王都 双子の出産 後編
「逆子……しかも、全足位なんて……」
知識でしかない。
けれど、保育科学生時代に叩きこまれた妊娠出産の知識が、今この瞬間、骨の髄から蘇った。
逆子――胎位が逆になり、通常なら頭から出て来るはずの赤ちゃんが、違うところから出て来る。
自然は上手くできていて、一番大きい頭から先に出てくるからこそ、それより小さな身体は引っかからずに済む。
でも逆子の場合、小さな身体が先に出てしまう。
だから首や頭のあたりが、子宮口に引っかかって出て来にくい。
全足位。
立ったような格好で、足から生まれて来る。
その中でも、かなり難しい事例。
向こうの世界なら、即座に帝王切開コースの案件だ。
時間をかければかけるほど、赤ちゃんの負担は大きくなり、危険が増す。
でも――中世で帝王切開なんて無理。
私は手を入れ、足首を持って引っ張ってみた。
……ダメだ。身体が降りてこない。
どこか……多分、首のあたりが引っかかっている。
「コリーヌさん! 逆子の介助経験は?」
「ありません。どうしたら……」
「逆子?」
会話を聞きつけて、ティラトリーツェ様が体を起こそうとする。
けれど、小さな呻きが漏れ、そのまま台に背を付けた。
「だ、大丈夫です。気持ちを落ち着かせて、身体から力を抜いて下さい。
ティラトリーツェ様!」
自分で言っておきながら、私の心は落ち着きとは正反対だった。
胸の中で、心臓が乱暴に叩いている。
落ちつけ。
狼狽するな。
ティラトリーツェ様が不安になる。
そして――考えろ。思い出せ。
この場を乗り切るヒントが、どこかにあるはずだ。
息を呑みこむ。
前世と今世の記憶を、必死で検索する。
視界の端で、走馬燈のように何かがちらつき、そしてある言葉で止まった。
『先生。二人目は本当に大変だったんすよ。
逆子で、しかも出産直前まで解らなくって!!』
ずっと前。
保護者から聞いた、雑談。
滅多にないことで――医師が、と苦笑交じりで語られた話。
呻くティラトリーツェ様を見る。
一人目を産んだばかりだ。
まだ子宮口は大きく開いている。
迷っている暇はない。
私は大きく腕まくりし、用意していた水に、バシャンと手を突っ込んだ。
冷たさで指がきゅっと縮む。
「ティラトリーツェ様、失礼します!!」
「マリカ様?」
濡れた手で赤ちゃんの足を掴み、そのまま身体に沿って手を上げていく。
つまり――ティラトリーツェ様のあそこに、手を突っ込む形だ。
以前聞いた話では、助産の医師が手を入れて、赤ちゃんの引っかかりを外し、掻き出すようにして助けたという。
恥ずかしくて苦しくて。
でも、おかげで子は助かった、とその人は言っていた。
絵面とか、どうこう言っていられない。
赤ちゃんの命がかかっている。
それに、ここでは私の手が一番細くて小さい。
「あ、あああっ!」
圧迫感に耐えきれず、ティラトリーツェ様が悲鳴を上げ、身じろぎする。
「コリーヌさん、足が表に出たらすぐに引っ張り出して下さい!
ミーティラ様はティラトリーツェ様を支えつつ、下腹の一番固い所を押して!!
ティラトリーツェ様は、いきみ続けて下さい!!」
聞こえたかどうかは解らない。
でも外から感じる圧力――ミーティラ様の手と、ティラトリーツェ様のいきみ。
援護が来ていると信じて、私は手を進めた。
ぬるぬるとした産道を、肘の近くまで手が遡る。
指先が赤ちゃんの首元に辿り着いた時、確信する。
やっぱり、首が引っかかっている。
全開になっていたはずなのに、それでも脱出は難しかったのだろう。
私は赤ちゃんの首筋に手をかけ、締めつけている子宮口に指を差し込み、渾身の力で押し広げた。
「うっ!」
「ミーティラ様! お腹を強く押して!
