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皇国 ティラトリーツェ視点 母の誓い

 こうしていると、あの日が本当に夢のように思えてしまう。

 長旅を終えて帰ってきた娘と、家族水入らずで過ごした僅かな時間を。


 騒動からまる一昼夜。

 こんこんと眠り続ける娘の静かな顔と、悪夢でも見ているのか、時折魘されるように揺れる表情を見つめる度に思ってしまう。


『神』という存在への憤り。

 そして、何故、この娘がここまで重い宿命を背負わされなければいけないのだろう、と。


「…さま。…ツェさ…ま。ティ…トリーツェ様?」


 ぼんやりと、我が子の姿を見つめていた私に、そっと伺うような声がかかる。


「…あ」


 考え事をしていたから、反応が遅れた自覚はある。


「ごめんなさい。呼んでいた?」

「はい。カマラが休憩から戻って参りました。

 どうかティラトリーツェ様も、少しお休みになって下さいませ」

「ありがとう。ソレルティア」


 宮廷魔術師が声をかけてくれるけれど、動く気にはなれない。

 顔を動かさず、娘を見つめる私に、さらに気遣いの言葉が重ねられる。


「昨夜からずっと眠っておられないのではないですか?

 皇子皇女の授乳以外では場を離れることも無く。

 これでは先にティラトリーツェ様の方が倒れてしまいますわ」

「私は大丈夫です。

 一晩の徹夜くらいで身体を病むような柔な鍛え方はしていません」

「そういう問題ではなく。

 マリカ様はいつ目覚められるかもまだ解らないのです。

 ずっと張り詰めていては、マリカ様が目覚められた時に、疲れて苦し気なティラトリーツェ様を見る事になるのでは?

 と申し上げているのです」

「それは、解っているのですけれど…ね」


 宮廷魔術師を務めるだけあって、この娘は頭がいい。

 言っている事も正しいと、頭では十二分に理解している。

 けれど、そうしたいか、できるかは、また別の話で。


 二カ月ぶりに再会した娘に、ゆっくり語り合う時間もろくにないまま昏睡状態に陥られた母親として思えば、やはり後悔以外のものが見つからない。

 何もできないのなら、せめて側にいてやりたい。

 そう思ってしまうのだ。


「マリカ様に外傷は見つかりません。

『神』の憑依と精神支配の結果、体力、精神力を異常に消耗させられただけ、だと思います。

 一度意識が戻りましたし、体力が戻れば目を覚ますのではないでしょうか?」

「でも、それは確定ではないでしょう?」


 じっとしていると、どうしても色々な事を考えてしまう。


「『神』がマリカの精神を連れ去ってしまったのではないかしら?

 とか。

 強大な『神』の精神に、マリカの意識が磨り潰されてしまったのではないかしら?

