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地国 それぞれの生きる場所

 二の夜の刻は、体感で言うのなら夜の十時くらいだろうか。

 十分に遅い。

 いつもだったら、私はもう寝所にいる時間だ。


 でも今日は自室に戻らず、応接の間で来客を待っていた。


 やがて人の気配を感じたのだろうか。

 リオンが顔を上げたのとほぼ同時、外門番を頼んでいたヴァルさんが玄関の扉を開いた。


「お見えでございます」

「解りました。今、参ります。

 リオン、カマラ、フェイ。お願いします」


 護衛の皆に声をかけて、私はゆっくりと外に出る。

 すると、不思議に辺りは薄明るかった。

 見れば、小さな光の精霊達が踊るように周囲を舞っている。


「こんな深夜に、すまない」


 宮の外に立っていたのは、勿論、スーダイ王子だ。

 さっきまでの宴会で着ていた公式正装ではない、エルディランドの民族衣装を身に纏っている。

 随員は護衛のウーシンさんと、灯りを担当しているのであろうシュンシーさんの二人だけ。


「いいえ。

 私も、最後にちゃんとお礼を申し上げたいと思っておりましたので……」


 私の答えに、苦さの交じった笑みを浮かべた王子は、私に向けてエスコートするように手を差し伸べて下さった。

 流れるように美しい仕草は、やはり王子様だなって思う。


「麗水宮はその名の通り、庭園と流れる水が美しい宮だ。

 一緒に、少し歩かないか?」

「……はい。喜んで」


 私はその手を握り、王子と肩を並べてそっと歩き出した。


 薄明りの庭園を二人で歩く。

 月のない夜は、星明かりだけだと周囲も見えないくらいだけれど、今日は光の精霊達が蛍の様に踊っているので、昏さは感じなかった。

 向こうの世界でも見たことのない豪奢な中国庭園を歩いて行くと、やがて紅い屋根の東屋が見えた。


「こんなところに、東屋があったんですね? 庭も殆ど出歩かなかったので知りませんでした」

「なんだ? 二週間も過ごしていたのに気付かなかったのか?

