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火国 出迎える者

 大聖都を南に下って行くにつれて、空気の色が変わってきたことを私は感じていた。

 肌に触れる風は重く、柔らかく、どこか湿り気を帯びている。まるで見えない水の層の中を進んでいるかのようだった。


 アルケディウスは北方。

 イメージ的には北海道なので、まだ春分類である水の一月は体感5月から6月。

 暑くも無く、寒くも無く、最高に過ごしやすいシーズンなのだけど、南下するに従い、確実に気温が上昇している。

 馬車の窓越しに見える景色も、どこか光の輪郭が滲んで見えるようになってきていた。


 要するに


「暑っつい」


 思わず漏れた言葉は、口の中に張り付くような熱気と一緒に吐き出された。


「……姫様」


 パタパタと、手で顔を仰いだら侍女頭であるミュールズさんには眉を上げられたけれど許して欲しい。

 仰ぐ手のひらに、自分の体温よりも少し高い空気がまとわりついてくるのが解る。


 馬車の中は通気性もあまり良くないし、窓を開けるのもはしたないから、あまりするなと言われている。

 大聖都ではしっかり長袖の礼装を着こんで来たのだけれど、つるんとしたシルク風の服の下に、じんわりと汗がにじんで来る。

 背中と布の間に、わずかな湿り気が生まれていく感覚が気持ち悪い。


「暑いね。こんなに暑いの初めてな気がする」


 アレクもリュートを抱きしめながら息を吐く。

 額にかかった髪がわずかに肌に張り付いているのが見えた。


 魔王城もアルケディウスも冬の寒さはどうしようもないくらいだけれど、夏は比較的過ごしやすい。

 暑いと思う日は勿論あるけれども、こんな一日ではっきりと気温が変わるとは思わなかった。

 まるで見えない境界線を越えたかのように、世界そのものの温度が変わってしまったみたいだ。


「もう少しで大聖都のプラーミァ宿舎です。

 それまでもう少し我慢して下さいませ」


 誰も見てないんだからいいんじゃないかと思うけれど、お母様に聞かれたらそういう気のゆるみが、いざという時の大チョンボに繋がるのだと怒られそうだ。

 とりあえず、我慢しよう。

 宿についたら贅沢だと解っているけれど汗を流したい。

 首筋を伝う汗の感触を想像しただけで、早く水に浸かりたい気持ちが強くなる。

 これから、南に下れば気温は上がることはあっても下がることは無いのだろうから。


 大聖都は通って来て感じたけれど、大体半径100kmくらいの円形のような国だ。

 その中央が大神殿のあるルペア・カディナ。

 白い神殿の尖塔が、遠くからでも太陽の光を反射して輝いていたのを思い出す。


 アルケディウスは国境の直前に宿があって朝、国境を超えると一気にルペア・カディナまで行ってしまうのだけれど、各国その辺の配分は違うようだ。

 プラーミァから使ってよいと指定された宿は二か所。

 大聖都に一か所と、本国に一か所だ。


「明日、王都 到着はこのままだと難しい感じかな?」


 その日の夜、私は側近や護衛であるリオン達に旅程の確認の為に集まって貰った。

 窓の外からは、昼間よりも濃くなった熱気がまだ残っていて、夜だというのに涼しさは感じられなかった。


 皇王陛下達と大聖都に行った参賀の旅よりは、こういうことに融通が利くのは助かる。


「少し難しいと思います。プラーミァでも一か所宿を指定されているのですから、そこで泊まっていくのが正解でしょう」


 随員を代表したリオンの言葉に皆が頷く。


「あちらにも迎え入れの準備が必要でしょうから。焦る必要はございませんわ」


 ミュールズさんの言う通り、国賓が到着するとなれば非公式の訪問であろうとある程度の準備がいる。

 ましてや今回は、国からの招待を受けた正式な訪問だ。

 あちらにも用意があるだろう。

 こちらも用意をしておかないといけない。


「ミュールズさん。荷物の整理をしてプラーミァへの献上品を直ぐに渡せるように出しておいて下さい。

 特にお母様からの親書と贈り物は、私ができれば手渡しで王太后様にお渡ししたいのです」

「かしこまりました」

「セリーナは夏服の準備を。予想以上に暑くなりそうだから明日からはちょっと長袖は辛いと思うの」

「はい」

「皆も気温の変化に体調を崩さないように気を付けて。

 不老不死者だとそういうことは心配ないのかもしれないけれど、それでも注意するに越したことはないと思うのです。

 この中で、大聖都以外の他国に入った者はいないのでしょう?」


 今まで王族、皇族が他国を訪問すること自体がほぼほぼ無かったというのだから、注意してし過ぎる事は無いと思う。


「そういう意味で言うのなら、一番気を付けなければならないのはマリカ様だと思いますよ」


 真面目くさった顔つきで私に忠告するのはフェイだ。


「え? 私?」

「毎晩、夜遅くまで舞の練習や、事前勉強をしているのでしょう? 部屋に灯りがついているのを知っていますよ。

 馬車の中でも書き物や調べ物をしていると聞いています」

「それは、私のやらなければならないことだもの」


 プラーミァ到着までにしておかなければならないことは山ほどある。

