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王都 新酒の試飲会 後編

 木の国、皇国アルケディウスの頂点に立つのは、皇王シュヴェールヴァッフェ様だ。

 御年……不老不死ゆえ年齢は『止まった年』になるのだけれど、六十二歳。

 実務の多くは皇子達に任せ、王宮の奥に座しておられる。


 一般人がその姿を拝せるのは、特別な事態を除けば、新年の参賀と大聖都への行幸、そして騎士試験の時のみ。

 田舎の住人などは、五百年生きてきて、一度も姿を拝したことがない人も多分いるのではないだろうか。

 私だって向こうにいた頃、天皇陛下を見たことがあるかと言われれば一生に一度だけ、だし。

 総理大臣なんて、もっと見たことがなかった。


 だから――アルケディウスに出てきて数か月で、そろそろ両手の指が必要なくらいお会いできているなんて、多分ありえない位、奇跡的な事なのだと思う。


「失礼とは存じますが、ご挨拶をお許し下さい」


 営業を終え、施錠された店内。

 その一角の空気がふわりと揺れ、歪む――と思った瞬間、三つの影が現れた。


 主の灯りが消された店内。

 風の刻、向こうで言うなら夜八時くらいだろうか。

 代表して店主ガルフが進み出て、迎え入れの挨拶をする。

 私達は、片手を胸の前に当てて跪いた。


「この度は、皇王陛下の御行幸を賜り、光栄でございます。

 下町の、小さな店舗にございますが、どうぞお許しを」


 そう――現れたのは、この国の皇王陛下なのだ。

 後は王宮魔術師ソレルティア様。

 もうお一方は初めて見るけれど、文官長タートザッヘ様だろう。


 こちらは商会長ガルフを先頭に、横にリードさん。背後に私とラールさん、リオンとフェイにアル。

 本来なら本店店主ジェイド達も残した方が良かったのかもしれない。

 けれど今回は麦酒の試飲だ。子どもを参加させるのは色々ヤバいと判断して、先に帰してある。

 この世界の成人年齢や飲酒許可年齢は解らないけれど、とりあえず二十歳までは控えてもらうつもりだ。


「いや、掃除も行き届き、大切にされ磨き込まれている事が解る良い店だ。好感が持てる」


 第一声が、穏やかな褒め言葉。

 歓喜に肩を震わせるガルフに、更なる言葉が降りる。


「此度は邪魔をする。

 急に、しかも我が儘を申してすまなかった。

 だが、あの奇跡の酒の新酒。

 しかも蔵出しされた、今年最初の酒と聞いて我慢できなくなったのだ。許せ」

「勿体ないお言葉にございます……」


 急な話で確かに驚き、大変だった。

 けれど、こうして素直に、しかも上の方から言われると文句は言えなくなる。

 ……第一皇子達とは大違いだと思う。

 下の者は上に従うのが当然、という態度では、従う気そのものが萎むのだ。


「店の者達も、此度は世話になる。

 直答を許す故、気軽にするが良い」

「お気遣い、感謝申し上げます。

 いつまでも玄関にてお待ち頂くのも無礼。どうぞ奥へ。

 貴賓室に、細やかですが本日の新酒の試飲、その準備を整えてございますれば」

「うむ。

 では行くぞ。タートザッヘ。ソレルティア」


 先導するリードさんに促され、お三方が歩き始める。

 カンテラの灯りに、王様のプラチナブロンドとソレルティア様のブロンドが輝く。

 一方で、側に控えるお爺さん――文官長タートザッヘ様は、黒髪も相まって本当に影のように見えた。


 タートザッヘ様は皇王陛下の懐刀と呼ばれ、この国の文官の柱。

 生真面目な表情で後ろに控え、木の板のようなものを小脇に、しっかり抱えている。メモ帳か、文書入れだろうか。


「凄いんですよ。この国の法律のみならず他国の法律全てを記憶しておられて、問われれば直ぐにそれが出て来るんです。

 過去の判例とかと共に。

 僕と同種の能力者ではないかと思うくらいです。

 子どもの頃のみで消える能力ではなく、真正の……」


 フェイが、感心と尊敬を隠さず語るくらいの人物。

 同じように不老不死以前から仕えるザーフトラク様は、


「全ての能力を知性と忠誠心に割り振った人物(褒め言葉)」


 と言っていた。


「まあ、見かけは強面だが話せば悪い人間ではない」


 とも。

 ――けれど今の雰囲気からすると、ちょっと簡単には話しかけられそうにない。


 ガルフの店、ゲシュマック商会一号本店の奥には、特別な来客用の貴賓室がある。

 今はほぼライオット皇子専用になっているけれど、たまに大貴族の方をもてなすこともある。

 その貴賓室の扉を、リードさんが軽いノックと共に開けると――


 ガタン!


