地国 『向こう』の記憶
私、異世界保育士マリカの根源は 日本の保育士 高村真里香だ。
高村真里香は保育士と言う仕事が間違いなく好きだったし、今も好きだと思う。
異世界に転生しても、自分が保育士でありたいと思うくらいには。
子どもが好きで、子どもの笑顔を守る為なら、自分にできることは全力でやるという意志に、揺るぎはないと自負している。
でも。
それでも。
私は、今、現代日本に戻り、もう一度保育士をやれ、と言われたら多分二の足を踏むだろう。
保育士と言う職場全てがそうだとは言い切らないけれど。
少なくとも私が経験したその多くが、良いとは言えない環境下。
決して見合うとは言えない低賃金で、子ども達の笑顔とやりがいを報酬に働く事を余儀なくされる、ブラックな職場だったから。
朝は早く、帰りは遅い。
子ども達と向き合う時間はかけがえのないものだったけれど、その裏で積み上がる書類や雑務の山は、終わることが無かった。
疲れていても笑顔を作る。
それが保育士だから。
そう言い聞かせながら、毎日を必死に回していた。
その中で、彼と出会った。
「先生。俺は先生と出会えた事に不思議な運命を感じるんですよ」
そう言った一つ年下の若い男の保育士。
片桐海斗先生。
別に本気で口説かれた訳じゃない。と思う。
凄く、仲が良かった、という訳でもない。
ただ、周囲がのきなみ勤続二十年以上のベテラン保育士ばかりで…。
その中で、二人でなんとか頑張ってきた間違いない友人だった。
彼は特に三歳児 二十人を一人で担任していたから大変だったと思う。
日々の保育に、毎日の日誌、連絡帳、保育の準備、週案、月案、個票、おたより、行事の準備。
保育士の勤務時間は全て子どもと接する時間だから、休憩もない。
様々な書類作成や保育外職務をやる時間は勤務時間が終わってから。
すなわち残業前提。
でも、残業代は出ない。
私も後で実際に受け持って死ぬ思いだったから。
でも、彼は優しくて時々、私の仕事も助けてくれた。
けれど…。
ある日、突然彼は帰らぬ人になった。
後に過労死認定されるほどの山ほどの仕事を抱えたままで。
子ども達には彼の死もちゃんと知らされぬまま、ベテラン保育士が仕事が増えたと愚痴っていた事を今でも忘れない。
保育室の中では、子ども達がいつもと同じように遊び、笑い、泣いていた。
その日常の中で、ただ一人の先生だけが、静かに消えた。
私もいつかああなるのだろうか。
死にたいけど、死にたくない。
彼の死は、間違いなく私に生と死について間近に考えるきっかけとなったのだった。
そして、いつしか私は思うようになった。
子ども達の笑顔を守る仕事なのに、
その笑顔を守る大人が壊れていくのは、どうしてなのだろうと。
意識が覚醒する。
静かな部屋の、ふんわりベッドで目を開けると。
「大丈夫ですか? 姫様?」
私を覗き込む心配そうな顔が見える。
薄く差し込む光に照らされた天井と、見慣れた護衛兵の顔。
夢から引き戻されるように、現実の感覚がゆっくりと戻ってくる。
「…あ、カマラ。私…どうした?」
「ユン様とのお話し中に、倒れられて…。ご気分はいかがですか?」
「少し、くらくらするけれど、大丈夫。
あ、王子達は戻られた?」
「まだです」
「だったら、ユン様、クラージュさんを呼んでくれる?
