大聖都 南の国の王族
舞踏会の会場には、雑談用の小テーブルがあちらこちらに用意されていて、テーブルの上にはワインがいくつも置かれている。
私はワインは飲めないので、見ているだけだけれど。
というか、大神殿のお酒とか怖くて飲めないけど。
「では、王太后様、王妃様。
エル・トゥルヴィゼクス」
「エル・トゥルヴィゼクス。皇王妃様」
大人方々は赤紫のワインのグラスを合わせて、楽しげに口に運ぶ。
まあ、お酒は大人の会話の潤滑油だし、それを否定するつもりはない。
大きな長椅子に、私と皇王妃様が座っている。
そして人一人くらいの間を空けて同じ長椅子に座すのは、プラーミァ王国の王太后様と、プラーミァ国王ベフェルティルング様の奥様――オルファリア様だ。
「初めまして。リュゼ・フィーヤ。貴方の事は陛下から色々聞いていたので、会うのを楽しみにしていたの」
「お初にお目にかかります。オルファリア様。
ベフェルティルング様には、その……色々とご無礼を」
「あら、気にしないで。陛下は本当に貴女の事を気に入っていたの。
無理にでも連れて来れば良かったと悔しがっていたのは本当のことよ。
私もとても気に入ったわ。可愛らしくて利発。それにこの艶のある髪に、煌めく唇。
羨ましくなってしまうくらい」
「オルファリア。よく御覧なさい。艶のある髪や唇は、その子だけのことではありませんよ。皇王妃様も若返ったようにお美しくしていらっしゃる」
「まあ、本当。美味しい食事に、若返りの美。アルケディウスは夢のような国ですわね」
ころころと楽しげに笑うオルファリア様。
知的で確かな自信を宿す栗色の瞳。茶色い髪はプラーミァに多いのかもしれないけれど、紅を差したような優しいローズブラウンの髪は柔らかい印象を与えている。
見かけは貴婦人然としているのに、その根底には凛々しさがあって、ティラトリーツェ様にも通じる『強さ』を感じる。
以前ティラトリーツェ様は「プラーミァの王族は全員騎士の心得がある」と言っていた。
アルケディウスと違って試験のようなものがあって、それに合格する事が騎士資格、ということらしいけれど。
この方も剣を持って戦う騎士だと言われれば、素直に納得できそうだ。
あ、ということは王太后様も、騎士資格を持ってるのかな?
……ありうる。
「皇王妃様、あれをお出ししても良いでしょうか?」
「ええ。もう殿方はあちらで召し上がっているようですし、こちらにもお願い」
舞踏会には、私の側仕え見習いセリーナはまだ未熟で入れない。
身の回りの手伝いをしてくれるのは女官長のミュールズさんと――
「お久しぶりでございます。王太后様、王妃様」
「あら、久しぶりね。ミーティラ。元気そうで何よりです」
「貴女も艶やかな髪と唇をしているのね。それに、とってもいい香り」
「ティラトリーツェ様から、今日の為に化粧品をお預かりしましたので……。どれもマリカ様の発案なのです」
「まあ!」
プラーミァ出身のミーティラ様だ。
ティラトリーツェ様の側近であるミーティラ様がこの場にいることに、少し目を見開きながらも、嬉しそうに微笑まれるお二人。
「ティラトリーツェが貴女を側から離してまでこの子に付けるなんて。
この子を本当に大切に思っているのね」
「はい。ティラトリーツェ様はマリカ様をとても大切にしておいでです」
「そう。それはとても嬉しい事」
噛みしめるように呟く王太后様の瞳には、我が子を愛しく思う母親の愛が浮かんでいる。
――と、同時に。
なんだか申し訳なくなった。
本当はティラトリーツェ様に、王太后様は一番お会いしたかったのだろうに……。
「あらあら、そんな顔はしないで頂戴、リュゼ・フィーヤ」
俯いた私の様子に気付いたのだろう。
王太后様は間を少し寄せて私に近づき、頭に手を置いた。
しわが多いけれど、優しく暖かい手。
「私はティラトリーツェが今年は来ない、と解っていたから来たのですよ。
