火国 対策会議
深夜、私はなかなか寝付けず、ベッドでごろり、ごろりと転がっていた。
薄い天蓋越しに見える天井の模様が、ぼんやりと揺れて見える。
布団のせいとか、枕のせいとかではない。
さっき、急に決まった明日の、舞の奉納。
それがどうしても不安で、気になって、眠れないのだ。
胸の奥が、そわそわと落ち着かない。
喉の奥が乾いている気がするのに、水を飲む気にもなれない。
寝不足は身体のパフォーマンスを下げる。
それは保育士時代から、嫌というほど身に沁みている事実だ。
ただでさえ舞踏会の後、アルケディウスと連絡して、皇王陛下達が乗り込んできて、舞を舞う事が決まって。
衣装直しとかで時間を取られ、ベッドに入ったのは木の刻も終わろうという所だった。
頭は疲れているはずなのに、神経だけが妙に冴えている。
早く寝ないといけないと解ってはいるのだけれど……。
その時、私は不思議な音に気が付いて目を開けた。
かさり、と、ベッドの横で何かが動く音がする。
誰かいる?
心臓が一瞬、強く跳ねる。
不思議に嫌な気配は感じられないのだけれど。
「だ、誰?」
ここは王族女性のプライベートルーム、しかも寝室。
深夜だけど、今も入り口の階段は見張りの人が見張っていて、内側から私は外に出られない事はないけれど、外側から寝室に入る為の鍵は側仕え頭のミュールズさんしか持っていない。
つまりは誰も入ってこれない筈だ。
逆に入って来られたらヤバイ。
男子王族さえここには入らない、入れないはずなのに。
ベッドから身を起こし、震える声で問いかける私は、
「しっ……。俺だ」
その一言で安堵する。
「リオン……」
暗闇に目が慣れてくればなんとなくシルエットで解りもする。
背の高さ、立ち方、空気の纏い方。
うん、リオンだ。
張り詰めていた肩の力が、ふっと抜ける。
「どうして、ここに? 男子禁制だから見つかると拙いよ」
ミュールズさんはプライベートルームの外側直ぐの部屋にいる。
ここには起床時間まで入ってこないとは思うけれど、男子禁制の女子部屋にリオンがいるのがバレたら大騒ぎになるだろう。
「解ってる。でも今を逃すと明日の舞まで『俺達の話』はできないだろう?」
『俺達の話』
つまりは魔王城に属する者が持つ『精霊』の話だ。
その言葉に、胸の奥がきゅっと締まる。
これはただの夜這い騒ぎじゃない。
世界の流れが変わるかもしれない話。
「危険は承知だが、ちょっと来てくれないか?」
「解った。ちょっと待って」
ベッドから起きて、側に置いてあるガウンを羽織る。
今は下着のようなネグリジェ姿だからね。
プラーミァは暖かいから殆ど使わなかったけれど、ちょっと寒い時用。
心臓はまだ少し速い。
でも恐怖ではなく、緊張だ。そういうことにしておく。
「いいよ」
「ありがとう」
リオンの手を握ると、ぐらり、と周囲の空気が揺れた。
一瞬、身体が浮くような感覚がして。
次の瞬間、そこは別の空間だった。
綺麗な、部屋だ。始めてみる。
男子の部屋らしく簡素だけれど、整えられていて無駄が無い感じ。
「ここは……?」
「俺とフェイのプライベートルームだ。下手に外で話して誰かに聞かれると拙いだろ」
来客部屋の男子の寝室か。
逆に私は入れないところだ。
鍵をかけて、アルが外で見張ってくれているという。
「マリカがここにいる事が知られたらそれはそれで、大変なので手短にいきましょう」
「フェイ」
暗がりの向こうでフェイが静かに立っている。
その目は、いつもの穏やかさよりも少しだけ鋭い厳しさを宿しているように見えた。
「すみません。僕は一度行った所にしか行けないので、マリカの部屋には入れませんでした。
なのでリオンに迎えに行って貰ったんです」
いや、男魔術師が女性王族のプライベートルームに自由に出入りできたりしたらとんでもない事だから。
リオンが来ている時点で大騒ぎになるのは明白だけど、フェイが言う通り、その辺で揉めてる時間は無い。
空気が、少しだけ重い。
「明日の『七精霊』の石の前での舞。
覚悟して下さい。絶対に何かが起こります」
精霊の専門家。魔術師はキッパリ、ハッキリ、そう断言した。
自らの杖に、杖の精霊を浮かび上がらせて。
その光が、部屋の壁に揺れる影を作る。
「断言できるの?」
「はい。シュルーストラム……」
『マリカ。ここで、奉納の舞というのを舞って見せろ』
「え? ここで?」
心の準備もなく、いきなり。
