火国 覚醒の王子 中編
「ここは、私にお任せ下さい」
ニッコリと。王子が浮かべているのは間違いのない微笑みなのだけれど、その瞳は笑ってはいない。
その微笑みの奥で、鋼のような意志だけが静かに光っている。
「どうして?」
「色々と、思う所がありまして。
我が国の問題を、アルケディウスの御方々に押し付けてばかりも失礼ですし、無礼な臣下は主がしっかり躾けないと」
抜き身の刃のような鋭さで、ヘスペリオスを見つめている。
今までの王子の穏やかさを知っている者ほど、その落差に息を呑むだろう。
「僕は……もう我慢するのを止めようと思うのです。
せっかく、姫君が見込んで下さるのなら、僕はつまらぬ雑草ではなく、姫君の作る料理に味わいを深める香辛料でありたい」
「王子なら、大丈夫ですわ」
一歩後ろに下がり、寄り添うフィリアトゥリス様の笑顔にも自信が溢れている。
支える者の眼差しが揺れていない。だからこそ、王子の背中も迷わないのだと思う。
ここは、王子の顔を立ててもいいかもしれない。
そして何より――今の王子の声には、逃げ道を塞ぐ決意がある。
「リオン……」
「解った。任せる」
「ありがとうございます」
リオンに頷き、場の中央に進み出た王子を、ヘスペリオスはあからさまな冷笑で迎える。
周囲のざわめきが、波のように広がっていく。
「王子。何の御用ですかな?
この場は姫君の婚約者の地位をかけた真剣勝負。王子の出る幕はございません」
「黙れ。無礼者」
「な……」
けれど、その冷笑を王子は冷ややかな一喝で返す。
声は低いのに、よく通る。空気が一瞬で引き締まった。
今まで見下して来た王子に反論されると思っていなかったのだろう。
肩を戦慄かせるヘスペリオスに王子は言い放った。
「これが、姫の婚約者の資格を問う真剣勝負と言うのであれば、リオン殿に挑むよりも先に私を倒してみるがいい。
私をもし倒せたなら、私が父王より賜っている皇女に求婚する権利、それをくれてやる」
「ほほう……」
嘲笑を気にも留めず言い放った王子の言葉に、ぎらり、ヘスペリオスの瞳が煌めいた。
打算と計算、その他色々なものが頭の中で駆け廻っているのかもしれない。
王子を皆の眼前で倒せば、父たる国王陛下の顔に泥を塗れるかも、とか。
それだけではない。王子に勝ったという看板は、貴族社会ではそれだけで武器になる。
熟考の上、
「それは、まあ……楽しい提案でございますが……私は……」
おそらく緩やかに拒否しようとしたであろうヘスペリオスを、
「ああ、そうか? 貴様はリオン殿でないと弱みを利用して脅迫できないから勝てないか?」
王子は逃がしはしなかった。
言葉を刃にして、相手の喉元へまっすぐ突き立てる。
「! ……な!」
「貴様もプラーミァの武人なら、脅迫だの暗殺だのに頼らず、己の腕で欲しいものを勝ち取って見せるがいい!」
「こ、この! ……生意気な若造が!!」
冷静な紳士を装っていたヘスペリオスの仮面は、王子の挑発を前に一瞬で崩れ去る。
怒りに任せ、抜刀。
開始の合図も待たずに襲い掛かってきたヘスペリオスを、王子はひらりと躱し、いなすと、自らも腰に帯びた長剣を抜き放った。
鋼が月光を弾き、刃と刃が触れ合う乾いた音が響く。
私は王子が戦う姿を見るのは初めてだけれども、結構、戦士を見る目は肥えていると思う。
何せ、リオンが最初の基準で、後はお父様とかルイヴィル様とか、少し劣るかもしれないけれどウルクスやヴァルさんや、アルケディウストップクラスの戦士の戦いをけっこう見て来たから。
それで言うならヘスペリオスは、ヴァルさんやウルクスレベル。
人間としてはそこそこ鍛えて、それなり以上に強い部類に入る。
でも――
「凄い。グランダルフィ王子……」
グランダルフィ王子は、彼よりも間違いなく頭一つ以上、上。
その剣技はプラーミァの太陽の様に鮮烈で、鮮やかで、ヘスペリオスを圧倒していた。
踏み込みの迷いがない。重心がぶれない。刃筋がいつも正しい。
剣が速いというより、相手の呼吸の先を読んで置いていくような――そんな恐ろしい正確さ。
どこか、お父様の剣技と近いように思う。
正しい剣術を、努力と天分で磨き上げてきた……王の剣術だ。
「強いな……」
リオンも素直にそう賛辞を送る。
いつもなら余裕を崩さないリオンが、目だけは真剣に追っている。
「王子は国王陛下や騎士団長直々から、ありとあらゆる最高の教育を受け、それを身に着けて、努力で磨いてこられた方です。
毎年戦も率いておられる。
本来なら騎士貴族とはいえ、実戦経験も殆どない者など相手にはなりませんわ」
フィリアトゥリス様の言葉が素直に納得できた。
ルイヴィル様とかカーンさんとかにも引けを取らない、人外レベルの戦士。
考えてみれば当然か。あの国王陛下の息子なのだもの。
ヘスペリオスはそれを知らなかったのだろうか?
数合打ち合ってからは、明らかに顔色を変えて防戦一方。
周囲の人達も驚きの表情で王子の戦いぶりを見ている。
いつの間に来たのか、国王陛下、王妃様も。
精彩を欠き、息を荒げ始めたヘスペリオスに比べ、王子は息を切らせる様子も無い。
汗一つ見せず、ただ淡々と、相手の剣を削り、心を削り、逃げ道を削っていく。
やがて、
キーン!
