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大聖都 もう一人の転生者

 舞踏会が本格的に動き始めたのは、すでに夕刻も深まりつつある頃だった。

 火の刻はとうに過ぎていたはずだ。


 幾組もの貴族が優雅に舞い、プラーミァとの会談を挟み、隣国の使節が次々と挨拶に訪れる。笑顔と礼節の応酬が重なり、音楽と靴音が絶え間なく流れる中で、時間の感覚はゆっくりと溶けていった。


 気づけば夜の刻の鐘が鳴る。


 閉会は何時頃なのだろう、とふと思う。

 おそらく日付が変わる頃にはお開きになるのだろうけれど、社交の場に終わりはあってないようなものだ。


 こちらも会話が弾み、長く滞在されていたフリュッスカイトの公主が下がられた後。

 おそらく今宵最後になるであろう会談に姿を現したのは――


「やれやれ、やっと辿り着きましたよ。

 このままお話できぬまま舞踏会が終わってしまったら、国の者達に何と言われていたことか」


 柔らかく、しかしどこか飄々とした声。


「こちらからご挨拶にも行かず失礼をしました。ホワンディオ大王」


 エルディランドの大王。


 私の中では、大王と書いて『おおきみ』と読む。


 エルディランドの君主は、アルケディウスの皇王陛下よりさらに年嵩。七十か八十か――長い時を生きたであろうご老人だった。

 腰はわずかに丸みを帯び、杖を頼りにゆっくりと歩かれる。


 雪のように白い髪。

 サンタクロースのように長い髭。

 黒く澄んだ瞳。


 その隣には四十代後半ほどに見える、妙齢の女性。黒髪に黒い瞳、艶やかな面立ちで、そっと大王を支えている。


「エル・トゥルヴィゼクス。

 シュヴェールヴァッフェ皇王陛下。

 随分と若返られたようで何よりです。新しい孫ができたからですかな? それとも『食』のおかげで在りましょうか?」


「ホワンディオ大王もお元気そうで。メイレン妃もお変わりなく」

「不老不死ですからね。

 良くも悪くも代わりの無い日々と思っておりましたが。

 大王もおっしゃいました通り、皇王陛下と皇王妃様におかれましては昨年までと比べると見違えるようにお元気になられて。

 今回はその秘訣を伺いたく参りました」


 ホワンディオ。

 メイレン。


 異国の王族らしい名前。


 今までのヨーロッパ風とは違う響き。どこか中華風、あるいは日本的な音の連なり。

 仕える者たちの髪や瞳も黒や茶が多い。


 アルケディウスがロシア系、フリュッスカイトが西欧、プラーミァが南国、アーヴェントルクが北欧だとすれば――エルディランドは、中国や日本を思わせる。


 懐かしい。

 胸の奥が、きゅ、と静かに緩む。


「ああ、それから新しい皇女様」


「あ、はい。エル・トゥルヴィゼクス。

 ホワンディオ大王様、メイレン妃様。新年の良き日にお会いできたことに感謝申し上げます」


 突然話題を振られ、慌てて挨拶をする。

 すると大王は穏やかに微笑み、


「もしよろしければ、皇王陛下との会談の場にお付き合い頂けませんかな?

 国の者から、伝言を預かっておるのです」

「へ? 私に、伝言? お国の方から??」


 思わず間抜けな声が出た。


 エルディランドは遠い。

 旅商人ならともかく、『エルディランドの方』と正式に話すのはこれが初めてだ。


「驚かれるのも無理はありませんな。ご心配なく」


 大王は柔らかく手を振る。


「以前、貴女がアルケディウスの印刷工房に『本』を注文なさいましたでしょう?

