皇国 新しい服と新しい決意
皇女の一日は忙しい。
朝の静けさが完全に消え去るよりも先に、やるべきことが次々と押し寄せてくる。
他に皇女はいないから、私だけかもしれないけれど。
午前中は、どうしてもの急用があって魔王城に行ったけれども、本当は他の仕事が一日、いろいろ、山盛りある。
本来なら一つずつ順番に片付けていくはずだった予定が、今はきれいに積み重なって、目の前で『さあどうぞ』と待ち構えている状態だ。
忙しいのは嫌いじゃない。
むしろ、やることがあるというのは安心できる。
動いている限り、前に進んでいると実感できるから。
「城に戻る前にこれと、これの確認と決済だけお願いできるかな?」
私が転移陣から戻るとすぐ、待っていたかのように――いや、実際待っていたのだろうけれど――ラールさんが山盛りの書類を抱えて店長室に入ってきた。
書類の束は相変わらずの厚みで、両手で支えなければ崩れてしまいそうなほどだ。
紙の擦れる音と共に机の上へと置かれるそれは、まさに今の私の役割そのものだった。
ラールさんは私の貴族区画における名代で、私の秘密…元魔王であるエルトゥリア女王の転生で、魔王城の島とアルケディウスを行き来している。
ということを知っているから、多分私が店の奥にある書庫の転移魔方陣から魔王城に行っている間、他の人が部屋に入らないように、侍女のセリーナと防波堤になってくれていたのだと思う。
何も言わず、何も聞かず、それでも必要なことは全て整えてくれる。
本当に頼りになる人だ。
「すみませんでした。すぐやります」
椅子に腰を下ろし、すぐに書類を手に取る。
指先に伝わる紙の感触が、自然と意識を切り替えてくれる。
だから、私も大急ぎで書類に向かい、確認と決済を行う。
他国からの料理留学生の受け入れ、店舗の売り上げと職員でもある実習生の給料配分などなど。
数字の並び。
署名欄。
承認印。
一つ一つが、この世界に『食』を根付かせるための大切な積み重ねだ。
人々が不老不死になったせいで一度、この世界から絶滅していた『食』をこの世界に蘇らせ、そして広める為にはやりたいこと、やらなくてはならないことがたくさんある。
この『食』を蘇らせる事業を起こした、起こせたおかげでただの子どもでしかなかった私が、皇女なんていう身分になることができてるのだから、手を抜く訳にはいかない。
それに、私自身が食事という楽しみの無い世界に絶えられない。
美味しいものを食べること。
誰かと一緒に食べること。
それだけで、人は前を向ける。
世界中に『食』の楽しみと重要性を知らせたいというのは私の我が儘なので、押し通す代わりに仕事はしっかりとしないと。
ペンを走らせながら、自然と集中が深まっていく。
頭の中で予定と計算が組み立てられていく感覚は、嫌いじゃない。
「多分、今月中には近い所、フリュッスカイトあたりからは新しい留学生が到着するかもしれません。
プラーミァには来月から私が行くので、プラーミァからの二人目の留学生はその前になるか後になるか。
微妙ですね」
サインをしながら打ち合わせもする。
後を任せる以上、報連相はしっかりと。
「水の月に行くのはプラーミァだけ?」
「社交シーズンと夏の戦の前には戻ってこないといけないので、今のところはプラーミァだけの予定ですが、できればエルディランドにも寄りたいんですよね。
遠いですから。
でも、そうなるとマルっと水の月は不在になります。その間はラールさんにお任せで」
「できるだけ頑張るよ、っとそろそろ一の刻が終わる。
昼過ぎから来客がある、とか言ってなかったっけ?」
「あ、はい。
二の水の刻にシュライフェ商会の仮縫いが来るんです。戻らないと。
明日は孤児院に行きますが、その後にまた寄りますから」
「了解、悪いけれど仕事を貯めておくよ」
「宜しくお願いします」
最後の書類に印を押し終えると、小さく息を吐いた。
まだ終わりじゃないけれど、一つの区切りだ。
館に帰ると私は外出用の服から、館用の服に着替えた。
館用、と言ってもだらだら楽な部屋着という訳じゃない。館で来客を迎える用の服だ。
