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王都 双子の出産 前編

 明日で夜の二月が終わるという日の夜。

 私は魔王城で、小さく荷物を纏めていた。


 布を広げ、そこへ一つずつ、必要なものを確かめながら入れていく。

 手は動いているのに、胸の奥は落ち着かない。

 あの館の静けさと、あの方の強がりと、そして――生まれてくる二つの命の重みが、じわじわと私の背中を押していた。


「どうかしたの? マリカ姉」


 大広間でがさごそやっている音に気付いたのだろう。

 エリセが小さく小首を傾げる。


「ああ、これ。エッセンシャルオイルを探していたの。

 あったあった。ジャスミンとロッサ……念の為、レヴェンダのも」


 エッセンシャルオイルの箱は、作ってくれるシュウ達が自由に出し入れできるよう、大広間に置いておいた。

 割れないよう、瓶を一本ずつ指先で包むようにして取り出す。

 ロッサとジャスミン。


 食べ物ではないのでリードさんも名前を知らない。

 この世界での正式な名も解らないから、私は勝手に『ジャスミン』と呼んでいる花がある。

 去年の夏。

 香り高く、向こうの世界でもよく見かけた白い花を、魔王城の森で見つけた時には――その香りに、思わず息を止めるほどだった。

 シュウ達に『時間があれば』と頼んでおいたら、けっこう纏まった量の精油を作っておいてくれたのだ。


「もうティラトリーツェ様の子どもが、いつ生まれるか解らないから。

 明日から泊まり込もうと思って」


 助産婦のコリーヌさんは、ミーティラ様と一緒に館に住み込んでいる。

 だから、私の仕事なんて今回はそうそう無いかもしれない。

 けれど、できるなら立ち会って助けたい。


 双子で。

 長い出産になるだろうから。

 少しでも心を、身体を、息を――休ませる手助けができたら。


 それが、私の役目だと思う。


「私もお手伝いしようか?」

「そうしたいのは山々だけど、今回はしっかりとした助産婦さんも助手もいるからね……」


 本当は、アルやエリセが一緒にいて、様子を見聞きしてくれると助かる。

 赤ちゃんの様子が、ほんの少しでも解れば。

 ――でも、そのためには説明が要る。

 コリーヌさんや皇王妃様に、子どもの能力について。

 それに、男の子を出産現場に入れる理解を得るのは、この世界では難しいだろう。


「この間会った時までは、子ども達の様子、変わった感じじゃなかったんでしょ?」

「うん。どっちも元気だったと思うよ」


 今のところは順調。

 そう、信じるしかない。


「今回は私もお手伝い。

 だから、足湯してあげたり、香りの水で汗を拭いたりしてあげようと思って……」


 これは、私にしかできないことだ。

 あとは、休憩食や飲み物の準備。

 産湯。

 思いつくことは全部やる予定である。


「多分、出産後のお手伝いとかもあるから、二~三日……もしかしたらもっと、戻って来れないかもしれないから。

 こっちのことはよろしくね」

「うん。大丈夫。ちゃんとできるから」


 私も、皆も。

 力強く頷いてくれるエリセが、心強い。


 リグ以来、二度目の出産介助だ。

 なんとしても元気にこの世に出してあげられるように――全力で頑張ろうと思う。


 細々した準備を終えて、私が第三皇子の館に着いた時、まだティラトリーツェ様のお産は始まってはいなかった。

 館内は、忙しく準備に駆け回る人々の足音と声で、いつもよりざわついている。


 その中でフリーパスの私は、二階へ上がらせて頂き、寝台に横たわるティラトリーツェ様と面会した。


「お加減はどうですか?」

「軽い痛みは、昨日の夜くらいから出始まっています。

 まだまだ不規則なので、入り口にも差し掛かっていない、というところでしょう」


 息は乱れていない。

 声も落ち着いている。

 けれど、身体の奥に『始まり』の気配がある――それを、本人が一番よく知っている眼だった。


「痛みが定期的になってきたら、お産の始まりです。

 とにかく呼吸を止めないで、息をすることを心がけて下さい」

「ティーナが言っていたわね。

 ヒッヒッと二回息を吸って、フーッと一回深く吐くようにするといい、と教えて貰ったと」


 妊婦同士での情報交換もあったようだ。

 随分と落ち着いているティラトリーツェ様に、私はほっとする。


 予定より多少は早い。

 でも、双子が早産になりやすいのは解っている。

 妊娠、多分三十七~三十八週。

 双子の出産には、一番リスクが少ないと言われる時期だ。


 大丈夫。

 順調に行っている。


 そうやって私は、私自身に言い聞かせた。


「椅子に座るような感じで身体を起こすことはできますか?

