魔王城 フェイ視点 精霊達の内緒話 前編
それは、新しい年の始まり。
長く、そしてあまりにも多くのものを変えてしまった一つの戦いが終わり、それぞれが、それぞれの在るべき場所へと帰還した宵のことだった。
傷つきながらも、確かに前へ進んだ者達。
失われたものと、得られたものを胸に抱えながら、それでも歩みを止めない者達。
そしてこれは――
精霊たちの内緒話。
「……そうですか。
貴方はとうとうそこに至ったのですね」
彼の姿を一目見た、城の守護精霊は、静かに――
けれど確かな感慨と、拭いきれない哀しみをその瞳の奥に滲ませながら、そう微笑んでいた。
大聖都から戻ってきて数日後。
僕は、リオン、アル、そしてマリカと彼女の侍女セリーナと一緒に魔王城へ戻って来ていた。
長い遠征。
幾度もの戦いと交渉。
生死の境を越えた出来事を経て、ようやく帰還した、僕達の居場所。
「やっと帰って来れた!!
長かったよ~~~」
張り詰めていた糸が切れたかのように、マリカが大きく息を吐きながら叫ぶ。
その声には安堵と、喜びと、そして心からの帰還の実感が込められていた。
まる一月以上、四人全員が不在。
事前に話は勿論言い聞かせてあったが、それでも子ども達にとっては長い時間だったのだろう。
マリカの魂の叫びのような声を聞きつけて、
「お帰りなさい! マリカ姉! リオン兄! フェイ兄! アル兄!!」
「うわー、みんないっしょに帰ってきたのひさしぶりだねえ~。うれしいな」
「おかえり、おかえり」
「ばうっ!!」
子ども達は、弾けるような勢いで僕達の元へと駆け寄ってきた。
小さな足音が廊下に響き、笑顔が花のように広がっていく。
護衛兼遊び役のオルドクスも、その大きな身体を揺らしながら嬉しそうに尾を振っている。
「ただいま~。みんな、元気だった? 元気してたね? 良かった♪
ひとりずつ、だっこさせて~。触れ合いに飢えてるの」
マリカは一人一人を抱きしめていく。
まるで、離れていた時間を取り戻すかのように。
「元気にやってたか? オルドクス?
お前のおかげで俺達は、安心して城を空けられる」
「ばふうっ~~!!」
リオンがぽんぽん、とオルドクスの背を叩く。
その手は優しく、そして確かな信頼を込めたものだった。
オルドクスは身体を摺り寄せる。
大きな体に似合わないほど慎重に。
主の存在を確かめるように。
だが、
「バウ?」
突然、何かに気付いたように動きを止めた。
黒く丸い瞳が、静かにリオンを見上げる。
問いかけるように。
確認するように。
「……大丈夫だ。心配するな」
ぽん、ともう一度背を叩く。
その仕草は、主としての命令だった。
――黙っていろ。
忠実な守護獣は理解する。
そして、それ以上何も問わなかった。
ただもう一度、信頼と敬意を込めて身体を摺り寄せると、子ども達の方へ戻っていく。
「何ですか? 一体?」
「何でもない。気にするな」
リオンはそれ以上何も語らない。
ただ、子ども達に囲まれて笑うマリカを見つめていた。
「セリーナお姉ちゃんもおかえり! すごくキレイ」
「ありがと。ファミーも元気そうで良かったわ」
「ねえ、お土産は無いの?」
「こないだ、エリセ姉が持ってきてくれた『にくじゃが』おいしかった! また食べたい!」
「りょーかい! 『ショーユ』と『サケ』はもってきたからね。
アル。残ってるナーハの食油もってきてたよね?」
「ああ、皇家の残り物だからな。処分しちゃっていいって言われてる。マリカが使うなら文句は言われねえよ」
「ありがと。よーし。今日はカラアゲにしてみよー?」
「カラアゲ? カラアゲってなあに?」
「マリカお姉様、私もお手伝いしますので教えて頂けませんか?」
「はーい、私も!」
「新しい料理作るつもりか? ならオレも見る」
「後でラールさんにも教えるって。とっても美味しいから!」
子ども達の瞳が輝く。
新しい料理――それはこの城において、小さな祝祭に等しい。
マリカのもたらす食は、単なる栄養ではない。
それは未知であり、驚きであり、そして何より――幸福そのものだった。
アルは今、事実上ゲシュマック商会のナンバー3。
ゲシュマック商会のマリカに関連する事業はアルが全て取り仕切ることになっている。
その責任は重い。けれどアルは弱音を吐かない。
その関係で料理も自主的に学び、大分上手になった。
それは単なる技術の習得ではなく――
マリカの隣に立つ為の努力でもあったのだろう。
「と、その前に荷物を置いて着替えてからね」
「リオン兄、夕ご飯の前に遊んで!」
「ああ、いいぞ」
リオンは即座に答える。
躊躇も、迷いも無い。
その姿は、いつもの彼だった。
僕とリオンは久しぶりに長い廊下を歩き、魔王城の自室に辿り着いた。
石の廊下は静かで、足音が微かに反響する。
外の世界で聞き続けた喧騒とは違う、完全な静寂。
扉を開ける。
そこにあったのは――
僕達が出た時と、寸分違わぬ部屋だった。
時間が止まっていたかのように。
ちりひとつ、ゴミ一つ落ちていない。
それは、この城が生きている証。
エルフィリーネが、この城を守り続けていた証だった。
