火国 プラーミァの商業ギルド
甘い匂いがする。
そう感じたのは王都の観光を始めて割とすぐの事だった。
汗ばむような喧噪の中、時々ふんわりと懐かしい香りがするのだ。
最初は、花の匂いかと思ったけれどもどうも違うようだ。
花よりももっと、くっきり。
はっ、とするような甘やかな香り。
(なんだろう?)
そう思いながらも、匂いを追いかけていける訳で無し。
それに、立ち止まって周囲を嗅ぎ回るのも、今の私にはちょっと目立ちすぎる。
「姫、そろそろゲシュマック商会との約束の刻限です」
「解りました。行きましょう」
私は市場の散策を終え、商業ギルドに向かうことになっている。
そろそろ日もかなり高くなって、もうすぐ一の刻が終わる。向こうの感覚で言うならお昼だ。
ふと見ると、人がざわざわと動き始めた。
広場の熱気が、少しだけ方向を変える。
『次はこっちだ』と人の流れが示す先に、香ばしい匂いが混ざった。
「あ、串焼きの屋台が出ていますね?」
人だかりができているのはどうやらゲシュマック商会とよく似た屋台が香ばしい香りを立てている。
「ええ、最近増えてきているのです。人気がありますよ。串焼き肉の燻製だけですが」
「海辺の方では海産物の燻製も上手くいっているようです。
ただ、小麦がまだ安定生産できず輸入に頼っているので他のレシピはまだ生かし切れていないようですね。
お義父様の采配で、今年は全領地で小麦、大麦、カカオ豆などの栽培拡張が始まっています。
本格的に庶民の口に『新しい食』が入るようになるのは来年以降でしょうか?」
王子妃様の言葉は、さらりとしているのに現実的だ。
食が広まるには、まず材料。次に流通。それから習慣。
全部が揃わないと、どれだけ美味しくても根付かない。
私達が並ぶと、『新しい食』を楽しみに待っている人たちの妨げになる。
遠巻きに確認してその場を離れた。
「アルケディウスの新しい食の広まり具合はどんな感じですの?」
興味深そうにフィリアトゥリス様が問いかけて来る。
私もそうだけれど、他国の様子、庶民の様子を皇族王族が見る機会はあまりないしね。
「あちらも串焼き肉と腸詰の屋台が始まりでした。
大祭など特別な時だけ小麦の焼き物の店も出ましたが、砂糖と小麦が高かったので、今年の秋くらいからは少し余裕が出て来るかと思うのですが。
ゲシュマック商会は食を支える存在を育てる為に下町から商売を始めましたので。
市民街の店から徐々に貴族に広まって行った感じでしょうか?」
実際、下から上へ。
食は生活に密着しているから、まずは生活の中心に置かないと意味がない。
「なるほど、そのような展開もありなのですね。と、見えて参りました。
商業ギルドです」
馬車を使う、とも言われたのだけれど、街並みを見たいからとお願いし、市から少し歩いて私達は商業ギルドに到着した。
貴族区画にかなり近い一等地に、その大きな建物はある。
王都の商売を司る場所。
アルケディウスと同じように相当に儲けているのだろうと感じさせる豪奢な建物を見上げていると。
「王子様、王子妃様、それにアルケディウスの姫君。
この度はわざわざのお運び、恐縮にございます」
部下を連れた長らしい人物が現れ、私達に跪いた。
「姫君にはお初にお目にかかります。この街の商業ギルドを預かっております。
カールスウェイ。どうぞお見知りおきを」
外見六十代後半くらい?
