大聖都 見えない縛鎖
翌日、私達は早々に大聖都 ルペア・カディナを後にする。
後にする、んだけれど。
「な、何? この人?」
それを見て、私は息を呑んだ。
私達が宿として借りていた国王会議のアルケディウス区画を出ようとすると、ずらり。
馬車の側に神官長。
その側に昨日食事をした司祭や神官、騎士団の上官達。
もう大聖都の全部がいるんじゃないかと言う程の人達が並び、大神官以外の全員が膝をついているのだ。
朝の光の下、石畳の上にずらりと並ぶ人影。
白や黒、深紅の法衣が整然と地に広がり、鎧の金具が淡く光を返す。
そのあまりの数に、祝福でも歓迎でもなく、別種の圧を感じてしまう。
息苦しいほどの威圧感に、胸の奥がひやりと冷えた。
「これは……どういうことなのでしょうか?」
呆然とする私の横で、ミュールズさんがため息をつく。
心底困った、という顔で。
「……どうやら姫様は、大聖都中に『聖なる乙女』と認識されたようですね。
今までの『王家、皇家の娘』という称号的なものではなく、『精霊』と『神』の寵愛を受けた聖女、として」
「え? なにそれ、ヤダ、怖い」
思わず本音がそのまま口をついた。
だって怖い。
怖いに決まってる。
こんなの歓迎じゃない。
見えない手で囲われて、逃げ道を塞がれているみたいだ。
「今は、気にせず、馬車に向かって下さいませ。
少なくとも神官長以外は姫君の歩みを止める事は出来ない筈です」
「解りました」
ぴょこん。
と、セリーナに預けてあった筈の精霊獣 ピュールが私の左肩に飛び乗る。
反対側、右手からリオンが手を差し伸べてくれた。
ミュールズさんの言う通りに、リオンのエスコートを受けて馬車まで進むと、周囲がざわり、ざわりと揺れる。
ざわめきの理由が私が出て来たことなのか、それともリオンが側にいたことからなのか、解らないけれど、無視してとにかく前へ。
乙女として手を振ってあげる、なんて余裕はとても出せそうにない。
一歩。
また一歩。
膝をついた人々の列の間を進むたび、視線がまとわりつく。
拝むような目。
探るような目。
熱に浮かされたような敬意と期待。
それらが全部混ざって押し寄せて来て、足元が落ち着かない。
逃げたいのに、逃げる素振りすら見せられないのが余計に息苦しかった。
ゆっくりと歩いて馬車の側へ。
そこで、
「姫君」
「は、はい!」
神官長が、私の側に進み出た。
私の歩みを唯一止める権利を持つ者。
肩の上から珍しく警戒の唸り声を上げるピュールを、私は手で宥めながら彼を見る。
「昨日は失礼を致しました。
これを、どうぞお持ちください」
「これは?」
隣に立つ小姓から差し出されたのは、美しい細工の施された白い木箱。
リオンが受け取り、中を改めようと蓋を開けたと同時、渋い顔をした。
まさしく、苦虫を噛み潰した、というような。
「何が入っていたの?」
私に渡して見せようとはしないリオンの横から箱を覗き込むと……
「え?」
中に入っていたのはサークレットだった。
しかも、一目見ただけでとんでもない品物だと解る。
蔓というか唐草模様風の繊細な作り。地金は青を宿す白銀。
中央に輝く緑の宝石は、深みのある碧で、向こうの世界で言うなら最高級の緑柱石のような美しさだ。
綺麗だ。
息を呑むほど綺麗。
でも、綺麗だからこそ余計に嫌な感じがした。
これがただの贈り物ではないことが、一目で解ってしまったから。
「これは……何ですか?」
「大聖都に古くから伝わる『聖なる乙女』の額冠にございます。
真実の乙女にお持ち頂きたく……」
「い、いりません」
私はとっさにリオンから箱を奪い取るようにして預かると、蓋をして神官長に押し返した。
けれど。
「私は『大聖都の聖なる乙女』になるつもりはないと昨日も……」
「勘違いなさらぬよう。既に貴方は『聖なる乙女』であるのです。
そこに姫君の意志や要望が介在する余地は最早ない。
これを貴女にお渡しするのは『神』の御意志なのです」
ビクッ!
思わず背筋が震えた。
一切の感情の見えない、ただ事実のみを冷淡に述べる声に呼吸が止まる。
拒絶でも脅迫でもない。
もっと質の悪い、決定事項の告知。
お前の考えなど最初から数に入っていないと、そう言われたような気がして、指先が冷たくなった。
「『神』と『精霊神』の寵愛を受けた姫君。
真実の『聖なる乙女』はある意味、『神』の手足にして駒たる我ら神官よりも上位に立つお方。
今は『聖なる乙女』の意向を尊重して、アルケディウスにお返しいたしますが、今後は大神殿ルペア・カディナの式典を姫君に司って頂く事になるでしょう」
「……私に拒否権はないのですか?
