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火国 王子妃視点 聖なる乙女の策略

 マリカ様の部屋に伺うと三人の少女が連れられて来ました。

 まだ、十歳前後、私より年下だろうということは見ればわかります。


 王宮で私より小さな存在を見る事はまずありません。

 街に降りた時もほぼ見かけません。

 アルケディウスの使節団を見た時、これほどまでに子どもが集まっている姿を見たのは初めてだ。

 と思った事を覚えています。

 それは驚きだけではなく、胸の奥がひやりとするような、言葉にしがたい違和感でもありました。

 私の世界に『子ども』は、居ないものとして扱われてきたからです。


 私の生きる世界と『子ども』という存在は交わらないものだと、長く思っていましたがそれは無知故の間違いだと今は気付いております。

 目の前の現実が、それを否応なく突きつけてくる。

 ――こんなにも小さく、こんなにも傷ついた存在が、この王都の影に確かに居たのだ、と。


「フィリアトゥリス様、この子達の保護をお願いできませんでしょうか?」

「承知いたしました。…………アッティラ」

「かしこまりました」

「傷が痛むでしょうからお湯はぬるめにね」

「心得ております」


 側仕えのアッティラに準備を頼むと私は少女達を見やりました。

 目の前の少女達は皆、怯えた目をしています。

 身体もあちこち傷だらけ。顔立ちも整い、美しい外見をしているだけに痛々しく、腹立しくなります。

 衣服は薄く、肌に残った痣や擦過傷が隠しきれず、視線を向けるだけで喉の奥が詰まる。

 王宮の清潔な空気の中で、その傷がより際立って見えました。


「こんな小さな子達が、奴隷にさせられているのですか?」

「はい。外の世界では子ども達の生きる場所は殆ど無いのが現状です」


 哀し気に呟くとマリカ様は子ども達に向かい合っておられました。

 腰をかがめ、目線を合わせるように。

 あの方はいつも、相手が子どもであろうと大人であろうと、必要な距離に迷いなく踏み込む。

 踏み込んだ上で、決して踏みにじらない。

 その加減を知っているのが、恐ろしくもあります。


「心配しないで。ここは王宮。私はアルケディウスの皇女マリカ。

 こちらの方は王子妃様です。勇気を出して前に進んで来た貴女達を傷つける者は誰もいません」


 私の声にびくん、と怯えた様に少女達は身体を揺らします。

 言っている事は解っている筈です。

 この子達は仲間の説得に応じて主の元からやってきたのだと聞いていますから。

 ――それでも、理解と安心は別物。

 この子達が今まで見てきた世界は、言葉が容易く裏切られる世界だったのでしょう。


「皇女?」

「私達はアルケディウスの男の、慰めの為に買われた…………んじゃないの?」

「違います。ここには貴方達を傷つけるような者は誰もいません。

 心も、身体も」

「ええ、貴女達は、私、プラーミァ王子妃 フィリアトゥリスがその名に懸けて保護します」


 まだ怪訝そうな顔を浮かべる少女達を前に私ははっきりと宣言し頷きました。

 王子妃の名は、飾りではありません。

 この国の秩序の一端であり、彼女達にとっては――今は、命綱にもなる。

 私の言葉を背にマリカ様は少女達、一人ひとりに微笑むと、そっと肩に手を回します。

 あまり良い服を着ているとは言えない少女達。

 でも服が汚れるとか、そんなことをマリカ様は考えてはおられないようです。

 温かな手が触れた瞬間、少女達の肩の緊張がほんの僅かほどけたのが分かりました。


「辛い目に合ってきましたね。でももう大丈夫です」


 小さな肩がやがて小刻みに揺れ始めたのが解りました。

 ずっと、ずっと、誰も助けてくれる者が無く、今まで気の休まることは無かったのでしょう。

 初めて、気持ちを受け止められて、自分を認められて…………少女達の心に張り詰められていた、何かが切れたように見えます。

 必死で噛み殺していた思いが嗚咽となり、やがて泣き声となるまで長い時間はかかりませんでした。

