皇国 舞の練習
保育士という職業は、小学校教師と並ぶ究極の総合職だと、私は本気で思っている。
子ども達の生活そのものに寄り添う仕事だからこそ、求められるものは一つの専門分野に留まらない。
とにかく浅くても広い知識と技術が求められるのだ。
遊び、音楽、体育、製作、礼儀作法。どれもが子ども達の成長に直結する大切な要素であり、その全てにある程度対応できなければならない。
日本舞踊もその一つ。
発表会や、敬老会などに子ども達に教える為に、私は少し勉強したことがある。
五歳くらいの女の子には礼儀作法の一環として日舞を教えている園もあったりするし、私自身も、子ども達の前に立つ者として最低限の所作は身に着けておきたいと思ったのだ。
「指は真っ直ぐ。背筋を伸ばして……俯いてはいけませんよ」
柔らかく、しかし芯の通った声が静かな室内に響く。
その時の先生と、ティラトリーツェ様が同じことをおっしゃるのを聞いて、人の生み出す技術というものは、異世界であってもあまり変わらないのだなあ、と改めて実感した。
文化や言葉が違っても、美しさを追求する基本は同じなのだと、不思議な親近感すら覚える。
仕事と、旅行の準備の合間、私はティラトリーツェ様から、大神殿に奉納する舞の指導を受けていた。
広い練習室の床は丁寧に磨き上げられており、窓から差し込む光が淡く反射している。空気は静謐で、自然と背筋が伸びるような場所だった。
基本の所作を覚えた後は、自分でアレンジするものなのだそうけれど、私はそもそも基本の所作を知らないので一から教えて頂いている。
王族、皇族、大貴族などの娘は嗜みとして踊りの練習はするものなのだそうだ。
舞踏会などのダンスと、それとは別に。
『神』と精霊に祈りと感謝をささげる舞を。
皇族として必須だと言われれば、やるしかない。
それは義務であり、同時に責任でもあるのだから。
一人で踊る舞と、パートナーと一緒に踊るダンスは使う能力や気遣うベクトルが違う。
相手と呼吸を合わせる必要のあるダンスと違い、舞は自分自身の内側と向き合う時間だ。
個人的に言うならダンスの方が楽しいけれど、舞の方が気が楽、というところだろうか?
ゆったりとした足さばき。
床を滑るように運ぶ一歩一歩。
手の伸ばし方。
空気を撫でるように伸びる指先。
手首の返し。
わずかな角度の違いで印象が変わる繊細な動き。
視線と指先へ気を遣う事。
身体のどこにも無駄な力を入れず、それでいて芯は失わない。
これは本当に綺麗に舞う為には反復練習あるのみ、のような気がする。
理解するのと出来るのはまったく別の話だ。
「舞を舞うのは始めてですよね。マリカ?」
「はい。今まではそのような機会がございませんでしたから。
何か問題がありましたでしょうか?」
私に一通りの所作を教えていたお母様が、どこか歯切れが悪く、言葉を選ぶように問いかけてくるので、私は少し不安になる。
自分ではちゃんと出来ているつもりでも、何か失礼な事でもしてしまったのだろうか、と胸の奥がわずかにざわついた。
「いいえ。そうではありません。安心しなさい。
まったくの素人の割にさまになっているので、どこかで体験したことがあるのかと思っただけです」
「ああ、そういうことなら、『向こう』で同じではありませんが似た精神を持つ踊りを学んだことがあるからかもしれません」
日本舞踊なども歴史をさかのぼれば神に捧げる感謝の舞などから始まっている。
祈りの一つ。
神への畏怖と敬意を表したものだと学んだ。
舞は柔らかく、表現を内に込める。
外へ誇示するのではなく、内側から滲ませるように。
礼儀の籠った仕草を、リズムに合わせて踊りに乗せる。
扇や道具を使わない手踊りだけれど、こういう伝統芸能の『心』はきっと万国共通なのだ。
文化が違っても、人が祈る気持ちそのものは変わらないのだから。
自分を表現する系のダンスとは、やはり一線を画すると思う。
「なるほど、そういうことなら納得です。
続けますよ。所作を覚えたら、後は音楽に合わせて身体を滑らかに動かす事。
神や自然、星への感謝を込めて……」
『向こう』の言葉で察して下さったらしいお母様は、小さく頷き、また指導を始める。
その動きは一切の無駄が無く、空気そのものを操っているかのようだった。
同じ動きで振り付けを間違わず、滑らかに身体を動かし、踊れるかが上手な人とそうでない人の差になる。
そこら辺もきっと同じ。
ティラトリーツェ様の舞は、ちょっとした目線や手の使い方にも細やかな神経が行き届いているのが解って、相当なレベルなのだという事がよく解る。
指先が止まる一瞬でさえ、意味を持っているように感じられた。
向こうで言うなら師範並。
見惚れてしまう程に綺麗だ。
多分、嫁いできて舞う事は無くなっても、基礎練習は怠っていないのだと思う。
長い年月を経てもなお衰えないその完成度が、何よりの証明だった。
ちなみに伴奏はアレクが担当。
本番では神殿の楽師さんが演奏して下さるらしいけれど、色々な意味でアレクの演奏が一番踊りやすい。
私の呼吸や動きに自然と寄り添うような音。
安心感がある。
アレクは王宮の楽師さんに紹介して頂いてから、新しい歌や音楽を教えて貰い、どんどん身に着けている。
子どもの吸収力の高さには本当に驚かされる。
夏の戦の前、王宮で私の舞の伴奏として王宮デビューさせ、その後、夏の戦の後の舞踏会でアルケディウス全体にお披露目する予定だ。
「マリカ、何故貴女は床に座って見ているの?
