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地国 謎の味方

「マリカ様 ちょっと話があるんですが……」


 アルにそう声をかけられたのは、調理実習を終えて、麗水宮に戻った夜の事だった。

 廊下にはまだ、人の気配と昼の熱が薄く残っている。扉の向こうからは、誰かが片付けを続ける微かな物音さえ聞こえた。


「なあに? アル? 契約とかの関係でトラブルとかあった?」


 私は毎日調理実習とかでバタバタしているけれど、アルはアルで忙しい筈。

 ゲシュマック商会の名代として醤油、お酒の輸入契約をしてくれて、王都の商業ギルドで代理店を選んでとか頑張ってくれていると思う。

 だからこそ、今この時間にわざわざ声をかけてきたことが、少しだけ胸に引っかかった。


「いや、そうじゃな……ありません。

 契約とかの方は順調です。

 第二王子が信頼できる商会を、紹介してくれて、ちゃんと互いが納得できる線で契約を進めることができそうだと感じています。

 この国もプラーミァと同様で小麦とかたくさん獲れるってわけじゃないですから。

 マリカ様が、リアのレシピをまわしてくれればこの国独自の店ができると思います」

「レシピを回すのは勿論、構いませんが……」


 商売関係の事じゃないなら何だろう……。

 私はアルの顔色を窺ってしまう。いつもより言葉が慎重で、息を置く間が多い。


「……リオン兄が気にしてたあの騎士貴族のこと」

「え? ユン様?」


 周囲を伺いながら小声で囁くアルの言葉に、私は目を瞬かせつつ声を潜めた。

 その名前が出た途端、空気が少しだけ冷えた気がしたのは、気のせいじゃない。


「何かあったの?」

「ちょっと、気が付いた事と気になることがあるん……です。時間を、頂く事はできませんか?」

「それは……ちょっと……」


 仕事の話なら時間をとることは不可能じゃない。

 でも、アルは仕事の話じゃないと言った。

 つまりはそっち系(魔王城の話)|。


 すぐ側には護衛のカマラがいるし、ここはアルケディウス使節団の宿舎だ。

 人目が多すぎて『私達(精霊系)|』の特別な話はちょっとできない。

 廊下の向こうで誰かが足を止める気配がするだけで、胸の奥がひゅっと縮む。


「そっか。すまなかったな。

 大丈夫だ。とりあえず何とかする」


 アルはポン、と私の肩口を叩くと背を向けて行ってしまった。

 軽く触れただけの手のひらが、逆に重く残る。…………焦っている。そんな気配がした。


「何かお話があるのなら、なさって頂いて構いませんのに。

 多少込み入った話であろうと、私は口外など決して致しませんよ」

「うん、それは解ってるし信じてるんだけど……」


 カマラを信じられない訳ではない。

 ただ、流石に魔王城の事や精霊の事を、宮の中で何の気兼ねなく話すわけにはいかないのだ。

 せめてミーティラ様とセリーナなら。

 それでも、皇女が一商店代表の男の子と二人で会話なんてできないし、アルの話がもっと込み入った……例えば精霊関係の話だったら二人の前でもできない。

 貴族とか皇族とか、こういう所本当に面倒くさい。


 私は手の中に落とされた羊皮紙の欠片を、ため息と共に握りしめた。

 指先に紙の硬さが食い込み、胸の内のもやもやが形を持ったみたいだった。


 夜、アルケディウスに定時報告をして、翌日の予定を随員達と確認するのは就寝前の私の仕事だ。

 机に向かい、声を整える。皇女としての顔に戻るのは、慣れている…………はずなのに、今日はどこか落ち着かなかった。


「明日は調理実習はお休みですが、火の刻からスーダイ様と共にエルディランドの森のフィールドワークに参ります。

 随員はリオン、フェイ、カマラ、ミーティラ様、あとヴァルでお願いします。

 ピオとウルクスは館の警護。ゼファードはアルの護衛について下さい。

 文官達はエルディランドに残す為にレシピの写本と、スーダイ様が持ってきて下さった植物の標本の写しを行って欲しいと思います。

 アーサーとアレクはその助手を。

 セリーナ、ノアールはミュールズさんの指示に従って宮の中のことをお願いします。

 他の皆さんも、それぞれの仕事をお願いします」


「かしこまりました」


 皇女の依頼、というか命令を断る随員はいない。

 皆、素直に受けてくれる。

 その揃った声が心強い反面、私はそれを当然のように受け取ってしまう自分を、少しだけ怖くも感じた。


「あと、アルにはこちらをお願いします。

 第二皇子の代理人に問い合わせて、加工前のソーハやリアの輸入が可能かどうか確認して下さい」

「かしこまりました」

 