あの子が来るかもしれないと思っていたら来ませんでした。
王位を譲った後、しかも王妃が表の場所に出てくるのは、あまり良い事ではありませんからね」
そっと、優しく頭を撫でて下さる。
その手の動かし方は、ティラトリーツェ様にそっくりだった。
「ベフェルティルングは連れ戻すと息巻いて、貴方達を困らせたようだけれど、私は……嫁いで流産したばかりの頃ならともかく……今のあの子が泣いて戻ってきたとしても、国に入れるつもりはありませんでした。
反対を押し切り、死に別れを覚悟して嫁いだのです。最後まで寄り添うが当然。
甘えた事を言うな、とね」
「王太后様」
「私が知りたかったのは、あの子がアルケディウスで幸せにしているか。
それはもう貴女を見て解ったから良いのですよ……。
自分を慕い、命を賭けても救おうとしてくれる娘が側にいてくれて、念願であった子を腕に抱く事もできた。
あの子以上の幸せ者は、この世にはいないでしょう。
これからも、どうかあの子を支えてやって下さいな」
「はい。必ず」
私は王太后様にお約束する。
ティラトリーツェ様を、その子ども達を、必ず助け、支えて見せる。と。
「王太后様、王妃様、よろしければ召し上がって下さいな。
プラーミァのカカオ豆から作ったチョコレート。
これはマリカがティラトリーツェの出産の時に作った新作で、今までのものよりもふんわりと食べやすくなっておりますの」
話の切れ目を狙ったのだろう、皇王妃様の合図でミーティラ様が銀のお盆を差し出す。
白いお皿の上には、艶のある小さなチョコレート。
今回持ってきたのは、トリュフタイプのチョコレートだ。あとはチョコ混ぜ込みのパウンドケーキ。
「マリカ」
「はい」
毒見のつもりで私が口にしようとしたのだけれど――それを遮って王太后様は、チョコレートをひょいと掴んで、ためらいなく口に入れてしまわれた。
「まあ! ステキ。口の中で柔らかく、ふんわりと蕩けるわ。
ミクルやアヴェンドラのプラリネも好きなのだけれど、少々固くて食べにくいと思う事があるの。
でもこれは本当に食べやすいわね」
「アルケディウスから荷が届く度、このチョコレートは奪い合いになるのですよ。
新作のチョコレートを食べて来たなんて知ったら、グランダルフィが悔しがるわね」
王妃様もぱくっと。
私が止める間も、皇王妃様が遮る間もない。
それはつまり――お二人、つまりはプラーミァがアルケディウスに寄せる信頼を、わざわざ形にして示して下さったのだと思う。
「ねえ、リュゼ・フィーヤ。
このチョコレートは、やはりプラーミァで作ることは難しいかしら?
アルケディウスから届くのを待つのは、本当にもどかしいのよ」
「あ、作り方をお教えするのは構わないのですが、美味しく作ろうと思うと一日がかりの仕事になりますし、牛や羊の乳や、クリーム、そこから加工した品も必要になってくるのです。
皇王陛下の許可が出ればコリーヌさんがお戻りになる時にお教えしますが……」
ちらっと、皇王陛下と国王陛下のテーブルの方を見てみると――
「ですから、プラーミァの産物を使わないと、この世に生まれる事すら無かった菓子です。
我が国の至宝、黒い宝石とも言うべきだ。他国に簡単に委託する訳には参りません!
既にプラーミァでは砂糖、胡椒、その他の香辛料と共に重点的に栽培する準備はできているのです」
「だが、マリカが教えなければ、ただ腐るに任せていた果実であろう?
そも其方の国に加工技術はあるのか?
まだチョコレートはおろか、他の菓子の製作でさえおぼつかぬのではないか?
実習生はまだ技術の完全習得には至らぬ故、留学期間の延長を求めておると聞く。
彼女が技術を覚え、国に戻りチョコレートを作れるようになるまで、どのくらいかかる?
『新しい味』も含め、それまで、プラーミァは覚えてしまったこの味無しの日々に絶えられるのか?
