皇国 皇女の心配事
秋国 シュトルムスルフトへの旅程は約一週間。
アルケディウスで二日、大聖都で二日、そしてシュトルムスルフトで二日程。
王族が新年の参賀に使う為の宿をお借りすることになっている。
大聖都では大神殿に泊まるように布告も来ているので。
私が料理の準備をしてのんびりできるのは、今日を過ぎれば多分、シュトルムスルフトでの仕事終了までは無いだろう。
「マリカ様。マリカ様?」
「あ、何、カマラ?」
「包丁を持ったままぼんやりされては危ないと思います」
「ごめん、そんなにぼんやりしてた?」
「ほんの少しの時間ですが。お疲れですか? お休みされた方が良いのでは?」
カマラは心配してくれるけれど、私は首を横に振る。
人に教えるのではない料理は、私の数少ないストレス解消法。
せっかくの時間をぼんやりしていてはもったいない。ケガもするし。
「明日からは大聖都。また当分自由時間は無いですからね。
気持ちを引き締めていかないと」
「皇女様も大変ですね」
私の溜息に、カマラは同意するように柔らかく微笑む。
包丁の音、煮立つ鍋の音。
厨房の温かな空気の中で、ほんのひと時だけ、張り詰めていた気持ちが緩む。
「何かお手伝いすることはありますか? 今日はセリーナもノアールもいないので、お一人で大人数の料理は大変でしょう?」
厨房には私一人。
カマラは護衛としてついてきてくれているけれど、王家の為の宿の厨房に不審者が入ってくることは多分無いよね?
「カマラ、料理はできましたっけ?
今日は、みんなを、特にセリーナを労いたいので、ちょっと豪華にしたいんです」
「味付けその他はちょっと自信がありませんが、野菜の皮むきとか、パン生地をこねるとかでしたら……」
「それは助かります。じゃあ、一緒に料理をしましょう」
「よろしくご指導お願いします」
カマラにエプロンと三角巾を渡すと、私は料理に没頭するフリをした。
実際は――頭の中から「これからどうしよう」という思いが離れなかったのだけれども。
包丁を動かしながらも、思考だけが先へ先へと進んでいく。
「いろいろとお考えに耽っておられたのは、シュトルムスルフトのことが気になってですか?」
ただ、そんな私の気持ちもお見通しのようで、気遣ってくれるカマラに、私はほんの少し本音を漏らしてしまう。
ここにセリーナやノアールがいればまた色々変わったのだけれど、カマラにはとりあえず隠し事はしないと決めている。
「もちろん、それもあるよ。
アルケディウスの事とか、色々」
私の持つ心配ごとに順位を付けるなら、やっぱりこれから訪問する秋二国に対するものが一番大きい。
アルケディウスはお父様と第一皇子との和解もできて、アドラクィーレ様の産後の肥立ちも悪くないから、ちょっと安心できる。
ケントニス皇子の子はラウルトリスと決まった。月桂樹の森っていう意味があるとか。
あだ名はラウル君だね。
それにシュトルムスルフトは、行く前からある意味アーヴェントルクより危険な国だと、何度も周囲から言われているし。
「あ、カマラ、シュトルムスルフトではいろいろと気を付けて下さいね。
シュトルムスルフトは女性の社会進出が殆どない国なんだって。
女性は基本、家で大事に守られる存在、家を護る者。男は外で働き妻を養う。
だから、外に出て働く女性は王宮とか、織物職人とか特別な場合を除けば、一段低く見られるって言ってた」
「そうなんですか? 私はシュトルムスルフトに生まれなくて良かったです」
心底良かったって顔でカマラは笑うけれど、私はさて、どうなるかなと考える。
日本でも亭主関白とか、妻は家を護る者なんて考え方はあったけれど。
イスラム、アラブベースの国ならそれがさらに極端になっている可能性はある。
なんて言ったって、本当にごく最近まで女性が自動車の運転も、外で自転車に乗ることもできなかった国もあるというし。
料理指導員で他国の皇女だから特別、と思ってもらえるのか。
それとも皇女の癖に仕事をしていると低く見られるのか。
ちょっとドキドキする。
「マリカ様は『聖なる乙女』として呼ばれているのですから、大丈夫なのではありませんか?」
「そうだといいのだけれど」
あと、フェイの杖、シュルーストラムの事も心配だ。
風の国の『王勺』『王の杖』は昔、シュトルムスルフトの国王が何かやらかした時に『精霊神』に取り上げられたらしい。
その杖がシュルーストラムなのもほぼ確定で。
フェイが王の杖を持っていることが知れれば、フェイごと返せと言われる可能性もある。
だから今、セリーナはフェイから魔術師の影武者として猛特訓を受けているのだ。
「とりあえずは最低、光の精霊術と水、風の基本術が使えればいいですよ。
無理は言いません」
フェイはそう言ってたけど、それって実はとっても大変なことだから。
魔術師の才能は0か1のどちらか。
精霊石に認められれば魔術師(精霊術士)になれる。選ばれなかったらダメ。
幸い、認めて力を貸してくれた精霊石がいたので、セリーナは精霊術が使えるようになった。
けれど、魔術師の力を身に着けたセリーナは、侍女よりももっといい待遇と場所で働けるようになるのだ。
