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王都 大祭二日目 囚われの『魔王』

 ミリミリッ……と、本当は聞こえないはずの音が耳の奥に響くのと同時、激痛が走る。

 喉から声を上げて、痛い、痛い、と泣き叫びたいくらいに。

 それを必死で飲み込んで、私は目の前の男を睨み付けた。


 ふん。これくらい平気。

 変生の時に比べたら、なんでもないんだから。


 私の態度は、多分、男のプライドを傷つけたのだろう。

 椅子に縛り付けられて身動きできない私の腹を、男は大きく、固い革靴の足裏で蹴りつけた。


「うっ!」


 唇を噛みしめ、悲鳴を殺した私の胸倉を、男はきつく掴んで締め上げる。


「本当に、強情な娘だ。

 泣け! 叫んで赦しを請うて俺に跪け!

 そうすれば余計な苦しみ、痛みを味わうことなく楽になれるぞ」

「イヤです! 貴方なんかに絶対に負けませんから!」


 思いっきり、あかんべーして挑発してやった。


「ほざくな! この小娘が! 構わん! 続けろ!!」


「くっ! ううっ!!」


 また、稲妻のような激痛が駆け抜ける。

 でも、この程度の痛みに負けるわけにはいかない。


 痛みが与えられているうちは、私にとってはまだまし。

 最低最悪の事態は避けられるのだから。


◇◇◇


 王宮から、知らないうちに知らない場所に連れて来られた私は、知らない男に馬車から引きずり出された。

 周囲には知らない男が数名。ニヤニヤとこちらを見ている。


「止めて下さい! 離して! 貴方達は誰なんですか!」


 精一杯、暴れて見せたけれど、男の力は強く、逆らいきれない。

 小さな家の中に連れ込まれた――その瞬間。


「煩い! 黙れ!! 妻が夫となるものに逆らうなど許さん」


 私の手首を捻るように握った巨漢の男は、私を軽々と持ち上げると、バチン、と勢いよく平手打ちした。


「坊ちゃま。顔や表に見えるところを傷つけるのはお止め下さい。

 この娘には明日、王宮で坊ちゃまとの婚約を誓わせねばならないのですから」


 男の背後から、フードで顔を隠した男が諌めるような声をかける。


 私は頬の痛みよりも、二人の言葉の方に頭がぐらぐらした。

 な……妻?

 婚約? 何を言ってるの? この人達。


 呆然と床に座り込んだ私に、男は胸を張って宣言した。


「いいか? 小娘。

 お前は今日から、俺の妻となり、忠実に俺と我が家に仕えるのだ。

 それが、捨て子だったお前を拾い育ててやったにも関わらず、逃げ出した恩知らずな貴様が罪を償える唯一の道なのだからな」


 言われて、私はようやく目の前の人物が誰か理解できた。

 そういえば、後ろのフードの人の声に聞き覚えがある。


「タシュケント……伯爵家の……」

「どうだ。俺はタシュケント伯爵家の長子、ソルプレーザ。お前の婚約者にして夫になるものだ!」


 巨漢の男が胸を張ったけれど、悪い冗談は止めて欲しい。

 伯爵家の長子って、この人が?

 と思わずにはいられない。


 だって、この人――こうして見ているだけで、まともじゃないって解るもの。


 前に、ブタのようだ、と言ったけれど、ブタに失礼だ。オークのようと言っても、オークが可哀想。

 歳は四〇歳前後。

 でっぷりと膨らんだ腹、脂ぎった顔。目元は下卑た眼差しに歪み、口元はねじれ曲がっている。

 この人が伯爵家の『お坊ちゃま』だなんて――冗談も大概にして欲しい。


 少しでも目元に知性があり、貴族らしい責任が見えれば、私だってそこまで言わない。

 この人には、全くと言っていいほどそういうものを感じないのだ。

 下町のゴロツキの方が、まだマシに見える。


 でも、とりあえず大貴族の子だというのなら、頭を下げて立てようとは思った。……思ったのだけれど。


「私はゲシュマック商会のマリカで、伯爵家に拾われた少女とは別人です。

 ですので、貴方様の婚約者などではございません」

「真贋などはどうでもいい事だ。

 父上が、其方を娶り家に引き入れれば、私に家督を譲るとおっしゃった。

 故にお前を妻にする。それだけのこと。

 正直、こんな細い子どもは全くもって好みではないが、不老不死者では無い娘、というのは楽しめそうだからな」


 まったく話が通じない。

 ダメだ、こりゃ。


「私をお返しください。今、お返し頂けるなら、無かった事に致しますので」

「何を言っている。お前の帰るところはここだと言っているだろう?

