火国 そのものの価値
パン、パン、パン。
夜の訓練場に、乾いた拍手の音が静かに響いた。
張り詰めていた空気を破るように、それでいてどこか誇らしげな音だった。
「良い戦いを見せて貰った。
この不老不死世界であそこまでの真剣勝負を見る事ができるとは、正直思わなかったぞ」
「国王陛下!」
「…………父上」
決闘を終えた二人――リオンとグランダルフィ王子は、歩み進んで来る人物を見止めると同時、揃ってスッと跪いた。
私でさえ、おいでになっている事に気付いたのはついさっきだ。
ほんの今まで、互い以外目に入っていないような真剣戦闘を繰り広げていた二人が、国王陛下の声に驚くのも無理はない。
本気で斬り結んでいたのだから。
「独断専行だな。グランダルフィ」
「申しわけございません」
一切の言い訳をせず、迷いもなく首を垂れる王子。
けれど王子には見えないだろう。
国王陛下の表情は。
我が子を慈しむ眼差しに満ちた瞳。
微かに、しかし確かに誇らしげに上がる口角も。
叱責の言葉の奥にあるのは、怒りではなく、確かな信頼だ。
もし王子が厳しく責められるなら、と背筋を伸ばしていたリオンも、そっと息を吐き、緊張を解いたのが分かる。
肩の力がわずかに抜けた。
確かな親子の絆が見える。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
羨ましい、と素直に思ってしまうほどに。
「グランダルフィ。
今日よりお前は王太子を名乗り、我が片腕として政務、国務の指揮を取れ」
「え?」
顔を上げた王子の瞳が大きく揺れた。
「廃棄児や浮浪児の所在を確認し、保護。
保護施設の建設運営。『新しい食』に関する実地実務など。基本的に全権を預ける」
「でも……それは……」
戸惑いと驚きが入り混じった声を
「別に俺が引退するという訳ではないぞ。
『新しい食』の推進、香辛料や食材の確保、生産など。
プラーミァを豊かにする為にやらねばならないことは山の様にあるのだ。
有能な人材を無駄にする余裕はない」
王命であり、父の宣言でもある言葉が包み込む。
お前が大事だ。必要だ、と。
「……其方は我慢しすぎです。
陛下にそっくりなのに、どうしてこうもできた子に育ったのでしょうね。
長く、気付いてあげられなくて、報いてあげられなくてごめんなさいね。グランダルフィ」
「母上…………」
王妃様の声は震えていた。
悔恨と愛情が滲む、母の声。
「其方がやりたいこと、やるべきだと思う事を為しなさい。
それが悪しきことで無い限り、私達は貴方の意志と願いを守ります」
跪く王子に、王妃様は視線を合わせ、肩に手を回す。
優しい母の腕に包まれ、王子は照れた様に頬を赤らめた。
五百年生きる世界でも。王族であろうとも。
この瞬間は、ただの親と子になった。
「必要ならフィリアトゥリスと協力し合うがいい。
アルケディウスとの交渉の窓口も其方らに任せる。
マリカの夢に力を貸すと約束したのだろう? 己の発言には責任を持て」
「かしこまりました」
「あ、ありがとうございます」
フィリアトゥリス様も隣に立ち膝をつく。
本気でやろうと思えばやるだけ大変な。
児童保護という重い責任を、信頼できる友が担ってくれる。
それ以上の安心はない。
良かった。
「礼を言われる話では無い。
この国の為に益になる話だからな。
魔術師の育成、人材の確保。
…………まったく、アルケディウスには負債が溜まる一方だ。マリカ!」
「は、はい!」
突然振られ、背筋を伸ばす。
朱色の瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。
「当人が拒否した以上、お前に対する求婚をプラーミァは取り下げる。
もう、日も変わった。明日にはお前達は国を出る事になるだろう。
お前の働きに我々は報いなければならない。望みはあるか?
なんなりと申せ」
王様からこう言われても、即座に願いを口にしてはいけない。
その辺は何度も失敗して学習済みだ。
「私の仕事の代償は金銭によって既に支払いが済んでおりますし、色々と我が儘を聞いて頂きました。
外に出して頂いたり、服を作って頂いたり。
カカオ豆も香辛料も定期的な確保が可能になり次第、国に回して頂く契約が既に済んでおります。
個人の願いも、王子夫妻が引き立てられ、この国の児童保護を担って頂けるのであれば、十分に。
この国から保護した少女を一人、側仕えとして連れ出す事をお許し頂ければ……」
「それは既に許しを与えた。それとは別に、だ。
お前の訪問がこの国へ与えた貢献は大きすぎる。せめて何か返礼をせねばプラーミァの面目が立たぬ故、遠慮なく言え」
トトン、と国王陛下は足を鳴らした。
うーん。
「あ、だったら……。
国王陛下。この国に加工前、もしくは加工して潰しても良いカレドナイトの鉱石はございますか?」
「は? カレドナイト? 無くはないが……欲しいのか? 何に使う?」
「試みたい事がございます。プラーミァとアルケディウスの末永い友好の為に」
朝一で確認と許可を取る必要はあるけれど。
連絡は密に出来た方がいい。
「陛下。本日は送別の晩餐会の御準備でお忙しいかと思いますが、少し時間を頂く事は可能ですか?