 椅子と人が動く音がした。

 中に既に五人いることは、私達も知っている。


「父上、まさか本当にお運びとは……」

「お前ばかりが良い目を見るのはずるいと思ってな。ライオット。

 ティラトリーツェもつわりが落ち着いたようで何よりだ」

「先日は兄が失礼をいたしました。義父様」


 皇王陛下がどこか呆れるように笑って見つめるのは、ライオット皇子と皇子妃ティラトリーツェ様。

 側近のお二人は背後に静かに控えている。


 部屋には長方形の卓が設えられ、最奥が皇王陛下のための上座として用意されている。

 右側の長辺に皇子とティラトリーツェ様、向かい側がゲシュマック商会の席。

 そして位置的には最下手。扉の真横で膝をつく方が――


「顔を上げよ。エクトール。直答を許す。

 最後に顔を合せたのは、確かお父上であるトレヴィル卿が其方を後継者、と紹介しに来た時だったか?」


 アルケディウス唯一の麦酒蔵、エクトール荘領の領主様は顔を上げた。

 略式だが礼装を纏って跪くその眼は驚愕を浮かべ、大きく見開かれている。


「まさか、五百余年の彼方、ただ一度の謁見を覚えて下さっておられるとは……」

「いや、言って良いのであればずっと忘れていた。其方の麦酒……ビールが思い出させてくれたのだ。

『人々に笑顔を運ぶ酒を造りたい』と私に誓った青年の顔をな」

「私も……いつか、皇王陛下に飲んで頂けるような酒を作りたいと……ずっと、思って……」


 噛みしめるように言うエクトール様の目には、敬慕の眼差しが宿る。

 麦酒はどちらかと言えば庶民の飲み物だ。

 皇王陛下には飲む機会が少なかった――ということもあるかもしれない。

 そうでなくても、酒蔵の息子と皇王陛下では、会う機会などそう無い。


 遠い何かを懐かしむように目を細めた皇王陛下は、朗らかな笑みで手を差し伸べ、祝福した。


「五百年……人々が打ち捨てた『食』を、『酒』を守り続けた其方の努力に敬服し、感謝する。

 我が国にとって、そなたの『酒』は正しく宝となるであろう」

「勿体ない……お言葉です」


 エクトール様の外見は壮年と言える年だった。

 きっと本当に、ただ一度の面会だったのだろう。

 五百年。父から受け継いだ家業とはいえ、誰にも応援されないまま情熱を持ち続けるには、信念だけでは足りない。

 おそらく皇王陛下との謁見は、その『足りないもの』を埋め、支え続けたに違いない。


 震えるエクトール様を立たせると、皇王陛下は自ら席へ進み座した。

 皇子達、ガルフ達がそれに続いたのを確かめて、エクトール様は樽に木ネジの注ぎ口を差し込む。

 今年出来た新酒、その最初の一杯を、丁寧にグラスへ注いだ。


 黄金色のピルスナー。

 きめ細やかな白い泡が蓋をしている様子は美しく、思わず見惚れる。


「毒見は不用。それを私に」

「はい」


 泡立たぬよう、静かに運ぶ。

 エクトール様はグラスを皇王陛下の前に置いた。


「先に頂かせて貰おう。その為に来たのだ。

 皆の幸運と輝く未来を祈念する」


 略式ではあるが乾杯の祝福。

 皇王陛下は待ちきれないというように、一気に飲み干した。

 ぐびり、ぐびりと喉が鳴り、黄金色が飲み込まれていく。

 見事な飲みっぷりだ。


 ぷはーーっ!