 少しでもリラックスできるように、足湯など……と考えているのですが」

「お願いできると……嬉しいわ。

 ここしばらくお風呂にも入れないので……色々と辛かったの」


 ミーティラ様に支えられ、ティラトリーツェ様はゆっくりと身体を起こす。

 その動きだけで、お腹の重さがどれほどか伝わってきて、胸がきゅっとなる。


 私は足湯の準備をした。

 暖かい湯を小さなタライに張り、ジャスミンの精油を落とす。

 ふわり、と香りが立ち上がると、空気が少しだけ柔らかくなった気がした。


 足を浸けて頂き、むくみきった足をそっと洗う。

 マッサージというほど強い刺激は与えられないけれど、撫でるように、安心を渡すように。


 ティラトリーツェ様は、ほう……と大きく息を吐き出した。


「気持ちいいわ。強張っていた身体が解けるよう……」

「この花の香りには、怖れや不安を取り払う効果があるといいます。

 また、妊娠出産の時にも良いそうです。子宮……赤ちゃんの宿る部屋に、優しく働きかけるそうです……」

「そう……。本当に、気分がスッキリするわ」


 その時。


「おや、良い香りですね」


 軽いノックの後、部屋に入ってきたのはコリーヌさんだった。

 足湯をしている私達を見て、きょろきょろと周囲を見回している。


「すみません。勝手に。

 まだまだ先は長いから、落ちついていらっしゃるうちにリラックスして欲しいと思いまして」

「良いと思いますよ。

 ただ、不思議だなと思って。

 この真冬に、部屋中に漂う花の香りとは……」


 ――しまった。

 コリーヌ様はプラーミァの方だった。

 アルケディウスでは割とメジャーになってきた香りでも、他国にはまだ公開されていない。


「あ……それは、アルケディウスの新技術なのです。

 来年になったら、きっと少しずつ公開されるかと……」

「それは、楽しみだこと。……ティラトリーツェ様」

「なあに?」

「少し状態を確認させて頂きたいのですが……」

「いいわ。マリカ、ありがとう。とても気持ちよかったわ」


 私の誤魔化しに突っ込まないでくれて、コリーヌ様はティラトリーツェ様の方へ向かう。

 出産前の確認なら、私は居ない方がいい。


 手早く足を拭き、道具を片付けた。


「では、私は台所で軽食や飲み物の用意をしてまいります」

「お願い。あと……もし他にも花の香りの用意があるのなら、頼みたいことがあるのだけど……」

「なんでしょうか?」

「……レヴェンダの香りを、用意できる?」

「かしこまりました」


 一礼して、私は部屋を出た。


 レヴェンダの花。

 ティラトリーツェ様は、もし第一子が女の子だったら、その名を付けたいと言っていたと皇子が以前教えてくれた。


 お腹の中の子が男の子か女の子かは解らない。

 それでも、今度こそは――という気持ちは、きっと強くお持ちのはずだ。


「どうか無事に生まれますように」


 祈るような気持ちで、レヴェンダの香油の瓶の蓋を開ける。

 汗拭き用のタオルに、そっと落とした。


 朝を超え、昼を過ぎる頃、陣痛が定期的になってきて、本格的にお産が始まった。

 と言っても、まだまだ先は長い。


 ティーナの時は朝に始まって、無事生まれたのは夜だった。

 今回は双子で、初産で――多分、あの時より難産になるだろう。


 コリーヌ様の、


「あまり多すぎても邪魔なだけ」


 という意見から、中にいるのは私とミーティラ様と、コリーヌさん。

 そして――


「役には立たないかもしれませんが、励ましてあげたいのです」


 そう言って、わざわざ来て下さった皇王妃様だけだ。


「皇子ができることはありませんから。外で待っていて下さいませ!」


 仕事を切り上げ戻ってきた皇子を、コリーヌさんは容赦なく追い出してしまった。

 向こうの世界なら立ち合い出産もあるだろうけれど、この世界ではまだ無理だ。


 多分、部屋の外でイライラとうろうろしている。


「休められるうちは、身体を休めておくといいですよ」

「……そうは言うけれど……無理です。コリーヌ……。

 少し目を閉じても……痛みで目が覚めてしまうの……」

「解かるわ……。私も皇子の出産の時、そうでしたから」


 荒い息のティラトリーツェ様の腰を、皇王妃様がそっと撫でる。

 その手は優しいのに、今ここにある現実の重さを、余計に際立たせた。


 私は、ぬるめのココアとチョコレートを用意し、陣痛の合間を狙って差し出す。


「少しでも体力を付けて下さいませ。チョコレートは疲れをとるのにいいんですよ」


 甘いココアを一口飲み、それからチョコレートの粒を口に入れたティラトリーツェ様は、驚きに目を開いた。


「ココアは飲んだことがあるから美味しいのは解っていたけれど、こちらは何?