そも『新しい味』を輸出しない、という手も我らにはできるのだが?」
「くっ……卑怯な。ですが我が国の砂糖と香辛料無しで『新しい味』がやっていけるとでも?」
「胡椒はどうしようもないが、砂糖については代用品が見つかっておるのでな。苦しくはあっても、どうしようもない、というほどではない」
「なんと?」
ワインのつまみにチョコレートをひょいぱくしながら、お二人が喧々諤々やっている。
ここが舞踏会の会場だってこと、忘れてんじゃないかってくらい真剣な交渉だ。
いいのかな。
チョコレートって、まだアルケディウスとプラーミァの王族しか知らない超レアアイテムなんだけど。
――と、思った私は、そこで気が付いた。
「え?」
周囲からの視線に。
「あら? 気が付いたの? 本当に聡い子だこと。
これと、これは味が違うのね。爽やかな味わい。クリーム中に何か入れているのかしら。
ワインに良く合うわね」
いくつめかのチョコレートを口にしながら、静かに笑う王太后様。
「あ、それは細かく切ったオランジュの砂糖漬けを……」
説明しながら、私は周囲をくるりと見回した。
ダンスはそれなりに続いているし、会場は人も出揃って賑やかだ。
踊り疲れた人たちがワインで喉を潤しながら席について会話を楽しんでいる。
――ように、見えた。
各国がそれぞれ、アルケディウスのようにテーブルを席に取っているのなら、それぞれのテーブルが各国だと思って間違いはない。
人気のないプラーミァの席。
それ以外はどの席も談笑を続けている。
でも、国同士が挨拶に回っている様子はない。
どの国も、探るような熱の籠った目線でこちらを見ている。
いや、真実を伺っているのだ。アルケディウスとプラーミァの様子を。
プラーミァがダンスの直後に『親族』を名乗り、一番に挨拶しに来た事。
皇王と王太后の友好の会話。
持ち込まれ、テーブルに置かれた最新の『食』。
そして王様と皇王陛下が交わす、ちょっと大人げないくらいの『食』を巡る会話。
ぞくり、と来た。
これってまさか、王様達のパフォーマンス?
他国の王様たちに『食』の先進と重要性、加えて二国の関係をアピールする為の……?
「……キリがありませんな。叔父上。今日の所は引きましょう。
ですが明日にでも改めて、席を設けて頂けるとありがたい。
妻や母にもアルケディウスの『新しい食』を味わわせてやりたいのです。
ついでと言っては何ですが、ティラトリーツェやその子についての話を聞かせて頂けるとありがたい。
食事代代わりに、プラーミァから持ってきた果実も後で届けさせます故」
立ち上がり、にやりと笑う兄王様に、呆れたように肩を竦める皇王陛下。
「全く引いてはおらぬではないか、ベフェルティルング。
まあ良い。準備はできておるであろうな? マリカ」
突然テーブルの向こうから声をかけられてびっくりしたけれど――それは、大丈夫だ。
「はい。勿論です。いつでもお待ちしております」
「楽しみにしているぞ。リュゼ・フィーヤ。
ああ、持ってきているのなら麦酒もな。大聖都の酒も悪くはないが、上品すぎてつまらん。
私はアルケディウスの麦酒の方が好きだ」
「まったく、殿方はいつもお酒の事ばかり。
マリカ。さっきの甘味の話、何か良い方法がないか考えておいて下さいな。あと美容品についてもぜひ」
「お前も甘味に夢中ではないか。人の事は言えぬだろう?」
「若い人たちは良い事。食欲旺盛で。
マリカ。私にはあの子の双子についての話を、ゆっくり聞かせて貰えるかしら。
顔を見れるのは、多分、当分先のことになりそうですし」
「かしこまりました」
くいっとテーブルの上の葡萄酒を飲み干して笑う兄王様に、くすくすと王妃様が、そして王太后様が寄り添う。
頭を下げながら、私はその凛とした仕草に息を呑む。
『そうだ』と思ってみると凄いな、お三方。
小さな雑談や仕草、立ち姿まで、きっと計算された行動なんだ。
優しさや言葉は真実であっても。
それは皇王陛下や皇王妃様も、きっと同じで……。
「では、また。失礼いたしました」
頭を下げても媚びることなく、真っ直ぐに歩いていく国王陛下達。
「本当の王族、皇族というのがどういうものか解りましたか? マリカ?」
囁くように告げられた問いに、今は、
「完全に、は無理ですが、多分少しだけ……。真似しろと言われても今すぐには無理ですけど」
と答えるしかない。
「今すぐには無理、と来たか。頼もしいな」
微笑む皇王陛下、皇王妃様と一緒にその背中を見ながら思った。
うん。
今は、まだ無理でも。
いつか届くようになりたい――と。




