火国 王子視点 覚醒の時
「世界を変えませんか? 私達で」
彼女は不思議な熱の籠った眼差しで私にそう告げた。
その紫紺の光を覗き込んでしまった時、気付いた。
もう、逃げられないだろう。
いや、逃げたいのではない。逃げるという選択肢が、こちらの中から静かに消えていったのだ。
胸の奥の乾いた場所に、熱を与えられるような感覚は初めての、でも不思議な心地よさと共に私を変えたのだ、と。
「お待たせいたしました。何か御用ですかな?
王子がわざわざ、我が家に足をお運びとは」
「久しぶりだな。クヴァール。
弟子を入れてから随分と丸くなったようだな」
私は王宮魔術師 クヴァールの館に来ていた。
使用人の中には王宮内に部屋を持つ者が多いが、クヴァールは立場上一つの家を与えられている。
王宮の敷地から少し離れた場所に建つ館は、石造りの外壁に古い蔦が絡み、ひどく無骨で、どこか孤独を好む住人らしい静けさがあった。
玄関ホールに漂う香は薬草と、精霊石を磨く粉の匂い。魔術師の生活の匂いだ。
「何をもって、丸くなったとおっしゃられるのやら」
「隠す必要は無い。子ども、というのは人を変えるものだな」
「別に、何も隠してはおりません。そも私は何も変わってはいないと存じますが」
軽く咳払いをして照れた様子を隠すクヴァールだが、彼が弟子を可愛がり、厳しくも真剣に教えを与えている事は既に城中の評判だ。
だからこそ。
少し罪悪感は感じる。
――姫君の策は、甘さの皮を被っている。が、狙うところは容赦がない。
「それで、御用件は何でございましょうか?」
「其方の弟子、ウォルをここに」
「……何故、でございますか? アレはまだ王家の方の御前に出せる訳では……」
「理由は後ほど話す。とにかく、今すぐ連れて参れ」
「解りました」
怪訝そうな顔を浮かべるクヴァールだが、他の貴族程、私を軽視している訳ではない。
直ぐに側に控える使用人に目をやった。
程なく少年が促されて部屋に入ってくる。
この子どもを一番ゆっくりと見たのは、王宮に連れて来られて間もなくの時であったが、その頃に比べると格段に動きが洗練され、目にも知性が宿っているように思うのは気のせいではあるまい。
立ち方一つ、息の置き方一つが、学びを吸い込んでいる。
「お呼びでございますか? お師匠様」
「お呼びなのは私では無い、王子だ。
お前に用事がある様子。お話を伺うがよい」
「解りました」
跪き私を見つめる澄んだ、素直な敬意を宿した眼差しは気持ちがいい。
今迄城において、私が受けたことが無かったものだ。
なるほど、姫君のおっしゃることは正しい。
これを一時でも奪う事になるのは辛いけれども……。
それでも、奪うのではない。別の形に変えるだけだ。
姫君はいつもそう言う。料理も、人も、置き方と火加減で味が変わるのだと自分に言い聞かせて事を進める為に息を吸う。
「ウォル。今、この時よりクヴァールとの師弟関係を解く。
これよりお前を前主の元へと戻す故、ついて参れ」
「!」「どういうことですか? 王子!」
バン、と部屋に重い音が響く。
机を叩き声を荒げるクヴァール。
その眼には明らかな心配と怒りが宿っている。
……姫君が言った通りか。
この男は、もう自分の杖よりも弟子の方に先に心が動く。
「この子どもは逃亡奴隷だ。前の主について調べさせていたら大貴族の子、ヘスペリオスがそうだと解った。
王家としては奴に弱みを見せる訳はいかない。故に一度戻す事となったのだ」
「ウォルは悲惨な目に合せられ、逃げ出した逃亡奴隷です。それを一端保護しておきながら主の元へ返す? とおっしゃるのですか!」
少年の顔からは完全に血の気が引けていた。
絶望と怯えが宿るその表情は痛々しい程であるが、今は黙殺する。
そうしなければ、この場の温度が崩れる。
崩せば、姫君の狙いが外れる。
「大貴族、貴族との軋轢は避けねばならぬ。
その為に少年の身元をずっと調べていた。少年の主が大貴族でなければと思っていたが、最悪の存在であったのは残念な事だ」
なるべく、感情を乗せないようにしながら、私は木札を見て続けた。
父上と姫君が行ったプラーミァの子どもの追跡調査によると、子どもを拾い使う存在は貴族そのものよりも『貴族子弟』が多いようだ。
おそらく私と同じく、自分自身の基盤や側近が少ないが故に、子ども奴隷という自分より下の者を作りそれで優越感を得ていたのかもしれない。
その歪みは、こちらの喉元にまで届いている。
誰もが薄く知っていて、誰もが目を逸らしてきた。
「幸い、今ならまだヘスペリオスにお前の弟子の素性は知られていない。
魔術師でもない今なら、普通の子どもとして戻し……」
「不老不死者はいつもそうだ! 子どもも人もただの道具としてしか見ていない!!」
「クヴァール!」
「お師匠様?」
咆哮じみた叫びを上げるクヴァール。
少し驚いた。
いつも少し鼻持ちならないプライドの高い男。
自分は特別な存在だと胸を張り、父王さえも引かせる魔術師が、こんなに感情を顕わにしたことがあっただろうか?
