王都 ガルフと生きた伝説
「どうなさいましたか? 旦那様?」
ふと足を止めた俺に、リードが声をかける。
「いや、何でもない。気のせいだろう。行くぞ」
そう誤魔化したが、多分、気のせいではない。
最近、少し派手に動きすぎたかな。
魔王城の島から戻ってからというもの、なんだか常に視線を感じるのだ。
背中の皮膚の上を、冷たい指先でなぞられているような感覚。振り返っても、そこにいるのは何食わぬ顔の群衆だけ――それが余計に厄介だった。
店に帰りつき、部屋に戻って、俺は大きく息を吐き出した。
喉の奥に溜まっていたものを吐き出すみたいに。
「やれやれ、貴族連中は相変わらずだな。
そんなに新しい味が知りたいなら、食いにくればいいのに」
「そうもいかないのが、貴族というものでございましょう」
「まったく、プライドばかり高い連中だ」
今日の呼び出しも『新しい味を知りたい』『売れ』という話。
言い換えれば『俺の知識を寄越せ』だ。
「おぬしの商売を貴族に広めてやる。だから知識を教えるがいい」
――くだらない。
この世界において、貴族というのは金を持っている者。
土地を持っている者。
地位を持っている者。
それ以外の意味は、あまりない。
王族は国を統治しており、国に、土地に住む以上、税は支払わなくてはならない。
だが、税を支払う者に、貴族も、王ですら、それ以上の命令はできない。
少なくとも『法』が建前として生きている国では、な。
今の俺には、貴族であろうと、そう簡単に命令はできない。
――奴らよりも金を持っているからだ。
金は盾になる。
同時に、目印にもなる。
店に戻って一息ついた後は、今後についての検討だ。
「リード、三号店の方はどうだ?」
「今の所、大きな問題は有りません。
ただ、冬に向けて材料の確保が若干、厳しくなる可能性が……」
「それは分かっていたことだ。狩人達に手を回し、できるだけ確保しておくようにしろ。
二号店の方も、メインをハンバーグからハムやベーコンにして凌ぐことになるだろう。
秋のうちにできるだけ備蓄を進めておくんだ。
果物類は甘煮やジャムにして保存を。保冷術が使える精霊術士は高値をつけてもいい。確保しておけ」
「解りました。それから……」
「何かあったか?」
「いえ、本店の方で、パンケーキの需要がうなぎ上りだと。
材料が足りず、開店から数刻で完売してしまうと。
もっと材料を回して欲しいということなのですが……」
「却下だ。今の備蓄で来年まで持たせなくてはならない。
一日分の指定分量は厳守しろと伝えろ」
「はい」
もっと店を出してくれ、という声は大きい。
だが今の状況で、俺がちゃんと目を光らせられるのは、あと一店舗がいいところだろう。
麦も、これ以上ペースを上げれば、来年まで持たない。
儲けることはできる。
けれど、崩れるのも一瞬だ。
食い物の商売は――信頼が命だ。
他にもいくつか報告を受け、指示を終えた頃を見計らうように、
「旦那様。お食事の支度が整いました」
最近雇った見習いのルカの声がした。
「分かった。運んでくれ」
「かしこまりました。それから、旦那様」
「なんだ?」
「ヒュージさんがご報告したいことがあるそうです」
「分かった。食事をしながら話を聞こう」
少しするとルカが、料理人のヒュージと一緒に二人分の食事を運んでくる。
新作のエナのシチューだ。肉団子が入れてある。
それからパウンドケーキ。魔王城で学んできたレシピに、オランジュの果汁とジャムを入れた新作だ。
湯気の立ち方が、腹の底の警戒心を少しだけ緩める。
「お味はいかがでしょうか?」
「悪くない。もう少し塩を使ってもいいかもしれないが、良くできている。
ブイヨンの扱いにもだいぶ慣れてきたようだな」
「ケーキの方も、味のバランスが良くなってきましたね。あと少しこなれれば、これも貴族相手の使い物にできるでしょう」