 散歩くらいすればよかったのに」

「そうですね。でも、そんな余裕も無くて……。

 遊びに来たわけではありませんでしたし、予想外の事も色々ありましたから……」

「まあ、そうだな」


 王子は小さく肩を竦めると、私をその東屋のベンチへと促してくれた。

 お茶の用意や、肩掛け、座布団のようなものまで置いてあるところを見るに、ここに私を連れて来たかったのだろう。

 スーダイ王子は、私を柔らかい座布団の上に座らせると、美しい肩掛けをかけ、優美な仕草でお茶を淹れてくれた。


 そういえば、お茶――テアはエルディランドで良く作られていると言っていたっけ。

 調べようと思っていたのに忘れていた。


 紅茶や緑茶とは違う、香り高いお茶が小さなカップに注がれる。

 無言で差し出されたそれを受け取ると、鼻孔を甘い花の香りが擽った。


「花を乾燥させて作ったお茶(テア)だ。

 身体と心を安らがせると言われている」

「頂きます」


 深い花の香りは、向こうの世界のジャスミンティーによく似ている。

 確かに、身体と心が内側から温まるようだ。


「美味しいです。それに、とても良い香りで心が休まります」

「それは良かった……宴でも出してやれば良かったな」

「そうですね。私はお酒が飲めないので、お茶があると確かに嬉しかったかも」

「……まだまだだな、私は」

「でも、宴は大盛況だったじゃないですか? 王子方々も御婦人も、皆大喜びで料理を召し上がっていらっしゃいましたよ」


 ほんのさっきまでの華やかな宴を思い出す。

 私の送別の宴。

 その晩餐の料理は、エルディランドの『新しい味』の集大成として、参加し、食した者達全員から大喝采を受けた。

 みんな目を輝かせて料理に舌鼓をうち、自分達にもレシピを教えて欲しい、と詰め寄って来るくらいに。


 さらに、既に告知はされていたけれど、その場で改めて大王陛下が退位と、次期大王をスーダイ王子に譲ることを告げられた。

 新しい大王が主体となって、アルケディウスと技術提携を行い、新時代に導く、と。

 次代の大王である王子は、彼が差配した料理と共に、宴の主役となったのだ。


「あの宴は其方の送別の宴。

 本来なら主役は其方であるべきだったのだ。

 料理の指導者として喝采を浴び、労を労われるべきだったのに……。

 そんな事も気付けないとは、私は本当に未熟者だ」

「いいえ。十分に労って頂きました」


 申し訳なさそうに唇を噛む王子だけれど、私的には全然問題ない。

 殆ど知らない大貴族……王子達に挨拶を貰っても疲れるだけだし、めんどくさい。


 王子が何かと気にかけてくれて、大王様や大王妃様、グアン様も気遣って、煩い貴族からの防波堤になって下さったのは、むしろ助かったし。


「お料理もとっても美味しかったです。

 スーダイ様とグアン王子の力が合わさった、エルディランドの未来そのものの味って感じでした」


 王家の料理人さん達の手で丁寧に作られた料理は、お世辞抜きに上手で、美味しかった。

 素材の味を生かす『人が作ってくれた』和食を堪能できたのだ。

 文句などあろうはずもない。


「それに私も嬉しかったです。王子が皆に認められて輝く姿を見られたのは」

「其方は……優しいな」


 スーダイ様は、そのふくよかで柔らかな手で私の髪にそっと触れると、膝をつけて、椅子に座る私と視線を合わせた。

 私の手を、騎士の様に恭しく取る。


「……ああ、このぬくもりだ。

 一条の光さえ刺さぬ漆黒の闇中、私を温めてくれたぬくもりは、やはり其方だったのだ」

「私は、何もできませんでした。

 スーダイ様の魔性を追い出したのも倒したのも、私の魔術師や騎士達です」

「それでも、私にとってはこのぬくもりこそが、たった一つの縁であった。

 私と現世を繋ぐぬくもりがあったからこそ、私は戻って来る事ができたのだ」


 微かに手に感じる、込められた力。

 縋るようなスーダイ王子の思いが伝わってくるようだ。

 そのぬくもりは切実で、真っ直ぐで、だからこそ胸が少しだけ痛んだ。


「マリカ。

 いや、マリカ姫。これが最後の問いだ」


 彼は顔を上げて私を見据える。

 だから、私も真っ直ぐに視線を合わせた。


「はい」

「実年齢で言えば五百年以上、本当の年齢でさえ親子ほど歳が離れていて、其方には不釣り合いだという事は承知している。

 だが、それでも願いたい。

 どうか、私の妻に、大王妃になって共にエルディランドを支えてはくれないか?」

「申しわけありません。私にはできません」

「………そうか」


 間の開かぬ即答に、スーダイ王子は寂しげに手を離した。

 その一瞬の静けさが、かえって王子の痛みを際立たせてしまう。


「仕方ないな。私の様な侮男に、其方の様な若く、美しく聡明な娘が寄り添ってくれる筈も無い」

「それは、違いますよ」


 私は立ち上がり、寂しげに顔を逸らすスーダイ王子の頭を抱きしめた。


