王都 転生者の告白 前編
赤ちゃんは、どうしてこんなに可愛いんだろう。
今更ながら、あまりにも当たり前のことを思う。
星の一月、最初の日の夕方。
ティラトリーツェ様の怒涛の出産劇から、すでに数刻が過ぎていた。
「抱いてあげなさいな」
その優しい言葉に甘え、私は小さな、小さな体をそっと抱き上げる。
手のひらに伝わる体温。
胸元で上下する、かすかな呼吸。
そのすべてが、柔らかく、暖かい。
ああ、この命たちを守れて、本当に良かった。
そう、心の底から思いながら。
アルケディウス皇子ライオット様と、皇子妃ティラトリーツェ様。
お二人の子の出産が、無事に済んだのは今朝のことだ。
まだ一日と、経っていない。
ほぼ徹夜となった出産介助のあと、腰が抜けて動けなくなった私は、館で少し休ませていただいた。
良いベッドで横になり、ようやく体調を取り戻した頃には、すでに夕方になっていた。
そろそろ一度、店と魔王城に戻って報告を──
そう思っていたところで、トントンと控えめなノックの音が響く。
扉の向こうから現れたのは、ミーティラ様だった。
「マリカ。体調が戻ったのなら、ティラトリーツェ様の所においでなさい。
話があると、呼んでいます」
「解りました」
どちらにせよ、ティラトリーツェ様の許可なく帰ることはできない。
それに、赤ちゃんたちの様子も、もう一度見ておきたかった。
「こちらはお任せ下さいませ」
第三皇子家で側仕え見習いをしているセリーナがそう言ってくれたので、私はミーティラ様と連れ立って、ティラトリーツェ様の寝室へと向かった。
「良く来たわね。
少しは、疲れが取れた?」
「はい。片付けもせずにすみません。
良いベッドで、ぐっすりと眠らせて頂きました」
「それは良かったわ。
一度店に戻るのでしょうけれど、その前にこの子達に『姉』を、きちんと紹介しておきたいと思ったの」
その言葉に、胸の奥がじんと温かくなる。
「ありがとうございます」
ティラトリーツェ様の産後の回復も、今のところは順調そうだ。
皇子妃様である以上、家事に追われる心配もない。
どうか、ゆっくりと体を戻してほしい。
「ミルクは、飲めそうですか?」
「男の子の方は大丈夫。
女の子の方は、少し吸う力が弱そうね。
それに、ちゃんと母乳が出るかどうかも心配で……どうしたらいいかしら?」
「お二人ですし、母乳が足りない時には、ヤギのミルクに少し砂糖を入れて補うなどしてはどうでしょうか。
一度温めて殺菌してから、清潔な布に浸して吸わせるといいかも……」
人工の粉ミルクが無い時代。
乳児は下痢による死亡率が高かった。
牛乳だけでは栄養が足りない。
牛乳よりもヤギの乳の方が、母乳に近い栄養価を持つと──昔見たテレビで、同郷のお祖父さんが言っていたし、本でも読んだ。
きび砂糖にはミネラルも含まれている。
少しでも、助けになるはずだ。
調乳は雑菌が入らないようにするのが大前提だけれど、この中世では、そこまで徹底するのは難しい。
まずは母乳で頑張ってもらい、足りない分を補う。
それで、なんとかなるはずだ。
……多分。
最悪、ミルクがなくても、子どもは生きられなくもない。
どうやら、この世界には『飢え死に』という概念自体が、ほとんど無さそうだから。
「母乳は、お母さんがしっかり体調を整えて、栄養のあるものを食べることが大事です。
水分は多めに。
それから、肉、魚、パン。
できれば野菜や果物も、偏りなく召し上がって下さい。
後で、良いメニューを考えてお持ちしますね」
「解ったわ。手配してみます。ミーティラ」
「解りました」
小さくお辞儀をして、ミーティラ様が部屋を出る。
広い寝室には、私とティラトリーツェ様と、子ども達だけが残った。
「コリーヌさんは?」
「お兄様に、無事出産したことを知らせる為に手紙を書くと言っていました。
皇王妃様も皇王陛下にご報告に戻られたので、今夜には城下にも、新しい皇族の誕生が伝わるのではないかしら。
正式な披露目は、新年の参賀の時になるでしょうけれど」
「そうですね。
今はまだ、外に赤ちゃんをあまり出さない方がいいと思いますから」
頷く私に、ティラトリーツェ様は自分の横に眠っていた赤ちゃんを、そっと膝に上げ、私を手招きする。
「抱いてあげなさいな」
「いいんですか?」
「勿論です。
貴女は、この子達の姉なのですから」
「では……失礼します」
その言葉に甘え、私は小さな体を、もう一度そっと抱き上げた。
「わあっ、軽い……!」
早産の、双子。
当然だけれど、リグよりも小さく、軽い。
まるで羽のようだ。
多分、二五〇〇~二八〇〇グラムくらい。
三〇〇〇グラムには、届いていないだろう。
手のひらに伝わる体温。
小さな呼吸。
そのすべてが、柔らかく、暖かい。
ああ、この命たちを守れて、本当に良かった。
そう思いながら、私は一人ずつ、丁寧に抱きしめ、頬を寄せた。
この子達の出産を助けられたことは、きっと私の一生の誇りになる。
「名前は、お決めになったのですか?」
男の子をお返しし、女の子の方を抱っこしている時、ふと思い出して尋ねる。
「二人ですからね。
皇子が男の子を、私が女の子を名付ける事にしました。
だから女の子の方は、レヴィ―ナと、もう決めています」
「レヴィ―ナちゃん……素敵な名前ですね」
大好きなレヴェンダの花。
ラベンダーから取ったその名前を、ティラトリーツェ様は、ずっと愛娘の為に用意していたのだ。
「男の子の方は、どうするつもりかしら。
まだ聞いてはいないの。
強い獣にあやかる、とか言っていたかしら」
「ご自身が、獅子に肖ったお名前ですからね」
子どもの名前を付けるのは、親の特権だ。
どんな名前になるのか、楽しみにしておこう。
「そういう訳で、今ここには、私と子ども達しかいません。
ミーティラには席を外させました。
用件が済んだ後は、多分、入り口で見張りをしてくれているでしょう」
ティラトリーツェ様は、静かに続ける。
「これから慌ただしくなる前に、気になることを、確かめておきたいと思ったの」
「気になる事、ですか?
