火国 精霊の間にて
感覚としては足の真下に穴が開いて、急に落っこちたが一番正しいような。
うーん、やっぱり違う。
足の下が底なし沼で、知らずに踏み込んでしまった。とかかも。
でも、それも少し違う。
落ちるというより、引き抜かれる。
とぷん。
と、聞こえた筈もない音とともに気が付けば、私の視界は一転した。
「マリカ!」
リオンが飛び込んで落っこちる私の手を掴んでくれた感覚はある。
確かに、握られた。
その温度も、力も、覚えている。
でも、多分、一緒に落っこちたのだ。
落下、もしくは水没感は消えず、止まらず。
重さだけが抜けて、意識だけが引きずられる。
気が付けば私は、不思議な空間に浮かんでいた。
何がどうして、どうなったのか?
さっぱり理由は解らない。
足は地面を踏んでいない。
無重力、もしくは息苦しくない水中、だろうか?
けれど、水の冷たさも圧迫感も無い。
ただ、漂っている。
周囲は薄い紅色。さっきまでの神殿のタイルとよく似た色。
大分すればピンク色、なのだろうけれど可愛らしい感じはまったくない。
血のようで、炎のようで。
男性的で強い雰囲気だ。
圧がある。
空間そのものに、意思があるみたいだ。
「マリカ!」
「あ、リオン」
もう一度名前を呼ばれて、私はリオンと手を繋いでいることに気付いた。
二人でぷかぷか浮いているのだ。
空中、じゃなくってどことも解らない空間に。
繋いだ手に、わずかに汗が滲んでいる。
リオンがいるなら、大丈夫。
状況が解らなくてワタワタした気持ちは一瞬で消え失せた。
我ながら単純。
「ここ、どこ?」
「俺が知るか!
…だが、プラーミァの『精霊神』
その領域じゃないかと思う。持ってこられた、っていうか引っ張られたんだ」
知るか、といいつつ、リオンがほぼ確信をもって答えているのが眼差しから解って私は首をひねる。
「? なんでそう思うの?」
「魔王城の『聖域』と似てるからな。
覚えがないか?」
「えっ?」
覚えがないか、と言われても私は魔王城の秘密部屋に意識をもって入ったことなんて…あ、あった。
まだ魔王城で、私が目覚めて間もなく。
エルフィリーネと出会ったあの白い空間。
あの時も、床も壁も無いのに、立っている感覚があった。
そういえば似てなくも…ない?
ただ、あの空間は柔らかかった。
ここは、違う。
強い。
鋭い。
熱を孕んでいる。
「私は良くわからないけど、じゃあ、ここに私を呼んだのは?」
「魔王城の聖域が開くのは『星』の意思。
なら、ここが開いたのは『精霊神』の意思だろう?」
そういえばここに落ちる寸前に何か、いや誰かの力を感じた。
舞の間にも私の中から何かが吸い取られていく気がしたし…。
私、精霊神に力を吸い取られた?
そんでもって呼ばれた?
何の、為に?
『力を…捧げよ』
「え?」
不思議な声が聞こえたと同時、しゅるん、と周囲から不思議な何かが伸びてきた。
何にもない、見えない空間から朱金の触手じみたものが手足に絡みついて私を文字通り、引っ張る。
触れられた瞬間、熱い。と感じた。
焼けるような痛みではない。
吸われるような、持っていかれるような熱。
「きゃああ!」
「マリカ!!」
リオンから強引に引き離され、持っていかれそうになる。
このままだと、この不思議空間の中に連れ込まれ、呑み込まれる。
そんな予感が確定で、私はジタバタと全力で抵抗した。
嫌だ。
奪われるのは嫌だ。
僅かに触手の動きが止まる。その隙をついて
「マリカを、離せ!!」
風を切るような音とともに、わたしの手足が自由になった。
切断された部分が、霧のように蒸発していく。
地に足がつかないから走れるわけではないけれど、空間を泳ぐようにして私はリオンの側へと戻った。
「な、なに? あれ?」
「俺が知るか! ただ、マリカを連れて行こうとするなら容赦はしない」
リオンがカレドナイトの短剣を構える。
刃が紅い空間に反射して、黒く光る。
切られた触手はその場で蒸発するよう消えて、瞬く間に元に戻った先端がうねうねと蠢く。
再生している。
何、あれ、怖い。
でも。
あの声は。
『力を…捧げよ。あと少し…あと少しなのだ…この忌まわしき軛を砕き、力を取り戻すまで…あと、少し…』
「軛?」
不思議な声に耳を凝らすと、金色の触手の真上に、不思議な映像が浮かんで見えた。
空間が歪み、熱を帯びて形を成す。
すごく、大きな、赤茶色の髪の多分…男の人が両手、両足を縛られて立っている。
男の人判定が、多分、なのは顔が見えないからだ。
中世の鎧のような、鉄仮面のような兜を身に着けている。
服装はまるで国王陛下が着ているような、荘厳ででも、流れるように美しい長衣なのに明らかにミスマッチだ。
王であり、戦士であり、囚人。
「あの人が…プラーミァの精霊神?