動きやすさと格式の両方を求められる、いわば仕事着。
皇女用に作って頂いた服だから豪華なのに変わりはないけれど、少し脱ぎ着がしやすくなっている。
とはいえ重ねられた布の重みは責任と立場の重み。
以前よりずっと慣れたけど。
これから来るのは服飾専門店のシュライフェ商会で、行われるのは仮縫いと採寸なのだからそれに合わせた服にしないといけないらしい。
お貴族様めんどくさい。
でも、それも役目の一つだから諦めよう。
「ご無沙汰しております。
マリカ様、シュライフェ商会 プリーツィエにございます」
扉が静かに開き、整った所作で一礼する姿が目に入る。
相変わらず隙のない動きで、立っているだけで職人としての誇りが伝わってくる人だ。
「お久しぶりです。プリーツィエ様、今後ともよろしくお願いしますね」
いつもの調子で挨拶をすれば、シュライフェ商会の主任デザイナー プリーツィエ様は少し困ったような顔をして私を見る。
その表情は恐縮というより、どう対応すればいいのか迷っているような、そんな微妙な空気を含んでいた。
「マリカ様、前にも申しましたがどうか私の事はプリーツィエとお呼び捨てくださいませ。
皇女様に様と呼ばれるのはあまりにも…」
あうー、そう言われればそうなのだけれど、私は年上を呼び捨てするとかあんまり好きじゃないんだよね。
前世でもそうだったし、今でもその感覚は変わらない。
立場がどうであれ、年上には年上なりの敬意を払いたい。
「プリーツィエさん、とかではダメです?」
「どうか、お呼び捨てで。私の方が落ちつきません」
そこまで言われちゃ仕方ない。
「では、プリーツィエ……。仮縫いの方をお願いします。
水の月に一番遠いプラーミァ王国への訪問が決まっているのです。
プラーミァは南国なので夏物の旅装と礼装を用意しないと……」
「心得ております。お任せ下さいませ。では、早速」
本当に用意を進めていてくれたらしく、連れて来たお針子と一緒にテキパキと仕事を進めてくれるのはありがたい。
布が広げられ、巻き尺が取り出され、手際よく準備が整えられていく。
ちなみに私が皇国の仕事をするようになったのは夏を過ぎてからなので、私が作って頂いた礼装やちゃんとした服は秋冬服が多い。
アルケディウスは北国なので、夏もそんなに極暑、猛暑、とかにはならないけれど、プラーミァは一年を通して雪もほとんど降らない南国だという。
想像するだけで、今までの服では厳しいのは明らかだった。
一年十四月で今年、私は六カ国を回ることになる。
目的は食の復旧と各国の視察。
どんな食材が残っているか。野菜や植物を確かめるのと、その国にあった料理の指導が求められている。
うち夏の二ケ月は大祭と戦があるから国を離れられない。
夏から秋の社交シーズンに行けるのはフリュッスカイトとアーヴェントルクの隣国になるだろう。
秋国と言われるシュトルムスルフトとヒンメルヴェルエクトに行くのは冬。
頭の中で予定をなぞる。
移動。準備。指導。交渉。
スケジュールはけっこう厳しい。
でも、それが嫌だと思ったことは一度もない。
むしろ、必要とされていることが嬉しい。
今のうちにできる限りの準備はしておいて貰わなくてはならないのでシュライフェ商会には頑張ってほしい。
「昨年に比べると、姫君も大きくなっておられますからね。背が伸びる事も計算に入れてご用意しないといけませんね」
「そんなに伸びていますか?」
「身長で5クラウ程。身体も徐々に女性らしくおなりでしょうから服の作り方も変えた方がいいかと思っています」
プリーツィエが私に巻き尺を合わせながらうっとりと息を吐いた。
この世界の単位と向こうの単位は同じじゃないけれど、感覚的にはそんなに違ってはいない気がする。
1グランテー≒1メートル 1000グランテ=1レグランテ≒1kmという感じだろうか。
ルーの下の単位はクラウでその下がラウだとは前に聞いた気がする。
私はどうしてもcm、mで換算しちゃうけど。
今の私の身長は向こうで言うなら135cmくらい?