「勘違いしないでください。王子は侮男なんかじゃないです。とっても魅力的で素敵な方ですから」

「……そんなことを言ってくれるのは、言ってくれたのは……其方だけだ」

「皆が知らなかった、気付かなかっただけです。

 王子が見つけ出した野菜たちと同じ。

 これから、きっと王子はエルディランドの人達、皆に好かれて、皆を幸せにするんです。

 私には、解りますから」


 うん、例えは悪いかもしれないけれど、サツマイモのような感じだ。

 土の中で埋もれていて、今まで価値が知られていなかったけれど、一度掘り出され、味が知られれば、きっと皆が魅了される。

 元々、王子は皆に愛されていたのだし。


「……大王になるから、と言ってすり寄ってくる女など好かん」


 拗ねたように顔を背ける王子。

 そういえば、さっきの宴会でも王子の何人かは自分の娘をどうか、なんて話をしていた。

 今のご時世、独身の女性は殆どいないだろうから養女を取るのか、もう結婚している人を引き裂くつもりなのか。

 どっちにしても、あんまりよくないな、とは思う。

 でも――


「きっかけはそれでもいいじゃないですか。段々に王子の魅力が解って、メロメロになりますよ」

「……仮に、私にそんな魅力があったとしても、其方に伝わらなくては意味がない。

 私が妻に欲しいと思ったのは其方なのだから」


 王子は強く首を振る。


「私と対等に話し、同じものを見て会話できる娘。

 私の孤独を理解し、寄り添ってくれた皇女。

 ……其方の料理の知識や、腕が欲しいわけではない、とは言い切らないが、そんなものではない其方自身に、私は側に居て欲しかったのだ」

「伝わってない、訳じゃないんです」


 そう。

 王子の魅力は十分に解ってるし、伝わってる。

 人間としての王子のことが、私は大好きだ。

 でも……。


「ただ、私にはずっと支えてくれた大切な婚約者がいて、愛する故郷もある。

 それを捨てて、エルディランドに嫁ぐことはできないんです」


 そこは解って欲しい。伝わって欲しい。

 王子が嫌いな訳じゃない。

 誰が悪いわけでもない。

 ただ、私にとってそれよりも大事なものの全てが、アルケディウスと魔王城にあるだけだ。


「王子だって、全てを捨ててアルケディウスに婿には来れないでしょう?」

「……其方と出会ったばかりであったなら考えられたが、もう、無理だな。

 今の私には王として、精霊神にこの国を託された『七精霊の子』として、この国に対する責任がある」

「はい」


 微かに身じろぎした王子から手を離し、私は元の場所に戻る。

 王子は小さく息を吐き出すと、真っ直ぐに立った。

 その立ち姿は、もう一人の男ではなく、この国を背負う者のそれだった。


「マリカ。最後に一つだけ、思い出をくれないか?」

「なんでしょう?」

「私は、今まで女性と愛欲をもって触れ合った事は無いし、騎士連中の様に唇を捧げたこともない。

 一度でいい。

 その花の顔に唇を寄せる事を、許して欲しい」

「………どうぞ」


 真摯な思いと眼差しを前に、私は目を閉じ、顔を上げる。

 私のファーストキスは、最低最悪のナメクジに奪われた。

 心のファーストキスはリオンのものだから、例え唇に触れられても、それで王子の気持ちにけじめがつけられるなら、いいかな、と思ったのだ。


 でも。


「ありがとう」


 少し逡巡したように動いた王子の顔と、吐息が寄せられたのは私の額。

 チュッ、と。

 小さな音と共に優しい口づけが落とされ、そして消えた。


「王子……」


 間近に見える王子の瞳に、もう表向き迷いは見えなかった。

 凛々しい王族の目をしている。

 痛みを飲み込み、それでも前を向く者の、静かで強い目だった。


「失礼をした。マリカ皇女。

 これからもどうか、エルディランドとアルケディウスの末永い友好を賜らんことを」

「こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

 スーダイ王子、いいえ。

 大王陛下のご活躍を、アルケディウスより心からお祈りしております」


 王子は私の手を取り、丁寧にエスコートすると、側で待機していた私の随員達――リオンに視線を向けた。

 駆け寄り、跪いたリオンに私の手を渡す王子は、やはり寂しげで、ちょっと悔し気ではあったけれど。

 それでも、手放すべきものを手放し、守るべきものを守ろうとする覚悟が、その横顔には確かにあった。


 リオンの手を取り、私は最後に一礼する。

 くるりと王子に背を向け、静かに東屋を後にした。


 後はもう振り返らない。

 真っ直ぐに帰る。


 私の生きる場所は、エルディランドでは無いのだから。

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