皇国 三人称 精霊達の内緒話
とある再会の日の夜。
アルケディウス孤児院にて。
ただ三人――いや、正確には二人以外、見る事も、聞く事さえ叶わなかった
『会話』
精霊達の内緒話。
それは、皇女の視察を終えた深夜の事だった。
昼間の喧騒はすでに遠く、館の中には深い静寂が満ちている。
暖炉の火は落とされ、廊下の燭台の灯りも最低限だけが残されていた。
気心の知れた優しい少女であっても、外部の人間を招き入れるのは緊張するもの。
孤児院の人間達はその夜、早々に皆、眠りについた。
子ども達は温かな寝具の中で安らかな寝息を立て、
世話役達もまた、疲れを癒すように深く眠っている。
厳重に戸締りがなされた館の中で、
誰も予想もしないことが起きようとしていた事を知るよしもなく。
ゆりかごに寝かされたまだ生後数か月の赤子。
まだ骨も身体も固まり切っておらず、柔らかで身動きさえままならない筈のその子は、
自らの力でくるりと腹ばいになると、ずりずりと、ゆっくり籠から這い出し床に降りた。
小さな腕が床を掴む。
未熟な指先が布の縁を握り締める。
赤子の腕の力は生後すぐでも思いの外強いと言われている。
自分の身体位上手くすれば支えるのだそうだ。
けれど。
この光景を見た者がいたら驚愕に顔を歪めるだろう。
こんな成長発育は在りえない。と。
赤子は同じ部屋で授乳の隙間、熟睡する世話役や乳母、乳兄妹に見る目もくれず、
ひたすらに床を這い、窓を目指した。
外に出ようとしていたのかもしれない。
扉は高く、大きく、簡単に手が届かない。
けれど窓には手が届くかもしれない。
と。
幼い身体に似合わぬ執念は明らかな目的を持った動きだ。
逃走。
ただ、それだけを目指して。
けれど――その必死の行為は。
「戻れ。お前を俺が逃がすと思うか?」
この場に在りえない筈の声に遮られた。
籠から抜け出すのに必死で気が付かなかった、と赤子は目を見開く。
窓枠に腰をかけ、こちらを見つめる少年。
その存在を『彼』は良く知っていたからだ。
銀の月明かりに照らされた窓辺。
静かに佇む影が一つ。
逃げ道を塞ぐ者が、そこに…………いる。と。
「布団に戻って、子どもらしく眠れ。
そうすれば見なかったことにしてやる」
まだ声帯も未発達、ただ泣く事でだけ外界に意思を訴える赤ん坊は、
けれど、泣きだすことは無く、聞こえない『声』で叫びを上げる。
少年もまた、同じ『声』で応える。
同種、同型の精霊のみに伝わるその『声』を特別に、同時通訳するとしよう。
『なんで! なんでこんなところにお前がいるんだ! アルフィリーガ!』
『それは、こっちのセリフだ。フェデリクス・アルディクス。
俺が殺して転生した筈の貴様が、マリカの孤児院にいるなんて、信じられないを通り越して笑ったぞ』
『やり直しを要求する! どうしてこの僕が、こんなところでこんな屈辱を味わうことになるんだ!』
『貴様は転生は初めてか。最初はいつもそんなものだ。
肉体は初期化されて、0からのやり直し。最低でも2年は自分の身体が成長するまでひたすらに待つしかない。
ある程度自分の意志で動ける様になって、そこからがやっと新しい人生のスタートだ』
幾度となく転生を繰り返して来た少年の語る言葉が真実であると、赤子は今我が身をもって実感していた。
幼く、か弱く無力な身体。
それは何より雄弁な証明だ。
『基本、どこにどう生まれるか、俺達に選択権は無い。
ただ、できるだけ安全に育つことができる場を、どうやら『星』は選んで下さっているようだ』
比較的まともな養い親の元に拾われたり、
逆にまったく人の通わない洞窟に落ちた事もあった。
けれど、生まれ落ちたと同時死を迎えるような羽目にはあまりならなかった。
と少年は言う。
あまり、ということは何度かあったのか。
赤子は問わなかった。
『神も一応は貴様が安全に育ち、生きられる場所を選んだのではないか?』
夜気が、静かに流れる。
窓の外から差し込む月光が、床を這う赤子の小さな身体を淡く照らしていた。
『少なくとも孤児院は今、世界で子どもが一番、幸せに生きられる可能性の高い場所だ。
他の場所に落とされていたら、良くて放置。悪くすれば奴隷として酷使される羽目になっただろう』
と少年は言う。
それもまあ、事実ではあろうけれど。赤子には納得は当然できない。
大聖都に転生させて貰えれば、神官長もいる。
保護されて最短で体制を取り戻せた筈だ。
『そうかな? 貴様達は大神殿で集めた子ども達をどう扱っていた?