アルケディウスとはまた雰囲気が違うけれど、白い顎鬚に貫禄のある眼差し、老齢の男性だった。
ただ、目の奥の光は鋭い。
『頭を下げるのは慣れている』けれど、『譲るつもりはない』という感じ。
「アルケディウスのマリカです。
私抱えのゲシュマック商会がお世話をおかけしているようですね」
にっこりと、上から目線で圧力をかける。
ギルド長と、その周囲の者達が息を呑んだのが解った。
実は私が今回の散策で商業ギルド行きを決行したのには訳がある。
アルが打ちあわせの時に愚痴っていたのだ。
「やっぱ、子どもだと舐められるな。
あからさまにこっちを下に見て、有利に運ぼうとする連中、けっこう多いぜ」
まったく新しい商売なので、様子を伺っている者が多いのはまあ、仕方がないのだけれど。
代表者が子どもでは話にならないと話を聞こうともしなかったり、逆に親切顔で近づいてきて有利な条件で権利を奪い取ろうとする者もいたりするらしい。
あえて、王宮の後ろ盾があるとか伝えないようにしているアル。
でも商業の世界は魔境。からりさっぱりの印象が強いプラーミァでも、一筋縄ではいかないだろう。
「老舗程、そういう所多いな。逆に店主が若い系の所程やっぱりやる気があって、誠実に話を聞いてくれる」
「下に見るところか、失礼な事をするところは相手にしなくていいよ。
取引先の情報も集められないような下のところじゃなく、最上位を狙って行こう」
アルケディウスは、私達が下にいたから下から発信したけれど、今度は上にいるのだ。
上から下に水を流した方が、上手く流れるのは自明の理だからね。
甘い匂いがする。
そう感じたのは王都の観光を始めて割とすぐの事だった。
汗ばむような喧噪の中、時々ふんわりと懐かしい香りがするのだ。
最初は、花の匂いかと思ったけれどもどうも違うようだ。
花よりももっと、くっきり。
はっ、とするような甘やかな香り。
(なんだろう?)
そう思いながらも、匂いを追いかけていける訳で無し。
それに、立ち止まって周囲を嗅ぎ回るのも、今の私にはちょっと目立ちすぎる。
「姫、そろそろゲシュマック商会との約束の刻限です」
「解りました。行きましょう」
私は市場の散策を終え、商業ギルドに向かうことになっている。
そろそろ日もかなり高くなって、もうすぐ一の刻が終わる。向こうの感覚で言うならお昼だ。
ふと見ると、人がざわざわと動き始めた。
広場の熱気が、少しだけ方向を変える。
『次はこっちだ』と人の流れが示す先に、香ばしい匂いが混ざった。
「あ、串焼きの屋台が出ていますね?」
人だかりができているのはどうやらゲシュマック商会とよく似た屋台が香ばしい香りを立てている。
「ええ、最近増えてきているのです。人気がありますよ。串焼き肉の燻製だけですが」
「海辺の方では海産物の燻製も上手くいっているようです。
ただ、小麦がまだ安定生産できず輸入に頼っているので他のレシピはまだ生かし切れていないようですね。
お義父様の采配で、今年は全領地で小麦、大麦、カカオ豆などの栽培拡張が始まっています。
本格的に庶民の口に『新しい食』が入るようになるのは来年以降でしょうか?」
王子妃様の言葉は、さらりとしているのに現実的だ。
食が広まるには、まず材料。次に流通。それから習慣。
全部が揃わないと、どれだけ美味しくても根付かない。
私達が並ぶと、『新しい食』を楽しみに待っている人たちの妨げになる。
遠巻きに確認して私達はその場を離れた。
「アルケディウスの新しい食の広まり具合はどんな感じですの?」
興味深そうにフィリアトゥリス様が問いかけて来る。
私もそうだけれど、他国の様子、庶民の様子を皇族王族が見る機会はあまりないしね。
「あちらも串焼き肉と腸詰の屋台が始まりでした。
大祭など特別な時だけ小麦の焼き物の店も出ましたが、砂糖と小麦が高かったので、今年の秋くらいからは少し余裕が出て来るかと思うのですが。
ゲシュマック商会は食を支える存在を育てる為に下町から商売を始めましたので。
市民街の店から徐々に貴族に広まって行った感じでしょうか?」
実際、下から上へ。
食は生活に密着しているから、まずは生活の中心に置かないと意味がない。
「なるほど、そのような展開もありなのですね。と、見えて参りました。
商業ギルドです」
馬車を使う、とも言われたのだけれど、街並みを見たいからとお願いし、市から少し歩いて私達は商業ギルドに到着した。
貴族区画にかなり近い一等地に、その大きな建物はある。
王都の商売を司る場所。
アルケディウスと同じように相当に儲けているのだろうと感じさせる豪奢な建物を見上げていると。
「王子様、王子妃様、それにアルケディウスの姫君。
この度はわざわざのお運び、恐縮にございます」
部下を連れた長らしい人物が現れ、私達に跪いた。
「姫君にはお初にお目にかかります。この街の商業ギルドを預かっております。
カールスウェイ。どうぞお見知りおきを」
外見六十代後半くらい?
