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魔王城 『精霊の獣』の昔話

 星の二月も、気が付けば大半が過ぎていた。

 空気はまだ冷たいが、どこか春を孕んだ匂いがする。

 星の二月も、気が付けば大半が過ぎていた。


 澄んだ空気はまだ冬の冷たさを残しているけれど、どこか柔らかく、春の兆しを孕んでいる。魔王城の島の風はいつも少しだけ潮の匂いを含んでいて、それが懐かしく、胸の奥をくすぐった。


 今日は安息日。


 私にとっては唯一の休みだけれども、今日は一人で魔王城の島に戻ってきている。


 どうしても今日中にやっておかなければならない事があるから。


 カレドナイトの精製。

 その為に私は今、一人で鉱山に来ている。


 鉱山の中はひんやりとしていて、岩壁に埋まる青の鉱石が、淡く光を反射していた。静寂の中に、自分の足音だけが響く。その孤独は嫌いではない。むしろ、集中できる。

 

 大きく深呼吸。

 ――ここは、私の故郷。安心できる場所。そんな気がした。


 新年が開けたら、私は正式にアルケディウスの皇女として王宮に迎えられる事になっている。


 ゲシュマック商会の従業員から、第三皇子の娘。


 皇女になるにあたり、住居は当然移すことになる。


 言葉にすると、たったそれだけの変化のように聞こえる。

 けれど実際には、生活も立場も、視線も責任も、何もかもが変わる。


 現在ガルフの家の資料室にある魔王城への転移魔方陣は、今後アルやリオン、フェイは使えるけれど、私は気軽に使う事ができなくなるだろう。


 皇女が毎週毎日のように商人の家に行って泊まるなんてありえないから。


 それは常識だ。

 それは理解している。


 それでも――


 魔王城に行けなくなるのは嫌だ。絶対に。

 ここは私の帰る場所で、始まりの場所で、家族のいる場所だから。


 でも、皇子の館に作るわけにもいかない。


 勿論、作れれば一番便利なので最初は自室に作るつもりだったのだけれど、館には使用人がたくさんいて、毎日掃除にも入るし、何より家の中から皇女が突然消えて、一日戻ってこないとなれば騒ぎにもなるだろうし。