思い返してみるがいい』
その言葉は静かだったが、逃げ場を与えない重さを持っていた。
少年に睨みつけられ、赤子は『思い返す』
勇者の転生を探す過程で幾人かの子どもが大聖都に連れ込まれることはあった。
だがそんなに簡単に見つかって連れて来られるような子どもが『真実の勇者の転生』で在る筈は無い。
連れて来られた時点で、違うと証明されている。
殆どは返却、放置。
身目麗しかったり、異能を持つ者は残して下働きに使ったりしていたがそもそも『神』が子どもを必要としていない以上大切にする理由はどこにもない。
奴隷とほぼ同じ扱いで『子ども上がり』と呼ばれるまで子どもが育つ率は他国よりもむしろ低かったろう。
『神官長に見つけられるまでどんな目に合されていたか解らないぞ。
それに比べたらここは安心して生きられると思うがな?』
彼の言葉は事実だと……赤子は押し黙る。
少なくともここでは寒さに震えることも無く、飢える事もない。
女の乳を吸わなくてはならないことは屈辱ではあるが、それがこの身体を育てる上で一番有益なことは理解できている。
『俺は、お前が『大神官』に戻らない限りは殺すつもりはない。
無論、マリカや孤児院の子ども、ホイクシ達に危害を加えるつもりなら即座に処理するが……』
その言葉は、静かだった。
だが、そこには一切の迷いがなかった。
『『神』の手足である僕にお前は孤児院にいろ、というのか?』
『ああ、そうだ。
お前を逃がさず、ここに括りつけておく。どこの誰に転生するか。と怯えるよりはその方が安心だし安全だからな』
その瞬間――。
キーン。
音にするならそんな響きが二人の耳に届く。
無論、これは彼らが精霊だから聞こえたこと。
常人の耳には届く筈も無い、術の発動音である。
『! 何をした?』
『魔術師にこの孤児院に結界をかけさせた。簡易的なものだが。
侵入者を弾き、許可のない者が外に出る事を封じる。
貴様の得意技だろう?』
赤子の思念が激しく揺れる。
『ふざけるな! いかに魔術師だろうとこの結界術が簡単にできてたまるか!
これは『移動』と『維持』を司る『神』から僕が、僕のみが授かった『維持』の力だ!
『そうだな。あの時まで『移動』の俺にはできなかった。
『星』の精霊エルフィリーネの力も、魔王城に貼られた結界もあくまで敵である『神』の力、魔性や不老不死者を感知、弾くだけのものだ』
『なら、どうして!』
赤子の思念は焦燥に染まる。
『今までは……だ。俺は、お前を『殺した』時、その情報と特性を取り込んだ。
今はお前の持つ力の一部を使用できる。それを使って魔術師に術を練らせただけのこと。
まあ、所詮は一部でしかない。
お前が力を完全に取り戻せば一蹴されるだろうが、力の大半を失っているお前と今の俺だったらどっちが強いかな』
床に這いつくばる赤子は目の前に立ち自分を見下ろす少年。その冷酷な眼差しから顔を逸らす。
比べるまでも無い。
元々戦闘特化の先行機に、人心把握と状況維持を目的として作られた後継機である自分が叶う筈は無い。
だから、とにもかくにも逃げ出そうとしたのに。
この身体はあまりにもひ弱すぎてどうしようもないことを、赤子は身に染みて知っていた。
『さっきも言った。お前がこの孤児院で子どもとして生きている限りは、俺はお前に危害を加えるつもりはない。
だから、せめて身体が動かせるようになるまで三年、ここで『レオとして』生きて見ろ。
その上で、やはり神の『手足』として俺と相対する、というのであればその時は、遠慮なく、容赦なくまた相手をしてやる』
その言葉は、静かだった。
けれど、その静けさの奥にあるものは絶対だった。
脅しではない。
警告でもない。
決定であり、命令だ。
圧倒的不利な提案でも、赤子はそれを受け入れるしかない。
受け入れなければまた『死』ぬ。
再び転生されるとしても、それがいつ、どこになるか選べないとすれば、今の生存環境を捨てるにはあまりにも部の悪い賭けだ。
それに考えようによっては、自分が監視されているのと同じように、アルフィリーガ達も監視できると、大神官であった赤子は思いつく。
いつか、『取り戻す為』にも『星』の精霊達の出入りするここに自分が存在する事は、情報収集の意味からしても無益では無いだろう。
もしかしたら『神』はその為に自分をここに落したのかもしれない。
冷たい床の感触。
未熟な身体。
その全てを受け入れながら。
『……解った』
