大聖都 聖なる乙女の降臨
ちょっと待って。
ちょっと待って、ホントーにちょっと待って。
「どういう意味ですか?
私が何故、戦場に同行を、と求められるのですか?」
跪いた白銀の騎士に向かい、私は思わず両手を振っていた。
意味が解らない。どうして私が必要とされるのかが、本当に解らない。
「そうです! この方に貴方達は一体何を望んでいるのですか?」
「それは、勿論、聖なる乙女の祝福。
魔性と戦う兵士達の心と身体を奮い立たせる力にございます」
「私にはそんな力はありません。人を癒す事も奇跡を起こす力もありませんよ」
……実は、まったく無いわけじゃあない。
けれど、今この場で使って見せることはできない。
不老不死者の前で。
ましてや大聖都で。
騎士に請われて戦いの場で奇跡を見せるなど、絶対に無理だ。
慌てる私に、騎士――レドウニツェと名乗った男は、ゆっくりと口元を歪めた。
「ご安心を、と言っては失礼ですが、姫君に魔術師や神官のような力を望んではおりません。
我々が姫君にお願いしたいのは、戦場に共に在り、兵士達を見つめる事。
ただ、それだけにございます」
「何故です?」
「『聖なる乙女』が側にいる。それだけで兵士達の意気が上がるのです」
声は静かだが、眼差しは真剣だった。
「此度、城下町に現れた魔性は飛行魔性と獣型魔性。
単体や数体であれば大した敵ではありませんが、何故か今回は100どころか200さえも超えているとの話。
平和な世で戦いに慣れていない者の中には、後れを取る者もいるやもしれません。
さらにはアルケディウスからの報告では、不老不死者さえも傷つける爪と牙を持っている、とも」
ビエイリークでの魔性襲撃を思い出す。
あの時も死者こそ出なかったが、重傷者は出た。
今までの不老不死世界に稀に出たというそれとは、明らかに違う。
危険な進化を遂げている可能性がある、と言われていた。
「そんな戦場で、守るべき姫が側にいる。
その事実以上に兵士、騎士を奮い立たせるものはありません。
神官長より『聖なる乙女のある戦場に敗北無し。力を賜われ』とのお言葉も頂いております。
『乙女がいなければ、取り返しのつかない被害が出るだろう』とも。
各国の勇士にも協力を仰いでおります。貴国からも守備隊長の少年騎士が魔術師と共に来るとのこと。
『乙女』は必ずや我々が守り、指一本触れさせることは致しませんので、なにとぞお願いいたします」
要するに――飾り物の偶像として側にいて、士気を高めて欲しい、という話だ。
私は自分が『聖なる乙女』だという自覚など無い。
『お前は聖なる乙女だ。故にこれこれこういう仕事をしろ』
そんな命令を受けたこともない。
やる義理は、ない。
でも――
「私がいる事で、兵士や騎士達が奮い立ち、有利に戦えるのですね」
「マリカ様!」
「はい。間違いなく」
「私を守って下さると、お約束頂けますか?」
「必ずや」
「では、参ります。ミーティラさ……ミーティラ。
共と護衛を頼めますか?」
「何故です? このような要請、受ける必要はないのですよ?」
「魔性との戦いは、油断すれば不老不死者さえも死に至る可能性がある、とお父様がおっしゃっていました。
リオンとフェイが参加するのなら、彼らはより危険ですし……何より胸騒ぎがするのです」
今までの世にはいなかった魔性の大群。
しかも、その場にエリクスがいる。
……嫌な予感しかしない。
「お飾りでも良いのです。
私が行く事、立つ事で誰かが助かるというのなら、私は行きます。
着替えている暇はないので、このままで良いですか?」
「姫君の勇気とお心に感謝を。
では、失礼をして!」
「キャア!」
突然、身体が浮いた。
鎧越しに抱き上げられたのだ。
全身を覆う鋼鉄越しでも、見知らぬ騎士に触れられる緊張は消えない。
「何をするのですか?」
「一刻を争うのです。姫君の御身に触れるお許しをどうか?」
「私が共に参ります! 降ろしなさい!」
「解りました。では、玄関以降はお任せいたします。どうかしっかり捕まっていて下さい」
決断した瞬間から、事態は雪崩のように進んだ。
気付けば私は、半刻も経たぬうちに魔性襲撃の現場に立っていた。
――――――
「マリカ?」「何故マリカがここに?」
戦場は既に火蓋が切られていた。
天上も地上も、魔性で埋め尽くされている。
200どころではない。
500に迫るかもしれない。
「状況は?」
「何故、マリカを連れて来た!」
リオンの怒声が飛ぶ。けれど
「『聖なる乙女の加護を賜ればこの戦いは無傷で勝利できる。
さもなくば取り返しのつかない被害が出るだろう』と神官長が予言されたのだ。
貴公も気付いているだろう? この戦場の異常さを」
敵に向けて顎をしゃくって見せるレドウニツェにリオンはグッと言葉を無くした。
確かに異常だ。
天上も、地上も埋め尽くさんばかりの魔性の群れ。200以上と言われたけれどこれは500に迫るのではないだろうか?