 皇族の不在は政治問題になる。


 その重みを、私はもう知っている。


 なので、フェイやリオン、ライオット皇子やティラトリーツェ様と色々検討した結果――


 新しい転移門は、貴族区画に完成したゲシュマック商会五店舗目の。


 王宮管理の特別店。


 大貴族や他国の料理研修生が、貴族に料理を供する実習店舗の店長室に作ることになったのだ。


 王宮管理という名目があれば、出入りも滞在も理由が立つ。


 正確に言うと店長室の奥の資料庫。


 ガルフの家と皇子の家、そして魔王城から纏まった量の本を持ち込んで書庫を作り、そこに転移魔方陣を作る。


 本は貴重品なので資料庫の鍵は私と副店長しか持っていない。


 ちなみに店の店長は私。

 サポートとなる副店長は元本店の料理長ラールさんである。


 店長。

 皇女であり、店長。


 立場の奇妙な並立に、私は時々苦笑してしまう。


 実習店舗はその名の通り、実習の為の店ではあるけれども、アルケディウスの新事業の実務を行う最前線基地になる予定なので、私はその店で仕事をする。


 という名目で魔王城に帰るのだ。


 その為に店長室に併設して、私が寝泊まりする為の部屋も作って貰ったのだから。


 逃げ道ではない。


 帰る道。

 その違いを、私は大事にしたい。


 ラールさんを本店から引き抜くにあたっては揉めたのだけれども、本店には後任も育っているし、他に信用できる人はいない、という事で大抜擢となった。


 皇王陛下がラールさんとガルフ、それからリードさんには王国の新事業『新しい食』の先導者ということで準貴族位を特例で与えている。


 それは、食が国を動かすという宣言でもある。


「ラールさんには店の管理も兼ねて、五号店に住み込んで貰う形になるんですけど…いいですか?」

「勿論。最新の厨房も作って貰っているし、レシピも見放題、材料もある程度使い放題だ。

 休みの日には僕の新作料理とか作ってみてもいいよね?」

「それは勿論ですが、ご家族とかは?」

「不老不死前に家族は死んでる。結婚もしてないし恋人もいないし。気にしなくていいよ」


 さらりと言われたその言葉に、ほんの一瞬だけ胸が痛んだ。

 時間の流れは、優しくも残酷だ。

 ラールさんはそう言ってくれたけど、こんな優しくて誠実で真面目な人に恋人いないの不思議。


 でもとりあえずは、言葉に甘えることにした。


 ティラトリーツェ様の出産やその他のドタバタで開店準備が遅れていたけれども、ようやく内装その他が整い、新年が開けて直ぐにオープンすることになっている。


 で、その為の最後の準備。


 転移門作成に必要なカレドナイト精製の為に、私は魔王城に戻ってきているというわけで。


 

 フェイやリオンは来週からの不在の為に仕事を片付けなければならないので不在。

 アルもゲシュマック商会から食材管理担当として旅に同行してくれることになってくれたので、その準備の為多忙。

 魔王城の皆はカエラ糖採取の追い込み。

 カレドナイト鉱山は魔王城の城と直通通路が繋がっているので危険も少ないということで私一人だ。

 あ、正確にはもう一人、というか一精霊いるのだけれど。



 『あー、久しぶりに手足が伸ばせる!

 アルフィリーガ、ここの所、僕のこと全然使ってくれないんだもんなあ』


 私の横で、文字通り、うーん、と手足を伸ばしているのはリオンの短剣の精霊。

 カレドナイトの化身、エルーシュウィンだ。


 島の空気に触れられるのが嬉しいのか、青い髪を揺らして大きく伸びをしている。


「島の中では危険は少ないだろうけど、念の為持って行け。いざという時の護衛代わりにはなるだろう」


 そう言って、リオンが貸してくれたのだ。


 実際、アルケディウスに行ってからエルーシュウィンの出番はほぼほぼ無い。

 秋の戦の、精霊石奪還時に使ったくらいだそうだ。


『精霊石の結界を強引に、力任せでぶち破ったんだよ。

 脳筋だよね。アルフィリーガ』


 そう言いながらも、どこか誇らしげだ。


 本当は精霊石を守る護衛兵士が鍵を持っていて、その人物を倒すことで精霊石を奪えるようになるらしいが、リオンはバングルを使い、護衛兵士と戦わず精霊の力をカレドナイトでブーストして結界をぶち破ったそうな。

 スピード型のパワーファイターという皇子の評価が納得の無茶ぶりだ。


「でも、使えないのは仕方ないよ。

 エルーシュウィンは綺麗すぎるもの。外の世界で見せびらかしたら怪しまれちゃう」


 カレドナイトという鉱石はミスリルとかアダマンタイトレベルの希少鉱石だ。

 精霊の力を増幅させる効果がある。純粋に青が美しいのもあって宝石と同格で扱われている。

 高純度のカレドナイトの短剣なんて王侯貴族でも持ってないだろう。



『その辺は解ってるけどね。……置いて行かれるの好きじゃないんだ。

 アルフィリーガはいっつも無茶するから。側にいなけりゃ守ってやれないだろ?』


 言葉の裏にあるのは、寂しさだけではない。

 外では使えない。


 勇者の武器と知られる、青の短剣。

 王侯貴族でも持ち得ない高純度のカレドナイト。


 その存在は目立ちすぎる。

 だから、リオンは抜かない。

 抜けない。


 必要な時以外は。


 ――けれどそれは、必要な時に『使えない』可能性と隣り合わせだ。

 エルーシュウィンはそれを知っている。


『綺麗すぎるから怪しまれる、なんて理由で仕舞われるのは本意じゃないんだよ。

 本当に必要な時に、アルフィリーガの手にいなきゃ意味がない』


 寂しがり屋の剣の精霊。

 でも、それは我儘ではない。

 使命の言葉だ。リオンへの友愛でもある。

 守り刀は、握られてこそ。

 私はなんとか方法を考えてみたいと思った。

 