お戻りになるまえに、ちゃんと話しておきたいの。
あと、できれば、私が倒れたことは秘密に。
彼のせいじゃないから、とみんなに伝えて」
「解りました」
程なくして、入室を求める声が聞こえてユン君とリオンが入ってきた。
カマラは私の意図を汲んでくれたのだろう。
静かに一礼して退室していく。
本来だったら婚約者がいるとはいえ、男性二人と主である姫を置いていくとかないから直ぐに戻ってくるかも。
本当に話すのは今しかない。
部屋の空気が少しだけ張り詰める。
互いに、これから何を話すか分かっているような沈黙。
彼も解っているはずだ。
既にその眼はユン君ではなく、クラージュさんになっている。
「カイトさん、いいえ海斗先生」
「はい。真里香先生」
いや違う、片桐海斗先生だ。
「お会いしたら、お会いできることが有ったら、ずっと、謝りたいと思っていたんです。
…助けられないで、すみませんでした。
先生に、私はずっと助けられていたのに…。私は先生を助ける事ができなかった…」
「ああ、やっぱり、そういう扱いになっていましたか」
頭を下げ布団を握りしめる私に、彼は少し困った様に肩を上げて見せた。
「気になさらないでください。
あれは、今にして思えば多分『星』に呼び戻されたんです。
そうでなければ『俺』は身体も丈夫でしたし、もう少しなんとかできたと思いますよ」
前置き無し。
完全に異世界人「高村真里香」と「片桐海斗」になってする会話に主語はかからない。
「むしろ、すみませんでした。
先生方にその後を、全て押し付ける形になってしまって…。
大変でしたでしょう? 後始末」
「そんな!」
「実際、向こうでの事の方が色々と大変だった記憶があります。
こちらに戻ってからの苦労など『私的には』大したことではありませんでしたよ」
子どもが虐げられる命がけの世界。
けれど、こちらの方がマシだと言い切れる彼を否定できない私がいる。
「海斗先生には向こうでの時代、こちらの記憶があったのですか?」
「いいえ。それはまったく」
ノータイムで首を横に振る海斗先生。
「では、一体何がどうなって…」
「多分『私』はマリカ様を護衛する為に、向こうの世界に遣わされたのだと思います。
ただ何のミスか、バグか。
私は全ての記憶を失って、ただの人間として転生した。
職場で、同僚として肩を並べるようになってもまったく記憶は戻らず、死んでこちらに戻ってきて、初めて自分が転生者になったことを思い出した感じです」
リオンとは違う形の転生者、と言った意味がよく解る。
私と多分彼は、一緒の時に死んで、同じ形での転生を促されたのだ。
「この世界に戻ってきて、私はエルトゥリアが滅んだことや、世界が神に支配された事を知りました。
真里香先生がマリカ様であったと気付いたのもこちらに帰ってからのこと。
直ぐにもエルトゥリアに戻りたかったのですが、私が転生したのは何故か、遠いエルディランド。
幸い、良い商人に拾われて教育を与えられましたが、地位も金も持たない子どもが戻れる距離では無かった。
何故、こんな所に転生させたのか。
星を恨みたい気持ちでいっぱいのまま、私は生きる為に、行動を開始しました」
唇を噛みしめる。
ここからは多分クラージュさんだ。
先ほどまでの柔らかな語り口とはどこか違う、長い年月を生きてきた者の静かな重みが、その声音の奥に滲んでいるように感じられた。
「向こうの世界で読んだラノベやマンガが思う以上に武器になってくれました。
後は保育士として叩きこまれた知識や経験も。
育ての親である商人に頭がいい子だと気に入られたのは五歳の時。
彼に異世界転生者であることを伝え、ラノベを思い出し、一番需要があるであろう製紙に挑戦したのは八歳の頃でした。
製紙業が軌道に乗ったのはその数年後でしょうか?
その間にも、まあ色々と有りはしたのですが…」
色々、なんて言葉で濁しては下さったけれど。
子どもに人権の無い世界。
その中で、何も持たない子どもが、たった一人で生き残り、そして自分の居場所を築いていく。
どれほどの苦労があったのか。
どれほどの理不尽があったのか。
想像するだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「本当に恵まれていたのは、私を拾ってくれた商人が『私』を知識を搾取するだけの存在と見ず、共同経営者として尊重してくれたことです。
だから、私は三十前には製紙、印刷などの工場を管理する存在として一目を置かれるようになりました。
救い集めた子ども達も私の手足となってくれ、余裕が出て来たので醤油とお酒の醸造に着手したのはこの頃です。
何せ、米と大豆が山ほどあるのに打ち捨てられていましたからね。
向こうの世界に良い思い出はそう多くありませんでしたが、食と本の文化は素晴らしかった。
特に食事に意味の無い世界にうんざりしていたので…せめて卵かけごはんが食べたくて、お酒が飲みたくて。
それが醤油と酒を作り始めたきっかけです」
「解ります…」
思わず、私の口から言葉が漏れる。
その気持ちは、痛いほど解る。
本当に、よく解る。
もし、私の目の前に大豆とお米があったなら。
きっと同じように、豆腐や納豆や醤油を作ろうとしていたと思う。
卵かけごはん。
その言葉を聞くだけで、胸の奥に懐かしさがこみ上げる。
あの味。
あの、当たり前だった食卓。
遠い遠い、もう帰ることのできない世界の記憶。
……でも。