「正直、話をしている間も欲しい。
偶然襲撃に出くわし、食い止めていたというエリクスの姿も見えない。とにかく一刻も早く魔性共を駆逐しなければならない、と理解してくれ」
鞘から剣を引き抜きリオンを見つめるレドウニツェに、解った、とはリオンは応えなかった。
代わりに
「ミーティラ! マリカを絶対に最奥から動かすな! そこまで絶対に敵は近づけないから」
「解りました」
声と約束が届く。
頼もしい私の勇者は、既にその身を戦場に燕のように翻し跳び戻って行った。
戦場を照らすのは、フェイや多分、他国の精霊術士が召喚した魔術の灯りと月明かりだけ。
見れば、本当にリオンやフェイだけではなくルイヴィル様やカーンさんの姿も見える。
皆、獅子奮迅の戦いぶりだ。
「マリカ様?」
私はぺたんと膝を付いた。
私の役割が、偶像だというのであるのなら、せめて皆が守りがいのある偶像を演じよう。
目を閉じ、両掌を合わせる。
どうか、リオンや、フェイや、皆が…無事でこの戦いを乗り切れますように…。
私の祈りに即物的な効果は無いだろうけれど、各国歴戦の勇士が連携して戦っているので半刻もしないうちに敵の数は目に見えて減ってきた。
実際に魔性の爪や牙に傷を付けられ、後方に下がってきた兵士も何人かいる。
でも安静にして体感五分くらいすれば傷が塞がっていくのは本当に魔法を見ているようで不思議な感じ。
「無理はなさらないで下さいね」
「ありがとうございます」
こちらの戦力はほぼ目減りせず、減っていくのは相手だけだからこちらに敗北は無いだろう。
能天気に思っていたその時に『現実』が迫ってきた。
「隊長! 姫君!! エリクス様が!!」
最悪が。
紅に染まった身体が、運び込まれた。
「エリクス様!!」
騎士達が最奥、最も安全とされる位置へと運び込んだエリクスの姿を見た瞬間、胸が凍りついた。
全身が血に濡れている。
大小無数の裂傷。
そして右腕――最も深い傷口からは、今もなお血が脈打つように流れ続けていた。
彼は、まだ不老不死を得ていない。
子どもの彼は、本当に『死ぬ』存在。
このままでは――
「民や、小姓が避難した小屋を守るようにして戦っておられました。
ほんの、ほんの今少し前までは意識があったのですが……」
「見せて下さい! ミーティラ、剣を貸して! それから、水を探してきて!」
「何に……いえ、解りました」
地面に横たえられた身体の側に膝をつき、私は顔を近づけた。
「エリクス様! 聞こえますか? エリクス様?」
反応がない。
呼吸も、ない。
胸が上下していない。
首に指を当てる。
脈も、ない。
拙い。
心臓が止まっている。
「まさか、勇者様が……死……」
「呼吸と心臓が、一時的に止まっているだけ。まだ死んではいません!」
声が震えそうになるのを、無理やり押さえ込む。
外傷による大量出血と思われる。
ショック性の心肺停止の可能性も。
迷っている時間はない。
――まずは止血!
