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皇国 精霊達の内緒話

 稲光に打たれたような衝撃を受け、子どもは目を開けた。


(しまった。失敗した!)


 急いで逃げなければ。


 彼が最初に思ったことは、それだった。


 おそらく、すぐに奴が来る。


 窮屈で小さな揺りかごから、最近はこのベビーベッドに移された。

 横には女の赤子が、すやすやと寝息を立てている。


 落ちないようにと周囲が高い柵で囲まれているのは業腹だが、この程度なら抜けようと思えば抜け出せる。


 というか、抜け出さねばならない。


 身体を起こそうと必死に力を入れる。

 けれど、動かない。


 指一本、足一本。

 髪の毛一筋さえも、思い通りにならない。


(何故だ!)


 この身体は未成熟で、なかなか思い通りには動いてくれない。

 けれど、それでもここまで動かないことは、最近では無かった。


 声にならない叫びを上げた時。


「無駄だ」


 闇の中にはっきりと言葉が響いた。


「お前の身体は、当分まともに動かない。能力も暫くの間、使うことはできないだろう」

(アルフィリーガ!)


 夜。

 窓越しに差し込む星光が、一人の少年の姿を照らし出す。


 深夜。

 誰も見ることも、聞くこともない。


 精霊達の内緒話。


 自分の身体の変化。

 そして突然の来訪者。


 戸惑う赤子は、少年が無言で自分のベッドに近づき、柵の上から抱き上げ、瞬間移動したことを理解していた。


 けれど、何もすることができない。


 微かな身震いさえ、今の自分には封じられていた。


 少年が、見えない怒りと威圧を放っていることは解る。

 自分は、それだけのことをした。


 言葉が出ない。

 それは元々、この身体が子どもであるから、という理由で納得できる。


 けれど。

 未だに殆ど身動きできないのは何故なのか。


 子どもは――彼は、まだ解っていなかった。


 転移した場所は、人目につかない孤児院の裏庭。


 そこで少年は彼を地面に降ろしてくれた。

 けれど、それが解放ではないことを、彼はよく解っている。


 足に力も入らない。

 かくん、と膝が折れ、ぺたんと座り込む。


 倒れないようにするのが精一杯だった。


「随分と勝手なことをしでかしてくれたな。レオ。

 よくあんなことができたものだ。

 忠告したはずだが? マリカや孤児院の者達に手を出したら即座に処理する、と」

『な……どうしてバレた? そもそも、どうして止めに来られた?』

「バレないと思う方がどうかしている。やっぱりお前は箱入りだ。何も解っていない」


 呆れたように肩を竦め、少年は彼を見下ろす。


 手の中で小さな何かを弄んでいる少年。

 思念に声で返すその黒い瞳には、明らかな侮蔑の色が宿っていた。


「『種』を精製できるくらい、力が戻っていたのか?

 マリカに『種』を植え付け、力が抜き取られ、それがお前に流れ込んでいれば、誰だってお前が犯人だとすぐに解るだろう?

 体内に入れられていたら面倒だったが、さすがにそれはできなかったようだな」


 見せつけるように翳された『種』。


 人の体内に入り、『精霊の力』を食らう洗脳装置は、ぐしゃり、と小さな音を立てて潰された。


『し、思念防御壁(シールド)は完璧だったはずだ。事が終わるまで誰にも邪魔されないように、彼女の周囲には『種』が起動すると同時、介入を阻止する防御壁(シールド)を作るよう設定してあったし、外見設定は僕ではなく、魔王エリクスを模していた!』

「確かに、マリカの方からは入りにくそうだった。

 だが、力を吸い取る為に繋いでいたこっち。お前の側は手薄だった。

 あれくらいの防御なら、そう苦もなく壊せる。『精霊神』も力を貸してくれたし、力だけなら俺の方が強いしな」

『そうだとしても……』

「そもそも、俺がいくら似ていても、お前とエリクスを間違える訳がないだろう?

 俺を舐めすぎだ。

 あんな……『魔王』を被せられただけの人間(哀れな道具)と、兄弟とを」

『…………』


 彼は押し黙り、逃げるように視線を逸らした。


「あの『魔王』の人格データは、お前が預かっていたものか?」

『…………』

「バックアップを保管していたんだな。まあ、当然か」


 返事は返らない。


 元々、少年も返事を期待していた訳ではないのだろう。

 それ以上の追及を、少年はしなかった。


 しなかったのだけれど。


『アレは強すぎる……』

「ん?」


 意外にも、彼から答えが返ってきた。


『『魔王』は強すぎる。

 与えられた権限は絶大だけれど、必要とする能力値が高すぎて、並の人間では制御できない。

 簡単に上書きされてしまうだろう』

「そうだな。……あんなものを一人で背負うなんて、正気じゃない」


 少年は呟く。

 噛み締めるように。

 けれど、どこか他人事のように。


「エリクスは全制御を諦めて、魔性操作に特化していた。

『神』の強化を受けていたとしても、自身の人格を維持していただけで大したものだが」

『いざという時の護り手として、僕が預かっていたものだ。

 でも、僕がいなくなったから、あの子が使ったんだろう』

「お前があれを使って『魔王』になれば、俺にただ負けるだけではなかったかもな」

『『魔王』はあくまで汚れ役。手駒にするものだ。

 フェデリクス・アルディクス、大神官としての人格と記憶を失ってまですることじゃない。

『神』も無理しなくていいと、言って下さっていた』


 くすっ、と。

 零れるような笑みと安堵が落ちる。


「確かに。

 それに、あの時――大神殿で出会ったお前の身体に被せても、『魔王』の力に肉体が耐えられなかっただろう。

 今のお前と同じ羽目になっていたと思うぞ」

『今のお前?』


 彼は窺うように顔を上げた。


 まだ解っていなかったのか。


 皮肉げな視線を向け、少年は頷いた。


「そうだ。過剰摂取(オーバードーズ)