 その内容があまりにも見事であった上に、初めてとは思えぬ整った注文であったので、国の印刷工房の者達が感謝を込めて、エルディランドの本をお送りしたいと申しましてな。

 預かっておるのですよ。

 今後もどうぞ良きお付き合いを、と」


 ああ、それなら判る。


 夏に注文した食品取引基準と食材図録。

 見本保存と販売許可も出している。エルディランドの目に触れても不思議ではない。


「それは…ありがとうございます」

「では、マリカ。こちらに来なさい。メイレン妃のお相手はそちらで頼む」

「解りました」

「承知いたしました。メイレン様、どうぞこちらへ」


 私は国王社交用のテーブル横へと促された。


 足がじんわり痛む。

 でも、あと少しだから頑張ろう。


「まずはこちらを。

 勇者伝説と、エルディランドに伝わる精霊の物語。

 どちらも人気があり、何度も版を重ねております」


 布に包まれた本を私は部下の方から受け取る。

 包みを解いた瞬間、私は思わず声を上げた。


「うわあ、美しい本ですね」


 羊皮紙装丁とは違う美しさがそこにはある。


 ガリ版印刷と思しき本文。

 多色刷りの表紙。

 植物紙。

 糸綴じの和綴じ。


 軽い。薄い。読みやすい。

 懐かしい。

 胸の奥が、どくん、と鳴る。


「ほう、これは美しいな。随分薄くて軽い。これが植物紙で作った本か」

「多色刷りの表紙とは素晴らしいですね。手間がかかっておいででしょう?」

「高度な技術で作る高価な薄紙を幾枚も重ねるのです。

 貴族用の特別な品でございます」


 ページをめくる。


 そして――


 コロリ。


 何かが落ちた。


 小さな、丸いもの。

 拾い上げる。


「え?」


 豆。

 小さな豆。でも、これは……。

 喉が鳴る。


「大王様、この豆…植物はエルディランドの植物ですか?」

「いかにも。ソーハと申します。荒れ地のどこにでも生る植物です。

 やはり、姫はご存知でしたか?」


 ソーハ。


 ――大豆?


 胸が激しく脈打つ。


 この世界にも、大豆がある?