 護衛とはいえ、カレドナイトの精製は基本私しかできない。


 鉱石の純度を見極め、不要な不純物を削り落とし、精霊の力が通る導管を整える。その作業は繊細で、集中力を要する。青い粉塵が空気に舞い、淡く光を帯びる様子は美しいが、気を抜けば全てが無駄になる。


 退屈し始めたらしいエルーシュウィンは、いいことを思いついたという様にポンと手を叩き、


『そうだ。仕事も大変だろうから、少し面白い話をしてあげようか?』

「面白い話?」

『アルフィリーガの昔の話、なんてどう?』


 そう提案してくれた。


「聞きたい!」


 私は本気で声を上げた。


 知りたい。本当に知りたい。

 リオンは何度か昔話をしてくれているけれど、自分の事はあまり話してはくれないから。


『了解。んーっと、じゃあ昔のアルフィリーガが笑い上戸だった、って言ったら信じる?』

「え? リオンが笑う?」


 エルーシュウィンの言葉に私は首をひねった。

 正直、あんまり想像はつかない。


 全然笑わない訳じゃない。

 リオンの優しい笑顔や微笑は大好きだけど、声を上げて大爆笑、なんて見たことがない。


 あの人は、いつも少しだけ抑えて笑う。


 遠慮するように。

 自分が笑いすぎてはいけない、とでも思っているかのように。


『ツボにハマると凄く笑うんだ。

 一度笑い始めるとなかなか止まんない』

「そ、想像がつかない」


『転生してからもそれは変わらないみたいだよ。

 いやー、あの時は大変だった』


 転生してから、ということは。

 魔王城に来てエルーシュウィンを手にしてからも大爆笑したことがあったということなのだろうか。


 少なくとも私は見たことが無い。

 いつだ?


