大聖都 真実の戦士の戦い
勝負は……当たり前だけど……一瞬で決着した。
「……そんな」
「勇者殿が負けるなんて……」
呆然とする大聖都の騎士や兵士達のざわめきの中、
「嘘だ……。勇者の転生である僕が、負けるなんて」
剣を落とし、膝を崩し、呆然と手と――自分を倒した相手を見つめる偽勇者。
その視線を受け止めながら、本物の勇者は、何の感情も浮かばない静かな眼で彼を見下ろしていた。
その静けさが、余計に残酷に見える。
(……こうなるって、分かってた)
分かっていたのに、胸のどこかがざわつく。
たった一瞬で、人の自信が折れる音を、私は確かに聞いてしまった気がした。
私が皇王陛下に、偽勇者エリクスとの勝負について話をしたのは、プラーミァ王国の方々が食事を終えて帰ってすぐのことだった。
兄王様が、
「明日の朝は、俺達も見物に行かせて貰おう。
勇者の転生の態度には、俺達も色々と腹を据えかねていた。
良い見物になるだろう」
と言い残して行かれたからだ。
「明日の朝、とは何の事だ。マリカ?」
嘘偽りは許さない、と眼で問いかける強さ。
ライオット皇子とよく似ていて、やっぱり親子だなあ……と、こんな時に感心してしまう。
でも今は、笑って誤魔化せる空気ではない。
私は昼間、玄関でのエリクスとの騒動を、最初から最後まで話した。
隠すつもりは元々無い。
そもそも隠しきれない。
周囲に使用人も護衛騎士も、いっぱいいたのだから。
「正直、あの子の態度には腹に据えかねたのです。
一度、鼻っ柱をへし折っておかないと、ろくな大人になりません!」
きっぱり。はっきり。
言い切ると、皇王陛下と皇王妃様が、ユニゾンみたいに溜息を洩らした。
「舞踏会の様子から面倒な事になるとは思ったが、そこまでの騒ぎになるとはな」
「ティラトリーツェから、騒ぎを起こさぬように言われているでしょう?
もう少し穏便な方法は無かったのですか?」
「十分、穏便であると思っておりますが?
それに、あんな剣の腕も大したことの無いお粗末な子どもが『勇者の転生』として今後、復活した魔王と戦うことになったら、命の危険もあります。
今のうちに、自分の実力と身の程を知っておく方が、彼の為にもいいと思うのです」
胸の奥が、少し痛む。
私は怒っている。腹も立っている。
でも、それだけじゃない。
(この子がこのまま大人になって、戦場に出たら……)
そう想像した瞬間、ひやりとする。
だからこそ、今。
今の痛みで止まって欲しい。
「仮にも勇者の転生、大聖都の守護騎士の一部隊を預かる者の剣が、大したことは無い、と?」
「圧倒的にリオンの方が上です。贔屓目抜きで」
「それは……そうであろうが……リオン!」
「はい、皇王陛下」
跪くリオンを見やる皇王陛下は、気難しさを繕っているけれど。
けれど眼の奥に、ほんの少し楽しげな光が宿っているのが分かってしまう。
――お祖父様、こういうの、嫌いじゃない。
「勝つ自信はあるのか?」
「はい」
余計なことは言わない。
ただ一言の誓いに、全てが込められている。
それだけで、私の胸はすっと軽くなる。
大丈夫だと、信じられる。
「良かろう。
其方に皇女の唇と、アルケディウスの誇りを託そう。
儂も出向く。必ず勝て。大聖都に七王国の実力を見せつけてやるのだ」
「必ずや」
それが昨日の話。
そして朝。約束の土の刻。
「うわー、凄い人だね」
大聖都の会議場から離れた騎士団の訓練区画は、びっくりするくらいの見物客で周囲を埋め尽くされていた。
(……これ、絶対言いふらしたよね)
アルケディウスは吹聴していない。
じゃあ誰が。
エリクスか。
もしかしたら面白がった兄王様か。……どっちもあり得る。
見れば本当に兄王様達もいらっしゃる。
フリュッスカイト、アーヴェントルクの両君主様まで。
国王会議のついでに見物――で済む人数じゃない。
もうちょっとした見世物だ。
(やりすぎたかな……)
一瞬だけ思う。
でも、今さら引けない。
「あ、リオン兄。あっちのドでかい騎士が、リオン兄の事睨んでるぜ」
私の用意したバスケットを持ってくれていたアルが瞬きする。
訓練場の向こうとこっち。私にはよく見えない。
でもナターティア様がいるなら、フリュッスカイトのルイヴィル様だろう。
「しまった。ルイヴィル殿から、大聖都にいる間に手合わせを、って何度も連絡が来てたんだった。
護衛任務で忙しいから、って断ってたのにな……。
なんで勇者と手合わせできて、自分とはできないんだって怒られる」
頭を抱えるふりをするリオン。
でも眼には輝く自信がある。
応援に来た私達は、その瞬間に確信した。
――リオンは絶対に負けない。
「あ、来たようですよ」
周囲からざわめきが湧きたった。
大聖都の『勇者』エリクスが現れたのだ。
この間の神官長に負けず劣らずの小姓、護衛騎士を従えて。
黄色い歓声まで上がる。
(……ファン、ってやつ?)
