魔王城 魔王城の訪問者 後編 リオン視点 見えない力
「ぶははははっ! あははっはは! わーはっはっは!!」
部屋の中に、豪快な笑い声が響き渡る。
さっきからずっとだ。
笑い声の主は、リオン。
お腹を抱え、ベッドの上を転がりながら、子どもの姿に似合わぬ大笑いを続けている。
『アルフィリーガ、笑い過ぎ』
『放っておけ、エルーシュウィン。こうなればしばらく止まらぬ』
ベッドサイドに置かれた短剣の精霊と、壁に立てかけられた杖の精霊の呆れ声も、今のリオンの耳には届いていないらしい。
目じりに涙を浮かべ、マットレスを叩いて笑い転げている。
ここまで来ると、本当に落ち着くまで待つしかないだろう。
別に、悪い気はしていない。
こんなに楽しそうなリオンを見るのは、初めてなのだから。
「あー、笑った笑った。
こんなに笑ったのは何百年ぶりだ。長生きはするもんだな」
どれくらい時間が経っただろうか。
ようやく少し落ち着いたらしいリオンは、目元の涙を指で拭うと、寝台の上に大の字になって寝そべり、天井へと手を伸ばした。
そして――
「フェイ」
僕の方へ顔を向け、
「どうだ? 俺たちの大魔王は凄いだろ。
不老不死の呪いに倦んで死を選ぼうとした人間を、パンケーキ一つで懐柔して味方につけちまうんだ」
自慢げに、誇らしげに笑ったのだった。
リオンの言葉には、全面的に同意できる。
今日、魔王城のある島に来訪者が現れた。
不老不死の世界に倦み、『死』を選ぼうとする者が。
世界でただ一ヶ所。
この島でだけ、人は死ねる。
そのため、ごく稀にそういう招かれざる客が訪れることがあるのは、知っていた。
魔王城の安全を守るためだけを考えるなら、放置するのが最善。
けれど、マリカはそうしなかった。
そして、見事に来訪者の心を掴み、味方にしてしまったのだ。
誰が思うだろう。
誰が信じるだろう。
そのきっかけが――
一食の食事。
たった一枚の、パンケーキであったなどと。
『そんなに美味しいの? パンケーキって?』
『我ら精霊には縁遠い話よ。だが、理に適っている。
食というのはそもそも、口を通して食べ物の持つ力を己のうちに取り込むことだ。精霊の力を得る遠い手段でもある。
何百年もそれをしてこなかった人間が、強い気を取り込めば、力と意志も漲ろうというもの』
「……ああ、本当に。食べるという事は本当に重要なのだと、俺自身忘れかけていた。
魔王城に来るまでは……彼女と出会うまでは……」
精霊たちの囁きに応えるように、リオンは静かに呟き、目を閉じた。
寝台にごろんと寝転がったまま腕を広げる。
その身体から、薄い光のような力が立ち上っているのが、僕の目にははっきりと見えた。
「ここに来て、やっと『この身体』に、少しずつ力が――精霊たちの祝福が――戻って来たのを感じる。
今まで、幾度転生を繰り返してきても叶わなかったのに……」
『食事、してこなかったの? アルフィリーガ?』
「外は食という文化そのものが、消えかけてたから……な」
寂しげに笑うリオンの横に腰を下ろし、僕は彼を見つめる。
「それに、彼女の凄さは食のことだけに限りませんよ。
見たでしょう? 見事な人心掌握術。
あれを、ほんの僅かな時間で思いつき、実行できる胆力と技術は、異世界で培ったものなのでしょうか?」
「かもな。ホイクシってのがどんな教育を受けてなるものなのか、解らないが……大したものだ……」
死を望む人間の心に寄り添い、掴み、ほんの僅かな時間で忠誠を勝ち取ってしまった。
魔術でも、能力でもなく、自分の技量と言葉だけで。
あのやり取りを目にしてしまったら、『自分は知性に自信がある』などとは、とても言えない。
僕には到底思いつかないし、思いついたとしても実行はできないだろう。