杖にしがみ付く者は、杖を失う恐怖以上に、何かに怯えている。
「ただ、先に生まれたというだけで、何故我々が我慢しなければならない。
虐げられなければいけない! 私達は、決して何もできないオルデではないのだ!!」
叩きつけられた怒りは唸り声と共にテーブルを揺らした。
体中から、勿論杖からも発せられた怒気を孕んだ気配はまるで、目に見えるように立ち上っている。
空気が震え、熱が肌を刺す。
――来た。
姫君の狙いは、まさにこの瞬間だ。
「……来い! ウォル!!」
「は、はい!!」
師匠の鬼気迫る迫力に押されたのか、跪いていた少年は慌てて立ち上がり、師匠の傍らに寄る。
差し出されたのは精霊石の杖。
水色に煌めきながら鏡の様に少年と魔術師の姿を映し出す。
杖は単なる道具ではない。
この国では地位そのものだ。
それを差し出す手が、僅かに震えているのを私は見逃さなかった。
「これを握れ!」
「え?」
呆然とする少年は、けれども師匠の言葉に従い杖を握る。
その姿に、一瞬、ほんの一瞬寂しげな何かを目元に浮かべたクヴァールであったが、彼は弟子と杖を真っ直ぐに見据え静かに呟いた。
「エル・トゥルナーレ」
夢見るような抱きしめるような、甘い柔らかな呪文詠唱。
と、同時。
「うわああっ!!!」
部屋全体、師弟の体に光が爆ぜた。
水面に太陽の光が反射するような眩くも美しい光の本流に目を細めたその時、私は確かに見たのだ。
美しい、水青色の髪をたなびかせた美女が杖から揺れるように浮かび、魔術師だった者の頬に口づけたのを。
息を飲む。
あの一瞬は、祝福だ。
それも、杖を手放す者への慰めのような。
彼は気付いているか、見えていたかどうかは解らない。
多分、見えてはいなかったのだろう。彼女に目を向けることはしなかったからだ。
美女はそんな彼を、まるで跳ねる水しぶきの様な煌めく笑みで見つめて後、少年の持つ杖に戻って行く。
そう、先に杖から手を離したのはクヴァールの方。
あれほど、杖と地位に執着していた男は、今、自らの意志で杖を弟子に渡した、いや譲ったのだ。
「い、今のは?」
「……王子」
意味も解らず呆然とする少年の背後に立ち、クヴァールは私を睨む。
「今、この時より新たなるこの杖の主、新たな魔術師はこのウォルです。
王宮ただ一人の杖持ち魔術師を、たかが大貴族の子弟によもや譲り渡しはなさいませぬな?」
「クヴァール……」
「お師匠様?」
まだ、理解が及ばないと杖を握ったまま驚愕に震える少年の肩をクヴァールは静かに叩く。
「もはや、私の能力は限界に来ていた事は解っていた。
それでも、地位と杖にしがみ付いたのは昔……お前と同じように不老不死者に虐げられていた頃に戻りたくなかったからだ」
「でも杖を譲る、ということは……」
「まあな。だが不思議な事に、自分が魔術師としての地位を失うよりも、お前がまた苦しい目に合される方が嫌だったのから仕方がない。
ウォル。これからはお前がプラーミァの王宮魔術師だ。
自信を持ち、励め。
俯く事、後ろを向く事、立ち止まり甘える事は許さぬ!」
「お師匠様!」
二人の師弟の絆は、ほんの僅かの間にここまで深まっていたのか。
師弟。
親子ではない。だが、似ている。
守る者と、受け取る者。
姫君はいつも、その「受け取る」側を信じて疑わない。
ふと、姫君の言葉が思い出された。
『多分、あの方は最下層から這い上がって来られたのだと思います。
歪んだプライドの高さはその証。地位にしがみ付くのも『無い』時を知っているから。
そこに戻るのを、怖れているから……』
なるほど、と思いながら目の前の魔術師を見る。
父上たちが魔術師の我が儘に頭を抱えながらも、甘いのがよく解る。
今まで見ようとも、関わろうともしてこなかった自分の愚かさに笑えた。
確かに彼等こそ、私が一番必要としている存在ではないか。
私は王子でありながら、王にはなれぬ。
だが支える香辛料にはなれる。
姫君は、その道を示した。
「随分といい顔になったのではないか? クヴァール。