一際高い音が勝負の終わりを告げる。
一気に踏み込み、手元を巻き上げた王子が、あっさりとヘスペリオスの剣を叩き落としてしまったのだ。
剣は石畳を跳ね、乾いた音を立てて転がって止まる。
「勝負ありだ。貴様がいかに本質を見ていないか解ったか? ヘスペリオス」
剣を拾いあげようと膝を付いたヘスペリオス。
その喉元に王子の長剣が突き出される。
刃の冷たさが、言葉より先に絶望を伝えている。
「お前が『私』に気付かなかったように、お前は姫君の真価も、リオン殿の真の強さも理解してはいまい。
この国を変える姫君の伴侶足らんと本気で思うなら、せめて私に勝てる実力を身に着けてからにすることだ」
いつもの王子が暖かい陽光だとすれば、ヘスペリオスを見下す今の視線はまるで氷のようだ。
一切の容赦もなく、ヘスペリオスを見下している。
王子はこんな表情もできたんだ。
背筋に冷たいモノが奔るのを、私は感じずにはいられない。
「……お、王子に勝てずとも……あの少年になら……」
「さっきも言っただろう? 己が実力で無いものに縋る時点でお前の負けだ。
そもそもお前の浅はかな作戦など成立しない。
彼に落ち度は無いからな。見るがいい」
肩を震わせるヘスペリオスに王子は顎をしゃくって見せる。
え? あ、私を見てる。
「マリカ様……」
フィリアトゥリス様の呼び声に私はハッとした。
そっか、そういうこと……。
「オルデ、スカーフを取って」
「はい」
私の側にオルデ。
ヘスペリオスの両眼が驚愕に見開く。
「な、なんだと?」
「貴様の罪はもう陛下もご存知だ。少女は既に姫君に忠誠を誓っている。
解るか? 姫君に、忠誠を誓っているのだ」
リオンが一生懸命演技してくれたから、ヘスペリオスはリオンやアルケディウスの者達も自分と同類、少女達を慰み者にする『男』だと思っていたのかもしれない。
だから、そこをネタに脅せば、思い通りにできる、とでも。
愚かな話、だ。ホントに。
流石のヘスペリオスも、ここまではっきりと叩きつけられれば、己の『敗北』を理解したのだろう。
大きく目を見開いて後、がくりと肩を落とした。
「己の愚かさを自覚したのなら、その汚い手、二度とアルケディウスに向けるな」
言い放ち剣を納めた王子が歩き出すと、万雷の拍手と喝采が鳴る。
歓声に笑顔で応える彼に、私は息を呑み込み、ただ、目を見張るばかりだった。
「お帰りなさいませ、王子」
「見事だったな。流石プラーミァの王子」
「ありがとうございます」
王子は出迎えた私達に薄く笑う。
けれど、その笑みはさっきまでの氷ではなく、いつもの穏やかな輪郭に戻っている。
「……色々と、反省したんですよ。
私が父上に迷惑をかけないように、と我慢してきたことが、結果として臣下を増長させてきたのではないか、とね。
大貴族本人はともかく、大した仕事もしていない子弟に、今後は大きな顔はさせません。
皆様に、迷惑をかけないように目を光らせますから」
「助かる」
本当に、何が王子を変えたのだろう。
瞳に宿る強い自信。
そんなに詳しくグランダルフィ王子を知っている訳ではないけれど、数日前、永遠に王になれない王子だ、と落ち込んでいた時を思うと本当に別人のようだ……。
「……リオン殿、マリカ様」
「なんだ?」「なんでしょう?」
「今日の夜、お時間を頂けませんか? 明日はプラーミァ最終日。
宴席もあり、お戻りの支度もありお忙しいでしょう。
先日頂いた提案。その返事をさせて頂きたく思います。急な申し出で失礼とは存じておりますが」
「解りました」
私は即答する。
昨日の私がしでかした、朝一番の呼び出しに比べれば、全然許容範囲。
「では、今日の夜、空の刻、この場所で」
「え?」
防音の効いた王宮内、アルケディウスの居室でもなく、応接室でもなくここ?
意味が解らず、首を傾げた私を残し、王子はフィリアトゥリス様や側近を連れて戻られてしまった。
「どうしてだろう? ねえ、リオン?」
私には解らなかったけれど、リオンには、理由が解っているようだ。
その夜の瞳を真っ直ぐに皇子の背中に向けていたから。
そして真夜中。
静まり返った王宮、訓練区画にやってきた私達。
もう王子とフィリアトゥリス様は待っておられた。
ごく僅かの側近だけを連れて。
灯りは必要最低限。息遣いさえ響きそうな静けさの中で、空気だけが張りつめている。
「お待たせしました。王子」
「いいえ。ご足労をおかけして申し訳ありません。早速で申し訳ありませんが、リオン殿」
静かに私達に向けて頭を下げた王子は、私の後ろ、リオンにその真剣な眼差しを向ける。
昼の喝采とは別の、もっと個人的で、もっと重いものを背負った眼差し。
「なん……でしょうか?」
「私と、一手お手合わせ……いいえ、違いますね。決闘を申し込ませて頂きたいのです」
「決闘?」
「はい。マリカ様の婚約者の位置をかけた決闘を、手加減無しで」
「解った」
「リオン!」
私が止める間もなく、リオンは闘技場の中央に向かって歩いていく。
その横をグランダルフィ王子も。
向かい合った二人は、互いに一礼し合うと同時、何の合図も無く地面を蹴った。
その動きはまるで獲物を狙う肉食獣のよう。
踏み込みの音が重なり、風が切れる音が遅れて耳に届く。
プラーミァ国における、リオンの最後の『決闘』舞台の幕が今、上がろうとしていた。