ティラトリーツェ様! 全力でいきんで!!」
二つの力が上から押しかかり――
スポン。
まるで音がしたかのように、引っ掛かりが抜けた感触があった。
私はそのまま、手を頭の上に置いて押し降ろすように、子どもと一緒に手を引き抜く。
幸い、手や足がそれ以上引っ掛かることなく、私の手は赤ちゃんと一緒に外の空気を掴んだ。
「赤ちゃんは!?」
コリーヌさんが首を横に振る。
腕の中で赤ちゃんは、呼吸を上げず、顔を顰めたまま。
「貸して下さい!!」
まだ、諦めない。
私はコリーヌさんから半ば奪うように赤ちゃんを預かると、まず口と鼻を一度に塞ぐように、口を付けた。
「マリカ様!? 何を?」
出産に時間がかかった。
一刻も早く呼吸を確保しないといけない。
赤ちゃんの口や鼻に、羊水や何かが詰まって呼吸が妨げられる時がある――前に、本かマンガで見た。
産婦人科なら吸引器があるだろう。
でも、ここには無い。
だから――これしかない。
人工呼吸の逆。
大きく息を吸い込み、詰まっているものを吸い出す。
血の味が口の中に広がる。
床に吐き出しても、まだ呼吸は無い。
産声という名の呼吸を開始させるために。
思いつくことは、一つ。
呼吸の切り替えにはストレスが必要だという説がある。
狭い産道を通って出て来ることも、必要な摂理。
祈るような思いで。
「お願い! 泣いて!!」
赤ちゃんの足を掴み、頭を下にすると――
バシーン!!
全力で、そのお尻を叩いた。
瞬間、ぶるっ、と赤ちゃんが身体を震わせ――
「あっ!!」
おぎゃあ! おぎゃあ!!
泣いてくれた。
抱き直したしわくちゃな顔から、確かに泣き声――呼吸が聞こえる。
トクントクンと動く心臓の音も。
「良かった。本当に……良かった……」
私は赤ちゃんを抱いたまま、ぺたんと座り込んでしまった。
手が震える。
落とさないようにするだけで精いっぱいだ。
「マリカ……よくやりましたね……」
「皇王妃様……。すみません、私……腰が抜けて……。赤ちゃんの産湯……お願いできますか?」
「ええ……。とても可愛い女の子だわ」
私が赤ちゃんをお預けしている間、コリーヌさんとミーティラ様は後産と臍帯処理をして下さっていたようだ。
私も手伝うべきなのだろうけれど――ダメだ。身体が動かない。
「マリカ……しっかりしなさい?」
「ミーティラ様……。あ、ティラトリーツェ様は?」
震えてへたり込む私を、ミーティラ様が助け起こして下さる。
「大丈夫です。お礼が言いたいと言っていますが……歩けますか?」
「は、はい……大丈夫です」
ふらふらと、よろめきながら。
いつの間にか寝台に移っていたティラトリーツェ様のベッドサイドに、私は膝をついた。
ほぼ転倒。足に力が入らない。
「マリカ……ありがとう。
貴女のおかげで、二人とも無事に生まれる事ができました」
「い、いいえ。すみません。
私、頭に血が上って……考えてみたら、ティラトリーツェ様にもコリーヌ様にも、かなり失礼を……」
助産婦の手から赤ちゃんを奪い取って、子どもが処理するなんてありえない。
ましてや、あそこに手を突っ込むなんて。
恥ずかしくて、申し訳なくて、顔が上げられない。
でも――。
「いいえ。私だけであったら、少なくとも第二子は無事に産まれなかったでしょう。
子宮にかかった頭を外すことも、呼吸を取り戻させることもできぬまま……
死んでいくのを見守るしかなかったと思いますよ……」
「貴女が……いてくれて、良かった。
マリカ……本当に……ありがとう」
「ティラトリーツェ様……」
お二人の言葉は、優しかった。
柔らかく、私の頭を撫でてくれるティラトリーツェ様。
その横に、ミーティラ様と皇王妃様が二人の赤ちゃんを寝かせたのが見える。
男の子と女の子。
可愛らしい双子だ。
安らかな呼吸音のデュエットに、私は改めて出産の成功と命の尊さに涙する。
良かった。
本当に……良かった。
「外で、やきもきしているであろうライオットを入れてもいいかしら?」
「ええ、お願いします」