体が冷えるでしょう?」
「あ、すみません。なんとなく。この方が集中できるのでお気になさらず」
椅子は用意されているけれど、なんとなく向こうの習慣で正座していた。
背筋を伸ばし、静かに舞を見つめる。
キレイで、魅入ってしまう。
私も、あんな風に踊れるのだろうか?
「まずは今のを丸暗記でいいから覚えて踊れるようになりなさい。
その後は自分なりに動きやすいようにアレンジして構いませんから」
「はい」
ティラトリーツェ様の舞に合わせて、同じように身体を動かす。
動きの軌跡を頭の中でなぞりながら、慎重に再現する。
振り写しそのものは苦手じゃないから大丈夫。
曲を覚えて三回も見せて貰えれば、同じ動きの繰り返し。
頭に入る。
「あら、覚えが早い事」
向こうの保育士時代、振り付けは早く覚えて教えないといけなかったから、衣装作り程時間はかけられなかった。
短時間で理解し、再現する能力は自然と身についていたのだと思う。
ただ、舞とかダンスというのは振りを覚えてからが本番とも言える。
同じ仕草もプロと素人ではまったく違う。
動きの滑らかさとか。
指先に乗せる思いとか。
それを自分が身に着ける為には反復練習あるのみなのだ。
でも――
(なんだか楽しい!)
胸の奥から自然に浮かび上がる感情。
こんなに、ただ踊ることだけを楽しめるのは久しぶりな気がする。
身体が思うままに動き、動きが少しずつ形になっていく。
前の社交ダンスの練習の時は、パートナーであるリオンの足を引っ張らないように、踏まないようにするのが精いっぱいで、楽しむどころではなかった。
若い身体は運動神経も良くって、比較的思い通りに動いてくれるし、練習するごとに自分が上手くなっていくのを感じる。
自分がどんなに頑張っても最終的には子どもがやる気になってくれるかどうかの発表会に比べると、気持ちの上で凄く楽で、純粋に楽しかった。
二刻程練習して、とりあえずティラトリーツェ様の舞を覚えて、なんとか最後まで舞えるようになった頃。
(上手に踊れているかは別。まだやっと覚えただけだから)
「あれ? お母様?」
私はティラトリーツェ様の、私を見る目が変わっている事に気付いた。
深く考え込むような。
私の内面のさらにその先を見ているような。
なんだか、怖いくらいに真剣だ。
「何か、私、失敗でもしましたか?」
「……そうではありません。ただ……」
ティラトリーツェ様が考えを巡らせているのが解る。
いくつもの可能性を並べ、選び、捨て、また選ぶ。
その思考の重みが、沈黙として空間に落ちる。
微妙な沈黙が続く中、やがて結論が出たのだろう。
大きく息を吐き出して、ティラトリーツェ様が私を見る。
「マリカ。明日は調理実習がありますね?」
「はい」
「ではその後、残りなさい。
其方に、本当の『奉納舞』というものを見せてあげましょう」
「え? 本当の奉納舞、ですか?」
小首を傾げる私に、ティラトリーツェ様が静かに頷く。
表情に漂う、明らかに不承不承という空気。
「ええ、私の舞は所詮500年前で止まっていますからね。
多少なりとも努力は続けているつもりですが、技術というものは使わなければどうしても錆びるもの。
私は今の自分が優れた舞手であるとは思っていませんよ」
私にとってティラトリーツェ様の舞は、十分うっとりするくらい美しいお手本だった。
それでも、あれで妙手ではないと言われるのなら。
本当の名手、妙手というのは――どれほどの存在なのだろう。
「ですから、少なくともアルケディウス一の舞手の舞う『奉納舞』を見せましょうと言っています。
貴女はまだ若いし、かなり伸びしろがあるとみています。
私では無く、貴女にはそれ以上の舞を手本、目標として稽古をして欲しいですから」
なんだかんだでプライドの高いティラトリーツェ様が、アルケディウス一の舞手と認める人物。
一体、どんな人なのだろう。
踊りのお師匠さんでもいるのかな?
「借りを作って調子に乗らせるようで、あまり気は進みませんが、其方の為です。
呑み込みましょう」
「?」
とりあえず、その日の練習はそこで終わりになった。
練習の後は店に行ったり、翌日の調理実習の下準備をしたりと大忙しだったので、踊りの事はケロッと忘れてしまう。
思い出したのは、翌日の調理実習の給仕中。
「食事の後を楽しみにしてらっしゃい」
アドラクィーレ様に微笑まれ、静かに声をかけられた時だった。




