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地国 千の風の唄

 エルディランド 最初の夜の日 安息日。


 私は安息日に無理をお願いすると解っていたけれど、第二王子 グアン様にお願いして、醸造所を見学させて頂いた。

 アルやフェイ、リオン、カマラにミリアソリス、モドナック様にもついてきて貰っている。

 特にアルにはゲシュマック商会としての仕事を頼みたいからだ。


 暗くて広い、大きな木製平屋の倉庫のような場所に入ると、ツンと固いような、それでいてどこか懐かしい匂いが鼻孔を擽った。

 湿った木材と、発酵の熱を帯びた空気。

 それらが混ざり合った独特の香りが、胸いっぱいに広がっていく。


 大きな樽がいくつも並んでいた。

 見上げるように大きい。

 大人の身長の二倍くらいはありそうだ。

 整然と並ぶその姿はまるで、静かに呼吸を続ける巨人たちのようにも見えた。


「うわー、凄い大きい。

 木桶で仕込んでおられるのですね」


 私は息を呑むような思いで、私と同じ異世界転生者 カイトさんが作り上げた醤油樽を見上げる。

 日本酒蔵は見学させて貰った事があるけれど、醤油の製造工程を見るのは初めてだ。

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「強度の問題から石なども試したそうですが、やはり木材が一番のようです。

 木にも醸造を助ける目に見えない生き物がいるようだと、カイトは書き残しています」


 案内してくれたのはユン君。

 まだ若いけれど、落ち着いた声音でそう説明してくれる。


 見れば周囲で働いているのは皆、比較的若い人や子どもばかりで、以前聞いたとおり、孤児や浮浪児を拾い、仕事と住む場所、教育を与えているのが解る。

 忙しく働く彼らの顔には、疲れよりもどこか誇らしげな光が宿っていた。


 ホッとする。

 少なくともエルディランドの王都では、苦しむ子どもは最小限なのだと。


 