「ありがとうございます」
ヒュージは嬉しそうに頭を下げた。
こいつは下町で燻っていた元料理人だった。
俺が出した屋台の食べ物を食って、もう一度食に携わりたいと言ってきた。
その熱意を見込んで雇い、今は俺の所でレシピと調理法を学んでいる。
いずれ出す予定の四店目を任せるつもりで、今、一番気に入っている使用人の一人だ。
「それで、報告したいこととは何だ?」
「私を含む、数名が引き抜きに遭いました。
今出す給料の倍出すから、うちに来るつもりはないか? と」
「ほう……そうか。誰かは聞いたか?」
「旦那様!」
リードは青ざめているが、俺はそのままヒュージの話を続けさせる。
「はい。貴族のリーデンブルク様だそうです。
よりいい設備で、貴族に出す食事が作れるぞ、と」
「それで?」
「十分な給料も、最新の設備も頂いているし、住居も衣服も支給されている。と断らせて頂きました。
他の皆も同様だと思います」
「そうか。面倒をかけたな」
「いいえ。特にまだ私は旦那様に拾って頂いた恩を返しておりません。
必ずや、地獄から救い上げて頂いた恩はお返しいたします」
「期待しているぞ」
「ありがとうございます」
ヒュージとルカが外に出てから、俺はリードを見て笑った。
「自分から報告して来る、ということは、やましいことはしていないってことだ。
それに俺は、使用人達にはできる限り良い環境を与えてやりたいと思って、実行してきたつもりだ。
その上で、そいつらが俺の所にいるより良いと判断して移動するなら、仕方ないと思っている」
「それは十分承知しております。
以前も旦那様の元は働きやすうございましたが、今は前にも増して、従業員にお心を砕いておられる。
ヒュージのように思う者が殆どでございましょう」
「そうであればいいのだがな」
これもマリカ様と魔王城から伝えられたことだ。
人に対して、金と手間と心を惜しむな、と。
『どんなに利益を得たところで、人に裏切られたらそこまでです。金を持って墓場には行けません。
神の世界を潰しても、神の世界の方が良かったと思われたら私達の負け。
信用を大切に、そして、少しでも人々を笑顔にできるように頑張りましょう』
ああ――俺はその言葉が、染みるほどに分かる。
もし、マリカ様に五百年前に出会えていたら……。
「旦那様?」
「何でもない。
ただ、断ったことで逆恨みされたり、無理に連れ去られることの無いように気にかけてやってくれ。
連中がいないと店が立ち行かない。しっかり守ってやらないといけないからな」
「かしこまりました。手配しておきます」
「お前も気を付けろよ、リード。お前は俺の大事な片腕なんだから」
「ありがとうございます」
リードは全て分かっている、という顔で笑ってくれた。
いずれ、こいつには全てを話せる日が来るだろう。
リードに店の手配を任せ、支店の見回りに出た俺に、またなんとも言えない視線が絡みつく。
店が軌道に乗り始めてから感じるようになった視線だ。
多分、俺の資金の出所、知識の大本を知りたくて探っている連中だろう。
貴族か、それとも食料品扱いに追従しようとする商人か。
秋に魔王城に行く前の辺りから感じるようになって、戻って来た後から余計に酷くなった気がする。
監視を撒き、どこかに消え、二週間後に大荷物を抱えて戻って来た。
どこかに行き、資金と指示を預かって来たと思われても仕方ない。
事実、その通りだし。
「しかし、拙いな……。こんな監視が酷くなると、魔王城に行けなくなってしまう」
冬の間にほとぼりが冷めてくれるといいが、事業が成功するにしたがって注目度が上がってきているのも事実だ。
魔王城に行けるのは最悪、あと一回くらいかもしれない。
本当に、マリカ様に王都に来て頂きたいものだが……。
