大聖都 新しい酒と古い記憶
リオンから、街道に不審な人物がいる、と聞いて私は少し考えた。
そして思い出したのだ。
今年の春、プラーミァへ向かう途中で立ち寄った、小さな葡萄酒蔵の青年のことを。
あの時、白ワインとロゼワインの作り方を教えてみたのだった。
「あ、もしかしたら春の時に見学させて頂いた葡萄酒蔵の方かもしれません。
リオン。危険が無いようだったら会わせて下さい」
「解りました」
向こうの世界と違って、街道とはいえそんなに頻繁に人が通るわけじゃない。
少し端に馬車を止めてもらい、私は外へ出た。
馬車の前には、一人の青年が瓶を二本抱え、跪いている。
「やっぱり、貴方は春のプラーミァへの訪問の時に見学を受け入れて下さった葡萄酒蔵の方ですね。確か……テロス、でしたっけ?」
「覚えて頂いたとは光栄です。
先祖はシュトルムスルフト近郊で酒造を行っていたのですが、今は大聖都にて家族経営の蔵を運営しております。丁寧な酒造を心がけていることもあり、それなりの評価も頂いていると自負しております」
あの時、神官長が私の機嫌を取る為に教えてくれた酒蔵は、大神殿御用達の一つだったらしい。
大きな、まさしくシャトーという感じの蔵と、小規模ながら丁寧な酒造りを続けている蔵。
その小さい方が、このテロスさん達の所だった。
「今回、御無礼を承知で『聖なる乙女』の馬車に近寄りましたのは、ぜひお教えの通りに作った『新しい酒』――その味を試して頂きたく」
「もうできたのですか?」
葡萄酒は熟成に時間がかかる。
そんなにすぐ結果が出るとは思っていなかったのだけれど。
「完全な葡萄酒として世に出すことは、まだまだできません。
ですが一応飲める、味見用の『新酒』はできました」
ああ、所謂ヌーヴォーだね。
その年の葡萄でできた、その年最初のお酒。
それで味を見て、熟成を重ね、本格的なワインになっていく。
「これは、とんでもないものになる。
作った蔵人達も、勿論私も、味見をした瞬間にそう思いました。なので姫君にご確認頂き、今後の方向性についてご指示を賜りたいと思ったのです」
一応、作り方は秘密。
完成品は全てゲシュマック商会が買い取るという契約になっている。
だから大神殿に連絡するのは憚られて、旅の途中の私を無礼承知で呼び止めたのか。
「解りました。ただ、私はお酒を飲めませんし、この場で味見をさせてもらうのもちょっと厳しいので、一緒に来ていただけませんか?
宿で詳しく話をして、随員達に味見をしてもらおうと思います」
「解りました」
「リオン。フェイ。彼を馬車に乗せて一緒に連れてきて下さい」
「解りました。同行者達はどうしますか? 荷馬車があるようですが」
同行者達。
そっか。蔵の人達も、代表者とはいえ彼一人で『聖なる乙女』に吶喊させたりはしないよね。
「じゃあ、同行者さん達も一緒に。後ろから付いてきて貰って下さい」
「かしこまりました」
蔵からは別方向になってしまうけれど、シュトルムスルフトが指定した参賀用の宿が大聖都にある。
そこでゆっくりと話を聞かせてもらうことになった。
フェイに促されたテロスは、少し小首を傾げていたようだけれど。
その時の私は、特に気にせず馬車へ戻ったのだった。
「どうぞ。これを。驚くべき出来になりました」
宿に着き、簡単に宿泊の準備を整えてすぐ。
私達はテロス達との面会を行った。
今回はモノがお酒だからね。
ミュールズさん、ミーティラ様、ミリアソリス、文官のモドナック様、そしてゲシュマック商会のハンス。
大人組を集めた。
護衛はフェイにリオン、カマラ。
ゲシュマック商会の取引なのでアルも呼んである。
「まあ、これが葡萄酒ですか?」
ミリアソリスが驚嘆の声を上げる。
宿の備品であるガラスグラスに注がれた二本の葡萄酒。
一つは淡い黄金色。
そしてもう一つは、夢見るような薔薇色に染まっていたのだ。
「我々も葡萄酒と言えば濃厚な赤紫、と思っていました。
白葡萄で作れば少し色は薄くなりますが、ここまで美しい色合いになるとは」
白ワインもロゼワインも作り方は色々ある。
私が覚えていて彼らに教えたのは、その中でも完全に果汁だけで作る白ワインと、途中で混入物を取り除くやり方のロゼワインだ。