 突然響いた『らしからぬ』音。

 目を驚かせる私達の前で、皇王陛下は笑みを浮かべている。

 くく、と堪えた笑い声が漏れ、やがてそれは哄笑から快笑へ変わった。


「素晴らしい、素晴らしいぞ。

 大聖都の代わり映えのしない葡萄酒などとは比べ物にならぬ。

 身体の全てが目覚めるようだ。

 誓いを果たしたな、エクトール。

 これを飲む者は必ずや笑みを浮かべ、人々を幸せにするだろう」


 皇王陛下の手放しの称賛。

 それはエクトール様達の五百年が、正しく報われた瞬間だった。


「あ、ありがとうございます」


 歓喜に震えるエクトール様に頷き、皇王陛下は大きく手を開き、促す。


「皆も飲むがいい。この口福を、皇国最初に味わう栄光を許そう」


 声にならない期待が場に広がり、エクトール様と一緒に私も酒を注ぎ、皆に配って回った。

 隣同士でグラスを合わせながら、大人達はビールを喉へ流し込んでいく。


「これは……何という爽やかさなの?」

「のど越し、キレ……素晴らしい」


 夫とグラスを合わせ、ビールを喉に通したティラトリーツェ様は皇子と共に感嘆の声を上げた。

 妊娠中にお酒は――というのは、この際置いておこう。

 そんなにがぶ飲みしなければ、悪影響も無いはずだ。


「麦の味わいと微かな苦みが完璧だな」

「苦みが後を引かず、スッと消えていくのが潔い」

「これは……濃厚な味わいの料理が合いますね。油の強い、濃い味が口の中に広がった後に、これを一気に飲み干したら……まさに幸せの味となるでしょう」


 ガルフ達は冷静に味の分析。

 ラールさんは料理人目線で、どんな料理に合うか考えている。


「お前達も飲んでみるがいい」


 皇王陛下は、自分の背後に控える腹心二人にも声を向けた。

 立ち飲みの形になるけれど、大事に両手でグラスを受け取ったお二人。

 ソレルティア様は少しずつ噛みしめるように。

 逆にタートザッヘ様は、一口目を含んで目を見開いた後――一気に、ピルスナーを喉に流し込んだ。


「どうだ?」


 正しくドヤ顔で問う皇王陛下に、ソレルティア様は、


「これは……素晴らしい飲み物ですね。

 鮮やかで、この色合いのように輝かしい」


 感動を押さえきれないような微笑みで――けれど、いつもの調子で返した。


「皇王陛下……」


 続いて聞こえる、噛みしめるような声。

 渋く、深みのある声は初めて聞くもので、タートザッヘ様のものだと解った。

 そういえばこの方、この店に来てから一度も声を上げていなかったのだ。


「これは……早急に新しい法律が必要です」

「は?」「タートザッヘ?」


 突然の提案。

 私達は勿論、傍のソレルティア様と皇王陛下でさえ、意味が解らないと目を見開いている。


 けれどタートザッヘ様は、いたって真剣な顔で、抱えていたボードのようなものを広げた。

 そこには、何枚かの羊皮紙が挟まれている。

 案外、クリアファイルやクリップボードのようなものなのかもしれない。


「かつてアルケディウスでは、酒の粗悪乱造を防ぐために、酒造りに関する法律が定められておりました。

 酒造免許もその一つ。国の特産品として良質の酒を守り、悪質な酒を排除する為に必要なものだったのです。

 食の絶滅以降、酒造法は名こそ残っているものの意味を失っておりました。

 ですが早急に、酒造法を復活させるべきです」


「……意味がよく解らんが、つまり其方は、この酒が気に入ったから守る法律を作れ、と言っているのか?」

「御意。

 この素晴らしい酒は、先ほど陛下がおっしゃったように、この国の宝というべきものです。

 我が国特産とし、守っていく為にも、この秋の大祭の会議に合わせて、新しい酒造法の成立、再整備を行っていくべきでしょう。

 素案は私が用意いたしますので」

「いつになく雄弁だな、ビール一杯で酔っておるのか? 其方は?」

「いいえ。至極真剣、真面目にそう思っております。エクトール卿……どうぞ、これを」

「これは……」


 そう言ってタートザッヘ様は、二枚の羊皮紙をエクトール様に差し出す。

 私も後ろから覗き見たけれど……免許状と……何?


「見ての通り、エクトール様宛に皇王陛下がご用意された酒造免許にございます。

 かつてのお父上宛のものではなく、エクトール様に授けられる新時代、最初の免許状。

 エクトール様には今後、アルケディウスに新設される酒造局、その司として監督役として御就任頂きたく……。

 もう一枚の文書は要請書にて。

 どうかエクトール様には今後、皇国の酒造の発展の為、お力をお借りいたしたいと存じます」


 文書を差し出す文官長様。

 私達には酔っているようには見えない。本当に真面目に見える――のだけれど。


「やはり、酔っているな、タートザッヘ。それは儂が自ら告げると申しつけておったのに」


 実は酔っているらしい。

 顔に出ないから解らない。

 解る皇王様は、流石だなあ……。


「……エクトール」


 驚くエクトール様の前で、腹心の暴走に苦笑しながらも、皇王陛下は頷き、鮮やかに告げる。

 それを見つめ、祝福する皆の眼差しも眩しい程だ。


「其方の五百年の労苦に、これからアルケディウスは報いよう。

 今後もアルケディウスの新事業『新しい食』の発展の為に力を貸してほしい」

「はい。必ずや……」


 私達には麦酒の味は解らない。

 けれど、深々と頭を下げるエクトール様と、その頬に輝く涙に、はっきりと解ったことがある。


 エクトール様と蔵が護り続けて来た味は、五百年の時を超え、蘇ったのだ。

 黄金色のピルスナーのように、これから光り輝くのだ――と。


 戦勝を願う宴の内容は割愛。

 基本的には、プラーミァ国王をお招きした時の晩餐会と同じで、フライと海の幸をメインにした料理だったし、大好評であったのも変わらないから。


 違うのは、供せられた新酒のビールに第一皇子様、第二皇子様も、皇子妃様方も大満足されたこと。

 そして、トレランス様が、


「次の戦、必ずや勝利して見せましょう。そしてこのビールを戦勝の宴において、大貴族達と勝利の美酒として味わうのです!」


 と、やる気満々になったことくらい。


 それが良い事か、悪い事かは――今は、まだ解らないけれど。ね。

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