アルケディウスとはまた雰囲気が違うけれど、白い顎鬚に貫禄のある眼差し、老齢の男性だった。
ただ、目の奥の光は鋭い。
『頭を下げるのは慣れている』けれど、『譲るつもりはない』という感じ。
「アルケディウスのマリカです。
私抱えのゲシュマック商会がお世話をおかけしているようですね」
にっこりと、上から目線で圧力をかける。
ギルド長と、その周囲の者達が息を呑んだのが解った。
実は私が今回の散策で商業ギルド行きを決行したのには訳がある。
アルが打ちあわせの時に愚痴っていたのだ。
「やっぱ、子どもだと舐められるな。
あからさまにこっちを下に見て、有利に運ぼうとする連中、けっこう多いぜ」
まったく新しい商売なので、様子を伺っている者が多いのはまあ、仕方がないのだけれど。
代表者が子どもでは話にならないと話を聞こうともしなかったり、逆に親切顔で近づいてきて有利な条件で権利を奪い取ろうとする者もいたりするらしい。
あえて、王宮の後ろ盾があるとか伝えないようにしているアル。
でも商業の世界は魔境。からりさっぱりの印象が強いプラーミァでも、一筋縄ではいかないだろう。
「老舗程、そういう所多いな。逆に店主が若い系の所程やっぱりやる気があって、誠実に話を聞いてくれる」
「下に見るところか、失礼な事をするところは相手にしなくていいよ。
取引先の情報も集められないような下のところじゃなく、最上位を狙って行こう」
アルケディウスは、私達が下にいたから下から発信したけれど、今度は上にいるのだ。
上から下に水を流した方が、上手く流れるのは自明の理だからね。
「先にゲシュマック商会の者が来ている筈ですが、どうしていますか?」
私が問いかけると商業ギルド長は、どこか焦ったような口調で言い訳する。
「応接室でお待ち頂いております。王子達の来訪があるのでそちらの対応を優先させて頂く旨は話しておりますので」
「ではゲシュマック商会の者のいる所に案内して下さい
「で、ですが、姫様に王都の商業についてのご説明をと…」
「いいですから。私、ゲシュマック商会を通じてこの国の主要産業や商会等、ざっとした所は存じておりますの。
今回はアルケディウスから通じる『新しい食』という事業を任せるに足る商会を確認し、お願いする為に参ったのですわ」
「わ、解りました…」
青ざめた顔で先ぶれを出そうとするギルド長を手で制して私は案内を促した。
王子と王子妃様は、商人と圧迫交渉をする私に少し驚いた様子だけれども、口出しせずに見ていて下さる。
王族と、国賓皇女の来訪に騒めくギルドの中を、渋々の顔のギルド長の後に付いて歩くと、割と小さな、ぶっちゃけ粗末な応接室にアルとハンスさん。
護衛に付けたゼファードとピオさんがいた。
側にいる若い表情の店主は、アルが気に入っていた『誠実な店主』だろうか?
豪奢な建物の奥に、こんな部屋があること自体が、答え合わせみたいで。
思わず、笑いそうになってしまった。
「マリカ様。お待ちしておりました
「ごめんなさいね。アル。待たせてしまいましたか?」
立ち上がり、跪くアルを私は労う。
逆に驚いたように声を上げたのはフィリアトゥリス様だ。
「まあ? 国賓と同行し王族の召し上がる食品を預けられているお抱え商会に対するこれが扱いですの?