 王族、大貴族の名前をなるべく覚えておくように言われているし、舞の練習も続けていかないと身体は直ぐに動かなくなる。

 一応、振り付けに合格は貰っているのだからあとは研ぎ澄ましていかないと、アドラクィーレ様の神域の舞にはとても届かない。

 レシピの用意と確認も。

 どれを教え、どれを譲るか、譲る可能性が高いものは書き止めておかないといけないし。


「マリカ……様の勤勉さは美徳だとは思いますが、それもここまでにしておいた方がいいと思います。

 明日からは特に、他国のテリトリーに入るのです。余裕の無さを敵に知らせる必要はありません」

「敵? プラーミァも敵?」


 首を捻る私にフェイは、ええと頷く。


「油断のならない敵と思っていいと思います。

 敵意を見せつけ、解りやすく傷つけようとしてくる敵はむしろ御しやすい。

 親しく、友愛をもって接してくる相手こそ、手を払うのが難しく、絡めとられやすいものです。

 プラーミァ滞在中は細心の注意が必要です。

 マリカの知識と技術、そして心と身体を守る為にも」


 私的にはプラーミァは親アルケディウス国。

 身内感覚で気楽に、という印象があったのだけれど、フェイやみんなは違う視点で見ていたのだな。

 と改めて自分の認識の甘さを理解して背筋が震える。

 守られている立場でありながら、その重さを十分に理解していなかったのかもしれない。


「マリカ様がこの使節団の代表であることは事実ですが、全てを抱え込む必要は無いのです。

 その為に僕達随員がついているのですからね」


 くるりと顔を返せば頼もしい側近達がいる。

 それぞれの視線が静かに、しかし確かな意志を持ってこちらを支えてくれているのが解る。


 それを見て、私は確かにちょっと気負っていたかなと気付いた。


「資料の作成などは僕達文官に回して下さい。

 レシピなども共有化を進めておきましょう。

 ミュールズ様。マリカはどんなに遅くても夜の刻までにはベッドに入れて下さい。

 睡眠不足は利がありません」

「かしこまりました。私も配慮が足りなかったようですね。申し訳ありません」


 明日にはプラーミァに入る。

 完全なアウェイでの戦いを前に、私達は改めて自分のやるべき事。

 やらなくてはならないことを再確認したのだった。

 見えない境界線を越える準備を、心の奥で静かに整えながら。


 翌日、プラーミァ国内に入る。

 一種の外交官特権のような感じでほぼフリーパスだった入国後から、私は風の色、空気の匂い、それら全てが違っているのを感じていた。

 空はより高く、光はより鋭く、世界そのものの彩度が増したように見える。


「ホントに、南国って感じ」


 私は向こうの世界での海外旅行とかは殆どしたことが無かった。

 学生時代に一度だけ、家族旅行でシンガポールに行ったことがあるだけだ。

 プラーミァの空気はその時感じたものとよく似ている。

 力を帯びて、暑い……というより熱い。

 生命の密度が濃く、呼吸するたびにその存在を感じさせられる。


 閉め切っていると暑いので許可を得て、開けさせてもらった外気は花や果実の鮮やかな色彩と甘い匂いで出迎えてくれる。

 風が流れ込んできた瞬間、熱気と共に濃密な香りが胸いっぱいに広がった。


「あ、ヤシの木。そっか。南国だからヤシの木も当然あるよね」


 盲点だった。ココナッツミルクとか。これなら行ける?

 あと、見えるのはハイビスカスに蘭の花。

 強い日差しの中で、花弁の色がまるで燃えているかのように鮮やかだった。

 本当にシンガポールや、行った事は無いけれどハワイを思わせる南国だ。


 ハイビスカスや蘭は香りが少ないのであんまり精油作りとかには向かないんだよね。

 でもハイビスカスティーとかならなんとか……。


 色々考えながら、プラーミァでの計画を立てていると、馬車がゆっくりと止まる。

 車輪の軋む音が止まり、代わりに外のざわめきがはっきりと聞こえてきた。

 どうやら今日の宿舎に着いたようだ。

 リオンが扉を開けるまでは勝手に出て来るな、と言われているので待っている……けれど、なかなか開かない。

 外が騒めいているし、何かあったのかな?

 と思い始めた頃に扉が開いた。


「お待たせしました。マリカ様」


 リオンが恭しく扉を開けて手を差し伸べてくれるので、私はゆっくりと外に出た。

 外気は想像していた以上に濃く、強く、肌にまとわりついてきた。


「何があったのですか?」

「プラーミァから出迎えの方がいらっしゃっており、その対応に手を取られました」

「出迎え?」

「はい。あちらに……」


 私は顔を上げて外を見る。

 ほんの一日の移動で完全に南国に変わった空気に驚くより早く、私はそこに見えた人影に息を呑んだ。

 視界の中心に立つその存在は、この土地の熱と光をそのまま形にしたようだった。


「あ、兄王様?」


 茶色の髪、褐色の肌、火色の瞳。

 プラーミァ国王 ベフェルティルング様に瓜二つの青年が、跪き、私をにこやかに見つめていた。

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