地国 最後の仕事
今日はエルディランドの、事実上の最終日となる。
夜は送別の宴になるので、私はグアン王子にご挨拶に向かった。
本当なら大王様とスーダイ王子にもお会いしたかったのだけれど、今日は宴の準備で大変お忙しいらしい。
まあ、スーダイ王子とは夜にお会いする約束をしているし……。
「色々とお世話になりました」
私がリオンとカマラを連れてグアン王子の館に向かうと、王子とユン君が執務室で迎えてくれた。
大きな窓から差し込む午後の光が机の上に柔らかく広がり、整然と積まれた書類や道具を淡く照らしている。
執務室の空気は静かで落ち着いていて、ここがこの国の政務の中心なのだと自然に感じさせる場所だった。
「こちらこそ、姫君のおかげで我が一族が育てて来たショーユとサケが、改めて注目される事となりました。
長年の努力が報われた思いです。
本当に感謝申し上げます」
グアン王子はそう言うと、深々と頭を下げて下さった。
大臣クラスの方なのに、こうして腰を折って礼を尽くして下さる。
本当に立派な方だな、と改めて思った、その時。
ふと、私は気付いた。
――この方は、ユン君の正体を知っているんだよね?
どこまで知っているんだろう。
ユン君=カイトさん=異世界転生者まで?
それとも、ユン君=クラージュさんまで知っているのかな?
そんな疑問が胸の中に浮かび、私は小さく首を傾げてしまう。
すると――。
その仕草だけで察して下さったのだろう。
王子は静かに手を上げ、部屋の中にいた側近達を下がらせた。
そしてゆっくりと立ち上がると、私の前へ歩み寄り――そのまま跪いた。
「麗しの精霊の巫女姫、尊き精霊国の女王陛下よ。
我らが父、カイト……いいえ、クラージュの名において、我が一族は貴女に忠誠を誓います」
「あ、そこまでご存知だったのですね……」
いきなり跪かれて、思わず驚いてしまった。
でも、ユン君の正体を知った時ほどの衝撃ではない。
私はグアン王子の真摯な瞳を見つめ、静かに頷いた。
その様子を見て、グアン王子はユン君――クラージュさんへと視線を向ける。
クラージュさんは小さく笑い、何も言わない。
ただ静かに立ち、グアン王子の言葉を遮ることなく受け止めていた。
「古の精霊国から始まる父上の転生に纏わる全てを知っているのは、私を含む三人の王子のみ。
父上が現世にユンとして戻っている事を知るのも同じく。
ですが、我が一族の多くが子ども上がり、『神』の支配下において辛酸を舐めて来た者ばかりです。
仮に、姫君と『神』が対する時があったとしても、我らは迷うことなく姫君と父上の力になると誓います」
「ありがとうございます。
勿論、そのような事は無いに越したことはないのですが……いざという時には頼りにしています」
「はっ、いつなりと」
静かな決意が、その声に宿っていた。
……『星』は、クラージュさんを魔王城やアルケディウスではなく、エルディランドに転生させた。
その結果、クラージュさんはとんでもない苦労をすることになったわけだけれど……。
でも――。
もしかしたら、『星』は最初から考えていたのかもしれない。
クラージュさんをこの国へ送り込むことで、
七国一の農業国であるエルディランドとの確かな繋がりを作ることを。
……『星』の考えは、本当に解らない。
大きな流れの中で、私達がどんな役割を与えられているのか。
時々、ほんの少しだけ怖くなることがある。
「ユン君……クラージュさんに、アルケディウスに来て頂く事は可能でしょうか?」
「現時点では、製紙と印刷技術の指導員として、父上……ユンを派遣する方向で話を進めています。
技術供与が終わった後も、星の宝、『聖なる乙女』のエルディランドからの護衛として残せるのではないかと」
「そうなれば、本当に助かります。
エルディランドを支える大事な開祖を、アルケディウスが奪ってしまうようで申し訳ないのですが……」
「心配いりません。私は、子ども達にそんな柔な教育はしていませんから」
今まで沈黙を守っていたクラージュさんが、少しだけ顔を上げてグアン王子を見た。
その声は落ち着いていて、揺るぎがない。
眼差しにも、強い信頼が宿っていた。
「私がいようといまいと、皆は自分のやるべきことを為すことができる。そうですね。
グアン」
「はい。父上のご期待に背くようなことは決して致しません。
エルディランドは我らにお任せを」
父上、とユン君に頭を下げるグアン王子。
外見年齢だけ見れば、本当に親子ほど離れている。
でもこうして見ていると、どうしてもユン君の方が年上に見えてしまうから不思議だ。
……さすが、海斗先生。
しっかりと子ども達に愛情を込めて教育していたんだ。
そのことが伝わってきて、心がほんのり温かくなる。
「そういうことですから、どうか今しばらくの猶予を。
どんなに遅くとも冬までには、姫君の所に馳せ参じます」
「待っています。クラージュ」
クラージュさんの移籍が約束できれば、
とりあえず私がグアン王子にお願いする事は、契約通りの醤油と酒の輸出くらいで――
……あ、違う。
大事な事を忘れるところだった。
「それから、グアン王子」
「はい、なんでしょう?」
「米麹を分けて頂けませんか? 味噌を作りたいんです。あと、塩麹も」
「ミソ? シオコウジ?
コウジダネをお分けするのは構いませんが……一体何に?」
首を傾げるグアン王子。
その隣で、クラージュさんが苦い顔で哂った。
「流石は真理香先生ですね。私は味噌は完全スルーでした。
作っても使いこなせないことが解っていたので……」
まあ、独身男性ならそんなものだよね。
少なくとも味噌を手作りする男性は、そんなに多くないと思う。
味噌はちょっと癖があるし、成功するかどうかも解らない。
だからまずは、大豆を分けてもらってアルケディウスでこっそり作る。
成功したら、少しずつ広めていけばいい。
「では、明日のお見送りまでには必ず」
「よろしくお願いします」
これで、一応、この国でやっておきたいことは全部やったと思う。
後、残っているのは――
やるべき……こと。
「姫君」
「グアン王子……」
退去の挨拶をして部屋を辞そうとした私を、グアン王子が呼び止めた。
「何か……」
「私が言う事では無いと承知しておりますが……スーダイ様を、宜しくお願いします。
あの方は、これからのエルディランドに無くてはならない方です。
もし、寄り添って頂く事が叶わぬのなら……」
「はい。解っています。
ちゃんと向き合って、話をして参ります」
静かに頷きながら、私は答えた。
胸の奥に、ほんの少しだけ重たいものを感じながら。
スーダイ様は、幸せな方だな、って思う。
ライバルのように見えていたグアン王子にも、こんな風に心配してもらえるくらい。
皆に愛されているんだもの。
精霊の愛し子。
エルディランドの次期大王。
……だからこそ。
私はちゃんと王子と向き合って、
きっぱりと振ってあげないといけないのだ。