私、こんな薄汚い部屋がギルドにあるなんて思いませんでしたわ」
プラーミァでは王族も比較的実務を割り当てられていて、軍事や防衛に関しては王子が、商業に関しては王子妃が担当しているそうだ。
そう頻繁では無くても商業ギルドを呼び出したり、足を運んだりする場面がある。とも聞いた。
故にギルドには自分の方が、顔が効く、という話であったのだけれど、ならこの状況は王子妃様にしてみれば顔を潰されたような感じなのだろう。
完全に肩を怒らせてギルド長を叱りつけている。
「申しわけありません。これは我々の手違いで…」
「老舗の方々は新しい商圏の開発にはあまり興味が無いようです。
『余計な手間がかかる』『やっかいな話』だ。と」
「アル殿!」
言い訳するギルド長に対して空気を読まないアルの言葉が追い打ちをかける。
うーん、商人らしくないなあ。
でも、ここで誤魔化して丸く収めるより、ハッキリ言ってしまった方が早い時もある。
フィリアトゥリス様の前では、特に。
アルケディウスのギルド長を見習えとは言わないけれど、もう少しギラギラとやる気を見せてもいいんじゃない?
「こちらの方はマーカム様、木工関係商品を扱っておられる方で『新しい食』に興味を持って下さっているので、食器などの扱いと共に新しい食をお任せしようかと」
「王子様、王子妃様、皇女様にも初めてのご挨拶をどうかお許し下さいませ。
マーカムと申します」
燃えるような赤毛に黒い瞳。外見年齢は二十歳前後だろうか?
どこかお父様を思わせる色合いと、風貌は強い、戦う者の意志を感じさせる。
と、同時にふわりと漂う甘い香り。
この場に似合わないと言えば似合わないのだけれど、彼の纏う緊張と固さを緩和してくれるようで心が安らぐ。
あ。
これだ。
さっきから街で感じていた、ふわっとした甘い匂い。
――でも、これは花じゃない。
もっと、生活の匂い。
甘くて、どこか懐かしい。
「マリカです。
アルと誠実に対応をしてくれてありがとう。アルは私が全幅の信頼を預ける商人です。
彼が信用した人物なら大丈夫でしょう。早速交渉に入らせて頂いてよろしいかしら?」
「あ、ありがとうございます。皇女様の信頼に応えられるように全力を尽くします!」
「お、怖れながら!!」
私とマーカムの会話に割って入るように、今まで私がガン無視していたギルド長が声を上げた。
「マーカムの店はまだまだ中堅とも言えぬ店、王家御用達と言う訳でもございません。
国を動かす新事業を預かるにはまだまだ力が足りぬかと。
新規事業の権利を一店舗に預けるというのも騒動の元になるかと存じます」
慌ててる慌ててる。
今まで下に見ていた商会が王家、皇族と繋がり新事業を、自分の頭を超えて展開されれば慌てるのも当然だけど。
「だって、興味は無いのでしょう?
確実に儲かる儲け話を前に面倒だとおっしゃるのなら、やる気のある方にお仕事を回すだけの事ですわ」
「ギルド長など仕事ができれば誰でもいい。
マーカムをギルド長に据えればよかろう」
「王子様!」
商売についてあまり興味を持たない武人肌の王子の言葉に、ひいっとギルド長が悲鳴を溢す。
まるで首切り鎌を当てられているかのように。
「そうされたくないのであれば、カールスウェイ。何をしなければいけないのか、解りますね?」
「はい! 皇女様、アル様。どうか今少しお待ちを。
只今賓客用の部屋をご用意いたしますので、どうかそちらでお話を!」
王子と王子妃様のファインプレーに私は小さく膝を折り感謝を述べる。
あからさまに態度を変えるギルド長は信用できないし、好きになれないけれど、一つの商会が一国の食を全て賄うのは不可能だと解っているから、妬み嫉みを避ける為にもギルド長や老舗を完全に切り捨てるわけにはいかない。
でも、しっかり首に縄を付けさせてもらおう。
転がるように部屋を出て行ったギルド長の背中を見やると、私はアルと呆然とするマーカムに視線をあわせ、小さくウインクしたのだった。