 指示書をアルに手渡すと、さっと目を通し頷いてくれた。

 ……多分、解ってくれたと思う。

 私の視線に、アルがほんの少しだけ目を伏せたのが見えた。


「明日も忙しくなりますから、皆さんも適時に身体を休めて下さいね。

 では、お休みなさい」


 私は夜の刻になる前に眠るように言われている。

 逆に私が休まないと他の随員達は休めない。

 明日はいつもより早いから、という名目で私は二階の部屋に戻って行った。


「皆もお休みなさい」


 寝床を整えてくれた侍女達にお礼を言って部屋に戻すと、私は見事な寝間着に着替えて美しい装飾のベッドに身体を横たえ、目を閉じた……フリをした。

 呼吸を浅く整え、耳を澄ます。部屋の外の足音が遠ざかっていくのを確かめながら。


「マリカ、起きてるか?」

「うん、大丈夫、起きてるよ」


 暫くして、私はベッドの横からかけられた声に顔を上げた。

 そこにはリオンが立っている。

 月明かりのせいか、いつもより輪郭が鋭く見えた。


 私たち以外は知らないリオンの『飛翔』の能力(ギフト)|。

 目に見える範囲ならどこにでも飛べるリオンは、その力をさらにパワーアップさせて、同じ建物内で座標が解れば行った事の無い場所でも行けるという。

 距離的な問題で言うならフェイの転移術の方が便利だけれど、一度行った場所にしか行けないという欠点がある。


 リオンの部下の人達は能力(ギフト)|のことを知っていると聞いたけれど、他者を連れて跳べるとは知らない筈。

 婚約者とはいえ、リオンが皇女の部屋に忍び込んだ、なんて事がバレたら大変な事になる。

 だからどうしてもの時だけの緊急手段だ。


「アルが呼んでる。……行くぞ」


「うん」


 私は用意して置いたマントをそっと羽織って、リオンの手を握った。

 指先が熱い。大丈夫、と思うより先に、軽いめまい。

 空間を飛び越えて私達は一階男子部屋。

 多分、リオンとフェイの居室にいた。


「悪いな。マリカ。真夜中に」

「大丈夫。どうしてもの話なんでしょ?」


 部屋の中で待っていてくれたのはフェイとアルだ。

 灯りは最小限で、扉や窓の気配まで神経が行き届いている。

 私はアルに指示書を渡す時に一緒に手紙を渡した。

 アルが、こっそり私に手紙を届けてくれたように。


『明日、出かける前にどうしても話をしたい。

 時間をくれ』


『リオンを夜に迎えに寄越して。待っているから』


 と。


「それで? 一体どうしたの?」


 アルが危険を犯してまで私に声をかけた、ということはよっぽどの話だと思う。

 あまり部屋を開ける訳にもいかない。

 無いとは思うけれど、ミュールズさんが部屋に入ったりして私の不在に気付いたら大変だ。


 私の思いに気付いたのだろう。アルも余計な事は言わずに本題に入ってくれた。

 息を吸い、覚悟を決めるように。


「この国の若い騎士貴族 ユン。って言ったよな。

 あいつ、精霊の関係者だと思う」


 はっきりとアルは断言する。

 その瞳に油膜のような虹を宿らせて。


「アルは、精霊の力が目に見えるのでしたね」

「ああ。大聖都の後からリオン兄の力がとんでも無く上がってるのも、マリカも封印が壊れて凄い事になってるのも解る。

 あの精霊獣ももふもふ可愛く見えるけど、二人とどっこいのとんでもない精霊の力の固まりだ」


 やっぱり、と思うけれどもリオンは何も言わない。

 私は封印が壊れて力が解放された、と聞いても実感は殆ど無いのだけれど。

 ただ、どこかで世界の輪郭が薄く震えるような感覚だけが、時々ある。