「ざっとご説明させて頂くと、まずは材料である蒸したソーハと割った小麦を塩水と混ぜ秘伝の元を入れて、六カ月ほど時折かき混ぜながらじっくりと熟成させます。

 そして、分離熟成を行い完成です。

 冬に仕込み始め、夏に熟成され……。

 大体完成まで丸一年くらいでしょうか?」


「とても……素晴らしいです」


 本当に感動してしまう。


 最初の種麹作りが何より難しい行程だ。

 米のカビから灰を使って麹カビだけをより分ける。

 平安時代くらいから行われていたと口で言うのは簡単だけれど、顕微鏡も無い時代、何度も失敗を繰り返さないと身体に良い菌だけ残すのは大変な事だったろうと思う。


 人の手と経験だけで、見えない世界を選び分ける。

 その根気と観察力を思うと、胸の奥がじんと熱くなった。


「カイトには、特殊な力があって未来が見えた、と言われています。

 弟子たちに詳しく語った訳では無いですが『自分がこうした行動の結果が成功するか否か』がなんとなく解るのだとか。

 本来、失敗も成功も数か月を経なければ解らない『発酵』の結果を己の力で知ることができた為、なんとか成し遂げたようです」


 一種の未来視、予知眼があったのだと思う。

 それでも、試行錯誤を繰り返した果てにしか成功は無い。


 本当にその苦労と努力には、敬意しかない。


「ショーユの醸造を行っているのは、ここ一か所のみです。サケは酒精としての人気があり数カ所で醸造を行っていますが、子どもは従事できません。

 ショーユも最近、少しずつ知る人ぞ知る感じで広まっていますが、そもそもが、食をとるのが上流階級のみなので……」


「そうでしょうね。解ります」


「本当に急激に変化したのは、去年からことです。

 移動商人がアルケディウスより燻製器を持ち込み、燻製肉の販売を始め、それにかけることで香ばしさ、美味が上がった、と。

 人気になって……。

 今年からは生産量を増やそうか、という話をしています。

 姫君のおかげですね」


「少しでも、お役に立ったのなら、誇らしい事です」


 本当に……、食を世界に広げる為に始めた燻製器の販売が、遠いエルディランドで頑張る方達の援護射撃になったというのなら、これ以上の喜びは無い。


 ただ、本当に残念なのは。

 本当に、カイトさんが生きているうちにお会いしたかった、ということ。


 たった一人で異世界に迷い込み、それでも腐ることなく居場所を作り、懸命に生きて多くの子ども達を救い、この世界に新しい文化を齎した。


 尊敬しかない。


「お味見、なさいますか?」


 ユン君が、絞りを終えたばかり、清澄前の醤油、所謂生揚げ醤油を掬ってくれた。


 小さな小皿の黒い液体をぺろりと舐めてみる。


 うん、凄い。

 完成品に比べるとまだ荒々しい臭みや雑味が残るけれども、それさえも愛しく感じる、生きた醤油だ。

 向こうの世界の極上丸大豆醤油のさらに上をいく。


 ああ、この味にもう一度出会えるなんて……


「どうなさいましたか。姫君」


 眦を押さえた私をユン君が気遣う様に覗き込む。


「なんでもありません。ただ、本当に、幸せで……感動して。

 人の努力と思いというものの力を実感して……、嬉しくて……」


 幸せだ。


 向こうの世界に戻りたい、と思った事は不思議に無かったけれど、もう、後はこの味と思いがあれば私は生きていける。


「ユン様」


 私はユン君に、正式な礼をもって頭を下げる。


「今日はアルケディウスの食料品扱い、総指揮を預かるゲシュマック商会の代表やアルケディウスの契約を司る者達を連れてきております。

 正式に契約を賜れますでしょうか?

 醤油、酒、エルディランドの必要分を除く全てをアルケディウスで引き取りたく思うのです」


「義父から話を聞いております。

 醸造所関係を任される者と引き合わせますので、どうぞそちらで交渉を」


 そうしてアルケディウスは正式にエルディランドと契約して、醤油と酒を確保できることになった。

 今迄は国外持ち出し禁止にしていたようだけれども、私が今後各国の調理実習で使ったり、留学生達が使い方を覚えたりすれば世界各地に広がっていくだろう。


 


 契約の基本方針は実務担当者たちに伝えてあるので、そっちはお任せし、私は台所をお借りして料理を作ることにした。


 メインは肉じゃが。

 豚肉で作るし、しらたきもない。

 豚肉と人参、玉ねぎ、ジャガイモしか入っていない。


 なんちゃって肉じゃがかもしれないけれど、昆布でちゃんと出汁を取り、煮物の基本さしすせそをちゃんと守って、丁寧に作った。


 あとは、おむすびと、お吸い物。

 後は薪を使ってお箸もどきを作って……と。


 醸造所の人に食べて貰えるようにたくさん作ったけれど、一人分を別に取ってお盆に盛り付ける。


 無事契約が終わったらしいのを確かめて。


「ユン様」


 私はお盆を手に取り、ユン君に声をかけた。


「なんでしょう。姫君」


 お盆を持ってくれようとしたユン君の優しさをやんわりと断って、私は彼に問いかける。


「カイト様の墓地は遠いですか?」


 少し驚いたように目を見開いた彼は、微かに頬を緩めると、いいえ、と首を横に振る。


「この醸造所の裏にあります。こちらです……」


 


 大きな平屋の建物の一角に、一つの大きな石が立てられてあった。

 墓碑銘とかは刻まれてはいない。


 周囲はゴミや雑草一つ生えていないから、きっと丁寧に掃除と手入れはされているのだと解るけれど、知らなければ墓地だと思わないくらいだ。


 醸造所の裏手は畑が広がっている。

 既に緑の色を濃くし始めたあれは、大豆 ソーハの畑だろう。


 それを見つめる道端の道祖神の様に、静かにその石は立っていた。


「過分な装飾などは望まない、というのがカイトの遺言だったので」


「そうですか」


 私はそっとその石の前にお盆を置いて膝を付き、手を合わせる。

 私よりずっと前にこの世界にやってきた先輩に、心からの敬意を込めて。


 貴方が作って下さった醤油とお酒を使って、日本食を作りました。

 もし良ければ、召し上がって下さい。

 本当に、ありがとうございました。


 お墓参りなんて自己満足かもしれないけれど、私がそうしたかった。

 少しでも彼の孤独を慰められれば……。


「姫君、風が吹いています。中に入りましょう」


 祈りに没入していた私の肩をぽぽん、とユン君が叩いてくれた。


 水の二月、春の風はそんなに寒くは無い。

 むしろ暖かいくらいだけれども、私は促されるままに立ち上がった。


「今日は、風が強いですね。

 精霊達が踊っているようだ」


 畑を見つめるユン君の視線の先で、確かにさわさわと紫色の花が風に揺れている。

 ちょっとスイートピーに似た可愛らしい花だ。

 本当に楽しそうに踊っているみたいだ。


「百、いや千の風が畑の上を流れているようです。

 きっと、精霊に愛された姫君の訪れを、精霊やカイトも喜んでいるのでしょう」

「そうだと、いいのですが……。

 もっと早く生まれて、お会い出来れば良かったです」

「……カイトもそう思っているかもしれませんね」


 


 手を取り、エスコートしてくれたユン君の言葉をこの時、私は聞き流した。

 優しい微笑みごと風の様に。


 その意味に、彼がそっと私に向けたメッセージに気付いたのは、気付けたのは。


 もう少し、本当にかなり、後のことだった。

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