軛…って誰かが精霊神を拘束してるの?」
映像からもなお、強い圧を感じる。
拘束されているのに、なお圧倒的。
「離れろ! マリカ!!」
「あっ!」
ぼんやり見つめていたら、触手にまた捕まりそうになった。
リオンに手を引かれて、私は後ろに下がり距離を開けた。
「ありがと。リオン。
ねえ? あの人が精霊神? 精霊神を、誰かが拘束してるの?」
囚われの影からは拘束されていても、強大な力を感じる。
彼が『七精霊』
精霊たちの上位に立つ精霊神だと言われれば素直に納得できる。
そして理解した。
この空間の支配者、私達をここに読んだのは間違いなく『彼』で、助けを求めているのだ。
「あんな強大な精霊神を拘束できる存在なんて『神』だけだ。
『彼』は『神』に拘束されている」
「『神』?」
キツく、唇を噛み締めるリオン。
空間がわずかに震える。
そうか、解らないけど、解った。
精霊神は『神』によって力を封じられている。
それを解除するために力が必要で、私が呼ばれたのだ。
怖い。
でも。
助けたい。
「ねえ、リオン」
「なんだ?」
触手は伸ばせる数と距離が反比例するのかもしれない。
数は減ったけれども長さを増して襲い掛かってくるようになった触手を払いながら、リオンが答える。
「私を精霊神の側まで連れていける?」
「! どうして?」
「触れるかどうか解からないけど、あの軛に能力を使ったら壊れないかなって」
あの精霊は力をよこせ、と言っている。
力があれば軛を壊せるのだと。
私の力で精霊が自由になるのならあげてもいい。
でも、どのくらい力が必要なのか分からないからちょっと怖い。
触手に巻かれて何かされるのも嫌だ。
だったら。
物の形を変える私の能力で軛を壊してあげればいいんじゃないか。
なんとなく、壊せそうな気がする。
「あの精霊、辛そうだし、苦しそうだし、助けてあげたい」
それに。
あの精霊が私達をここに連れてきたのなら、精霊を助けてあげないとまず間違いなく私たちはここから出られない。
「…解った」
危険だから止めろ、とはリオンは言わなかった。
「マリカ」
右手にエルーシュウィンを構えたまま、リオンの左腕が私の肩を抱き寄せた。
「あの精霊の鼻先に跳ぶ。強くあの兜を壊す。そう思って能力を使うんだ」
「うん!」
怖い。
でも、迷いはない。
「行くぞ!」
リオンの合図と共に空間が揺れた。
微かな酩酊感から覚めると同時、足元から巨大な、黒光りする仮面が私を睨んでいる。
ホントに、比喩でなく鼻先。
畳よりもでっかいその仮面の上に、私達は立っている。
「お願い! 壊れて!!」
仮面に触れると能力を使った。
微かな抵抗感が感じられる。
今まで何に能力を使ってもこんなことはなかった。
違う、一度だけ。
リオンを助けに行って、大神殿の壁を壊した時に似た感じがあった。
『神』の力の抵抗?
でも、大丈夫だ。
壊せる。
今回のそれも、あの時と同じ、全力全開の力で押し流す。
ガシャン!
まるで窓ガラスが割れるような音がして足元が崩れた。
今度は地震で足元の床が崩れ投げ出された、そんな感じだ。
蘇る落下感覚。
「マリカ!」
「リオン!」
差し出された手を必死で掴んだ、正にその時、洗濯機の渦の中にいるような突風が空間に広がって、私は目を閉じた。
ぐるぐるぐるぐる。
平衡感覚も無くなって、右も左も上下も分からない。
リオンの手の感覚だけが確かな縁だ。
一瞬のような長いような奔流は
「あれ?」
気が付けば止まっていた。
足が何かを踏んでいる。
何かの上に、私は立っている?
恐る恐る目を開けた、その先に、私は見ることになる。
『大丈夫か? 怪我はしておらぬな?』
どこか心配そうな眼差しで私を見つめる、巨大で優しい紅の瞳を。