「俺の話は今はいい。

 今はとにかくあの方の話だ。

 情けない話だが、俺は今もあの方が誰か解らない。

 俺やマリカより強い人型精霊、って訳じゃないのは解る。

 むしろフェイと同格の人間の変生者じゃないかって思うんだが……」


「俺も同感。リオン兄やマリカとは違う、人間の身体に精霊の力が混ざったような感じがする。

 フェイ兄に近いよな」

「じゃあ、彼も魔術師? 例えば、フォルトシュトラムの主、とか?」


 リオンやアルの言葉を聞きながら考える。

 人間を精霊と人の狭間の者。

 変生者に変えられるのはより強い力を持つ精霊だけだ、と聞いた。

 今、この世にそれができるのは……例えば魔術師の杖。

 三本居るというストラム(精霊の王)|の杖、そのうち二本は所在が知れ居ている。

 残る一本。フォルトシュトラム(炎の王)|の杖。


『違うな。少なくとも奴はフォルトシュトラムの術師ではない』


「シュルーストラム」


 魔術師フェイの杖。

 今、地上に残る最高位の杖はフェイの手の杖から姿を現し、はっきりと首を横に振った。


『私もはっきりと奴を見た訳ではないし、正直、どこかで見たような気はするのだが思い当たらぬ。

 今の身体は普通の人間だ。変生を受けた者ではない。

 だが精神は間違いなく精霊に属する者。星と契約し、転生を受け入れた存在に思える』


 魔術師の杖は、契約した術者に変生をかけて『魔術師』にすることができる。

 彼らは精霊と混じりあった存在となり、その身が寿命を迎えても転生者として繰り返し生きる事が許されるらしい。

 …………許される、という言い方が、どこか苦い。


「あ、でも。例えばシュルーストラムの前の主とかは転生してないの?

 フェイがその生まれ変わりだったりする?」


『いや、前の主フェイアルとこやつは完全な別人だ。

 フェイアル、リーテ、ミオルは神との会見の時、その命の力全てを使い、アルフィリーガと先代エルトリンデの精神を神から逃がしたと思えばいい。

 奴らが命を賭したから、神は二人の精神を見失い我らに希望が残されたのだ』


 なるほど。

 もし精神、というか魂が囚われていたら、私達は転生も叶わず、『神』の言いなりだった、と。


「じゃあ、今、この世界に他に人間を転生者にできる精霊はいるの?

 世に出回ってる精霊術士の杖、とか?」

『術師の杖……ではないと思う。

 我らの知る限り、人を魔術師にする力を持つ石は今代に我ら三体のみ。我らの前に生まれ野に下った杖にそう言う力をもつ者がいない、とは言い切れぬが……。

 後はこの精霊にとっては苛酷なこの時代、数百年一度も主を得ずに力を溜め続けた石があれば可能性としては……』

「流石にそういう石があれば『星』も彼らを『王』と名付けはしないでしょう。そも、魔術師ではないというのなら、後は……七精霊が選んだ者、とか……」

「いや、プラーミァの精霊神の様子を考えれば無いと思う。身動きが出来ない程に封じられていたのだから」

「エルディランドの精霊神様も、封じられてるのかな? だとしたら助けてあげたいけど……」

「余計なことはしない方がいいと思います。プラーミァはプラーミァの血を引くから、と言い逃れられても他の国でマリカが精霊神を復活させたりしたら言い訳が効きません」

「うん、解った。でも……」


 色々言ってみても結局のところ憶測と推察と考察にしか過ぎない。

 答えは彼しか知らないのだから。


「なあ、リオン兄? マリカ?」

「なあに?」「なんだ?」

「二人とも本当にあの人の事知らないのか?」

「アル?」

 