それを無理に、今回だけの影武者精霊術士を頼み、訓練を受けてもらっている。
「私は、私達姉妹を救い、光の道へと導いてくれたマリカ様のお力になりたいだけですから。
給料とか魔術師待遇とか、あまり関係はありません。
せっかく見込んで頂けたのですから頑張りますわ」
彼女の気持ちが本当にありがたく、そして申し訳ない。
フェイはスパルタだし、時間がないから、かなり詰め込みの訓練を毎日しているらしいから。
「毎日、部屋に戻ってくると同時に寝てしまうくらいですよ。
術師になるというのは大変そうですね」
同室のノアールがそう心配するくらいには無理させている。
せめて美味しいものを作って元気を取り戻して欲しいと思う。
あ、余計な話だけどノアールにも魔術師適性はあるらしい。
城に戻ったら改めて見てあげるつもりだ。
「さっきの女性蔑視の話もあるし、シュトルムスルフトに着いたらセリーナにも気を付けてあげないとね」
「マリカ様の上級随員は女性が多いですからね」
「カマラもプリエラの事をお願いします」
「お任せ下さい」
ミュールズさん、ミーティラ様、カマラ、セリーナ、ノアール、ミリアソリス、プリエラ。
私の大事な随員達。
絶対に守ると決めているけれど、男性陣にもしっかりと協力を頼もう。
その日の夜。
いつものように、みんなを宿の広間に集め、私は随員達みんなの前に立った。
旅の前の恒例。訓示みたいなものだ。
賑やかだった昼間とは違い、夜の広間にはどこか引き締まった空気が流れている。
長旅の前夜特有の、静かな緊張と期待が入り混じった空気だ。
「いよいよ、最後の秋国訪問となります。
皆さんのおかげで今まで、なんとか勤めを果たしてくることができました」
ここにいるのは殆どが最初のプラーミァの訪問の時から力を貸してくれたベテランだ。
新しく加わった人もいるけれど、彼らがいなければ私は各国を巡ることはできなかったし、無事に戻ってくることもできなかった。
それは上級随員だけではなく、御者や雑用係も含めた皆に言えること。
私は心から感謝している。
だからこそ――。
「最後の秋二国は国交も交流も無く、本当に未知の国です。
期間もまた二か月、長旅となります。
でも私は最初の旅の時に言ったように、無事に戻ってくるまでが仕事。
誰一人欠けることなく、欠かすことなく行って戻ってきたいと思います。どうか、最後まで力を貸してください。よろしくお願いします」
私が頭を下げると、衣擦れの音と共に、全員が一斉に膝をついた。
その動きに迷いは無く、まるで一つの意思で動いているかのようだった。
「姫君の思いが変わらぬように、我らの忠誠もまた変わりません。
いえ、始めよりもさらに思い強く。
どうかご安心を。姫君の旅の安全は我らが命に代えても」
代表として応えてくれたのはウルクス。
隣に、今回は護衛士見習いのプリエラがいるけれど、その思いも様子もあの時、最初の旅の時と同じだ。
私も意図して最初の時に言葉や思いを寄せたけれど、みんなもあの時の事を忘れないでくれているのなら嬉しい。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
リオンやフェイ、アル。
文官のモドナック様やミリアソリス。
頼れる仲間達の顔を、一人一人見渡す。
この人達とだから、ここまで来れたのだと改めて実感する。
「セリーナ。フェイのしごきはキツいでしょう?
甘いものを食べて元気を出して下さいね」
「これは、チョコレート? いいんですか? 私が食べて?」
「うん。旅の間、よろしくお願いしますね」
「私のような者が精霊術を使えるようになるとは思いませんでした。微力を尽くします」
少し疲れた顔をしながらも、しっかりと応えてくれるセリーナ。
その頑張りが、胸に刺さる。
「ノアールも、セリーナが抜ける分仕事が増えて大変かと思いますが、頑張って下さい」
「ここでの仕事など、大変の部類には入りませんよ。
他の王族、貴族のやりようを考えたら、本当に夢のような待遇です」
さらりと返されたその言葉。
その時は、軽く笑って受け流してしまった。
セリーナやノアールも、みんなで笑い合って、一生懸命作った料理を少しも残さず食べてくれた。
その光景はとても温かくて、まるで家族のようで。
だからこそ――私は、この場の全員を守りたいと強く思う。
「また、無事に戻ってきたらパーティをしましょう。
それを励みに頑張って下さい」
私の言葉に、皆がそれぞれの形で頷く。
誰一人として、迷っている者はいない。
その信頼の重さに、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
『お前は側近に甘い』
と、皇王陛下はよくおっしゃる。
私は向こうの世界でブラック保育所に勤め、色々と、本当に色々と思うところがあったから。
自分が上司になったら、なれることがあったら、絶対に部下に誠実に向き合うと決めていた。
だから、このやり方は変えない。
変えたくない。
でも
「他の王族、貴族のやりようを考えたら」
――この時、聞き流したノアールの言葉を。
後で私は、噛みしめることになる。
後悔してもしきれない反省と共に。




