状況が、どんなに奇跡的な事なのか。
どれほどの者が知っているだろうか?
まして、その始まりが一人の少女だとは。
「旦那様」
「なんだ?」
「商業ギルド長がお見えです。大至急、面会を願う。と」
「呼びつけるではなく、わざわざ足を運んでくるとは。もう奴の所にも情報が行ったのか?」
俺はリードと顔を見合わせた。
「あの方は大聖都に独自の情報網をもっていらっしゃいますから」
「まあ、大聖都に出す支店のことなど、話を通しておかなければならないことはある。
解った。通せ」
「かしこまりました」
応接の間に通した商業ギルド長、アインカウフは、俺が入室するなり立ち上がり、声を荒げる。
「お前は知っているのか? マリカ様が大神殿の大神官に就任なされると!」
「王城から連絡が入った。大聖都に行っても食の指導は続けるから、窓口になるゲシュマック商会の支店を用意してほしいとな。俺はこれから、就任式への参列とその打ち合わせの為に大聖都に行ってくる」
「わしも行くぞ!」
「構わんが、面会への手続きは自分でやってくれよ。俺は皇女に呼ばれて行くんだ」
ぐぬぬ、と唸り声を上げるギルド長だが、行くのを止める、と言い出さない辺り、本気度が伝わってくる。
流石、自他共に認める『聖なる乙女』ガチ勢だ。
「大神官になっても、アルケディウスとの縁が切れるわけでは無いのだな?」
「各国の繋ぎ役だから、大神殿の転移門を使ってこまめに帰ってくるとおっしゃっているそうだが」
「それならいい。だが、そんなに私的な事まで伝えてくるとは。やはりゲシュマック商会は特別なのだな」
俺は、ことさらな否定は返さなかった。
細かい連絡をしてきたのは向こうに同行させているアルだとか、ゲシュマック商会は世界にまだ両手に足りる程しか製造されていない即時通信装置――通信鏡を特別に借り受けているとか、言う必要もない事だ。
言ったら絶対にまた騒ぎになる。
「返す返すも、マリカ皇女と最初の縁を作れなかった。その失敗が悔やまれる」
「俺とて、あの方との出会いと縁は幸運でしかなかったと思っているからな」
「いらぬ時は、いつでも寄越すがいい」
「悪いが御免被る。あの方との出会いを失うのなら、死んだ方がマシだ」
「だろうな」
思わず合わせた視線があって、どちらからともなく苦笑めいた笑みが零れる。
「ガルフよ」
「なんだ?」
突然、アインカウフの声が真剣みを帯びる。
俺は思わず身構えたが、それは正解だったと思う。
「商業ギルド長を引き受けてみる気は無いか?」
「な?」
「お前が引き受けるなら、アルケディウスの商業ギルド長を譲ってやる。代わりにマリカ皇女、いや大神官様との縁、商業契約権を貰い受けたい」
思いもかけない提案に、俺はたじろいた。
「貴様は食品扱いで手いっぱいなのだろう? その販路を奪うとは言わぬ。
だが、これからマリカ様が生み出す未来という名の商圏に参入したいのだ」
金儲けの化身。
商売に関する嗅覚と行動力に関しては並々ならぬ才能をもつこの男は、嫌味っぽく言ってのけた。
「貴様はどこまで知っているか解らんが、マリカ様は諸国を巡る旅で、七国に食の指導のみならず、新たな技術をいくつも導いている。
特に、石油と呼ばれる地下から掘り出した黒い油は、灯火のみならず、道路の舗装、新しい繊維や固体の作成。様々な用途に利用できると注目されている」
「ああ、少し伺った。暖房などにも画期的な力を発揮しそうだと」
今まで、石炭や植物油に頼っていた暖房や灯火を、その石油で賄えれば、植物油を食品用に回せるし、様々な面で効率が良くなり、経費削減に繋がるだろうと以前伺ったことがある。
だが、直接ご本人から諸国の話を聞いてきた訳でもないのに、この男はそこまで把握し、次の商圏への見通しを持っているとは。
「大神殿に繋がれても、あの方のことだ。その歩みを止めることは無いだろう。
マリカ様の側には、きっと今後も新しいものが生まれてくる。
『食』が不老不死世に戻ってきた時のように、世界がきっと変わっていく。
あの方の側でなら、それを間近で見ることができる。その為なら、一国、一都市の商業ギルド長の地位など惜しくはない」
力強く拳を握りしめるギルド長。
こいつは見かけによらず夢想家で、子どもの頃の夢。
『精霊の貴人』に会い、精霊の品を商う。
それを叶える為に商人になった男だ。
少し恥ずかしくなる。
若い頃、がむしゃらに働いていた時の事を思い出す。
自分にできないことがあるなんて思いもしなかった。
いつか、世界を股にかける大商人になる。
そんな夢を持っていた事もあった。
マリカ様と出会い、食品扱いを始め、各国の大店と商業契約を結び。
夢は叶いつつあるが、それ以上を求める気持ちを失っていたのは、何故だろうか?
「強引に奪い取ることも、やってできなくはないが、そうすればマリカ様の御不興をかうのは必至。できれば貴様から穏便に譲って欲しいのだが」
強引に奪い取ることもできると、言い切るこの男の自信と力に、まだまだ敵わないと思いながらも、俺は負けてはいられない、と腕を組み睨みつける。
「ギルド長。それを聞いて、はいそうですか、と譲る商人がいると思うか?」
「ギルド長の地位が得られるとしても?」
「それをいらぬと他人に押し付けようとしたのは、そちらだろう?
『食』の運営についても二回りの年が過ぎ、見通しも立ってきたし、人材も育ってきた。
新しい事業に手を広げてもいい頃だ」
「まったく……強欲な奴だ」
「そのセリフ、そっくり返すが……まあ、まったく新しい事業の開始だ。色々と便宜を図ってくれるのであれば、優先的に情報や手伝いをそちらに頼まない事もない」
アインカウフが、一瞬驚いたように目を見開き、勝ち誇った笑みを浮かべた。
解っている。
今の件は、断られることも計算に入れた奴の駆け引きだ。
貸しと借り。
商業を営む者であれば、無視できない。
「大聖都に作る新店舗に、新しい事業の窓口も作ろうと思う。
商業ギルドからも駐在員を回すか?」
「そうしてもらえるなら助かる。ゲシュマック商会の手に余る分野なら、仲介も可能だろう」
「有能なやつを寄越せよ」
「乗っ取ってもいいのか?」
「アルはそんなやわじゃない。当分は俺も手助けするつもりだしな」
顔を見合わせ、笑い合う。
まさか、自分がこの妖怪と対等に向き合える日が来るとは思わなかった。
今、アルケディウスは良い流れの中にある。
飲食の発展から、カトラリー、調理用器具の製造、ガラス製造、衣料品の作成と、あらゆる業種が異業種と手を結び、業績を上げているのだ。
『国や周囲が幸せでないと、子ども達も。ひいては自分達も幸せになれないと思うのです』
以前、そんなことをマリカ様は言っていた。
自分達だけが儲かればいい、ではなく、国全体が栄え、自分達も儲ける。
マリカ様の期待に添える、そんな商人でありたい。
我ながら青臭くはあるが、そんなことを、どこまでも美しく神々しい我が主。
マリカ様に、俺は改めて誓ったのだった。