渋々の態ではあっても状況を受け入れた赤子の返事に満足したのだろう。
少年は赤子を慣れた手つきで抱き上げた。
その手は強く、安定している。
戦いの為に存在する者の手。
だが同時に、守ることを知った者の手。
『ならば、寝床に戻れ。
そして眠れ。
俺は、俺達はお前が『レオ』として生きる限り、お前の命を守り導いてやる』
昼間、抱き上げられた時には気付かなかった感覚に赤子は顔を上げる。
彼に殺されたのはほんの少し前。
一月さえ経ていないのに、彼はあの時とは別人のようだ。
同じ存在。
同じ精霊。
それなのに――違う。
『君は……思い出したのか? アルフィリーガ?』
『思い出した訳じゃない。理解しただけだ』
その答えは、曖昧でいて明確だった。
『だったら! 君は帰って来るべきだ。この星の、人間達の、何より『子ども達』の平和と安息を守っているのは『神』なのだと解る筈だろうに!』
赤子の思念が強く揺れる。
それは説得であり、懇願でもあった。
『……思い出した訳ではないと言っている。
だが俺にとっては『神』とは……お前に乳をやるあの女……自らのせいで離れていった女を取り戻そうと騒ぎ立てるあの男と変わりない。
俺を騙し、貶め、尊厳を奪い……それでもお前が必要なのだ、戻れと喚くのか? たちの悪い悪夢だな』
その言葉には、冷たい怒りがあった。
凍りついた記憶と失われた尊厳と。
『それは、君が必要とされているからだろう? 『神』は今も君を求め、愛しているのに?』
『都合のいい『愛』に縛られてやるつもりはない。
俺は『星』の元で、マリカの元で……本当の『愛』を知ったからな』
その言葉は揺るがない何か。
大切なもの、自分の役割、そして何より帰る場所を知った者の確信に見えた。この男は自分達以外にそれを見出したのか?
『『星』とて、結局は君を利用しているじゃないか?』
『違うんだ。それでも。今のお前には、解らなくても仕方ないが……』
短い沈黙が流れる。
『それに、マリカ様、ではなく、マリカ……と?』
「……できるなら、お前も知るがいい。神の手先では無い。『星』の祝福を受けて、生まれた一人の人間として……」
すれ違う会話と想いを諦めてか少年は寂しげに微笑むと赤子を褥に降ろし消えた。
思念では無く、最後の思いを言葉で紡いで。
夜に溶けるように。
赤子は柔らかい布団に包まり、身体が求めるまま、瞳を閉じる。
自分の為の褥に横たわれば波のように眠気がやってくる。
屈辱的でありながら、否定できない安らぎに今は、身を任せよう。
今日は疲れた。
あいつの言う通りにするのは癪だが、とりあえず、今は眠ろう。
考えるのは後でいい。
為すべき事も、あいつの言葉の意味も。
今の自分はあいつの言う通り、まだ赤子なのだから。
戻ってきた少年を、銀髪の魔術師が迎えたのはそれから本当に直ぐの事であった。
月明かりの下。
静かに立つ影が二つ、並び立つ。
「すまなかったな。フェイ。
忙しいのに呼び出して」
「いえ、構いません。貴方が僕を頼ってくれてむしろ良かった」
魔術師は清々しい笑顔で少年を見つめる。
その眼差しには疑いが無い。
信頼のみが宿る。
「でも、本当にいいんですか? 孤児院にアレを放置して。子ども達やホイクシに危険が及ぶことは?」
「釘は十分に指しておいたし、後一~二年は大丈夫だろう? あいつも馬鹿じゃない。
身体がそれなり育つまでは、世界で一番安全な場所を捨てようとはすまい」
「そうですね……」
魔術師は目を閉じる。
「この孤児院は世界で一番子どもに優しい場所。
マリカの夢と願いの表れだ。ここに触れて、それでも奴が変わらないようならその時は俺がちゃんと片を付ける。
それが、奴を殺し、また生かした同種としての責任だからな」
「リオン……」
魔術師は解っていた。
少年が覚悟をもって、そして自分を信じて今の一言を発した事を。
「随分と力を使いましたが、大丈夫ですか?」
「問題ない。むしろ楽になったくらいだ。
あんな感じで力を使う方法は他には無いかな?」
「理論は色々あるんですよ。ただ、精霊力が薄まったこの世界では難しかっただけで。
リオンが協力してくれるのなら、色々と実験してみましょうか?」
「ああ、いくらでも使ってくれ」
少年は一度だけ、孤児院を振り返る。
窓の奥。
眠る小さな命。
心の中で小さく『星』に祈りながら。
願わくば、あの子も檻の存在に気付き、そこから抜け出る事ができるように。
そして幸せが見つかるように……と。