できれば、王族の皆様、全員。
王太后様も共に…………」
「別に構わんが、何をする?」
「許可が得られましたら、使者を遣わしますので一の火の刻あたりにでも」
「だから何だ? それにお前らに誰が許可を出す?」
「それは、後のお楽しみ、です」
小さく笑い、片目を閉じた。
そして刻限。
『これは、貸しだ。ベフェルティルング』
夜は更け、火の灯りが静かに揺れる中、王宮の一室は厳重に人払いがなされていた。
王族のみが集う空間。重い扉が閉ざされ、外の気配は完全に遮断されている。
その中央に置かれたのは、一枚の鏡。
磨き上げられたガラス板のように見えるそれを見つめる人々。
息を呑む空気の中――
低く、よく通る声が室内に響いた。
鏡の表面が淡く光り、そこに映し出されたのは――
アルケディウスの応接室。そして、意地の悪い笑みを浮かべた皇王陛下。
王家の皆様は、予想通り絶句した。
「な、何が起きているのだ? これは」
国王陛下が目を見開き、透明であったはずの鏡に浮かぶ映像を凝視する。
声が聞こえる。
表情が分かる。
距離など存在しないかのように、そこに『いる』
「アルケディウスの新技術なのです。通信鏡と呼んでおります。
精霊とカレドナイトの親和力を利用して、大陸の反対側からでもこうして即時通信が可能になります」
「アルケディウスはこんなものを、簡単に作れるのか?」
「簡単に量産できるものではありませんし、私達が帰国してからになりますが、プラーミァがお望みであれば製作いたします」
『カレドナイト鉱石と、金貨十五枚。まさか高いとは言うまいな』
にやり、と皇王陛下が笑う。
ちゃっかり金貨五枚分の上乗せ。
本当に商人の素質もおありなのでは、と思ってしまう。
「勿論、申しませんが……、リュゼ・フィーヤ!」
「はい?」
ぽかっ!
「いたっ!」
私の頭に落ちてきたのは、げんこつではない。
拳大のカレドナイト鉱石だ。
「私は借りを返す為に望みを申せと言ったのだ。カレドナイトくらいくれてやるつもりであったが、これを使ってこの鏡を作るというのであれば、借りを返すどころの話では無くなる。
この上、負債を増やさせるな!」
「えー、だってこの先、食料品の輸入をお願いしたりするのに連絡はついた方がいいじゃないですか?
早馬より圧倒的に早いですし、長期的に見ればコストも安いです。
王様の我が儘訪問で、お母様がご心労されないように、これを買って下さい。
っというのは私からのお願いですよ」
「だ・か・ら……皇王陛下もおっしゃっただろう? これはとんでもない借りなのだ!
簡単には返せないぞ」
凄い形相の王様。
確かに、まあ、新技術を分けて貰うというのが借りだというのは解る。
借りが積もって行くのは落ちつかないかも。
「えーっと、じゃあ、一年間、新しい香辛料とカカオ豆の輸入無料とか」
「よし」
『ダメだ。安すぎる。ベフェルティルング。そんな安値で借りを返しきれると思って貰っては困る。
マリカ。其方も勝手に安請け合いするでないぞ。今回はしっかりと貸しておけ』
即答しかけた国王陛下と私に皇王陛下が釘をさす。
でも、安い…?
どーみても金貨数百枚の大きな交渉になりそうなんだけど。
『お母様。義姉様も、ご無沙汰しております』
空気が、変わった。
「………………ティラトリーツェ」
鏡の向こうに立つのは――ティラトリーツェ様。
揉めていた身体を動かし、私達は鏡の正面を王太后様達に譲った。
王太后様の手が、震えている。
王妃様がその手をそっと包み込む。
五百年。
五百年という時間は、不老不死の世界でも決して軽いものではない。
「元気で、やっていますか?」
王太后様の声は、かすれていた。
けれどその問いは、ただ一人の母の声だった。
『はい。元気で、そしてとても幸せに暮らしております』
穏やかな微笑み。
画面越しでも分かる、安堵と誇り。
「そう……それは、良かった」
深く穏やかな笑みで頷く王太后様の前で画像がまた揺れた。
大きくない鏡の前に立たないといけないから、画像は皆で見れて声も聞けるけれど画像を送れるのは一人分が精いっぱい。
でも、その向こうには今、三人分の微笑みがある。
「見えますでしょうか? 私とライオットの子。
コリーヌとマリカが取り上げてくれた……お母様の孫です。
こちらがフォルトフィーグ。男の子。こっちはレヴィ―ナ。女の子です」
鏡の前に抱き上げられた双子。
まだ六カ月ほど。
丸い頬、澄んだ瞳、小さな手が空を掴むように動いている
無垢な命。
「……見えますよ」
王太后様の声が震える。
「ああ……本当に、貴女によく似ている事……」
懸命に嗚咽を飲み込もうとする。
けれど、止めきれなかった涙が頬を伝った。
五百年ぶりの母と娘の邂逅。
孫と祖母の初対面。
時間も、国境も、政治も。
すべてを超えて。
ただ、家族が再会している。
王太后様の手が、震えながら鏡へと伸びた。
触れられないと分かっていても、そこにいる娘に触れようとするように。
鏡の向こうで、ティラトリーツェ様もまた、涙を浮かべていた。
『お母様…………』
五百年という隔たりを越えた、その一言。
室内にいる誰もが、息を詰めた。
精霊の力も、技術も、交渉も、政治も。
すべては、この瞬間の為にあったのかもしれないと、そう思えるほどに。
私は、その光景を見てはっきりと理解した。
ああ、これこそが。
本当の価値。
この涙は、金貨を山と積んでも決して贖えない宝である、と。