 大王様はくすりと笑う。


「このチョコレートも素晴らしい甘味ですな。ですが年寄りにはやや濃い」


 そして、身を乗り出してきた。逆に声は潜めて。


「ここだけの話ですが――

 アルケディウスの『新しい食』が近年注目されておりますが、それより遥か以前から、実は我が国でも『食』の取り組みが行われている、と言ったら信じて頂けますかな?」

「なんと?」

「本当でございますか?」


 目を見開いた私達に頷く大王様。


「さよう。今から少し昔。

 エルディランドの貧民に一人の子どもが生まれまして。

 少年は不遇の時代を経て、大人になる中で賢者とも呼べる知識で様々なものを国に齎しました。

 植物紙。印刷。様々ありますが中でも特に異色であったのは――リアとソーハの加工方法でしょうか?」

「リア?」


 姫君は御存じないですか? と言いおいて大王閣下はこれくらいと指で形を示す。


「小指の先より小さな種で、一本の茎に穂をつけます。

 皮を剥き、煮る事で小麦とは別の『食』の元になります」


 ――米だ。


 米がある。


 目を見開いた私を、大王は静かに見つめながら続ける。


「数十年の研究の末、彼は黒い液体と透明な液体を手に入れました。

 ショーユと呼ばれる調味料。

 サケと呼ばれる酒でございます」

「醤油と…酒?」


 頷く大王。


 私の指先が震える。

 もう一人の転生者。


 それは日本人だったのだ。

 間違いなく。


「今の所、商人による国外への持ち出しを禁止しておりますので、今回はごく僅かしか持ってきておりません。

 ですが、多くの食材を美味にするショーユと、疲れを癒す酒精を持つサケは、徐々にですが国に広まってきております。

 最初は少年が作った一か所だけだった『醸造所』も、今ではだいぶ増えてきておりまして。

 今後は国外への輸出も、と考えていたところに、アルケディウスが『食』の提唱を始めた。

 それでご相談に上がった次第でございます」


 静まり返った空間に、大王の穏やかな声だけが落ちる。


「マリカ……『知って』おるのか?」


 優しい声。


 お祖父様の問いかけ。

 私は必死で震えを押さえながら、小さく頷くのが精いっぱいだった。


 言えない。

 私はただ、夢で知らぬ知識を見るだけの娘。


 それ以上であってはならない。

 けれど――どうしても聞きたいことがあった。


「その方は……今、どうして……」


 声が掠れる。

 大王はわずかに目を伏せた。


「彼は……今はもうおりません。

 頑なに、死の直前まで不老不死を得る事を厭っておりました故。

 今、製紙印刷も、食料品の加工も、彼が拾い、育てた子ども達が引き継いでおります」


 胸の奥が、静かに沈む。


「そう……ですか」


 おそらくその少年は、私と同じ異世界からの転生者だった。

 しかも、酒と醤油を再現したということは、日本人。

 もっと早く気付くべきだったのだ。


 発音も文字もまったく異なるこの世界で。

 それでも『ガリ版印刷』という、日本の固有語が業界用語として定着していること。


 それは、誰かがここで日本の知識を根付かせた証だったのだ。

 孤独だっただろうか。


 それとも、この世界を愛していたのだろうか。

 私より百年も早くこの世界に来て、技術を残し、静かに死を選んだ人。


 胸の奥に、言葉にならない感情が渦巻く。


「正直な所、彼は『物』を作る知識は持っておりましたが、それを生かす技術をもっては居なかったようで。

 そのまま飲めるサケはともかく、ショーユはリアに卵をかけるなど、簡単な用途に留まっております。

 海辺や猟師などは魚や肉にかけて食するようですが。

 アルケディウスから輸入した燻製器を持ち込んだ商人が、燻製肉や腸詰にかけたところ、その美味が倍増したと評判になっております。

 高度な『料理』の知識と技術をお持ちの姫君なら、もっと上手くお使いになることが可能ではないでしょうか?」


 試されているのが解った。


 けれどそれは、敵意ではなく、期待に裏付けされたもの。


「ぜひ、確かめたく思います。お譲り頂く事は可能ですか?」

「ご興味がお有りなら、お持ちしましょう。明日でも宜しければ」


 私は視線をそっと横へ流す。


「お祖父様……」


 皇王陛下と呼ぶのではなく、お祖父様。

 ずるいと解っている。

 けれど、今はどうしても。


 その視線に、陛下は半ば呆れ、半ば諦めたように肩を竦めた。


「もしよろしければ、明日の昼をご一緒致しませんか?

 食品の輸入、レシピの販売などについてお話をさせて頂きたく存じます。

 そのショーユとやらが、我が孫マリカの思う通りのものであるのなら、それを使って腕を振るい『新しい食』をご用意するでしょう」

「はい。お許し頂けますなら、ぜひ」

「承知いたしました。明日の朝一でお届け致しましょう。

 昼は私と妻がお伺いさせて頂きます」


 大王が立ち上がる。

 その動きに合わせるように、メイレン妃も静かに寄り添い立つ。


「今までエルディランドは距離もあり、あまりアルケディウスとは国交も無く過ごしてきましたが。

 これをご縁に、良き関係を頂ければ嬉しく思います」


「こちらこそ、どうぞ宜しくお願いいたします」


 私は皇王陛下と皇王妃様の後ろで深く礼をする。

 その時。


 大王の背後に控えていた一人の男性と、ふと目が合った。


 凛々しい黒髪の成人男性。

 整った顔立ち。

 静かな会釈に懐かしさを感じずにはいられない。


 どこか、日本人の面影もある。

 そうでなくてもアジア系なのは間違いなく。

 もしかしたら、転生者かもしれない少年に育てられたという子どもの一人なのだろうか。


「其方が夢で見る『精霊の書物』というのはどんなものなのだ?」


 お祖父様が、そっと私の頭を撫でる。

 温かい。この方に私は嘘をついているけれど。


「知らぬ世界の自分になって、知らない事を体験しているような感じです。

 カカオ豆や、さっきのソーハも、その世界に生っていた植物でした。

 それとは別に、目の前に過去や未来と思しき光景が過る事もありますが……」

「なるほど。

 もしかしたら、エルディランドにも同じような異能を持っていた者がいたのかもしれぬな」


「私もそう思います」


 きっと、彼も。

 色々な思いと共に、この世界を生き抜いた。


「とりあえず、今日はこれで時間切れだ。

 シュトルムスルフトとヒンメルヴェルエクトとはまたの機会だな。

 明日はエルディランドとの昼餐に、プラーミァとの午餐。

 他にも予定が入るかもしれぬから忙しくなるぞ」

「アーヴェントルクやフリュッスカイトも食事を共にしたいと申しておりましたから。しっかりね、マリカ」


「はい」


 目を閉じ、気持ちを切り替えようとしたその瞬間。


 空気が、ざわりと揺れた。


 カツ、カツ、と固い床を打つ靴音。


 音楽の余韻を切り裂くように、優雅な足取りの男性が、まっすぐ私の前で止まる。


「姫君、本日のラストダンスを踊って頂けないでしょうか?」


 思考が止まる。


 駆け寄るリオンの気配。

 皇王陛下の低く押し殺した息。

 皇王妃様の緊張。


 それらすべてを、存在しないかのように扱って。


 彼は。


 偽勇者エリクスは。


 私の前に、跪いたのだった。

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