「ん?」
「や、止めて下さい!!」
屋台の側まで来た時に、悲鳴が聞こえた。
「なんだ?」
急ぎ足を進めると、屋台の側に妙な奴がいる。
料理を欲しがって並ぶ人、ではない。
「なんだと? せっかく来たのに売り切れってどういうことだよ!」
「ですから、今日はここまであるとお伝えしたとおりで。
品物が無くなったら、その日の販売は終わりなんです」
「一本くらいなんとかしろよ」
「無いものは、本当に……申し訳ございません」
販売員に因縁をつけているごろつきか。
それとも――。
「どうした?」
「旦那様!」
駆けつけた俺は、販売員とごろつきの間に入ると、販売員を振り返った。
「品物を売り切った後に並んでいたのだから、品物を売れとこの方が……」
「分かった。ここは俺に任せて、撤去の準備を始めろ」
販売員の肩が震える。
怒鳴り声だけでなく、拳の匂いがする。
「なんだよ。文句があるのか? せっかく買ってやろうとしたのに」
「申し訳ありませんが、一店舗の販売数は限りがございます。
また明日、おいで頂ければ幸いです」
俺は頭を下げる。
責任者が頭を下げれば、引き下がる客もいる。
だが――。
「だったら作り方を教えろよ。そうすれば許してやる」
……こう来るなら、ただのごね得狙いじゃない。
悪意を持って仕掛けて来た『敵』だ。
「それはできかねます。雇い主にもそうお伝えください。
暴力に訴えられても、お答えはしかねる、と」
「なんだと!」
迫って来る男が拳を上げた。
そいつの手を掴み、足を払う。
俺も何度か戦場に立たされた。
この程度の相手なら、なんとかできなくもない。
今度は店に護衛が必要か?
そんなことを考えた時――
ガツン!
後頭部に衝撃が響き、俺は膝をついた。
どうやら男は一人では無かったらしい。
俺の隙をついて、俺が倒した男も立ち上がる。
「どうする? あんまり手荒な真似はするなと言われているだろう?」
「そう言われたって、聞く気がねえんだから仕方ねえだろ。
とっ捕まえて味の秘密を聞き出すのが一番早い。
丁度よく店主が出てきてくれたんだ」
くらくらする頭を押さえながら、俺は目の前の二人を見る。
先の事を考えていない場当たりの犯行。頭が悪いとしか思えない。
だが、頭が悪い奴ほど厄介な時もある。
「お前達、誰に雇われた?
教えて引くなら、そいつの倍払ってやるぞ」
「うっ!」
俺の言葉に揺れたのだろう。動きが止まる。
その隙に俺は、撤去の準備を終えた従業員達に、首で『行け』と促した。
奴らの目的は俺の知識なのだから、従業員に酷いことはしない――はずだ。
そう信じたい。そうでなければ、店を守れない。
「しまった!」
「この野郎!」
慌てた男達が、俺の胸倉を掴む。
その時だ。
「止めよ! この王都での狼藉は許さぬ!」
強い声がした。
一瞬で、場の全ての人間に『逆らうことを許さぬ』と告げる、強い、強い声。
と、同時。
「うっ!!」
胸倉を掴んでいた男が、唸り声と共に地面に崩れ落ちた。
何が起きたのか、理解するより早い。
「な、なんでこんなところに……」
もう一人の男の震える声は当然だ。
俺とてそう思う。
「まったく。俺は噂の串焼きとやらを食いに来ただけなのに、こんな騒動に出くわすことになろうとはな」
鞘に入ったままの剣を肩に担ぎ、その人物は呆れたように肩を竦めて見せる。
逞しい体躯。
炎のように燃える赤毛。
黒曜石のような漆黒の瞳。
誰がこの人を見間違えるだろうか。
「この件が終わったら、すまんが食事処に招いて貰えるか?
なに、売り切れなら日を改める。こやつらのような狼藉はせぬゆえ」
「……だ、第三皇子 ライオット様」
王都の生きた伝説。
騎士団長、ライオット皇子が、膝をつく俺の前に、にやりと笑って立っていた。