何でしょうか?」
私はレヴィ―ナちゃんをお返ししながら、しらばっくれる。
……逃げられないことは、解っているけれど。
「貴女の事です。マリカ。
貴女は一体、何者です?」
──予感的中。
言われるとは、思っていた。
出産介助中、思い返せば色々言ったし、やらかした。
視線から逃げるように目を逸らしながら、私は重ねて、しらばっくれる。
「私は、魔王城のマリカです。
それで、納得しては頂けませんか?」
「最初は、前魔王の転生。
大人で、五百年前の為政者の知識を持つ者。
それで、私も納得していたのですけれどね……」
納得していた。
──過去形だ。
今は、納得していない。
レヴィ―ナちゃんを優しく抱きながらも、ティラトリーツェ様の瞳は鋭く光っている。
「出産中、呟いていた『全足位』というのは、何です?」
「……逆子の胎位の名前です」
「出産介助の経験はあっても素人、と言いながら、何故そのような名が出てくるのです?
双子は早産になりやすい、という言葉と合わせ、まるで数多の双子、逆子の出産に関わる知識を持っているかのよう……」
やはり、頭のいい方だ。
聞き逃しては、下さらなかった。
「チョコレートや香油の件は、まあ、貴女ですから、まだしも。
足湯の時、貴女は言いましたね。
この花の香りは、妊婦の出産にいい。
内なる臓器に働きかける、と。
花の香りに、そのような効果があると、一体いつ、どこの誰が、それを探り当てたのですか?」
反論は、できない。
声を荒げることなく、事実だけを積み重ねるその言葉を、私はただ、置物のように聞いているしかなかった。
「この子を救ってくれた時の行動も、そう。
不安な中、必死でやってくれたことは解ります。
それでも、貴女の行動には、迷いが無かった。
こうすれば助けられる、という方法が、最初から頭の中にあって、それに沿って動いたように見えました」
静かな声が、続く。
「神に等しき魔王であったとしても、為政者が、とっさに迷いなく動けるほどの出産介助経験があるのかと。
では、この子は一体──と、私は思ってしまったのです……」
「……実際に、介助経験があった訳では、本当にありません。
ただ、色々な書物で、知識として知ることはありました」
「どこの、どのような書物?」
「この世界の……書物ではありません」
「この世界?」
小首を傾げながらも、真っ直ぐに私を見る水色の瞳。
澄んだ泉のようなその視線に、私は映し出される。
この方からの追及は、二度目だ。
もう、下手な言い逃れはできない。
ここで逃げても、これから私は、この方を母として共に生きていく。
魔王城の事ほど、どうしても隠さなければならない話でもない。
──言っても、多分、信じてもらえないだけで。
「ティラトリーツェ様。
知って……どうなさるおつもりですか?」
その問いに、ティラトリーツェ様の目が、わずかに見開かれた。
思い出したのだろう。
かつて、私が魔王城の事を告白する前の、あの時を。
意識して言葉を選んだ私と同じように、ティラトリーツェ様も、高ぶりも荒ぶりもしない、静かな眼差しで私を見ている。
「どうもしません。
ただ、知りたいだけです」
返事も、あの時と同じだった。
「解りました。お話します」
「口止めは、しないの?
あの人は、もう知っていて?」
「皇子も、ご存じないと思います。
ガルフも知りません。
この世界で知っているのは、リオンとフェイとアルの三人と、城の守護精霊だけです。
でも、口止めはしません。
ティラトリーツェ様が必要とあれば、お話下さい。
信じて頂けるかどうかは……解りませんが」
「どういう意味?」
大きく、深呼吸をする。
言葉を、紡ぐ。
向こうの世界の『私』を語るのは、二年ぶりだ。
そう言えば、リオンとフェイに語ったのも、丁度この頃の、冬だったかもしれない。
「転生、という言葉をご存知でしょうか。
死したのち、再び新たな命を受け、生まれ変わること。
リオン……精霊の獣は、星によって神を倒す使命を与えられ、転生を繰り返しています」
一拍、置いて。
「私も、転生者です。
ただ、この世界の『星』と『精霊』ではなく、別の法則に支配される世界の……」
「異世界?
本当に、そんなものが?」
「今となっては、私の記憶以外に、その世界の存在を証明できるものはありません。
だから、信じて頂けるかどうか解らないと申しました。
ですが、私の中では、真実です」
私は、まっすぐに言葉を重ねる。
「私の行動の基本理念。
知識の源。
全ては、その世界にあります」
驚愕に目を見開くティラトリーツェ様に、私は語り始めた。
「その世界で、私は二十五歳の、成人女性でした」
かつて生きた、現代日本。
そして、その世界で生きた『私』──北村真理香のことを。