大聖都には女性の使用人も多いだろう。
外見だけはいいエリクスは、人気があるのかもしれない。
この人数の前で恥をかかせるのは可哀想かな、と思う。
でも、自分で言いふらしたのなら自業自得だ。
……うん。そう思っておこう。
「じゃあ、リオン。頑張って」
「ああ、安心して見てろ」
「心配はしてません。思う存分やってきて下さい」
エリクスより一足先に進み出て、訓練場の中央に立つリオン。
少し後に、余裕を感じさせる足取りでエリクスも同じ場についた。
(頼むから、これ以上変なことを言わないで……)
祈るみたいな気持ちで見つめてしまう。
闘技場中央での会話は、ここからは私達には聞こえない。
でも後でリオンに聞いたら、エリクスは開口一番こう言ったらしい。
「逃げ出さずに来るとは良い度胸だ」
そして続けて、あの子は息巻いた。
「僕はこれでも剣の腕には自信がある。
皇子の勇者である為に、別れてからもずっと訓練を重ねたんだ。
年上の相手ならともかく、年下である君なんかに僕は負けない!
姫君も……ライオの信頼も君に渡すものか!」
その一言で、多少は手加減してやろうかと思ったタガが、大人げなく弾け跳んだ――と、リオンは後で哂っていた。
……うん。分かる。
その言い方は、だめだ。
剣を構えるエリクスとリオンに、審判役の護衛騎士の声がかかる。
「始め!」
「やあああっ!」
声を上げ、エリクスがリオンに挑みかかった瞬間だった。
「え?」
誰もが息を呑み、驚きに目を見開いた。
キン!
高く弾ける鋼の音。
そのまま音を立てて、地面に剣が突き刺さる。
「う、うっ!」
同時に見えたのは、腹を抱え、床に尻もちをついて唸るエリクス。
そして彼の眼前に、無表情で短剣の切っ先を向けるリオンだけ。
開始の合図とこの光景の間に何があったのか、私には分からない。
分からないけれど――分かったことが一つある。
(……リオン、本気だ)
「勝負あり。勝者、アルケディウスのリオン」
審判が公平に勝者を告げると、周囲は一気に騒めいた。
「……そんな」
「まさか?」
「勇者殿が負けるなんて……」
「嘘だ……。勇者の転生である僕が、負けるなんて」
呆然としていたエリクスは、我に返ったように立ち上がり剣を掴む。
「貴様! 僕に何を仕掛けた?」
「何も。……ただの実力の差だ」
「ふざけるな!