 とか思ってしまうのよ。

 まったく、側に居ても離れても、この子は心配をかけるのですから…」


 頬にそっと手を触れる。

 二カ月の間に、少し痩せたのではないだろうか。


 見知らぬ国で王族と、幼い子どもの身で対等以上に渡り合ってきたのだ。

 使節団の長として、数十名を率いて。


 少し悔やむ。

 もっと、手放しでその頑張りを褒めて、抱きしめてやれば良かった、と。


「ティラトリーツェ様は、本当にマリカ様の事を慈しんでおられるのですね」


 ソレルティアの言葉には、それ以外の意味も込められている事が解る。


「出会ってまだ一年になるかならないかですけれど、最近はこの子が、私の産んだ子では無いなどと考えた事も無かったわ。

 皇子の子。

 愛しい愛しい私の娘。

 本当にそれだけなのです」


 私の心も、立場も、皇子との関係も、実子たる双子達も、みんなみんなこの子が救ってくれた。


「だから、この子は渡さない。

 少なくともマリカが幸せになれない相手になど、絶対に…。

 そう思っていたのに」


 独占欲めいていると自分でも解っている。

 けれど、それでも心からそう思い、そうできると信じていた。


 だが、結果はこれだ。


 より強大な力を前に、自分は本当に何一つ成す術がなかった。

 マリカを奪っていく存在を前に、戦いを挑む事さえできなかった。


 今も『神』は許せない。

 この小さな体を乗っ取り、連れ去ろうとした。

 体力や心を一切考慮せずに、思うまま道具として使い、取り込もうとした。


 けれど、何より許せないのは自分自身だ。


『神』の降臨に慄き、娘を奪おうとする相手を止められなかった無力さ。

 あと少しで、私は五百年前と同じように、我が子を永遠に失うところだったのだ。


 情けない。

 兄とも約束したというのに。

 自分以外に、けっして敗北するな、と。


「ティラトリーツェ様は…いいえ、私達は負けてなどいません。

 マリカ様を奪い去らんとする『神』に一矢を報い、守り抜いたのです」

「男達のおかげで、かろうじて……ね」

「かろうじて、であろうと、生きて、立っていればこちらの勝利でございます」

「ソレルティア……」


 この外見からすれば貴人にしか見えない王宮魔術師は、子ども上がりであるだけに、なかなか逞しいところがある。

 頼もしい限りだ。


 確かに、いつまでも落ち込んではいられない。

 まさかいきなり、この世界の最高存在『神』がマリカを奪いに来るとは思わなかったけれど、今後この子は狙われる。

 きっと、ありとあらゆる存在から。


 でも、誰にも渡さない。

 この子は私の娘。


 例え、魔王の生まれ変わりであろうとも、異世界からの転生者であろうとも。

 自分の幸せにまったく頓着しないこの子を、腕を引っ張ってでも幸せにするのは私の役目だ。


 私が皇子の腕の中で感じたような。

 あるいは、我が子をこの腕に抱いた時のような。

 女としての幸せを、この子にも教えてやりたい。


 勿論、幸せは男と共に歩み、子を産むだけではない。

 けれど、それ以外の事も含めて。

 私達に幸せを運んでくれた小精霊を、幸せにしてやりたいのだ、私は。


「……ソレルティア」

「なんでございましょうか?

 ティラトリーツェ様」

「其方は『神』と精霊、どちらを信じ帰依しますか?」

「当たり前のことを聞かないで下さいませ」


 肩を竦めて見せたソレルティアは、本当に全てを心得ているような眼差しで私を見る。


「私の忠誠はこの国と精霊に。

 私の杖にかけて、幼い皇女に憑りついて意のままに操り、存在を溶かし消し去るなどと言う『神』などに従うつもりはありませんわ」

「不老不死が奪われることになっても?」

「まあ……その時はその時、です。

 色々と便利ではあるので、怖くないと言えば嘘になりますが、それに固執してやるべきことを見失うつもりはありません」

「ありがとう」


 ならば――マリカに確認してからの話になるけれど――この娘も味方に取り込んでしまおう。

 頼りになる味方は、多いに越したことはない。


「マリカが回復したら、数日療養に出そうと思うの。

 付き添って貰えないかしら?」

「陛下の許可が下りれば構いませんが」

「許可は私が取ります。

 この子が預けられ育てられた郷で、ゆっくり休ませたいのです」

「……それは……フェイが生まれ育った場所、ということでもあるのですよね。

 楽しみな話です」


 カマラにも真実を伝えたいと言っていたので丁度いい。

 ミュールズや、ミリアソリスは……まだ少し難しいかもしれない。

 信頼できない訳では勿論ないが、夫や家族など、柵が多いとそれらに縛られてしまうから。


 あの子には本来、皇女だの魔王だのは似合わない。

 子ども達と一緒に笑い合って、遊んでいる姿が一番相応しいのだ。


 その実現の為にとはいえ、マリカを皇女という似合わぬ立場に縛り、仕事を増やした張本人である以上、マリカの周囲に厳選した味方を増やし、あの子を守る。

 それは母親である私の務めだ。


 絶対にあの子を幸せにしない者達に、渡すものか。


「あ! ティラトリーツェ様。

 今、マリカ様の目元が」

「え?」


 ソレルティアの呼び声に、私はベッドサイドへと駆け戻った。

 確かに、瞼がぴくぴくと動いている。

 よく見れば、指先も動いて――


「…あ…うん…う……」

「マリカ?」

「あ、れ? ティラトリーツェ様? 私…どうしたんでした…っけ?」


 寝ぼけ眼ではあるけれど、あの時とは違う、はっきりとした受け答え。


 良かった。


「どうやら、意識が完全に戻ったようですね。

 良かった。私、カマラと一緒に陛下や皇子達にお知らせしてまいります」

「お願い」


 ソレルティアが素早く部屋を出ていくのを見て、首を傾げるマリカ。


「今の…ソレルティア様? ですか?

 私は…一体、何があったんでしたっけ?」

「覚えていないのですか?

 まあ、いいわ。後でゆっくりと話します。どこか、身体は辛いところは無くって?」

「あ、それはあります。

 身体全体が重くって…、あと頭が痛いです。凄く気持ち悪い…」

「今は、何も考えず休みなさい。

 本当に、色々ととんでもないことがあったのですから」

「とんでもないこと…? あ、サークレット!」

「余計な事は考えずにいなさいと、言った筈です」

「はい…お母様」


 身体を起こそうとするマリカを布団に押し戻し、私は額をそっと撫でてやる。

 目を閉じさせる為に。


 しばらく、身体を固くしていたマリカだけれど、やがて諦めたのか、すっと力が抜けたのが解った。

 そして戻ってくる、すやすやとした寝息。


 さっきまでの、目覚めるか解らない昏睡とは違う。

 柔らかな、穏やかな眠りの音だ。


 私は額から手を離し、マリカの寝顔を見つめた。


「お母様…。

 そう。私は貴女の母親なのですからね」


 血が繋がっているとか、いないとか。

 そんなことは関係ない。


 この寝顔に誓う。


 マリカの宿命が動かせないものであるのなら。

 世界を、『神』を敵に回そうと。


 私はこの子を守って見せる、と。

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