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王都 大祭一日目 麦酒の復活

 秋の大祭が、今日から始まる。

 初日は神殿で、戦勝を感謝し、指揮官の妻が祈りと奉納の舞を捧げるのだと聞いた。


「御覧なさい。これが、奉納の式典で身に付ける舞の装束なのです」

「素晴らしく……美しいですね」


 そう言ってメリーディエーラ様が特別に見せて下さったドレスは純白で、サークレットで留められた薄いヴェールもまた白く、本当に花嫁衣裳のようだった。

 チェルケスカと似た印象の白い上衣は、肩から長くショールのように腕へと流れ、内側に着るドレスは二の腕のあたりから袖が二つに分かれて、ゆるやかに下へ垂れている。

 どちらもふんわりとした柔らかな布で、舞えば風を孕み、光を受けて波打つように揺れるのだろう。

 胸元には精緻な白銀の糸による刺繍が施され、同じ意匠のベルトが腰を引き締めている。

 奉納の舞のため、裾はそれほど長くない。靴先が見えるか見えないか、その絶妙な丈が、かえって舞の動きを際立たせる。メリーディエーラ様がこの衣装で舞えば、どれほど神々しい光景になるのだろうか。


「踊った後は、とても疲れるので、あまり好きではないのですが。これも皇子妃の務めです」


 本来は国の皇女や王女が神に祈りと感謝を捧げるものらしい。

 だが今、どの国にも未婚の皇女・王女はいない。しかもこの国は皇子ばかりで皇女がいないため、皇子妃がその役目を担うのだとか。

 なるほど、と頷く。

 ちなみに奉納の儀式は、皇族であっても皇子妃とその伴侶しか入ることも、見ることもできない。


 奉納の儀式が終わり、二の木の刻――こちらの感覚で言えば昼。そこから本格的に大祭が始まる。

 ……はずだったのだけれど。


「うわああっ! な、何これ?」


 大祭開始二刻前。

 私たちゲシュマック商会の者たちが広場に辿り着いた時、目の前に広がっていたのは、とんでもない光景だった。

 広場の南端に配置されたゲシュマック商会本店の屋台。その前から、すでに広場の端まで続く、うねるような行列ができあがっていたのだ。

 二刻前だというのに、その人数はざっと見積もっても数百人。


「ああ、来たな。マリカ」

「リオン!」


 列の脇で兵士たちに指示を飛ばしていたリオンが、私たちに気づいて駆け寄ってくる。

 大祭の警備があるから、と本当に朝早くから出かけていたけれど――まさか、ここまでとは。


「な、何、これ?」


 呆然と立ち尽くす私に、リオンは親指で行列を示して説明してくれた。

「去年のことがあるからな。念のためと思って土の刻に来てみたら、すでに何人かが入口近辺に屯っていてな。

 入口を開けるために、列を作らせて並ばせておいたんだ」

「あ、ありがとう。でも、これ、本当にゲシュマック商会のお客でいいの?