「リオン。あの男、ガルフは野放しにして大丈夫だと思いますか?」
「大丈夫だろ。
アルも心配ないと言ってたし、マリカに胃袋をがっちり掴まれてる。
裏切るとは思えない。
契約を受け入れた以上、裏切ったらすぐに解るし、始末もできるしな」
「そうですね」
ガルフにかけた契約の魔術は、体内深くに食い込んでいる。
奴がマリカを裏切ろうと決意した瞬間、その心臓は止まるだろう。
ただ今のところ、そうなる可能性は低い、と僕も思う。
自分たちが子どもだというのに、実力を認めたらちゃんと仲間として見る。
ああいう豪快で真っ直ぐな人間は……大人は、嫌いではない。
「……五年、いや、あと三年だな」
リオンが天井に伸ばした手を見つめる。
その視線は、自分の手の先ではない、もっと遠くの何かを捉えているように思えた。
「何がです? リオン」
「この身体が成長し、力を蓄え……攻勢に出られるようになるまで、だ。
魔王城は精霊の力が強い。
ここであと三年、今の生活と訓練を続ければ俺は、多分、昔に近いところまで力を取り戻せる……」
『まったく、もっと早くに戻ってくれば良かったのだ、アルフィリーガ。
そうすれば、限界以下まで力を失い、そのような姿にならずに済んだものを』
『そうだよ。本当に変わりすぎてびっくりしたんだから』
心配する精霊たちの言葉は、本心だろう。
彼らは、人に――愛し子に――驚くほど優しい。
「……どうして、のこのこ顔を出せる。
彼女を死に追いやり、星を奴らの呪いに奪われたこの俺が……」
けれどリオンは、静かに目を伏せた。
彼が今なお、心に罪と傷と苦しみを抱え続けていることは、明らかだった。
「500年だ。
俺が間違いさえしなければ、ここまで人と星と精霊に呪いが進むことはなかったのに」
「過ぎた事を言っても、過去は戻りませんよ。
大事なのは、これからです。未来です」
だから僕は、事情を知らないのをいいことに、あえて彼の迷いを笑い飛ばした。
「フェイ……」
驚いたように目を見開くリオンの横で、僕は指を折っていく。
「あと『三年』と貴方は言いました。
三年あれば、僕やマリカも身体がある程度完成し、外に出ても怪しまれなくなります。
兄弟たちも自立し、数名はギフトや術を身につけるはず。
力になってくれるでしょう。
ガルフの才にもよりますが、魔王城の財力を元に商いを広げ、足場を作るにも数年はかかるでしょうし、丁度いい。
一人では行かせませんよ。
攻勢に出るときは、みんなでです」
この先、こちらにとって有利になる点を、あれこれと思い浮かべ、指折り数えていく。
不利な点など、今のところ考える必要はない。
あったとしても――潰せばいいだけだ。
……とは、口には出さないけれど。
「その間に、リオンも学んでください。
マリカから、人心掌握術や異世界の知識、色々な事を。
リオンも伝えるといいでしょう。マリカに、この世界の事。精霊の事。
そして――自分の事を」
きっと、真実を告げてもマリカは受け入れてくれる。
いつもの笑顔で、いつもの調子で。
『僕達もいるんだからね! 今度は置いて行かないで。アルフィリーガ!』
『一人で抱え込み、悩み過ぎるのが其方の悪い癖だ。我らや魔術師に、遠慮なく頼るが良い』
精霊たちの励ましに、リオンは顔を上げて笑った。
「ああ、解ってる。
もう俺は、一人じゃないからな」
人も精霊も魅了する、美しい笑顔で。
「そういえば、今回の件とガルフを見て、ちょっと考えた事があるんだ。
どう思う? 俺の魔術師?」
「何です? 一体?」
「実は……だな」
リオンの提案は、後に世界を――人の心の在り方を――変える。
その小さくて、大きなきっかけの始まりだったのだけれど、今はそのことに誰も。
僕自身でさえ、まだ気づいてはいなかった。