 お前はゲシュマック商会から、拾い親タシュケント伯爵家に戻り、恩を返す為に、その知識、その力の全てを使うのだ」

「ですから、私はタシュケント伯爵家とは縁もゆかりも無いと何度も……」

「嘘をつくな! いや、仮に別人でもいいのだ。お前は伯爵家の拾い子マリカ、私の妻になるのだからな」


 男は、べろりとなめくじのような太い舌で唇を舐めまわすと、目で傍の男達に合図をした。


「あ!」


 しまった!


 部下らしい男達が右と左から、状況に唖然としたまま座り込んでいた私の身体を、がっちりと抑え込んで動きを封じる。


「止めて! 離して!!」


 硬い男の身体と腕に押さえ込まれ、身じろぎさえできない。

 私の前に男は膝をつき、私の鼻を摘んだ。

 固く唇を噛みしめて閉ざしていた口が、呼吸を求めて薄く開いた、その瞬間――


「うっ! ううっ!!」


 強引に唇を重ね、舌で割り開かれた。


 酷い!

 私の、ファーストキス!


 向こうの世界とこっち、どっちでも、誰ともしたことのない私の初めての口づけが、見ているだけで怖気立つオークのような男に奪われてしまった。

 悲鳴は蛭のように吸い付く唇に吸い込まれ、逃げても逃げても執拗に追いかけてくる太い舌が、舌先を絡め取り、引き寄せる。


 生臭い味に吐き気がする。怖気が立つ。

 こんなのがファーストキスの味だなんて!


「あうっ!」


 気持ち悪いだけの口づけに、私が満足していないと解ったのか。

 男は、自分の口腔に引きこんだ私の舌先を歯で強く噛み切った。


 口の中に痛みと鉄の味が広がる。

 舌から流れる血と、肉片を楽しげに飲み込むと、紅く染まった唇でニヤリと笑った。


「泣け! 叫べ! お前がここにいる事を知る者は誰も無い。

 見つけ出す頃には全て終わっている。

 お前は、私の妻となり伯爵家のものとなるのだ」

「イヤです! 絶対に、例え、何をされようとも、貴方の妻になんか、なりません!!」


 バチン!

 また頬が鳴る。


「坊ちゃま!」

「解っている! だが、早々に犯して蹂躙してやるつもりだったが、気が変わった。

 気丈で小生意気なこの娘の、悲鳴が聞きたい。泣き叫び、赦しを請う声が聴きたい。

 心も、身体も痛めつけて痛めつけて、そうして征服してやる!」

「だから、身体に傷をつけるなと……旦那様のご命令で……」

「目立つところで無ければいいのだろう?

 服に隠れる肌も、靴の下に隠れる爪も、いくらもである」


「イヤ! 止めて!!」

「お前の身体に、じっくりと刻み込んでやる!

 お前が誰のものかということをな!」


 獲物を見つけた肉食獣のような目で、私を見やる。

 その視線が、私をただの道具、獲物にしか見ていないと突きつけてくる。

 それが絶望的に怖くて、負けないと決めても、心が折れそうになる。


 私を捕える男達の手の力が、さらに強まった。


(『助けて! リオン!!』)


 私は心の中で、必死に助けを求めていた。


「まったく、強情な娘だ」


 男は呆れたように私を見つめていた。

 どれくらい時間が経ったかは解らない。多分、そんなには経っていない気がする。


 もしかしたら――私がティラトリーツェ様の所に戻れていない事に気づいて、皆が探してくれているかもしれない。

 それが今、私にとって唯一の希望だ。


 今、服を剥ぎ取られ下着姿で、椅子に縛り付けられている。

 縛られた縄や椅子は、能力で壊せないこともなさそうだけど、そこから先が続かない。複数人の男がいる部屋で逃げ切れる可能性は少ないし、能力を発揮することで逆に警戒され、本気になられたら『最悪』だ。


 鞭で打たれ、殴られ、噛みつかれ、足の指の爪も三枚持っていかれた。

 悲鳴を上げたいくらい痛い。

 けれど、さっきの様子からして、きっとこの男はそれを楽しむ(サド)だ。

 だったら、相手の思い通りになんかしてやるもんか!


 悲鳴や苦痛を必死で飲み込み、私は荒い息の中、ただひたすら男を睨み付ける。


 私の身体を『普通に』痛めつける事に夢中になっている間は、最低最悪のことにはならないで済みそうだ。

 それは逆に、ほっとしているくらい――それほどに、最悪の想像は深くて暗い。


「素直に這いつくばって泣きわめき、赦しを請えば可愛げがあるものを。

 これを妻にして、言う事を聞かせるには骨が折れそうだ」

「今まで、幾人もの女子どもで『遊んできた』というのに、子どもの娘一人、思い通りにすることもできないのですか?