『音無しで構わん。見たいのは振り付けと言う奴だ。叶うなら舞踏会でアルフィリーガと踊ったというのも見せろ』
「あ……うん」
意味はよく解らないけれど、私はシュルーストラムに言われるまま、奉納の舞を舞って見せた。
夜の静寂の中。
足音も立てぬように、空気を裂くように。
まだアドラクィーレ様みたいな回転とかは入れられないけれど、基本の動き、と呼ばれる手や身体の動きはそのままになるべく丁寧に舞う事を心がけているつもり。
掌を掲げる。
胸元に引き寄せる。
大地に祈るように沈み、空に差し出すように伸びる。
身体の奥から、何かが抜けていく感覚が、確かにある。
それから、リオンに協力してもらって、舞踏曲も。
と、舞い終えて気付く。
私の舞と、リオンとのダンス。両方を黙って見ていたシュルーストラムが顔を顰めたのが。
『なるほどな。実体化していないと外界の事はよほど意識をしていないと見えないから、気付いてやるのが遅れた。
これは、精霊共も浮かれるだろう』
「え? 何?」
舞い終えたばかりで、まだ呼吸が少し荒い。
胸が上下しているのを自分でも感じる。
なのに、その言葉に背筋がひやりと冷える。
『舞、踊りというのは精霊の言葉を使えぬ者達が、精霊に感謝や思いを伝える声では無い言葉のようなものだ。
奉納の舞の方は『その恵みに感謝し、我が力を捧げる』という事を眼に見えない精霊に呼びかけている。
始めの仕草から、終わりの仕草までお前の力は周囲の精霊に吸い取られているようなものだ』
「何? それ怖い! ……確かに舞っている間ってかなり疲れるけど」
思わず両腕を自分で抱きしめる。
吸い取られている、なんて言われると急に現実味が増す。
でも、同時に思い出す。
舞っている時の、あの不思議な高揚感。
誰かに包まれているような、見えない拍手を受けているような感覚。
『男女のダンスの方にも少し混ざっているな。
『愛しい精霊』『貴方に愛と感謝を』
『精霊の獣』と『精霊の貴人』が楽し気にそんな踊りを踊れば周囲の精霊達が浮かれて集まって来ても不思議はない』
「で、でも今まで何度も踊ってたのに……」
リオンとのダンスは初めてじゃない。
大聖都でだって踊ったし、プラーミァでだって……。
胸の奥に、小さな疑問が灯る。
「大聖都の時は、二人とも精霊の力が封じられている状態であったでしょう?」
「え? あ、そうか。じゃあ、プラーミァでの他の時は?」
「緊張してダンスを楽しむ余裕が無かったから、かな?
張り詰めた顔に精霊達も空気を読んだけど、昨日のダンスはこの国での仕事は終わりってことでお互い気が緩んでたからな。
精霊達も寄って来やすかったんだろ」
言われてみれば、確かに。
あの夜は、心のどこかで解放されていた。
やり切った、という達成感。
リオンとただ楽しく踊れた、という純粋な喜び。
精霊達は、その感情に呼応したのだろうか。
「おそらく。ですから注意すれば舞踏会のダンスで同じことが起きるのは多分防げる筈です。
ただ、奉納舞の方はどうしようも無いですね。
密室で、精霊石に『精霊の貴人』が力を捧げれば、十中八九精霊石が回復、何かしらの反応を返してくると思われます」
十中八九。
ほぼ確定、ということだ。
「元より、奉納の舞はそういう意味合いがあったのだと思う。
力を失い、ほぼほぼ仮死状態である精霊石に、血族が力を捧げ回復させる。回復した精霊石はその力で国に守護を与える……」
前に国で見たアルケディウスの精霊石は『助けて』と私に呼びかけていた。
あの切実な声。
あれは、力を失って動けないということなのか。
もし、七精霊も同じなら。
「シュルーストラム。
『七精霊』って何? シュルーストラムの仲間?」
喉が、少し乾く。
『いや、似て非なる存在。精霊石より上位に位置し、むしろ星や『神』に近い。精霊達の王と言える存在だ』
王。
その言葉に、空気が一段、冷たくなる。
「長、ではなく?」
『長はあくまで長。『七精霊』は『星』に準ずる存在で手足。目覚めればさらに末端である精霊石に命令する権利を有する。
……まあ、順番が逆で『七精霊』が力を失ったが故に『星』は人の助けとなる精霊石を生み出したのだがな。
だから、私も『七精霊』と顔を合わせた事は無い』
うーん。
どうしても向こうの思考で考えちゃうけど。
『星』がマザーコンピュータで、そこから直接接続する『七精霊』がメインコンピュータ。
精霊石はタブレットかパソコンって感じ?