力を手放した事で、むしろ新しい何かに目覚めたようにさえ見えるぞ」
「王子」
私は魔術師ではなくなり、一人の男となった存在を見つめた。
「いいだろう。ウォルは次代の王宮魔術師として全力をもって守り、カルクーム家から買い戻す」
「ありがとうございます」
「まあ、実際の所、最初から私はウォルをヘスペリオスに返すつもりはなかったのだがな。
姫君にも怒られるし、天与の才を持つ有益な子どもを、何故みすみす敵にくれてやる必要がある」
「え?」
「クヴァール。王宮魔術師で無くなったお前に話がある。
まだまだお前は若い。楽隠居などさせぬぞ?」
意味と状況を理解していない師弟に私は手を差し伸べる。
姫君を真似て、不敵風に笑って見せながら。
私にも、こんな顔ができるのだろうかと思いながら。
精一杯にやって見せた。
上手くできていればいいのだが。
◇◇◇
「結果的に、姫君が思われた通りに事は運べそうだ」
「そうですか。こちらも予定通りです。最初の想定よりは人数が少ないですが、その分手厚く対処することができそうですわ」
ことを終えて部屋に戻った私にフィリアトゥリスが微笑む。
この微笑みの奥に、腹の据わった覚悟があると、今なら分かる。
王子妃の座は飾りではない。
支える香辛料は彼女の方が先に馴染んでいたのかもしれない。
「……マリカ様は、驚くべき……いいえ、恐ろしいお方ですね。
人の心、思い、性質をある意味食材もよりも理解しておられる。
あの方の前では、誰でも料理されてしまいそう。
私より幼い姿であらせられるのに。私の方が子どもに思えてしまいます」
「確かに、な」
私が不老不死になったのは一八歳の時。
その時に年齢が止まったと考えても七歳年下。
実年齢で言うのであれば五百年以上も年の離れた少女なのに、紫水晶をはめ込んだような透き通った瞳を見ていると自分の方が年下のような気分になってしまう。
不思議な事だ。
――そして、その視線に見透かされることが、怖くない。
怖いのは、いや、恐ろしいのは、今までの自分が、ただ流されていたことに気付かされたこと。
『私は少しでも、子ども達が幸せに生きられる環境を作りたい』
早朝、彼女は私達にそう言った。
『できるなら、国境の分け隔てなく、全ての子ども達が尊重され、幸せになれる世界を作りたいのです。
ですが、私は所詮異郷からの来訪者。この国の子ども達を救い、世界を変えていくにはどうしても、この国の方の。
お二人のお力がどうしても必要なのです』
ただ理想論を抱えての提案ではなく、緻密な計画と方向性、そして私達への利益を指し示して。
甘く匂わせて、確実に刺す。
香辛料の使い方そのものだ。
『勿論、それはお二人の為にも、プラーミァの為にもなることの筈です。
お二人には、国王陛下にお話していない秘密をお知らせいたします。
ですから、どうかご協力下さいませ』
彼女の策は、ただの策ではない。
捨てられていた者たちを拾い、磨き、火にかけ、香り立たせていく。
――香辛料の比喩はここでも生きる。
あの姫君は、料理指導すら「この国に残すもの」として仕込みに組み込むだろう。
技術も思想も、香りのように染み込ませて残していくに違いない。
「フィリアトゥリス」
「はい」
愛する妻に私は告げる。
「今迄、私は名も無き雑草だった。
だが、マリカ様は私に、価値を見出し力を与えて香辛料として下さった。
マリカ様についていきたい。子ども上がりでありながら世界を変えたいと願う事を不遜と思うか?」
「いいえ」
フィリアトゥリスは迷いなく首を横に振ってくれた。
「王子の不遇、思い、実力、苦しみ。
私は誰よりも良く存じております。
どうか、御心のままに……」
「感謝する。我が妻よ」
フィリアトゥリスを胸に抱きながら私は決意する。
私は目覚めた。今まで、自分の中にいた、本当の思いに。
今まで胸に押し込めていたそれを、熱を解き放つ。
あの方に付いていく。
虐げられていた者達を従え、父上を超えていく。
そうだ。
『私達』が、世界を変えるのだ。