 今年のゲシュマック商会の料理は、ビールセットと持ち帰り菓子だけだよ。一食、小額銀貨二枚だよ?」

「一応確認はした。張り紙もしてあったから見ろ、とな。

 だが、数はほとんど減らなかった。他の店にも並び始めてはいるが、ここに並んでいる連中は、小額銀貨二枚でもゲシュマック商会本店の料理が食いたいって奴らだ」


 ごくり、と喉が鳴る。

 張り紙には、


『麦から作られた酒が復活

 つまみ・カップ込み

 限定二百食

 小銀貨二枚』


 としか書いていなかった。

 まさか、ここまで人が集まるとは思っていなかった。

 銀貨二枚のランチ、しかも大祭初日だというのに。

 どうしてここまで期待が膨れ上がったのか、正直よく解らない。けれど――今は対応あるのみだ。


「皆さん、開店の準備、急いでください。

 男の方は騎士団から列を引き取って、横入りされないよう厳重注意で。

 それから、どなたかエクトール様をお連れしてきてください!」


 今回、初お目見えとなる麦酒の作り主。

 エクトール様は、空の日の夜からオルジュさんと一緒に王都入りしている。

 アルケディウスでの麦酒復活の瞬間を見たい――それが最初の約束だったからだ。

 本来は木の刻に開店の様子を見ていただく予定だったのだけれど。


「こ、これは……」


 使用人に案内されてやって来たエクトール様は、お抱え魔術師オルジュさんと共に、広場の端から端まで続く行列を目を白黒させながら見つめている。

 私はエクトール様のもとへ駆け寄り、集まった人々を指し示した。


「どうか、ご覧ください。エクトール様。

 すべて、麦酒の復活を待ちわび、どんなに高くても、並んでも、味わいたいと願う人々でございます」

「本当に……麦酒の復活を、人々は待ちわびてくれていたのか?」


 皇王陛下直々にお褒めの言葉をいただき、私たちがいくら絶賛しても、実感は湧いていなかったのだろう。

 五百年の時を超えて世に出た麦酒が、本当に受け入れられるのか。

 不安がなかったはずがない。

 けれど、この光景を見れば解る。そんなものは、ただの杞憂だったのだと。

 麦酒は、本当に人の世に必要とされていた。


 契約店主たちが自慢し、振る舞った豪商や上客。

 その噂を聞いた移動商人。

 そして意外なことに、リオンの部隊で麦酒の味を覚えた一般兵と、その話を聞いた仲間たちの姿もちらほら見える。

 貴重な給料を握りしめ、列に並んでいるのだ。


 感慨深げにエクトール様が目を細めた、その頭上で――鐘が鳴った。

 木の刻。

 大祭の開始を告げる、一際大きな鐘の音だ。


 私は大きく深呼吸をして、傍に立つエリセと共に前へ踏み出す。


「お待たせいたしました。

 ゲシュマック商会の大祭屋台、開始いたします。

 どうか押さず、順番にお並びくださいませ」


 一刻も早く、という焦りを浮かべていた客たちは、その声を聞いて、わずかに足を緩めてくれる。


「今回のゲシュマック商会の商品は、『新しい食』ビールと料理のセットメニュー二種類になります。

 小額銀貨二枚ですが、よろしいですか?」

「ああ、構わない」

「軽い味わいのピルスナー、濃い味わいのエール。どちらになさいますか?」

「両方、は駄目なんだな?」

「はい、申し訳ありませんが、どちらか一方となります」

「では、ピルスナーとやらの方を」

「かしこまりました」


 ほどなく供されたのは、温めたプレッツェルと焼きたてのソーセージ、ベーコンを載せた盆と、並々と金色の液体が満たされたジョッキのセットだった。

 盆とカップ込みで小額銀貨二枚。

 受け取った男性は、その盆を持ったまま、広場の端にしゃがみ込む。


 周囲の視線も、麦酒の作り手が目を見開いて見つめていることも知らず、彼は恐る恐るジョッキを手に取った。

 そっと唇をつけると、ひんやりとした感覚が伝わる。


 彼の眉が、わずかに上がった。

 肌寒くなり始めた空の二月に、冷たい飲み物――そんな小さな失望は、次の瞬間、跡形もなく消え去っただろう。


 ごくり。

 黄金の液体が喉を滑り落ちた瞬間、彼の表情が一変する。

 ごくり、ぐびり。ごくごく、ぐびぐび。

 貴重で高価な、小額銀貨一枚以上のピルスナーは、止める間もなく喉へと吸い込まれていく。

 全てを飲み干してしまいそうになるのを、必死の意志で抑え、三分の一を残して彼はようやくジョッキから唇を離した。


「はああっ……」


 吐き出した息には、熱く甘い酔いが宿っている。

「酒だ……。本当に、これは酒だ……」


 飲む前と飲んだ後では、まるで別人のようだ。

 彼は塩味のプレッツェルに歯を立てる。

 小麦の香ばしさと、ほのかな塩気が口に広がり、それを麦酒で洗い流すと、また吐息が零れた。

 次はソーセージ。串に刺したそれにかぶりつけば、皮が音を立てて弾け、脂の濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。


「こんな……奇跡が……幸せが……この世にあったのか……」


 その賛辞は、彼一人のものではなかった。

 買う者、飲む者、そのすべてが同じように歓喜と感嘆を溢れさせ、麦酒を味わっている。


「このピルスナーという奴は爽やかでキレがあるな。そっちのエールというのはどうだ?」

「こっちは濃厚だ。味わいが深い」

「どうだ? 半分、交換しないか?」

「いいのか?」


 飲む人々は、皆、笑顔になる。

 酒精が回り、心まで明るくなる。


「素晴らしい!」

「美味い!」

「最高だ!!」

「不満は、ただお代わりができないことだけだな!」

「最高の酒に、乾杯!!」


「エクトール様?」


 店を、麦酒を、そしてそれを飲む人々を――

 固唾を呑むように見つめていたエクトール様は、いつの間にか眦を押さえていた。

 頬を伝い、銀色の雫が零れ落ちる。


 無理もない。

 この瞬間、本当の意味で、エクトール様と蔵人たちの五百年の努力は報われたのだから。


「エクトール様。どうかこの冬には、ぜひ麦酒蔵拡大のためのご指導を。

 荘園や設備を拡大するのであれば、ゲシュマック商会がお手伝いいたします」

「ああ……そうだな。麦畑も拡大し、使っていなかった釜も修理しよう……。

 できるなら、もっと多くの者たちに、気軽にこの酒を味わってもらいたい」


 麦酒――ビールは、もっとも身近な穀物から作られてきたがゆえに、庶民に一番近い酒だった。

 叶うなら、麦酒は一杯一万円の酒ではなく、仕事帰りの人々がポケットの小銭で疲れと渇きを癒す飲み物であってほしい。

 私は、本当に幸せそうな顔で、商売も何もかも忘れて麦酒を飲み干す人々を、エクトール様と同じ思いで見つめていた。


 かくして、ゲシュマック商会本店が用意したビールセット四百食は、わずか一刻と持たずに完売。

 ビールの復活は王都の伝説となり、夏の大祭と同じか、それ以上の力で、『新しい味』――食の力を、人々に知らしめたのだった。

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