 暫く考え込んでいたアルが私達を見る。

 その目が、いつもの商会代表の顔ではない。少年の、怖がりながらも真剣に踏み込む目だ。


「知らなかったし、解らないけど……どうして?」

「あの人、さ。凄く、切なそうな顔で、二人を見るんだ。

 泣き出しそうな程に大事なものを見る、リオン兄そっくりな目で」


「「え?」」


 私達は顔を見合わせる。

 そういえば、初日におむすびを食べて涙を流していた。

 でも……それはカイトさんのできなかったリアを上手に調理できたから……では……ない?


「オレ達、じゃなくってマリカとリオン兄、だからさ。前世……五百年前じゃないかって思う。

 今の時代、だったらリオン兄、ずっとフェイ兄と一緒だったろ?」

「……そうだな」


 リオンは頷く。リオンは今世で本当に子どもの頃フェイを見つけ、それ以来ずっと一緒にいたという。

 その時代を知っている人ならフェイにも同じ眼差しを向けるだろう、というアルの考察は正しいと感じる。


「オレもさ、なんとなく、うっすらだけど知ってるような知らないような感じがする。

 どこでかあの人の空気、というか気配を感じたような。どこで、って言われると解んねえんだけど……」

「解らない。思い出せない。一体……誰なんだ?

 あの時代に、既に失われた者達以外に、精霊の関係者なんて……」


『エルフィリーネなら魂の色を感じ取れるかも知れんが、我々では無理だな』


 多分、向こうから言って来ない以上、聞いても教えてくれることはないと思う。

 ……ちゃんと答えを出さないと。

 それが誰のためか、今はまだ言葉にならないまま。


「精霊の関係者、ってことは私達の敵じゃない、ってことだよね」

「ああ、間違いなく味方だ。それは確信できる」

「じゃあ、現状維持で。二人っきりとか三人だけで話が出来る状況があればいいけど、そういう場はたぶんできないから」


 相手はエルディランドの騎士貴族だ。

 少なくとも皇女は二人きりになんてなれない。

 お墓参りに行った時もカマラや護衛や、あっちの部下さんも一緒だった。

 リオンにはチャンスがあるかもしれないけど、やっぱり立場上難しい。


 あっちが私に求婚して、リオンがそれを退ける決闘、という形ならなんとか?

 でも、ユン君の態度からしてそんなことはして来ないと思う。

 …………それが、逆に不気味なくらい誠実で。


「そうだな……。俺ももう少し考える。

 多分、知っているんだ。

 でも、思い出せない。まるで思い出すことを禁止されているかのように……」


 五百年前の前世の関係者だとしたら、知っている可能性があるのはリオンとシュルーストラムだけだ。

 永劫にも似たその歴史を心に刻み付けて生きているリオンが頭を掻きむしる程に考えても思い出せないのなら、それにはきっと理由がある。


「焦らないで。ゆっくり考えて、思い出して。

 ……多分、ユン君はそれを待ってる」


「ああ」


 リオンは噛みしめるように頷いた。


 明日はユン君達との外出だ。

 多分、エルディランド最初で最後のフィールドワーク。

 エルディランドでの滞在は二週間、その半分が過ぎようとしている。


 何かが解るかもしれないし、変わるかもしれない。

 言葉にならない不思議な予感を胸の奥で確かめながら、私達はその日を迎えたのだった。

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