アーヴェントルクにも『聖なる乙女』がいらっしゃる筈です。
五百年の間勤めて来た御方をないがしろにしていいのですか!」
「『真実の乙女』が復活した以上、彼女の役目は終わり。
元々五百年もの間、自国の精霊神さえ復活させられなかった弱力者であったのですから。
仕方のないことです」
酷薄な声は、人間を……今まで『聖なる乙女』と崇めて来た皇女でさえ、道具としてしか見ていないと解る。
神の命令であるなら、人の命さえ彼はなんとも思わず潰すのだろう。
そう確信できる『神の僕』の宣言であった。
ぞっとした。
この人は本当に、そういう人なのだ。
理屈でも建前でもなく、必要なら切り捨てる。
しかもそれを、善悪の迷いなくやる。
昨日の食卓で向かい合っていた相手と同じ人だと思うのに、今はまるで別のものを見ている気がした。
「夏の礼大祭と新年の式典。
当面はその二回で構いません。額冠はその時に使用いたします。
正式にアルケディウスに要請致しますので、どうぞその心づもりでいらして下さい」
「嫌です」
……と、午餐会のようには答えられなかった。
この大衆の面前で、アルケディウス皇女が神官長の言葉を否定すれば、それは世界を支配しているに等しい大聖都の顔を潰すことになる。
そうなった場合、彼が誓いも約束も無視して私とリオンの正体を明かし、真実、大聖都に繋ぎ止めることをしないとは言い切れない。
元より、なりふり構わない戦いになればこちらは圧倒的に不利なのだ。
嫌だ。
嫌だけど、ここで言えない。
言った瞬間に、何かが決定的に壊れる。
そう解ってしまったからこそ、喉が強張って、あの一言が出て来ない。
「解りました……」
渋々箱を受け取り、ミュールズさんに預けると、神官長は静かに頭を下げた。
「『聖なる乙女』の旅路に大いなる神の祝福があらんことを。
お帰りを心からお待ち申し上げております」
「……マリカ」
「うん」
私は神官長の言葉に返事をせず、リオンの促すままに馬車のタラップを上がる。
背中に刺さる視線が痛い。
歓待のように見えて、実際には逃がさないという意思表示。
そう思った瞬間、手足の先までじわじわと寒くなった。
馬車の中に腰をかけ、外から扉が閉められると、ざわめきは消えて静かになった。
やがて滑るように馬車は走り出し、ルペア・カディナは遠ざかっていく。
窓の外を見たいという気持ちは欠片も出てこなかった。
肩から膝に戻ったピュールを撫でながら、私は脱力する。
「疲れた……」
どっと、疲れた。
なんで、最後にこんな疲れる事になるんだろう。
「大変な事になりましたね。
国に帰りましたら皇王陛下、皇王妃様によくご相談された方がいいと思います」
「そうします……。
ミュールズさん。大聖都の礼大祭ってどんなのだかご存知ですか?」
新年の、というのはなんとなく解らなくもない。
今年の新年の参賀の時に、大聖都で各国の王とその伴侶だけが参加する式典があった。
その時にきっと、何かがあったのだろう。
「私もアルケディウスから離れた事がありませんので、詳しくは存じません。
ただ、夏の一番、光の大神。
そのお力の強い時に、神の力に感謝し、祈りを捧げる祭りがあると聞いてはおります。
他の祭典が神殿の内部で行われるのに対して、夏の大祭の時だけは外の舞台で行われるのだそうです
「外? 雨とか降ったりしないのですか?」
「数百年の歴史の中、一度たりとも悪天候となったことはないそうですわ」
この世界もなんとなく地球と似た感じで、夏には日が長くなり、冬は短くなる。
向こうで言うところの夏至に、行う舞。
暑くて凄い事になりそうだ。
そして怖い。
神殿の部屋の中でだったら、色々あってもいくらかごまかしがきく。
けれど外だと人の目が段違いだ。
もし『神』の所に連れていかれたり、何かされたらどうしよう。
私は神官長の冷徹にして冷酷な目を思い出す。
『神』の命令なら一切を躊躇わない。
上司を殺した相手にも膝をつき、宿敵にさえも縛鎖に繋ぐ。
今日の事は、彼の覚悟の証。
昨日の夜、私に譲った分、神官長はしっかりと私の首に縄をかけて締め直したのだ。
見えない。
でも確かにある。
冷たい鎖が、首にも手首にも巻きついたみたいな息苦しさ。
大聖都を離れているのに、もう逃げられない場所を作られてしまった気がした。
今回の件で改めて思い知った。
アドバンテージを握っているのは私達ではなく、神の陣営なのだと。
彼等が本気で私達を排そうと思えば、簡単にそれは叶う。
今はただ、何かの思惑で見逃されているだけなのだと。
肥え太るのを待たれ、育てられている食肉獣のように。
その考えに至った途端、ぞわりと背中が粟立った。
自分達が動いているつもりでも、本当は掌の上で転がされているだけなのかもしれない。
そう思うと、さっきまでの疲れとは別の寒気が胸の奥に広がっていく。
「うん、帰ったら相談する。皆に」
それしかない。
一人で抱えたままでは、きっと押し潰される。
リオンにも、フェイにも、アルにも。
お父様やお母様にも、ちゃんと話そう。
怖かったことも、嫌だったことも、全部。
最後の最後に怖い事になったけれど、とにかくこれで、私の最初の諸国巡りの旅、全ての日程が終了した。
後は、アルケディウスに帰るだけ。
そう思ったとたんに、強烈な睡魔が襲ってきた。
全身から身体の力が抜けていくようだ……。
「ミュールズさん、ごめんなさい。少し寝ます……」
「どうぞ。少しでも身体とお心をお休めになって下さい」
窓に頭と身体を預け、目を閉じた私は、そのまま眠りについた。
昨日の夜更かしと、さっきのバトルが祟ったのだろう。
いつの間にか国境を越え、アルケディウスに戻っていたことに、宿に着くまで気が付く事ができなかった。
大聖都から預かった箱が、不思議な光を放っていたことも。
その上に、ピュールがどっかりと腰を落として座っていたことも。