 ――私の知らないリオン。

 ほんの少し、胸がきゅっとなる。


『昔はさ……今よりも、かなり明るかったよ。アルフィリーガ。本当、良く笑ったし』


 静かに思い出すようにエルーシュウィンは目を閉じる。


 その声には懐かしさと、少しの寂しさが混じっていた。


『精霊の貴人は政務に忙しくてあんまり相手もできなかったけど、ちゃんと愛してくれていた。

 城の中には同年代の子どもはいなくて周囲は大人ばっかりだったけど、オルドクスがいたし。

 抜け出して城下町で遊ぶ事は偶にあって、皆に愛されてた』


 基本、城で勉強と訓練に明け暮れる毎日。


 でも時々城を抜け出して、外の子ども達と遊んで騎士団長に捕まって怒られてを繰り返していたという。

 その度に、けらけらと笑っていたのだろうか。


『アルフィリーガの笑顔を見ると元気が出るよ』

『アルフィリーガ。また剣を教えて』

『焼きたてのパン、食べていくかい?』


 金髪、碧の瞳、鮮やかな笑顔の少年。

 きっと……本当に民に愛されていたことだろう。

 笑うことで周囲を照らす子ども。


 それが――アルフィリーガ。


『島から飛ばされて、ライオ達と旅するようになった頃は、ちょっと暗くなってたけどね。

 最初は早く帰らなきゃ。

 次は、世界の人々がこんなに苦しんでいたなんて知らなかった……って』


 その笑顔は、少しずつ減っていった。


 焦りと、責任と、罪悪感。

 自分が知らなかった苦しみを前にして、自分を責めるようになって。

 笑う余裕が、削れていった。


『少しずつ自分の力が誰かの役に立つことを感じて、前向きになって。

 その頃に『神』と会って騙されて……。結局あんな感じになっちゃったんだけど……』


 人間だったらため息をつくようなそぶり。

 あんな感じ。


 その言葉の中に、どれだけの血と絶望が詰まっているのか。

 笑い上戸だった少年が、宿命と過ちに縛られて、笑うことを忘れていく。

 それはきっと、少しずつ。


 静かに。

 誰にも気付かれないように。


「エルーシュウィンは『神』について知ってたの?」


 私は、さりげなく聞いてみる。


『僕は他の連中とは少し違うからね。あの時は知らなかった。っていうのがホントの所。

 知ってても止めることが許されてたかどうかは解んないけど。

 だから、『知ってたのに止められなかった』シュルーストラムとかは僕よりキツかったと思うよ。

 戻ってから、ずっと『星』にイラついてたもん』


 止められなかった。

 許されなかった。

 精霊であるが故の、枷。


『僕が、ちゃんと知っていて、本当の役目を果たしていれば……アルフィリーガはあそこまで苦しまずに済んだのかなあ』

「本当の役目?」


『あの時は精霊の貴人に止められたからね。物理的にも、精神的にも……。

 今度こそは間違わずにアルフィリーガの助けになりたいんだけどな……』


 一瞬、青い瞳に宿った闇。


 それは自責。


 そして、決意。


『マリカ。その為にも君、僕が外に出てアルフィリーガの手に握られても問題ないようにできない?

 国の皇女になるんだろ?』


「え? あ、うーん、皇子と相談してみる。勇者の持ってた剣の模造品、みたいに設定できないかとか」

『頼むよ。精霊の力を封じている今は、前よりも余計に僕が必要になると思うんだ』

「やってみる」

『ありがと。期待して待ってるよ』


 そしてエルーシュウィンは、静かに微笑む。


 もうそれ以上は語らない。

 私も仕事に戻った。


 ――笑い上戸。


 無邪気で、よく笑っていた少年。

 宿命と罪に笑みを奪われていった青年。

 でももし。


 彼が声を上げて笑う瞬間があるのなら。


 それはきっと。

 彼の素に、最も近い瞬間。

 私はその笑顔を見たいと思うし、守りたいと思うのだ。



 エルーシュウィンが側にいてくれたおかげか、前回よりもいいペースで集まったカレドナイトを持って私達が鉱山を出た頃には、それでももう夕刻になっていた。


 空は茜色を過ぎ、紫紺へと沈み始めている。


 鉱山の入り口から、近くに設置した転移門のある部屋まで、ほんの僅かだけれど外を歩く。


 その瞬間だった。


 頭上が、ふっと夜の帳を落としたかのように暗くなる。


「な、何?」


『動かないで、精霊の貴人エルトリンデ!』


 ぴょん、と籠から跳ねるように短剣に戻っていた筈のエルーシュウィンが飛び出て、私の前に立つ。

 背中で庇うように。


 二人で頭上を見上げ――


 絶句する。


 無数の、黒い影。


 羽音はあるのに、生き物の気配がない。

 質量だけを持った禍々しい存在。


『な、なんだ? あれ?』

「ま、魔性?」


 それは――


 北から、南へ。


 魔王城の島の方角から、大陸へ向かって。

 一直線に。


 広がるでもなく、散るでもなく、意志を持つかのように流れていく。

 魔王城から。


 大陸へ。


 その事実に、背筋が凍る。

 魔性は大陸で生まれるのではない。


 ――こちら側、北の海に『何か』がある。


『……あれは自然発生じゃない』


 エルーシュウィンの声が低くなる。


『あの動きは、群れじゃない。流れだ』


 流れ。

 何かから、何かへ向かう流れ。

 まるで。


 解き放たれたかのように。

 私達は、ただ見つめることしかできなかった。


 魔性襲来。


 アルケディウスのみならず世界がその報に震えたのは、その翌日のことになる。


 けれど私は知っている。

 その源が――

 魔王城にの外、北の海にあったことを。

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