皇王妃様の許可を得て、カツカツと走るような足音と共に入ってきたライオット皇子は、硬い表情をしている。
ベッドサイドを空ける為に後ずさった私のいた場所に、すっと立った皇子は、二人の子。
そして最愛の妻の姿を見て、顔を綻ばせた。
さっきまでの固い憂悶が、雪の舞い散る冬だとすれば。
一気に雪が解けて花畑に変わったかのような温容だった。
「よく頑張ってくれたな。ティラトリーツェ」
「ええ、皆の……そしてマリカのおかげです」
抱いてやって下さいませ。
穏やかな笑みで促す妻に頷き、ライオット皇子は我が子を一番に抱きしめ、祝福する。
「よくぞ、生まれて来た。我が息子よ……」
あまりにも眩しい風景に、目を細める。
愛する夫からの一番最初の祝福。
それこそが、ティラトリーツェ様が故郷ではなくアルケディウスでの出産に拘った理由なのだから。
「そして、我が娘……。ああ、俺は果報者だ。
ただ一度の出産で、息子と娘、その両方に恵まれたのだから……」
頬を摺り寄せる優しい笑みは恍惚としていて、我が子が愛しいと、本当に幸せだと、雄弁に物語っている。
これ程までに愛され、望まれ、生まれて来た子は――もしかしたら、不老不死になってから初めてかも知れない。
当たり前なくらい当たり前で。
でも、涙が出る程に奇跡的な光景だった。
「ほらほら、皇子。
お母さんはお疲れです。少し休ませてあげないといけませんよ。
そこで腰を抜かしている功労者を連れて、外に出ていて下さいませな」
そこで皇子は、ベッドサイドでへたり込んでいた私に気付いたようだ。
「解った」
私とティラトリーツェ様の顔を見比べながら、ひょい、と私を摘み、抱き上げる。
「わっ!」
「詳しい話は後で聞かせて貰う。今は乳母の言う通り、ゆっくり休め。
ティラトリーツェ」
「ええ、あなた。マリカのことをよろしくお願いします。
マリカがいなければ、この子達は二人揃って生まれては来れなかったのですから……」
ティラトリーツェ様のお休みを邪魔してはいけない。
もう、ミーティラ様もコリーヌ様もいる。大丈夫だろう。
「ティラトリーツェ様も、どうぞご無理はなさらないで下さいね」
私は皇子にだっこされたまま、静かに部屋を出た。
「何か、あったのか?」
「……あったと言えば、ありました。たくさん」
隠しきれないので、私は諦めた口調で告白する。
ティラトリーツェ様の無事出産しか頭になかった私は、かなりやらかした自覚がある。
特に、他国の重臣であるコリーヌ様と皇王妃様を前にしての、あれやこれや。
この後の追及が恐ろしい。
「そうか……まあいい。
お前のおかげで我が子が無事に生まれた。
そのことに変わりはないのだからな」
大きな手で私の髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、皇子は私を直ぐ近くに用意された『私の部屋』へ運んで下さった。
「少し休め。もうじき朝になる。
後でセリーナに朝食を運ばせる。昨日からろくに飲み食いしていまい?」
「それは、ティラトリーツェ様も同じで……」
遠慮しようとした瞬間、大きなあくびが零れた。
「ほらみろ」
身体は正直だ。
疲れと安堵で気が抜けたら、もう指先一つ動かせない。
「ありがとうございます。
では、休ませて頂きますね」
今は使っていないから誰もいない部屋のベッドに、そっと降ろされる。
と、皇子が、なぜか跪いた。
え?
私に?
なんで皇子が?
「偉大なる魔王姫。麗しの『精霊の貴人』」
「皇子?」
「我が子と妻の出産を守ってくれたことに、心からの感謝を捧げる。
皇子としてではなく、一人の男として、父親として、人間として……。
この礼は我が一生をかけて返すと誓う」
神妙な顔で告げた皇子は、私が問い返す間もなく立ち上がり、こつん、と私の額を指で押した。
「とにかく今は寝ろ。話は後だ」
ころん、とベッドに転がった私の横の窓から差し込む光は、淡い薄紫色。
朝の訪れと、今日の晴天を知らせている。
それがとっても綺麗で、眩しくて。
私には、新しい命の誕生を祝福しているように思えたのだった。