 強力な力に肉体が耐えきれず、自壊する一歩手前というところだ。

 マリカの能力を直に吸い取ろうとしたら、大人の身体でさえ耐えられるか解らない。

 まだ赤ん坊から、ようやく子どもになったばかりの奴が調子に乗れば、そうなるのは解り切っている」

『……あ、ああ……』


 彼は呻いた。


 初めて聞いた。

 初めて知った。

 そういう顔だった。


 実際、彼は知らなかったのだろう。


 彼の役割は、人心の掌握。

『魔王』という脅威に慄く人々を纏め、束ね、維持する者。

『神』の直属の意思を受ける彼は、無理をしたことも、戦ったことさえ、おそらく一度もない。


『神』は先行機の失敗を悔いてか、彼の維持に細心の注意を払っていたのだと、今になって知る。


「力の器は粉々に砕けて、使えなくなったはずだ。

 自己修復するにしても、肉体の成長が優先だろうから、どんなに短くても数年は『能力』を使えまい。

 まあ、身体そのもののダメージはそれほど無いだろうから、子どもとして生きるにはあまり不自由はないだろうが」

『子どもの身体で生きること、そのものが不自由だ……』


 吐き出された本音に、少年は苦笑する。


 その思いはよく解る。

 誰よりも。


 でも。


「だとしても、それは人間なら誰でも体験することだ。

 未熟な身体と心に向き合い、周囲の力を借りて成長させたその先にこそ、『自分』が生まれる」


 教え諭すような静かな口調で、少年は告げる。

 それは実感の籠もった言葉だった。


 いや。

 重く、長い実体験の果てに、少年が――少年の姿をしたものが見つけた真理だったのかもしれない。


「子どもだからこそ許されることがある。

 子どもの時代にだけ学べることもある。

 俺達が『神の道具(アルフィリーガ)』であった時にはできなかったことを、今なら学び、知ることができるかもしれない」


 そう言うと、少年は彼を抱き上げた。


『僕を、処理するのではなかったのか?』

「レオがいきなり消えれば、マリカも保育士達も悲しむ。

 お前の『妹』もな」


 自分に妹はいない。


 いるのは、先行機であるアルフィリーガだけ。

 彼はそう否定するつもりだった。


 けれど、何故か言葉は出てこなかった。


「まあ、仕置きはした。

 数年は力も使えない、ただの子ども。それがお前には一番辛いだろう。

 目くじらを立てる必要もない。いつでも処理できる。

 フェイあたりには甘いと言われるかもしれないが……」

『アルフィリーガ』

「まあ、二度、三度と繰り返すようなら、その時は容赦しないぞ。

 いくら兄弟であろうとも」


 冷笑というには優しい笑みを浮かべて、少年は瞬間移動する。


 部屋に戻った。

 ベッドの前へ進み出て、中へ彼をそっと降ろす。


 と――。


 迎えるように伸びた紅葉のような掌が、彼の頬を撫でた。


『デイジー』


 発した思念が、目の前の赤ん坊に届いたとは思えない。

 けれど、いつから起きていたのか。


 彼女はぺたぺたと、戻ってきた兄の顔を確かめるように何度か触れると、そのまま満足そうにまた目を閉じた。


 もしかしたら、寝ぼけていただけなのかもしれない。

 そんなことを思っている間に、少年は姿を消していた。


(まあ、今回は急ぎすぎたかもしれないしな)


 彼は目を閉じる。

 思っていたよりも早い力の回復に、つい欲が出た。

 それが正直なところだった。


 乳母の乳だけを飲んでいた時より、最近の離乳食という食事を摂るようになってから、力の回復が早くなった気がする。


 それで、つい欲が出た。

 封じられていた『食』が、ここまで人に力を与えるとは。


『神』が恐れていたのも解る。

 諸刃の剣だ。


(『魔王』を使う程、向こうも追い詰められているのか……。

 でも『魔王』を出したのなら、当分は大丈夫だろう。

 まずは身体を回復させて、情報収集……それから……)


 奴の台詞ではないが、神殿にいた頃と違って、何もかもが思い通りにならない。

 でも。


(……それも、楽しいのかもしれないな)


 そう思ってしまうのは、何故だろう。

 自分の隣で無垢に眠る妹の姿を見ながら、そんな、らしくもないことを考え、彼は目を閉じた。


 それから数日間。


 彼が全身を襲うとんでもない疲労と痛みに悩まされ、泣きじゃくり、保育士達と妹を困らせたことは――皇女も少年も知らない話である。

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