 あまりに静かで、あまりに必死な涙。

 怒りが、胸の底で熱に変わっていくのを感じます。


「がんばりましたね。貴方達はとても偉いですよ」


 少女達の涙を優しい笑顔で受け止めるマリカ様。

 私にはその姿が正しく『聖なる乙女』に見えたのでした。

 ――けれど、同時に。

 この慈愛は、ただの慈愛ではない。

 ここに至るまでの道筋を、この方は必ず作っている。

 救うと決めた瞬間に、救うための手段まで組み立てている。

 私はそれを、何度も見てきたのですから。





 私と、グランダルフィ王子がアルケディウスの応接室にやってきたのは一の風の刻の事でした。

 朝、地の刻に私の目覚めを待っていたかのようにアルケディウスから急ぎ、面会を求める、要請が届いたのです。

 今日は水の月、最後の地の日。今週の風の日にはマリカ様を送別する最後の晩餐会が開かれ、アルケディウス一行は隣国エルディランドへと旅立たれます。

 マリカ様達の滞在は本当にあと数日。

 日を改める時間は無い事は理解していますが、本当に急な話です。

 胸の内で、嫌な予感が静かに形を取りました。

 急ぎの面会。しかも使者が、あの方の腹心。


 ですが


「ご無礼は承知しておりますが、どうしてもお二方の力をお借りしたいと主のたっての願い。

 お聞き届け頂けないでしょうか?」


 使者がマリカ様の腹心たる文官、ミリアソリスであったことから考えてもこれは、相当に緊急かつ、重要な話。

 マリカ様の滞在期間、私は国内の社交やその他の仕事の何を置いてもマリカ様をお助けするようにお義母様から命じられております。

 助ける。

 それは命令であると同時に、いつしか私自身の意志にもなっていました。

 この方が動けば、国が動く。

 国が動けば、未来が変わる。

 そして私は、変わる未来を見たいと思ってしまった。


「解りました。急ぎ準備を致しますので暫くお待ち下さいませ」

「ありがとうございます」


 そうして、私は側仕えと共に部屋を出ました。

 案内されたのは来客用の応接室。

 そこでマリカ様は、私と同じように呼び出されたであろう王子に


「世界を変えませんか? 私達で」


 強い眼差しで訴えたのでした。

 その言葉が空気に落ちた瞬間、室内の温度が僅かに変わったように感じました。

 王子が、呼吸を一つ飲み込まれたのが分かります。

 私もまた、背筋が伸びるのを止められませんでした。


 話としては昨夜、アルケディウスの使節団の元に刺客とも言える少女が送り込まれた。

 彼女を救う為に買い取りたい、というのが第一のことです。


「刺客を側仕えとして抱えるとおっしゃるのですか?」


 王子は目を見開いておられました。その通りだと私も思うのですけれど

 マリカ様の表情は崩れません。

 不思議と、同情や憐憫の色だけではない。

 危険を理解した上で、なお決断している目。


「アルケディウスは人手不足ですので。それに彼女を戻す方が色々と危険なのです。

 彼女も、私達も……」


 マリカ様はなんでもないというように首を振って見せられました。

 けれどその仕草は、淡々としているようでいて、そこに重みがある。

 『危険』の中身を、この方は既にいくつも想定しているのだと直感しました。


「彼女を買い取る為には持ち主に交渉しなければなりません。

 貴族区画のこの場所。どなたの館かご存じありませんか?」


 いつの間に入手しておられたのかプラーミァの王都 ミネアポリスの地図を広げるマリカ様が細く白い指先で指示した館に王子は顔を顰めます。

 地図の上の一点。

 そこが、これから燃える場所なのだと私は思いました。


「大貴族 カルクーム家の別邸です。主であるファンディルム候の住む館は別にあります。

 こちらは……ヘスペリオスの館ですね」

「やはりそうですか。少女は主の名前を教えられていませんでしたし、殆ど外に出されていなかったらしく家の場所もうろ覚えだったようですが、夜遅くに少女を連れて来る都合上馬車を使うしかなかったようで目撃証言があったのです」