何か卑怯な真似をしたのでなければ、この僕が、ライオット皇子が認めた勇者の転生が、年下に負ける筈はないんだ!!」
叫びながら、また挑みかかる。
(……年下、ね)
私はそこで、やっと気付く。
この世界は不老不死世界。
周囲の大人は全員、もれなく年上の不老不死者。
子ども上がりでも十数歳。下手をしたら数百年単位で鍛錬を続けて来た相手。
そこに、ポッと出の子どもが素質だけで届くはずがない。
筋は良かったのだろう。
教えも訓練も受けて、それなりの腕になったのだろう。
ただ――『勇者の転生』と持ち上げられ、筋がいいと褒められたことで、変な方向に自信が育った。
勝てば自分が強い。
負ければ相手が年上だから。
そうやって、都合よく世界を整理してしまった。
褒められて自己肯定感を育てるのは大事。
でも、ねじ曲がったら――人を見下すだけの根拠のない自信になる。
その証拠に、一般の人は『勇者の敗北』に驚いているのに、大神殿の守護騎士達には、そこまでの驚きが見えない。
切りかかってきたエリクスに、今度のリオンは剣を交してあげている。
けれど、見る人が見れば分かる。
動き。捌き。足取り。
差は明らかだ。
十合と切り結ばないうち、また剣が空を飛ぶ。
当然、エリクスの剣だ。
そして膝をつかされた。
今度の勝敗は誰の目にも明らか。
誰も文句のつけようのない、リオンの勝利。
「そんな……何かの間違いだ……僕が、負ける筈が……。
そうだ! こいつが、何か……卑怯な真似をしたに違いない。さもなければこの僕が……」
悲鳴じみた声は、割とはっきり耳に届いた。
でも。
「え?」
その時もう、誰もエリクスのことなど見ていなかったし、声も聞いていなかった。
激しく響く鋼の音。
本物の『戦い』に、目を奪われていたから。
「あ、あれ、さっきのドでかい剣士?」
二度目、エリクスを倒し、彼に背を向けたリオンは――突然、音も無く近づいた気配に気付き、反射で身をひねった。
振り下ろされた剣を、受け止める。
金属が擦れる、低く重い音。
「良く受け止めたな。流石は秋の戦の『勝者』」
「ルイヴィル殿……」
闘技場に飛び込み、リオンに剣を向けたのは、フリュッスカイト最強の騎士、ルイヴィル様だった。
あまりに自然すぎて、誰も止められない。
止める、という発想すら遅れる。
(……これ、今のは『決闘』だ)
そう気付いた時にはもう、場の空気が変わっていた。
ルイヴィル殿は、にやりと薄い笑みを浮かべる。
それ以上の言葉は発さず、そのままリオンと切り結び始めた。
長剣と短剣。
重量も間合いも、何もかもが違う。
なのに――最初の一合で分かってしまう。
(……さっきまでとは別物だ)
さっきは勝負だった。
今は、戦いだ。
たったそれだけの違いなのに、息が浅くなる。
手のひらが、じっとりと汗ばんでいく。
場内に響く剣戟の音が、鋭く、綺麗に、心臓の鼓動と重なる。
もうその場にいる全員が、エリクスのことなど忘れてしまう。
それほどに、『本物の戦士』の剣戟は美しかった。
私は以前、ライオット皇子と成長したリオンの戦いを見たことがある。
鮮烈で、太陽同士がぶつかるような、あの勝負。
あれには及ばない――そう思うのに。
目の前の剣技もまた、鮮やかで、目が離せない。
ルイヴィル様の大剣は『難攻不落』と呼ばれるだけあって堅実で隙が無い。
一撃の重さは、受けるだけで骨に響きそうだ。
小さな体に短剣のリオンは、どうしても一撃の重さで劣る。
けれど、その分、読んで、躱して、弾いて、奪う。
一太刀ごとに、間合いが変わる。
踏み込みの角度が変わる。
わずかな体重移動が、次の攻撃を決める。
ルイヴィル様は的確に受け止め、捌き、押し潰すように前へ出る。
リオンはその圧を受け流しながら、足元を狙い、脇腹へ蹴りを入れ、隙を拾って反撃する。
大剣が空を裂く音が、風に混ざる。
短剣が弾く音が、鈴のように鋭い。
(……怖い。けど、綺麗だ)
極められた戦いの技は、美しいという感情を人に与える。
それと同時に、戦いが戦いであることを、容赦なく突きつけてもくる。
私は胸の前で、いつの間にか指先を握りしめていた。
そして突然、何の予告も無しに始まった決闘は――突然、何の予告も無しに終わる。
ルイヴィル殿が、すっと剣を引き、後ろに下がったからだ。