 いい加減、お遊びは止めて終わらせて下さいませ」


 呆れたようにフードの男が吐き出す。

 あからさまに顔を隠しているけれど、この人が伯爵家の家令だというのは解ってる。

 仕えているように見えて、監視役なのだろう。けれど、そんな事より――私は、彼が零した言葉の方が気になった。


「遊んで……来た?」

「不老不死世界は退屈に過ぎる。

 大人になってしまえば身体は傷もつかず、衰えもしない。

 相手を痛めつける事も、悲鳴を上げさせることもできまい?」


 最悪の想像に震える私に、男はにやりと笑ってみせた。


「子どもはその点、最高なのだ。私の欲望を満たす為の、最高の道具。

 貴様もあと少し身体が育つまで消えさえしなければ、もっと早くに私のものにできていたというのに。

 まあ、その場合、今、ここに生きてはいなかったであろうがな。

 私の玩具が一年以上生き延びるのは稀だ」


 プチン。


 私の中で、何かが音を立てて切れた。

 封印の糸が切れるように。


「だから、保護法などというものの設立は正直、困る。

 貴様を探し回らせ第三皇子の手を塞ぎ、明日の会議に出られ無くなって貰えば最高だ。

 お前が戻らぬ事に気付き、探し始めるのは今日の夜か明日の朝。

 その頃には……貴様は……な、何!」


 男の顔が驚愕に歪み、震えている。


 意識していた訳ではない。

 けれど私は――『立ち上がった』。


 私を縛り付けていたロープも、椅子も、全て粉々。

 阻むものは何もない。


『呪われろ……人の命を弄ぶモノよ』


 喉から、そんな震えるような声が響いた。

 自分のものだけど、自分のものではない声。


 伸ばした腕の先に、紅いバングルがきらりと輝く。

 カバンの中に入れておいたはずなのに――という疑問は、もう浮かばない。


 身体の中が燃えるように熱い。

 溢れるような熱が、怒りが、堰を切って溢れて来る。

 止めようにも止められない。

 止める気も無いけれど。


 この男は、私と、私の中の私ではない何かの逆鱗に触れたのだ。


 私だけを痛めつけるというのなら、それでもいい。我慢してやれる。

 でも、同じことを無力な子ども達にやってきたというのなら――許せない。


『私』は指先から流れ出る熱を、男に叩き付ける。

 目には見えない。けれど、確かな何かが作用したように。


「がっ……ぐあああっ」


 いきなり口から血を吐き出し、喉を掻きむしるように床をのたうち回る。

 まるで屠殺直前の野ブタのようだ――と、ブタに失礼な事を思ってしまう。


「お、お前は、一体何を?」

「『人に、刃をかざすのなら、その刃で自分も刺される覚悟が、あるのでしょうね?』」


 不思議なサラウンド。

 同じ音、同じ声なのに、重なって聞こえるのは気のせいなのか。


 とにかく私は、怯えた目で私を見るローブの男にも同じ力を叩き付けた。

 力を使うのに、意識する必要はない。

 平手を打つのと同じ――そう感じるほど自然だ。


「ぐっ!」


 胸元を押さえ膝をついた男の頭からフードが外れ落ちる。

 やっぱり、あの時の伯爵家の家令。


 でも、あの野ブタよりも効果は薄いのか。

 男は悲鳴にも似た声で周囲の男達に命令した。


「お、お前ら、何をボーっとしている! その娘を押さえつけろ!!」

「は、はい!!」


 部屋の周囲を取り巻いていた男達が、怯えた目を浮かべながらも私に向かってくる。

 数は五人。


 でも、恐ろしいとはまったく思わなかった。

 リオンではないけれど、敵の強さが見えるように解る。


 子どもを痛めつける為だけに連れて来られた、ゴロツキ紛い。

 武器もろくに持っていない彼らに比べたら、毎日襲ってきてた襲撃者の方がまだ怖い。


 ――と、妙に冴えた頭で考えている『私』がいる。


「この……バケモノ!!」


 振り上げられた拳が、私の身体に触れるより早く。


 バキン!!


「な、なに?」


 蹴り上げられたサッカーボールのように、男の身体が高く空に舞い上がった。

 今のは『私』では無い。


「お、お前は!」


 私の前に立っていたのは、リオンだった。

 以前、セリーナを助けに娼館に乗り込んだ時と同じ目、同じ威圧を纏い、立っていた。

 ……私を守るように。


 リオンが現れたと同時に、私の中の熱が消えた。

 オフになった――というのが正しいかもしれない。


 空気が抜けた風船のように、張り詰めていた何かが、すーっと、熱と力と共に消えていく。


「マリカ!」


 足の力が抜け、崩れた私の身体を、誰か大きな手が抱き留めてくれる。

 フェイやリオンでは無い。

 ずっと大きな、大人の……手。


「皇子? マリカは大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。意識を失っているだけだ。

 それより、お前は動けるなら、アルフィリーガが蹴散らした男どもを捕えろ。

 一人も逃がすな! 重要な証人だ」

「解りました!」


 そんな声を遠くに聞きながら、私は意識を手放した。


 柔らかく、優しい何かに包まれた身体。

 そして、助けに来てくれたリオン。

 心配は、もう無いと解っていたから。

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