 予想はついていた、というようにマリカ様は息を吐き出されます。

 吐息一つで、気配が鋭くなる。

 悲しみが怒りに変わる、その境目を私は見た気がしました。


「オルデ……その刺客であった少女の話によるとヘスペリオスの館には男女複数の子どもの奴隷が使われていたそうです。

 奴隷の一人が最近逃亡し、監視や折檻が厳しくなったと聞いたのですが、もしかしてウォル君の元主、と言うのは……」

「ご明察の通り、ヘスペリオスでした。現在、タイミングを見て知らせ、王宮で買い取る方向で話を進め始めています」

「そうですか……であるならば、今が絶好のタイミング。これも星の導きでございましょう」

「どういうことです?」


 その直後、首を傾げる王子に、そして私に告げられた言葉は、多分、一章忘れる事はできそうにない、と私は思いました。


「グランダルフィ王子、フィリアトゥリス様。

 世界を変えませんか? 私達で」


「え?」


 呆然とする私達にマリカ様は静かに語られます。

 声は穏やかで、けれど意思は硬い。

 その硬さが、頼もしさと同じ分だけ恐ろしい。


「私は厩育ちの皇女です。

 打ち捨てられた子どもの悲しみ、道具として使われる子どもの苦しみを良く知っています。

 少しでも、子ども達が幸せに生きられる環境を作りたい。


 できるなら、国境の分け隔てなく、全ての子ども達が尊重され、幸せになれる世界を作りたいのです。

 ですが、私は所詮異郷からの来訪者。この国の子ども達を救い、世界を変えていくにはどうしても、この国の方の。

 お二人のお力がどうしても必要なのです」

「何故、私達、なのですか?」


 国を動かし、支える国王陛下、ではなく私達に向けられた提案の意味が解らず瞬きする私にマリカ様はニッコリと微笑まれます。

 その笑みが、柔らかいのに逃げ道を塞ぐ。

 私はその感覚を、既に知っていました。

 慈愛と策略が同居する笑み。

 香辛料のように、少量で味を変える笑みです。


「フィリアトゥリス様、前におっしゃいましたよね。

 王子には力と味方が必要なのに、側近も、有能な人物はほぼ、既に主を決めているので力を発揮できない……と」

「マリカ様!」

「フィリアトゥリス……」


 私は恥ずかしさのあまり頭に血が上って行きそうでした。

 王子を想う故の愚痴を、まさか王子の前で告げられるなど……

 ですが、王子はそれを責める様子もなく、私を優しい眼差しでご覧になっています。

 その優しさが、私の胸の奥に刺さり、同時に救ってもくれました。

 逃げずに居ろ、と言われた気がしたのです。


「であれば味方はこれから作り、育てれば良いのです。

 今、子ども達は侮られ、捨て置かれていますが、彼らを拾い育てれば間違いない味方になってくれる筈です。

 子ども達はオルデではない。皆、一人ひとりが大きな可能性と才能を秘めているのです」

「……ウォルのように、ですか?」

「ウォル君はとても解りやすい実例ですが、そればかりではありません。

 実は国王陛下にもお話していない事ですが、子どもには……」


 他言無用、と前置かれて話された秘密は驚くべきことで、私は王子と共に息するのさえ忘れてしまいそうでした。

 胸の中に、熱が落ちる。

 それは恐怖ではなく、理解の熱。

 私達が知らないだけで、この世界はまだ変わり得るのだ、と。


 けれども、実際にマリカ様や、お連れになっている楽師や少年達の姿を見るにつけ信じざるを得なくなります。


「多くの子ども達は厳しい中、生きるのが精いっぱいでそこまで辿り着けない者もいることでしょう。

 ですが、愛情をもって子ども達を見守り育てて頂ければ、必ずや王子の力となる筈です」

「王子……」

「姫君は、私に、私達に何をお望みなのですか?」


 思案するように皇子が沈黙なさっていたのはほんのわずかの間の事。

 王子はマリカ様に問いかけられました。

 キッと、固く結ばれた唇。そして決意の籠った眼差しは、国王陛下とそっくりでいらっしゃいます。

 私はその横顔に、胸が震えました。

 ずっとこの方は、黙って耐え、譲り、飲み込んできた。

 けれど今、飲み込んだままでは終わらない目をしている。


「この国では今度、ウォル君のように孤児や行き場の無い子どもを保護し、教育する取り組みが為される筈です。

 私の働きへの謝礼として、国王陛下がお約束して下さいました。

 その実務のかじ取りをお二人にお願いしたいのです。お二人から国王陛下に申し出て頂けるなら国王陛下はきっと、喜んで任せて下さる筈です」


 今までに無かった新しい事業。

 成功させれば、確かに王子の発言力は上がるでしょう。

 さらに育てた子ども達が成長し、魔術師のように要職に付けば王子の味方となる。

 確かに熟考に値する提案に思えました。

 そして同時に、これは――王子のためだけではない。

 この国のためであり、子ども達のためであり、マリカ様が「置いていく香り」のためなのだと、私は理解しました。


「テストケースと、最初の人材。

 そして上手くいけば講師を纏めて手に入れ、ついでにヘスペリオスや貴族に少し思い知らせる良い考えがあります。

 ただ、時間との勝負であるので、物は試しでお付き合い頂けませんか?