私は羽織っていた防寒用の上着を脱ぎ、ミーティラから借りた剣で布を裂いた。
びりり、と布が裂ける音が夜明け前の空気に鋭く響く。
「姫君……?」
驚愕の視線が突き刺さる。
でも、構わない。
右腕の傷よりも上部、肩口に強く布を巻きつけた。
止血帯を作り、きつく締め上げる。
血流が弱まってきたようだ。
(お願い、このまま止まって)
さらに傷口を圧迫する。
数秒で血の勢いが、目に見えて鈍ってきた。
これならいける。
次は気道確保。
顎を持ち上げ、頭部を後屈。
舌根沈下を防ぐ。
「そこの貴方! 私がやることを見ていて下さい。そして、やり方を覚えて代わって欲しいのです」
「一体何を?」
「口答えしないで! 皇女の命令です!」
「は、はい!!」
胸の中央。
胸骨の下半分。
手のひらの付け根を当て、もう片方の手を重ねる。
腕は真っ直ぐ。
体重を乗せる。
押す。
沈む。
離す。
押す。
沈む。
繰り返して一分間に100回以上。
一定のリズムで一定の深さで。
頭はかつての教習を覚えているけれど……。
ダメだ。
やっぱり子どもの身体では十分な圧がかけきれない。
「代わって下さい! お願いします!!」
「解りました」
「ここから手を動かさないで。胸が少し沈み込むくらいの深さまで押し続けて!」
「はい!」
騎士の腕に圧が加わる。
私よりもはるかに安定していた。
私は水で濡らした布で、血と土にまみれた顔を拭った。
唇が紫色に変わっている。
チアノーゼ。
瞳孔も開き始めている。
時間がない。
タイムリミットは五分。と昔教わった。
脳への酸素供給が途絶えてからの限界値。
時間はもうあまりないだろう。
決断するしかない。
私は彼の鼻をつまみ、顎を上げた。
「姫君……?」
躊躇は、一瞬だけ。
唇を重ねる。人工呼吸だ。
マウストゥマウス。これが一番、確実だから。
ゆっくりと、息を吹き込む。
胸が、わずかに持ち上がったのが判る。
空気が入った。
「気にせずお二人はマッサージを続けて!」
「は、はい!!」
二回目。
もう一度、息を送る。
(お願い。戻ってきて)
その瞬間。
トクン。
指先に、確かな反動を感じる。
「あっ!」
脈が戻る。
かすかな、しかし確実な鼓動を確認できた。
「手を放して!! 心臓が動き始めました!」
騎士達の手を止める。
心臓が動いたら過度の圧迫は危険だ。
横向きに寝かせ、気道を確保する。
呼吸を確認。
弱い。だが、ある。
止血帯を慎重に緩める。
再出血は……ない。
私はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「エリクス様、目を開けて下さいませ!!」
ゆっくりと。
ゆっくりと。
若葉色の瞳が、開いた。
「……姫……ぎ……み?」
かすれた声。
だが、生きている。
「エリクス様!」
「貴女の……声が、聞こえました……。
僕は、勇者を笠にきず……民を、守りました。
褒めて……下さいますか?」
縋るような視線。
私は額に手を置く。
「ええ、とても頑張りましたね。偉かったですよ」
そっと、なでなで。
慣れた仕草で頑張った子どもを慰める。
安心したように、彼は目を閉じた。
うん。脈拍正常。
呼吸も安定している。
「多分、もう大丈夫です。脳の障害なども今のところは心配無さそう。
なるべく揺らさないようにそっと、大神殿に運んで頂けますか?」
「はい」
意識を失ったエリクスに騎士や、小屋から出て来たらしいエレシウス少年や小姓達が心配そうな声を上げるけれど、呼吸は穏やかだし、血も止まっている。
「エレシウス君、暫くエリクス様は安静にするようにと伝えて下さい。
不老不死者と違って子どもは、直ぐに傷は塞がりませんし、後遺症も残るかもしれませんから」
「かしこまりました。僕達とエリクス様をお助け下さり、ありがとうございます」
「エリクス様はともかく、皆さんを助けたのは私ではありませんよ。
騎士団や各国の戦士の方々…って、え?」
私に跪き、礼を捧げる小姓の少年達に私が、手を振った正にその瞬間だ。
ザザッ!
と私の後ろで、何か重い音がしたのは。
一つや二つではない。とんでもない数の何かが地面を打ったのだ。
振り返る私は、そこに見えたものに目を疑い、硬直した。
背後に見える騎士、戦士達。
いつの間にか、魔性をせん滅させたらしい彼等のほぼ全員が跪き、その視線を向けていたからだ。
私に。
「神官長の予言は、真実であった」
え?何?
レドウニツェがほぼ最前列、私の真後ろで声を上げた。
命令に慣れた、上に立つ者の朗々たる声は、不思議な静寂が支配する紫色の空間に、驚くほどに響き渡る。
「今、我々は聖なる乙女の伝説を目の当たりにしたのだ。
我らに勝利と祝福を与えたもうた『乙女』に感謝を。
魔性の増加、魔王の復活は怖ろしくとも、我らに『勇者の転生』と、『聖なる乙女』が揃った今怖れるものは何もない!
そして真実、力を持つ『聖なる乙女』の復活を寿ごうではないか!」
うおおおっ!!
「聖なる乙女の復活だ!」
「神に感謝を!!」
「ち、違います。落ちついて!!」
大地を揺らすような唸り声に、歓喜に満ちた言葉が混じる。
場に集った戦士達全ての、恐ろしいまでの熱に私の否定は簡単にかき消されてしまった。
背筋が寒くなる。
戦闘は終わったというのに彼等の熱狂は、まるで戦いの開始を告げる鬨の声のように勢いを増していく。
私はそれを見つめながら、ただただ立ち尽くすしかできなかった。
背後から、感じる光に振り返る。
いつの間にか、夜が明けていたらしい。
逆光になって、ここからは戦士達の顔はもう良く見えないけれど、場の端に立つリオンとフェイの顔はびっくりする程良く見えたし聞こえた。
何かを思い噛みしめるような瞑目の表情と
「やられた…」
そんな呟きがはっきりと。




