皇国 閑話 第三皇子視点 静かなる覚醒
これは、マリカ誘拐事件の裏側。
女達に決して語ることのない、答えの無い考察と決意の話だ。
「ソルプレーザが死んだぞ」
皇国騎士団詰所。
団長の執務室で、俺は呼び出した部下――という名の親友に、そう告げた。
ここにいるのは俺と、その副官ヴィクス。
騎士貴族リオンと、その魔術師フェイの四人だけ。
深夜。
廊下から人の気配を消し、さらに周囲の詰所にも厳重に人払いをかけている。
耳をそばだてる者がいたとしても、届く距離ではないだろう。
だから俺は、躊躇なく――
「アルフィリーガ」
目の前に立つ少年の名を、そう呼んだ。
「……そうか、死因は俺の攻撃か?」
目と、言葉で問うその少年は、年齢不相応な大人びた眼差しをしている。
罪と命から逃げ出さず、向かい合う覚悟を持った。
色こそ違えど、五百年前から全く変わっていないな……。
と俺は思う。
「いいえ、直接の死因は自殺です。自ら帯で首を括ったとのこと。
そもそも死ねた、ということが問題なのですが」
「気が付いていたのか? アルフィリーガ」
俺の問いかけに、奴は小さく頭を振るって見せる。
「気付いていた、訳じゃあない。
単なる、手ごたえ、違和感だ。俺がマリカを助けに行った時、あいつを蹴り飛ばした。
その時に、感じた砕ける骨の手ごたえ。
不老不死者相手にはあり得ないアレは。
跳んでいた意識が戻るくらいの感覚、だった……」
「ええ、ソルプレーザはあの事件で腹部打撲、内臓強打の大けがを負いました。
骨折も何か所か。一応応急手当のようなものは施しましたが……」
牢に入れられた囚人は、不老不死時代――取り調べ以降、ほぼ放置される。
医者というものも存在しない。怪我の手当が為されることもない。
苦痛を和らげる処置もない。処置の技術そのものが絶滅している。
そもそも、誰も怪我をしない。
苦痛そのものを感じない――感じたとしても一時のもののはずだからだ。
「数百年ぶりの、いつまでも続く、気が狂うような痛み。
そして何よりも、自分は不老不死では無くなった、という恐怖が、彼に死を選ばせたのだと思われます。
みすみす死なせてしまった事を、騎士団の管理不行き届き、というのであれば返す言葉もありませんが……」
ヴィクスの声は淡々としているが、そこに混じる震えまでは隠せていない。
理解しているからだ。これは『一人の罪人が死んだ』だけの話ではない。
「奴の死について、他に知る者はいないな?」
「ソルプレーザの牢は独房であったので、死亡とそれに至る前後のことは、誰にも見られてはいないと言えます。
ただ、捕えた時点での彼の変化、不審は、見知った者がいるかもしれません」
「そうか……フェイ」
副官の報告を受けて俺は、皇王の魔術師にして、この世界おそらく唯一の真正の『魔術師』の名を呼ぶ。
「どう、思う?」
言葉を限界まで絞った、主語の無い問い。
だが奴の頭脳は、質問の意図を正確に読み取り、即座に応える。
「……マリカ、であると思われます。
『魔術師』ですら、魔王城の島で、本人の意思の元でないと難しい不老不死の解除。
今、外の世で『神』の力を一方的に『殺す』ことができるのは、マリカ以外に考えられません」
不老不死。
神の奇跡の機構については、既にこの魔術師の元、一つの仮説が成り立っている。
人は、体内に神の影響力を持つ何かを体内に入れられていた。
その『何か』が身体の変化を止め、固定するのだ。
故に、その『何か』を取れば、人の身体は固定が解除され、元の人間に戻る。
「ですが、マリカが意図をもって不老不死を解除しようというのは考えにくいと思います。
あの様子からして、自分にそのようなことができると気付いている様子も、行ったとも考えにくいのですが……」
「俺のように無意識下で精霊の力が発動した可能性はある。
精霊国時代 精霊の貴人は、決して誰も触れてはならない、至高の存在として崇め奉られていた。
あの方が『俺の母ではない』と言った通り、生涯を純潔で過ごす精霊の貴人を犯そうとしたものに罰が下されたということは無くはない、と思う」
口にしてなお、胸の奥が冷える。
罰。
その言葉が示すものは、ただの報復ではない。
『神』の奇跡すら剥がせる力――それがこの世にあるという証明だ。
「では、ソルプレーザのみが不老不死を解除され、他の者達が今も健在である理由は?」
精霊の専門家二人の考察に、ヴィクスが疑問点を指摘する。