 返事はその後でも構いません」


 にこやかに微笑まれて後、私達に一つの計画を御呈示下さったマリカ様。

 私には宝石のように輝く紫の眼差しが、既に勝利を確信しているように思えたのです。

 ――『策略』。

 けれどそれは、人を踏み台にするための策ではない。

 救うための、残すための、繋げるための策。

 だからこそ厄介で、だからこそ抗えない。


 そうして、マリカ様の作戦は、見事な成功を収められました。

 私達が頷いて後、直ぐさま国王陛下、王妃様の許可を取り作戦を開始。

 リオン様はヘスペリオスの館から三人の少女を救出し、王子はウォル少年に魔術師の杖を継承させた上で、あの気難しいクヴァールを城に留めさせることに成功したのです。

 たった数日の出来事。

 けれど、数日で世界が歪むなら、数日で世界を正すこともできるのだと、私は思い始めていました。


「結果的に、姫君が思われた通りに事は運べそうだ。

 魔術師候補、ではなくスリを働いていたところを捕えられた浮浪児として話を持って行った為、金額も安くついたしな」


 夜、久しぶりに自室に招された私に王子が告げたのは睦言ではなく、業務報告ともいえるものでした。

 けれど、そこに込められた熱と思いは、愛を囁かれた時よりも熱く重いものに私は感じずにはいられませんでした。

 この重さは、責任の重さ。

 そして、選び取った未来の重さです。


「そうですか。こちらも予定通りです。最初の想定よりは人数が少ないですが、その分手厚く対処することができそうですわ」


 私も同じ思いで報告しました。

 全てはマリカ様のお言葉のままに、事が進んだのですから。

 救出された少女は落ちつくまで城に置いた後、侍女として働くか、フロレスタ商会で働くかを本人達に決めて貰うことになりました。

 フロレスタ商会はバニラの発見で浮いた金額を従業員の教育と保護の充実に使う事を約束してくれています。

 設置された従業員寮に今後、行き場の無かった者や保護された浮浪児達を住まわせる計画になっているのです。これも全てマリカ様の御計画。

 救われた少女達の「その後」まで、最初から道が敷かれている。

 香辛料の香りが、鍋の底まで染みるように。


「……マリカ様は、驚くべき……いいえ、恐ろしいお方ですね。

 人の心、思い、性質をある意味食材よりも理解しておられる。

 あの方の前では、誰でも料理されてしまいそう。

 私より幼い姿であらせられるのに。私の方が子どもに思えてしまいます」


「確かに、な。フィリアトゥリス」

「はい」


 何かを噛みしめた王子が顔を上げられました。

 その決意が籠った太陽の眼差しを、私は見つめ、頷きます。

 もう迷いはない、と。

 迷っている暇などない、と。


「今迄、私は名も無き雑草だった。

 だが、マリカ様は私に、価値を見出し力を与えて香辛料として下さった。

 マリカ様についていきたい。子ども上がりでありながら世界を変えたいと願う事を不遜と思うか?」

「いいえ」


 私は迷いなく首を横に振り頭を垂れました。

 敬愛する王子に、臣下として妻として。

 そして、同じ未来を選ぶ者として。


「王子の不遇、思い、実力、苦しみ。

 私は誰よりも良く存じております。

 どうか、御心のままに……」

「感謝する。我が妻よ……」


 王子が私を包み込んでいきます。

 長い年月に枯れ果てたかと思った王子の情熱が、私の心にも火をつけたよう。

 身体の奥が熱を帯びていくのが解ります。

 それは甘いだけの熱ではない。

 燃えて、形を変え、香辛料が与える辛味のように残る、熱。


 何かが変わる。世界が変わる。

 私達が、世界を変えるのです。

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