お米から真っ先に酒を作ろうとするあたりは、やっぱり男性だな、なんて。
そんな場違いなことまで、ふと思ってしまった。
「恥ずかしながら『片桐海斗』時代、食事はほぼコンビニ弁当で済ませていましたからね。
もしマリカ様のように料理の知識があれば、そちらから世界を変えられたのでしょうが」
「料理を学んでいたら、という言葉は…そういう…」
「はい。なのでできること、できそうなことからコツコツと進めていったのです。
幸い、私には『自分のやったこと』がどういう結果を齎すかが大よそ見える『能力』が生前からあったので」
クラージュさんの持つ『能力』は、自分のやった行動の結果がどうなるか解るというものらしい。
明確に行動に移した後でないと解らないけれど。
例えば製紙で言うのなら、この調合で紙を梳いた結果――
良い紙ができる。
失敗する。
そのどちらになるかが、乾燥する前にぼんやりと解る。
だから、失敗する結果を早くから切り捨て、成功に注力することができた、ということか。
ただ、それでも。
実行に移す前には解らないとしたら。
きっと、口で言うほど簡単な道ではなかったのだろう。
「ただ、誤算であったのは立場や金を得れば得る程に、国から出られなくなったこと。
まあ、当然ですね。
私の知識を他国に知らせられては困ると思ったのでしょう。
結局、私は六十五で死にました。一度もエルディランドから出る事叶わず…」
遠い星を見上げるような眼差し。
自分の死を語るその表情は、驚くほど穏やかだった。
けれど、その奥にあるものまでは、私には読み取れない。
「不老不死を得よ、という恩人や子ども達の誘いはあったのですが、それをしてしまうと転生者の資格が無くなると解っていましたから。
そして二十年後、転生したのは再びエルディランド。
私の意志を受け継ぎ、事業を継続させていたグアン達の元に戻り、今度は一人の子どもとして機会を待ち、やっと昨年。
『アルケディウスのマリカ』様の噂を聞く事ができ、今年、こうして再会が適ったのです」
「ごめんなさい。本当に…ごめんなさい」
気付いた時には、私はベッドから飛び降りていた。
そして、そのまま。
ユン君に、抱きついてしまう。
海斗先生の話を聞けば聞くほど。
自分がどれほど恵まれていたのかを思い知らされる。
ライオット皇子に救われ。
魔王城に連れて来てもらい。
衣食住すべて守られた場所で生きてきた。
リオンがいた。
フェイがいた。
アルがいた。
皆がいたから、私はここまで来られた。
でも彼は違う。
たった一人で。
誰の助けもなく。
この世界を、生き抜いてきた。
私を抱き留めたユン君は、少し困ったように笑いながらも、優しく私の髪を撫でてくれる。
「謝らないで下さい。
貴女が謝らなければならないことは、何もない」
その声は、静かで。
優しくて。
不思議と、胸の奥が落ち着いていく。
ああ、確かに。
私は、この人を知っている。
この、暖かくて強い人を。
「確かに何故、エルトゥリアに戻れず遠いエルディランドに生まれなければならなかったのか、と『星』に文句を言いたい気持ちは山々あります。
ですが、こうして再会が叶えば、それはきっと貴女の、マリカ様の助けになる為であったのでしょう。
私の全ては、既にマリカ様に捧げています。
ですから、どうか、マリカ様はマリカ様の信じる道を進んで下さい。私は、それをお手伝いします。
いつ、どこに有ろうとも…」
「先生は、アルケディウスに来ることはできるのか?」
今まで黙って話を聞いていたリオンが、初めて口を開いた。
ユン君は、静かに首を横に振る。
「直ぐには難しいでしょう。
他国の王族に、エルディランドの騎士貴族が仕える、というのは前例も理由もありませんから。
でも、姫君が覚悟を見せて下さったおかげで可能性は、生まれたと思うのですよ」
「え?」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、私は彼を見上げる。
その目は、どこか確信に満ちていた。
「姫君は、今回の件でアルケディウスや、プラーミァに留まらない、精霊の巫女、聖なる乙女の資質を顕された。
スーダイ様は、貴女を恩人として聖女として慕っておいでです。
上手くすれば『聖なる乙女』の護衛をエルディランドから送る、という形で私がお仕えすることはできるのではないかと思っています」
国の枠を超えた宝。
聖なる乙女を守る。
その名目ならば。
彼が私達の元に来る可能性は、確かにある。
「もう少し、時間を下さい。
いつか、必ず帰ります。エルトゥリアへ。
我らが『星』の希望たる女王陛下『精霊の貴人』の元へ」
そう言って。
彼は、私の前に膝をつき。
私の指先に、そっと口づけを落とした。
それは。
片桐海斗が高村真里香にする仕草ではない。
これは。
騎士が女王に捧げる、誓い。
彼はクラージュさん。
エルトゥリア女王に仕える騎士団長。
この世界こそが、彼の『帰る』場所。
クラージュさんにとって「片桐海斗」は、きっとほんの一時の夢。
忘れたいほどの記憶なのかもしれない。
彼が望んでいるのは。
向こうの世界の関係の継続ではなく。
この世界で。
女王と
騎士団長
その関係に戻ること。
だから涙を拭いた私は応える。
彼が望む女王として。
「はい。待っています。
クラージュ。
私達の騎士。貴方が私達の元に戻ってきてくれるのを」
少しだけ。
寂しく感じる
高村真里香を
心の奥に、そっと封じて。