今回の襲撃犯の内、死亡したのはソルプレーザのみ。
同じく主犯格である家令フリントや、誘拐の実行犯達は今も不老不死を有している事は確認済みだ。
ということは――
「マリカの体液……今回はおそらく唾液か血液だろうが……を摂取したからかもしれないな」
「「「!!!」」」
俺の指摘に、三人は三様に青ざめる。
空気が、目に見えない刃に切られたように固まった。
「血と唾液を……飲んだ?」
「ああ、マリカがティラトリーツェに告げたそうだ。
ソルプレーザに唇を奪われ、舌を噛まれたと。
『血を飲んだんですよ……あの変態!』
悔し涙を必死で堪えていたと、な」
「あの野郎……。俺が、俺自身の手で殺してやれば良かった」
アルフィリーガは、マリカの心情に寄り添い、憤っている。
気持ちは解らないでもないが――
「感情は今は置いておけ。
問題にすべき点は今はそこじゃない。
マリカの体液が、神の影響力を消せる可能性があるという点だ」
「一度不老不死を解除してしまえば、もう一度元に戻すことは我々には不可能なので、軽々に実験できることではありませんが、
それが知られて利用されれば、大変な事になりますね」
同意するように頷いたヴィクスの声も震えている。
恐れているのは暴力ではない。
『仕組み』を知られた時に起きる、世界の崩壊だ。
「ああ。この世界において『不老不死者を殺せる』ということは、何にも勝る恐怖で在り、悪夢だ。
フェイ、お前も絶対に口にするなよ。ソレルティアは勿論、父上にも、だ」
「解っています。今はまだ神に変な目を付けられるわけにはいきませんから」
即答したフェイの返答に頷き、俺は――
「アルフィリーガ」
精霊と少女の守護者たる獣を見た。
奴の顔色からは、完全に血の気が引いている。
噛みしめた唇は、内側に滾る思いを必死で閉じ込めているように見えた。
「マリカを守る。お前の責任は重大だぞ」
「……解っている。そんなこと……最初から」
「あの娘は自分自身の身の安全に無頓着が過ぎる。
平気で自らの身体を囮にするが、神、もしくは悪しき存在に奪われれば全てが終わる。
下世話な話、女の体液は血や唾液だけじゃない。あの子がもし……」
「解っていると言っている!」
「リオン!」
苛立ちをぶつけるように声を荒げた奴に、フェイが眉根を上げた。
勿論知っている。
奴はこの事実の意味を、きっと誰よりも。
リオンの願い、想い、後悔、その他全てを――魔術師よりも、マリカよりも理解していると、俺は自惚れている。
だからこそ。
この男を、戦士を、獣を目覚めさせるのは、俺の役目だ。
「だったらもう一度、覚悟を決めろ!
精霊の獣!
この星の全てから精霊と人を守るというのなら。
お前が、何よりも大切に思う、たった一人を命も、身体も、心も、今度こそ守って見せろ!」
「言われる……までもない」
ゆらりと、奴の周囲を青い光が包むのを幻視する。
ぞくり、と身体の芯が震えた。
神の支配を受け入れた今の俺には、かつてのように奴を包む精霊の輝きは見えない。
それでも解る。
俺が認め、憧れていた『星』が生み出した至高の戦士――
『精霊の獣』
が、本気になった。
今までが本気でなかったとは言わない。
だが、少なくとも奴に、今までは無かった炎が宿ったことは間違いない。
今のリオンが、勇者と呼ばれた時代の奴よりも、あらゆる点で研ぎ澄まされていることを、俺は知っている。
その存在が今、目覚めた。
友として、戦士としての歓喜が、身体を揺らしたのだろう。
五百年待ち望んでいた至福が、目の前にある。
ソルプレーザの死は隠蔽され、存在ごと闇に封じられた。
まだ、マリカの真実の力に気付いている者は殆どいないだろうが、
皇女となった以上、国内外からあの娘は狙われ続けることになる。
人からも。
そしておそらく、神からも。
だが、最強の獣が側にいる限りは――危険が彼女に近寄れることは無いはずだ。
「俺は、今度こそ……この星を、マリカを守るんだ」
「ああ、やってみせろ。アルフィリーガ」
仮にも父を名乗る娘の為に、最強のボディーガードを付けられた事に、満足していた。
『精霊の獣』の静かなる覚醒が、大聖都の神。
その眠りの泉に小さな一石を投じた事を。
魔術師もその杖も、本人でさえ知らない、星と神と『精霊の獣』と『精霊の貴人』の秘密に気付く事もできない――
俺達にはまだ、知る由も無かったけれど。