「やっぱり魔王城は落ちつきますね。
この部屋に戻ってくると、帰ってきた。って気がします」
胸の奥に、じんわりと広がる安堵。
緊張が解け、身体の芯から力が抜けていく。
「ああ、確かにな」
リオンも同じように応じる。
彼は先にベッドへ倒れ込み、ごろんと横になる。
その動作は自然だった。
だが――
僕は知っている。
あの日から。
大神官を斃したあの日から。
彼は変わった。
封じていた精霊の力が解放されたことだけではない。
もっと根源的な何かが変わったのだ。
存在そのものが。
僕でさえ、注意深く見なければ解らないほど微細な変化。
だが確実に――変わっている。
「?」
目を閉じていたリオンが、微かにこちらを見る。
「フェイも一緒にチビ達と遊んでやるか?」
「そうですね。久しぶりに。
ファミーの様子も見てやりたいですし」
そして、笑う。
その笑顔は、変わらない。
優しくて、温かくて。
兄である彼のまま。
だから僕は――
不安を胸の奥に押し込めた。
まだ、確かめるべき時ではない。
そう自分に言い聞かせながら。
彼と共に部屋を出た。
みんなで、ワイワイと夕食を楽しみ。
久しぶりの大きな風呂に兄弟達と入り。
笑い声に包まれたまま夜は更けていく。
そして、子ども達を寝かしつけ――
城は、静寂に包まれた。
深夜。
だが目は開けない。
呼吸を整え、眠り続けているふりをする。
気配は、慎重だった。
音を立てぬように。
息すら潜めるように。
リオンは僕を起こさぬよう、細心の注意を払っていた。
やがて、微かな安堵の吐息。
そして、扉が静かに開き、閉じる。
足音が遠ざかる。
僕は目を開けた。
「シュルーストラム」
杖を呼ぶ。
空間が歪み、相棒が姿を現した。
『なんだ? フェイ。こんな夜中に』
「リオンが部屋を出て行きました。何処に行ったのか解りますか?」
『城に戻ってきて、アルフィリーガが一人誰かに会いに行くというのであれば城の守護精霊の所に決まっているだろう。
色々あったのだ。報告と相談もあろうというもの…』
シュルーストラムは、まるで当然の理を語るかのように答えた。
城全体を包み込む精霊の気配。
その中心に在る存在。
この魔王城そのものと同義の守護精霊。
エルフィリーネ。
リオンが向かう場所として、それ以上に相応しい場所は無かった。
「色々…。シュルーストラムは、リオンの変化に気付いていますよね?」
僕の声は、自分でも解るほど硬かった。
確認するまでもないこと。
だが、それでも聞かずにはいられなかった。
『無論。あれだけの『変異』に気付かぬ精霊がいたらその方がおかしい』
変異。
その言葉が、静かに胸に沈む。
「『変異…』一体、リオンの何がどう変わったというのです」
問い。
だが、シュルーストラムは答えない。
先ほどまでの軽さは消え失せ、沈黙だけが落ちる。
「シュルーストラム!」
『『星』の根源に属する我らの秘。
我らは語るを許されておらぬ』
その声は、絶対の壁のようだった。
超えられない境界がそこにある。
「またそれですか? 『星』はいつも、どうして僕達に本当のことを教えてくれないのですか!」
苛立ちが溢れる。
何も知らされないまま、ただ従えと言われることへの反発はいつも不条理だと思う。けれど
『『星』の意志は絶対。我らは『星』に創られし者。『創造主』に逆らう事など不可能だ』
その言葉には、反論の余地が無い。
どうしようもない事実だから。
精霊達は『星』の意志そのもの。
自らの意志で逆らうことなど出来ないことも理解している。
それでも――
それでも僕は、納得できなかった。
「それは……。ですが……」
言葉が続かない。
怒りとも、悲しみともつかない感情が胸に渦巻く。
その時だった。
『だから、貴様が勝手に見るがいい』
「え?」
次の瞬間。
シュルーストラムの指が、僕の額に触れた。
いや――触れたのではない。
突き刺さった。
実体のないはずの精霊の指が、抵抗なく僕の意識へと侵入する。
痛みは無い。
だが。
世界が変わった。
視界が、切り替わる。
自室ではない。
見覚えのある場所。
魔王城最上階。
透明な『死んだ精霊石』のある場所。
静寂に包まれた空間。
そこで。
リオンは立っていた。
精霊石に手を触れ。
泣き出しそうな顔で。
その背に、声がかけられる。
「お帰りなさい。アルフィリーガ。
……貴方はとうとう、そこに至ったのですね」
エルフィリーネ。
彼女の声は、優しかった。
だが同時に――彼の覚悟を知る者の声だった。
「ああ…。エルフィリーネ。
随分と、本当に随分、長い事待たせてしまったな」
リオンは微笑む。
その微笑みは。
僕の知る彼のものと、同じで。
そして――違っていた。
重みがあった。
時間の重みが。
積み重ねたものの重さが。
僕は理解する。
これは、僕の視界ではない。
きっとエルフィリーネの視界。
彼女の目を通して、僕は見ているのだろう。
盗み聞き。
許されざる行為だと解っている。
だが、目を逸らさない。
逸らせなかった。
知る為に。
彼の背負うものを。