現代日本の子は発育がいいから一概には比べられないけれど、学童平均よりは少し低めの気がする。
リオンとフェイは140~150cmくらいかな?
中一、中二くらいの男の子と考えればやっぱり低めだ。
とはいえ、大人全体の平均身長もそんなに高くないから平均だと思う。
身長170cm前後のお母様や、180cmのお父様は相当な長身だけど、兄皇子様達は実寸、お母様より低いんだからコンプレックス押して知るべし。
身長2メートル近いプラーミァの兄王様は例外中の例外だ。
「マリカ様、もしリオン様にお会いする機会がございましたら、どうか採寸の機会を、とお伝えいただけませんか?
ライオット皇子よりリオン様の分も、旅装、礼装のご注文を賜っておりますが、男の子はより成長が著しいと思われますので前のサイズで作るのは怖くて…」
「解りました。伝えておきます。
明日は会う機会があるので、その後店に行くか、改めて来て頂くか相談して連絡します」
「宜しくお願いいたします」
リオンは第三皇子の軍属だった頃に、礼装を作って貰っている。
白地に金の刺繍の施された民族衣装は凄くカッコ良くって私もお気に入りだったけれど、戦闘服だというだけあってけっこうタイトで舞踏会の時にはマントで隠してたけれど、少しキツそうだった。
採寸はしなおして貰った方が確かに良いと思う。
着れなくなった服は、今度リオンの従卒になるアーサーに回せばきっと喜ぶだろう。
身長とかの問題から、私のエスコート役はリオンにしか頼めない。
何より新しいリオンの礼服は私も見たい。
どんな顔をするだろう。
照れるのか、それとも平然としているのか。
想像すると、少しだけ楽しみになる。
早めにお願いして置こう。
『アルフィリーガのことをお願いいたします』
ふと、さっき城の守護精霊にかけられた言葉を思い出した。
エルフィリーネはいつも、私達の事を気にかけてくれている。
特に主である私を抜きにすればリオンの事を一番気にしているだろう。
リオンは、この世界に不老不死を齎した勇者の転生。
元々は精霊に属する存在で、精霊国 エルトゥリアの王子であったという。
エルトゥリアの城の守護精霊であるエルフィリーネはいつもリオンの事を大切に思って心配している。
でも、それをあんな風にはっきりと言葉にしたことはあっただろうか?
(なにか、リオンにあったのかな?)
リオンは隠し事が上手だ。
ズルいくらいに私達に弱みを見せない。
それに気付けるのはいつも側にいる相棒たる魔術師のフェイ。
異変やそのものの本質を見抜く目を持つアル。
そして500年前、勇者時代のリオンを知っているお父様くらいなものだ。
私では気付けないかもしれないけれど、それに甘えていては大聖都の二の舞になる。
私達の為に一人で敵を討ちに行ったリオン。
危うく彼を失うかもしれなかったあの絶望と恐怖は忘れられない。
もうあんな気持ちを味わうのは御免。
フェイやアルとも相談して、厳重に監視しよう。
エルフィリーネにも頼まれたし、今まで守って貰ってきた分、今度は私の番だ。
「もう、絶対に、リオンを一人で戦わせたりしないんだから」
小さく、けれど確かな声でそう呟いた。
それは命令でも誓約でもない。
ただの――
私の、決意だった。