コンセントが抜けて、充電も切れて、何もできなくなっている七精霊に、舞を奉納することで充電をする。
それができるのが充電器効果を持つ『聖なる乙女』。
『精霊の貴人』にも同じ能力があるのなら、私が舞を奉納したら、もしかしたら七精霊は目を覚ます?
目覚める。
それは救い?
それとも——。
「王太后様のお話からするに無垢なる『聖なる乙女』が一番スムーズに力を送れる。
結婚したり、不老不死になったりすると余計なものが混ざるか役割が変質して、力を送れなくなるか、送れてもごく僅か、になるのでしょうね」
「人間の『聖なる乙女』と『精霊の貴人』だったら『精霊の貴人』の方が比較にならない程力が強い。
マリカが舞を奉納して力を送れば、間違いなく『七精霊』目覚める。最低でも何らかの反応を示すだろう」
何が起きるんだろう。
私が知っている、会話できる精霊は杖達と城の守護精霊だけ。
七精霊。ってそもそも味方?
それすらも解らない。
未知。
上位存在。
王。
不安が、胸の奥に重く沈む。
でも、不安いっぱいの私に
「大丈夫だ」
リオンは手を取り微笑んでくれる。何の躊躇いも無く。
その手は、温かい。
確かな体温。
「リオン」
「俺達がついてる。それに……精霊がお前に害をなす事は無いと思う」
「何で、そう言い切れるの?」
「さあ……? 年の功、かもな」
私の問いにリオンは小さく口角を上げただけで応えてはくれない。
けれどもその瞳には確かな自信が見て取れる。
理屈ではなく、感覚。
それでも、不思議と信じられる。
不思議な気分。
リオンの露に濡れたような瞳を見ていると、不安が、スッと溶けていくようだ。
さっきまで胸にあった重たい石が、少し軽くなる。
「解った。とりあえず余計な事を考えるのやめる」
私は自分に言い聞かせるようにそう告げる。
気持ちのギアを入れ替えて、まっすぐ二人を見て。
「リオンとフェイ、同席許可降りるかな?」
「何かあった時、手伝う為に側に居たいですが難しいかもしれませんね。
でも、多分、リオンなら許可が降りる可能性はあるかもしれません。
アルケディウスでは伴侶のみが儀式に同席できることになっていたでしょう?」
「俺からも何とか頼んでみるから」
「お願い」
うん、変に考えても何も変わらない。
やるべき事をやるしかないのだ。
「呼び出しておいてなんですが、マリカはもう部屋に戻って休んで下さい。
睡眠不足では、頭も体も実力を発揮できません」
「ありがとう。そうする。おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
「行くぞ」
リオンと一緒に私は飛翔。
瞬く間に自分の部屋へと戻った。
大丈夫、誰にも気付かれてないっぽい。
ほっと、小さく息を吐く。
「リオンもありがとう。明日……宜しく」
「ああ……。……マリカ」
「なに……ってきゃあっ!」
布団に潜りこもうとした私の手を、スッとリオンが引いた。
そのまま私の身体は背中からリオンの腕にすっぽりと包まれてしまう。
リオンの体温がダイレクトに伝わってくる。
顔が、近い!!
心臓が、跳ねる。
さっきまでの不安とは違う種類の鼓動。
身を固くした私の額に、ふわり、柔らかい感触が落ちた。
「あ……」
一瞬、思考が止まる。
「大丈夫だ。心配しなくてもいい。
俺は、必ずお前を守るから……。おやすみ!」
その言葉は、冗談でも軽口でもなく。
まっすぐで、揺らぎが無い。
身体が解放されたと思ったと同時。
リオンは風の様に消えていた。
私の身体にプラーミァの太陽よりも暖かい、いや熱い熱を残して。
額に残る感触に、そっと指を当てる。
そこだけ、じんわりと熱を帯びていた。
さっきまでの不安も、七精霊の恐怖も、世界の重さも。
今は少しだけ、遠い。
そのまま布団に潜り込み、目を閉じる。
明日、何が起きても。
私は、舞う。リオンが一緒なら何が起きても大丈夫。
世界が目を覚ますのなら、その瞬間を、この足で立って、この目で見据えて迎えよう。
そう決めた途端、ようやく、ゆっくりと眠りが降りてきた。