「手間は確かにかかるのですが、その手間に見合う、まさしく『新しい味』でした」
「良かったら、飲んで感想を聞かせて頂けませんか?」
仕事中に、と少し遠慮気味だった随員達も、私からの『仕事』としての頼みなのでグラスを取ってくれる。
コクン、と喉を鳴らし。
皆、一様に目を見開いた。
「これは!」
「凄いな……」
「どうですか?」
私の問いに、お互い少し遠慮するように視線を交わし。
代表としてモドナック様が……一番位が高いからかな?……ゆっくりと話し始めてくれた。
「この黄金色をした葡萄酒は、まさしく新しい味、です。
新酒なので深みなどが無いのは仕方ありませんが、実に新鮮。
そして、葡萄酒に有って当たり前と思っていた渋みが無く、甘みも少なく、瑞々しくすっきりとしております」
「不思議なのですが、葡萄なのにサフィーレやピアンの風味がするような。
口に含むと、まるで花が咲いたような濃厚な香りが口の中に広がるのです」
「後味も爽やかですね。スーッと後を引かずに消えていくのは、あまり感じたことがありません」
ミュールズさんからも、ミリアソリスからも、誉め言葉しか出てこない。
なかなか好評の様子だ。
テロスも、その同行者達もホッとした顔をしている。
葡萄酒は、皮も軸も種も全部混ぜて発酵させるのが今までのやり方だった。
だから果汁だけで作るのは手間がかかる。
けれど、それだけの価値はありそうな感じ?
「それから、こっちの薔薇色の葡萄酒は、見て美しく、飲んで軽やかです。
酒精は確かにあるのに葡萄酒の濃厚さが薄く、それが物足りないと感じる者もいるかもしれません。ですが、女性などにはこちらの方が好まれるのではないでしょうか?」
「麦酒のエールとピルスナーのよう、と言ったら説明が乱暴すぎるかもしれませんが……」
「いえ、言っていることは解ります。
葡萄酒に新しい選択肢を増やしてくれそうですね」
「私共も、この酒をより良くし、十分に時間をかけて寝かせたら、きっと素晴らしいものになると感じております。
姫君。どうか、引き続き我々にこの酒を研究し、作ることをお許しいただけないでしょうか?」
テロスの目も、後ろに控える蔵人さん達の目も真剣だ。
私は好き。
こういう、やる気と意欲に満ちた人の目って。
「勿論、構いません。
まだ新酒ですし、未完成品をあまり広げたくはないでしょうから、そちらの蔵の通常の葡萄酒一箱と、新酒の中でも特に出来の良いものを一箱ずつ、ゲシュマック商会に届けて下さい。
その代金と、今後の研究費用として金貨十枚をお預けします」
「十枚?」
「我々の酒は、完成品でも一箱金貨一枚に届きませんが……」
目を瞬かせているテロス達。
でも、エクトール様達の時と一緒だ。応援代込みというか。
頑張る人は、報われていいと思う。
「新しいお酒の研究には、お金も手間もかかるでしょう?
私は、新しいことに意欲を持って取り組む人が好きで、応援したいのです。
勿論、新しいお酒が本当に納得いく形で完成したら、アルケディウスやゲシュマック商会で使いたいですから、いずれ元は取ります。遠慮しないで」
「あ、ありがとうございます」
「今後とも、ご期待に沿える酒を造れるように頑張って参ります」
「お願いします」
深々と頭を下げる彼らに、私は三年後、成人式で乾杯をする自分の姿を空想した。
私は、この透明感と夢見るような色合いのロゼワインが気に入った。
ピンク色がとっても可愛い。
いつか、リオンと飲めたらいいなあ――なんて。
で、一通りの契約が終わった後。
彼らは帰り際、ふとリオンと、その横に立つフェイの前で足を止めた。
「そこの銀髪の少年。君はいくつだい? アルケディウスの人?」
「今、十三です」
「彼はアルケディウスの準貴族ですけれど、何か?」
「いえ、さっき見た時も思ったのです。
昔、シュトルムスルフトから来た女性と、その連れていた子に似ているなあと」
「え?」
「アルケディウスの貴族なら違うでしょう。
彼女は国境を抜けて逃げてきた密入国者でしたから」
「密入国者?」
その場にいた全員が。
リオンも含めて、一斉にフェイを見つめる。
透き通る銀髪のように、血の気を失った彼の顔を。