 プラリネと違って、中が蕩けるように柔らかいのね」

「ガナッシュ、と言ってチョコレートと生クリームを混ぜたものです。

 プラリネは少し固いので、今はこちらの方が食べやすいかと」

「ありがとう。うれしいわ。でも……」


 ティラトリーツェ様は、幸せそうなうっとり顔から、少し困ったように眉根を上げて私を見る。

 ――いや、正確には私の後ろを。


「珍しい菓子ね。私も、ご相伴させて貰ってもいいかしら?」

「チョコレートの新作ですか? 私も、できればお味見を」


「……あ………どうぞ」


 ――しまった。その二。

 ティラトリーツェ様の為に用意した新作チョコレートだけれど、コリーヌ様や皇王妃様もいるのだった。


 興味津々で手を伸ばすお二人を前に、とても断ることはできない。

 しかも皇王妃様には、初チョコレートになってしまう。


 ヤバみ。


「まあ? なんてステキ。『新しい食』はまだこんな凄い味を隠していたのですね」

「プラーミァ原産のカカオ豆から作る『チョコレート』なる菓子でございます。

 マリカ様に加工頂いたプラーミァ王宮では、空前の騒ぎを巻き起こしているとか……。

 この菓子は、始めて頂きますが……木の実類をチョコがけしたものとは、また一味も二味も違って……また……」


 ――あうー。やっちゃった。

 目を見張り、夢中になって口を動かすお二人を見れば、ガナッシュやトリュフは隠し切れない。


 そして皇王妃様に知れたということは、皇王様にも知れるということ。

 輸入でしか手に入らないカカオ豆から作るチョコレートは、今は私しか作れない。

 他の人が作ろうとすれば、時間も労力もお金も――とんでもなく掛かる。

 多分、大騒動になる。


 この大事な場面で、私はまたチョンボを――。


 内側から自己嫌悪が湧いてきて、溢れそうだ。

 顔を歪めて俯いた、その頭に。


「本当に手のかかる困った子ね。貴女は」


 ふわり、とティラトリーツェ様の手が伸びてきた。


「ティラトリーツェ様~~。すみません!」

「でも、手のかかる子ほど可愛いもの。

 それに、いつまでも隠せることでも無いもの……仕方ないわ」


 やさしく、なでなで。

 暖かい手が、じんわりと広がる自己嫌悪に、静かに蓋をしてくれる。


「……私の為に考えてくれた貴女の気持ちが、元気をくれたのは事実ですしね……」

「心配しなくても、今はまだチョコレートの追及など致しませんよ。

 ティラトリーツェ様のお子を、無事、外に出すのが先決です」

「そうね。後からゆっくり話を聞かせて頂戴」


「解りました」


 今はまず、本当に優先しなければならないことがある。

 チョコレートの話は、いったん箱に入れて蓋をする。

 自己嫌悪と一緒に。


 私達は、ティラトリーツェ様の出産に、また向き合うのだった。


 昼が過ぎ、夜になって、深夜に近付いてきた。

 陣痛の間隔が短くなってくると、ティラトリーツェ様の呼吸は目に見えて荒さを増す。


「う……ううんっ!」


 必死に痛みに耐えているのが解る。

 それでもティラトリーツェ様は、一言も『痛い』とか『苦しい』とか、弱音を吐かない。


 母になる女性の強さを、私は感じずにはいられなかった。


 呼吸の指示は今回はコリーヌ様の役目だ。

 だから私は、レヴェンダの香油のついたタオルで汗を拭き、背中をさする。


「頑張って下さい。大丈夫ですから……」


 精一杯の言葉を、何度も何度も渡し続ける。


「そろそろ、出て来ますよ……。

 あと少し、頑張って下さいませ。姫様!」


 出産用の台に移動し、立ったような姿勢のまま、ティラトリーツェ様はいきみ始める。

 呼吸といきみ。

 それを幾度も繰り返していくうちに、


「あっ……」


 ティラトリーツェ様が、小さな声を上げた。

 一人目が、産道から降りて来たのだ。


「頭が見えてきました。そのまま!

 静かに呼吸をして……。出た!!」


 おぎゃああ!


 コリーヌ様の声と重なるように、元気な泣き声が響く。


 良かった。

 本当に、良かった。


 胎位の確認もできない中世の出産は、産むとこ勝負なところがある。

 だからこそ――この泣き声は、救いの音だった。


「男の子です。

 でも、これからもう一人出て来るのでしょう?

 皇王妃様。この子をお願いしてよろしいですか?

 ミーティラ。まだ注意を怠らないで!」

「はい!」

「解ったわ。預かります……」


 用意された産湯で、皇王妃様が優しく赤ちゃんを洗い、包む。

 最初に生まれた男の子は、リグより少し小さめだけれど、はっきりと呼吸をしている。

 しっかり保温してあげれば、多分、大きな問題はないはずだ。


 一方で、コリーヌさんはティラトリーツェ様から目を離さない。

 一人目が出ても、まだティラトリーツェ様のお腹には固い手ごたえが残っている。


「本当に、もう一人いますね。

 早く……出てきてくれればいいのですが……」


「うっ……あああっ!」

「ティラトリーツェ様!?」


 ひときわ大きな声。

 もう一人が産道に降りて来たのかもしれない。


「! これはっ……マリカ様! こちらへ!!」

「はい!」


 コリーヌ様の悲鳴に、私は慌ててティラトリーツェ様の背中側から、コリーヌ様の横に駆け寄った。


「……あれを!」

「えっ?」


 血の気の引いた顔で、コリーヌ様が指さしたのは、開いた膣口の奥。

 目を凝らした先には――小さな、小さな……足の裏が見えていた。

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