リオンも合わせて身を引く。
呼吸が、同時に整えられ、二人の声がはっきりと私達にも届いた。
「噂にたがわぬ、技と身のこなし。
正々堂々と挑んでも、私を下すことは貴公なら可能であったろうに」
「いいえ」
ルイヴィル殿の賛辞に、リオンは謙虚に首を振る。
それが謙遜ではなく、本心だと、後で言っていた。
「こうして剣を合わせて分かりました。俺はまだまだ未熟です。
鎧騎士と名高い貴方がその真価を発揮する戦いでは、叶わなかったでしょう」
「……世辞であっても嬉しいものだ。
これで、やっと敗北を受け入れられる。情けないことではあるがな……」
静かに微笑んだルイヴィル様は、闘技場の中央へ歩み出ると、観衆に声高らかに宣言した。
「見たか! 今の戦いを」
その姿は、一国の騎士、その頂点に立つ者の迫力だった。
舞台の役者みたいに、目を引きつける。
「この少年の実力は本物だ。
勇者の転生を倒したのも、まぐれや策略では無い。
彼は秋の戦でフリュッスカイトを破り、五百年を戦いと剣に捧げたこのルイヴィルが、真実の戦士だ、と認めた男なのだ」
ルイヴィル様の宣言に沸き起こった拍手は、あっという間に場全体に広がっていく。
喝采が波みたいに押し寄せ、背中がぞくりとする。
(……よかった)
胸の奥が熱くなる。
これで、変な噂や疑いからリオンが守られる。少なくとも今は。
「ルイヴィル様……」
私はルイヴィル様に向けて、祈りのように手を組んでいた。
敗北の怨みを晴らすため、実力を確かめるため――それでも、最後に彼は『証明』してくれたのだから。
そして
「お解りになりまして?」
拍手と喝采の中、すっかり忘れられた少年に、私は歩み寄り手を差し伸べる。
「子どもであろうと、自らに役割を科し前に進もうと努力すれば、不老不死者にも届きうるのです。
私は生まれながらの才能よりも、その努力を尊く思います。
そしてエリクス様にも、その努力ができる方であってほしいと願うのです……」
「姫君……」
エリクスを立ち上がらせ、そう告げると、私は足元に籐編のバスケットを置いた。
「朝食、まだでございましょう?
作って参りましたので、良ければ召し上がって下さいな。
そしてまた、友人から始めさせて頂ければ幸いです」
言い切ってから、ほんの少しだけ怖くなる。
この言葉が届くか、届かないかで、今後が変わる。
でも私は、ここまでが限界だ。
『大神殿の勇者』に、私が関われるのは。
私はエリクスの返事は待たず、アルケディウスの場に戻り、リオンを待つ。
ルイヴィル様と親しげにしばらく話した後、リオンは私達の所へ戻って来てくれた。
「お疲れさまでした。リオン」
「お疲れー」
「ありがとう、リオン。我が儘を聞いてくれて」
「気にするな。俺も『勇者』に八つ当たりしただけだからな」
アルのそんな声がどこか遠い。
「あいつ……どうなるかな?」
「さあ……後は、あの子次第だから」
バスケットを小姓に運ばせ、ふらつきながら場を離れたエリクスに声をかける者は誰もいなかった。
彼がこの経験をどう生かすかは分からない。
心を入れ替えて前に進むかもしれないし、逆恨みしてねじれてしまうかもしれない。
できれば、ねじれずに、努力する才能を目覚めさせて欲しい。
努力する才能だけは誰にでもあって、心次第でいつでも目覚めさせられるのだから。
「さあ、帰ろう?
フリュッスカイトの方を迎える準備もあるし、皇王陛下からお言葉もあると思うし……」
「お怒りじゃないかな?
少し、派手にやり過ぎた。ルイヴィル殿が後で取りなして下さる、と言っていたけど」
「大丈夫だよ。お祖父様もリオンの事、応援してて下さったんだし」
そう言って笑った時、私はようやく息が深く吸えた気がした。
でも。
勝利に浮かれて――私達は気付かなかった。
大神殿の奥から、この勝負を、そして私達を見つめる昏い目があったことを。
「!」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
リオン以外には。
彼だけが、ほんの一瞬だけ、視線を遠くへ投げた。
そして何事もなかったみたいに、私の隣へ戻る。
その仕草が、逆に怖かった。
(……見られてる?)
そう思ったのは私の考えすぎ、だろうか。




